◆スペインギタ-週間コルムナ◆火曜日更新
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現代人は勉強に仕事に忙しいのです。限られた時間を有効に活かしてギタ-を上達するにはスペイン人ギタリストの真似をするのが一番。楽譜なし、教則本なし、基礎練習ゼロ---。
毎週このコラムを読めば貴方のギタ-人生が根底から覆されます。もし覆されない方がいらっしゃればグラナダにおいで下さい。私が自腹でスペイン名物脳みそフライをご馳走します。 |
201-220
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220 押弦は足を踏んで歌心(2) 19-12-2006(火) |
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筆者は中学高校とブラスバンドをやっていました。ところで、読者はオ-ケストラの指揮者の派手な指揮をどう思いますか? 筆者は子供心にg格好付けやがって、この野郎hと、つまり、あれはオ-バ-アクションだと思った訳ですね。ですから、中三の時指揮をやらされても、ああなってはいかんと思って、腕だけ動かす様に指揮したことを思い出します。 しかし、こちらに来て、特にパコ・デ・ルシアの演奏を聴いて、そして、見て気付きました。あれはオ-バ-アクションではなく、本人が本当に歌心モ-ドに入って、体全体が歌心に乗っているので体が勝手に動くだけの話しなのです。オ-ケストラの指揮者も同じだと、この時初めて気が付きました。そうなると、指も足も勝手に動いて来ます。 ただし、そこまで歌心のない我々凡人が体全体を揺すったところで醜いだけです。ここで足を踏む発想が出て来る訳ですが、それは、その少ない歌心に、少ないなりにもやる気になってもらうためのものです。単に足を踏めばいいと言う問題ではありません。足だけではなく、体全体がリズムに、そして、歌心に乗るために足を踏んでみましょう。そうすればその結果として押弦もかなり楽になります。ちょっと読み辛いですが、これは先週筆者が練習したワンフレ-ズです。一応3/4拍子と思って下さい。3拍~4小節=計12拍。 ファソ:ラシ:ドレ:ミファ:ソラ:シド:レミ:ファソ:ラシ:ド~~: 冒頭のgファhは⑥弦の1フレット。最後のgドhは①弦の8フレット。つまり、ハ長調の音階ですから、読み辛くても掴めましたね? ただし、実はこれはハ長調の音階ではなく、フラメンコのハ長調の曲gアレグリアス(カラコレス)hのワンフレーズです。来週までに左手の練習をしておいて下さい。クラシックギタ-の読者にも少しだけフラメンコギタ-に触れていただきましょう。最後の①弦gミ:ファソ:ラシ:ドhの指使いはg0・1・3・1・3・4hです。後は分かりますね? |
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219 押弦は足を踏んで歌心(1) 12-12-2006(火) |
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歌心に乗れば乗るほど押弦も楽になることを述べて来ました(コルムナ16~18)。今週来週は、それでも『わては歌心がない、どないせ~言うねん』と言う人にもやってもらいましょう。 確かに人間皆才能がある訳ではなく、寝ずの努力をしても皆が東大に行ける訳でもなく、楽器を志す人総てに十分歌心が備わっている訳でも何でもありません。残念ながら、これは我々がギタ-を手にする度に思い知らされることです。ただし、頭からマイナス思考では余計にマイナスです。日本人には『もう年で指が硬いもんですから』『指が短いんですよ』などと、弾く前から失敗した時の言い訳をする人、しかも、不遜にも指のせいにする人の何と多いことでしょう。固定概念でギタ-は指で弾くと確信し切っているからこそ、こう言う発想や発言になります。何度でも繰り返しますが、ギタ-は指ではなく、歌心で弾くのです。これはgスペインギタ-週間コルムナhの基調でもあります。指で弾けば指はしがらみ、歌心で弾けば右手の指は勝手に弦を奏で、左手の指は勝手に弦を押さえてくれます。 これは筆者の持論ですが、音痴じゃない人は皆それなりに音楽の才能、つまり、歌心があります、多かれ少なかれ。その少ない歌心に、少ないなりにもやる気になってもらえば、その分だけ指は動き、勝手に弦を押さえてくれます。しかし、そんなこと言われても一体どうやって? 無い袖は振り回す分だけアカポンタン(分からない読者はお父さんに訊いてね)ですが、袖の中に少しでも歌心があるなら出さなきゃ損でしょう。また、出してこそ初めて楽器の面白さも実感出来ます。しかし、一体どうやって? 難しく考えるほど指は萎縮するだけで逆効果です。こう言う時にはあれを一発(パタリロ←分からない読者はお父さんに訊いてね)!? 足を踏んで無理矢理指に動いてもらおうじゃあ~りませんか!? 最近の読者は何じゃこりゃ、と思うかも知れませんが(既に同130&131で取り上げています)、意表を衝かずして人生の成功はないのです。とは言え、足を踏まないフラメンコギタリストは皆無ですので、この発想は別に火星人的な意表を衝いたものでも何でもありません。 来週は実際に歌心で足を踏んで弦を押さえてみましょう。 |
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218 歌心で左手の押弦:パコ様の秘密に迫る(3) 05-12-2006(火) |
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理想の押弦とは何でしょう? なるべくフレットの近くを押さえろと良く言われますが、これはフレットの上部や中程を押さえるより、こちらの方が少ない力で弦を押さえられるからです。どうしても指先が届かない様な難しいポジションなら仕方ありませんが、確かになるべくフレットの近くを押さえるに越したことはありません。 しかし、上手い人はそんなことは一々意識しなくても指先が勝手にフレットのすぐ近くを押さえているものです。もう一度基本に返りましょう。ギタ-はいかに私が私の鍛えた指で弦を弾く(押さえる)かではなく、いかに指に勝手に弦を弾いて(押さえて)もらうかです(コルムナ6)。例えばC7を押さえるのに、4本総ての指がフレット近くを押さえる様に4本の指に一々注意を払っていては堪りません。指を気にし過ぎるが故に歌心が極めて散漫になります。と言うことはまずい演奏になると言うことですから、実はこれこそしてはいけないことかも知れません。いえ、指には大いに気を使って結構かも知れませんが、歌心に基していなければ外見のフォ-ムの良し悪しなど意味がないと言うことです。きれいなフォ-ムでボテボテの内野ゴロより、男岩鬼の悪球打ちの方がいいではありませんか。 あるギタリストの言ったことですが、本当に弾けている時には指が弦を弾いている感触がなくなるそうです。筆者も時折そう言う経験をします。読者も経験したければ、得意な曲と苦手な曲を弾いて、指の感触を較べてみて下さい。いかにも指が動いてくれず苦労している苦手な曲と、ある程度勝手に指が弾いてくれる得意な曲の、両手の指の感触の違いに気付くでしょう。そして、右手の指は弾いている感触がない位好調で、同時に左手は苦労しながら押さえていると言うこともまたないのです。得意な曲なら左手の指が勝手に弦を押さえてくれ、滑る様に勝手にポジション移動してくれる、つまり、指で弦を押さえていると言う感触自体が余りないはずです。こうなると左手の指は最小限の力で勝手に指板の上を動き回ってくれます、歌心で。 パコ様の左手のふんわり感はこの極致を極めていると言えます。以前パコ様の左手指先を見せてもらったある人の証言に拠れば、彼の指先にはタコが一切ないそうです。正に名人芸であり、達人の成せる業と言えますね。 名人は名人を知る。凡人は名人を・・・!? 歌心の真似事だけでもやってみましょう。 |
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217 歌心で左手の押弦:ギタ-はピアノかオルガンか(2) 28-11-2006(火) |
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筆者が確か幼稚園か小学校一年生の頃、母親がオルガンを買って来て、ほどなく町内のピアノ教室に通わされました。本人は嫌で嫌で仕方がなかったのですが、母親とすれば可愛い息子の情操教育のつもりだったのでしょう。昭和30年代後半の、しかも、四国の片田舎の話しですから、今考えれば随分と先見の明があったのかも知れません。 そこで、しばらく家のオルガンでかあちゃんと練習してからピアノ教室に行った幼い筆者がまずびっくりしたことは、ピアノはオルガンの様なタッチでは音が全く出ないと言うことでした。オルガンは電気仕掛けですから、要するに鍵盤の上に指を置けば音が出るのですが、ピアノは気の抜けたサイダ-の様なフワッと言うタッチではうんともすんとも言いません。指先で瞬時にビシッ、バシッと叩いて、しかも奥まで鍵盤を押し込まなければ音が出ないのです。その意味では、ピアノは総ての鍵盤楽器の母であり、基礎であると言えるでしょう。 ギタ-も同じ理屈です。右手のタッチもそうですが、日本人は正に気の抜けたサイダ-の様なフワッと言う、一本芯の通っていない弦の押さえ方をする人が多い様です。何か、指定のフレットに指先を置きゃいいんだろみたいな、オルガンの様な優柔不断な押さえ方とでも言いましょうか、ピアノの如き思い切りの欠如した押弦とも言えます。 とは言え、勘違いしてはいけないのはピアノもギタ-も上手い人は、別に力任せにビシッ、バシッと叩いて、力づくで鍵盤を押し込んでいる訳ではありません。歌心が目鼻立ちくっきりで躍動していれば(コルムナ155)、押弦もタッチも自然にビシッ、バシッと最小限の力で決まっているはずです、パコ様の様に(同91)。 理想的な押弦も結局は歌心の産物以外の何物でもないと言うことです。ただ、敢えて肉体的なことを言うとすれば、それはフワ~っとでも、悪い意味で丁寧にでもなく、スタッカ-ト的に弦を押さえることです。つまり、その瞬間にビシッと決める・・・。実はこれが届かないところまで届かせる、或いは、押さえ切れなかったのを押さえ切る秘訣でもあります。 今日から左手も右手もオルガンからピアノタッチに、指ではなく頭を切り変えてみましょう。 |
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216 歌心で左手の押弦(1) 21-11-2006(火) |
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実は既に以前『禁じられた遊び』を題材に、g集中力hで届かない指を届かせる(120&121)、g歌心hでポジション移動(同122&125&126)、gアクセントhでポジション移動(同127&128)など、いかに動かない左手を煽てて動いてもらうかについて軽くコルムナしています。総括の132共々読み返しておいて下さい。今回はこれを歌心で、左手の各症状毎にもっと掘り下げることになります。 さて、症状と言えば、まず『どうしましたか?』と問われ、『実は最近~なんですが・・・』と具体的な症状を語る病院での先生と患者の会話を思い浮かべます。ギタ-教室も同じかも知れません。ただし、具体的な左手の症状を、対処療法の西洋医学ではなく根本治療の東洋医学の様に(同136)、歌心で診て行くのがgスペイン週間コルムナhです。 まず、押弦一般からです。読者は1(人差し指)、2(中指)、3(薬指)、4(小指)、どの指が一番押さえ難いと感じるでしょう? 例えば、Cのコ-ドを押さえた状態から余った4で③弦の3フレットを押さえてC7にするより、一フレットを全セ-ハしたまま、4で①弦や⑥弦の5フレットを押さえる方が大変です。この様に一概には言えませんが、確かに各人に拠って得意不得意な指がある様です。筆者の場合は3ですね。どうも指先の弦を押さえた感覚がビシッと来ない場合が多いのです。 しかし、こう言う場合こそ基本に帰りましょう。指に問題が起きたら、原因はそこにはないのです。 |
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215 ギアを上げて歌心で左手 14-11-2006(火) |
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左手の様々な症状は、実は左手(の指)が非力だからではなく、力が入り過ぎているため、却って力が上手く弦に伝わらないのが原因です(先週のコルムナ)。それが証拠に、腕相撲を取れば明らかに我々の方が勝つ非力な女性や子供でもギタ-の達人はいます。と言うことはギタ-は腕力でも指の筋トレでもないと言うことです。とにかく、左手も右手も徹底的に力を抜きましょう。これが肉体的な基礎です。弾いている途中に力が入って来たのが分かったら、意識して力を抜くことです。力んだまま弾き続けても悪い癖が付くだけです。 そして、上手い人ほど意識してではなく、パコ様の様に無意識の内に徹底的に力が抜けているのです(同91)。それはもはや指の技ではなく、歌心の技なのです。 力むとはロ-ギア、そして、セカンド、サ-ド、トップにギアが上がって行くほどエンジンは力まず快適です(同8)。この実話は非常に有益ですね。ギタ-に限らず、意外と人生の他の分野でもこんな感じで力んでオ-バ-ヒ-トになってはいないでしょうか? 楽器の上達もこの様にギアが上がって行く過程だとも言えるでしょう。だとすれば、我々は一体今どこのギアに入っているのでしょうか? 例え技術的なレベルは同じ位でも、得意な曲はトップギア、苦手な曲はセカンドギア、と言うこともあり得る話しではないでしょうか? そして、懸案の歌心で左手の具体的な治療も、治るほどにギアが上がって行き、左手は軽やかになり、トップギアに入った暁には燃費は最小エネルギ-が故に指の疲れも最小で、しかも、パワ-とスピ-ドは過去最高・・・。と、果たして上手く行くでしょうか? それは結局各自の歌心次第でしょうが、来週からは具体的な左手の症状に歌心で対処してみましょう。 |
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214 左手の治療は力を抜いて歌心 07-11-2006(火) |
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歌心でまず右手の治療、そして、懸案の左手の治療。これがgスペイン週間コルムナhの大まかな流れです(先週のコルムナ)。 さて、治療と言うからには、左手には一般的にどんな具体的な症状があるのでしょう、とは言え、誰でも経験することですが、指が開かない(届かない)、弦を押さえ切れない(ので雑音が出る)、指の(ポジション)移動が上手くいかない、スラ-やハンマリングの音が小さい、セ-ハが押さえ切れない、すぐに腕が疲れて来る・・・。Fが押さえ切れずギタ-を諦めたと言う話しは良く聞きますが、笑えない読者もいるかも知れません。 ここで読者がギタ-教室に通う生徒なら、先生に~なんですが、どうしたらいいでしょうかと質問することでしょう。ここで指がどうこうではなく、もう一度骨盤調整の先生と患者さんの会話を思い出しましょう(同136)。結局、同様に弦楽器、鍵盤楽器も歌心さえ健全になれば指は自然に良くなって来るのですが、それでも敢えてこれらの指の様々な症状の肉体的共通点を挙げるとすれば、それは左手(手&腕&指など)に力が入り過ぎていると言えます。 実は多くの場合、音が小さかったり、思い通り動いてくれないのは、右手も左手も指の筋トレが足りなくて非力だからではなく、必要以上に力んでいるから指が動かないと思っておけばまず当りです。分かり易く言えば、毎日十分筋力トレ-ニングを積んだバッタ-が力んでフルスイングしても、当たらなければファ-ルチップです。思い切りハンマリングで指先を弦に叩き付けても蚊の鳴く様な音しか出ないのも理屈は同じ。大体パコ様はそんなバカなことはしません(同91)。また、仮にバットの真っ芯でボ-ルを捕らえても、力んでいるなら、せいぜい球足の鈍いシングルヒットです。ヒットにはなったものの、打った本人は納得行かないはずです。外見のフォ-ムは良いのに、右手の指が奏でる音が小さかったり、左手が思い通り動いてくれないのも同じこと。力を抜くのはアルペジオだけではないのです(同160)。 そして、左手から力を抜きたければ、左手も指も忘れて歌心至上主義にシフトチェンジすることです(同180)。 |
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213 左手の治療も歌心 31-10-2006(火) |
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さて、昔からの読者はお気付きかも知れませんが、実は左手については以前にもコルムナしています。最近の読者のために今一度総括しますと、まず、スペインギタ-週間コルムナは細かい技巧ではなく、常に基礎に言及します。何故ならギタ-に限らず『基礎とは揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部』ですから(コルムナ5&11)、ギタ-の基礎を揺るぎなく据えてやれば指も自然に良くなって来ます。また、これがギタ-上達の一番の秘訣です。そして、この基礎を便宜上『肉体的な基礎』『情緒的な基礎』の二面から考えています(同4)。そして、その目的は右手も左手もこれらの基礎をしっかり据えることに拠って指が勝手に動いてくれる様になること、そして、懸案の左手に関しては指が勝手に弦を押さえて、スラ-して、ハンマリングして、セ-ハして、音を途切れさせずポジション移動してくれる様になることです(同6)。既に左手の肉体的基礎については一応述べました(同89~117)。続いて情緒的基礎についてもアクセント&歌心&リズムの観点から若干述べました(同118~132)。実はこの時点で既に左手も歌心に尽きると言う結論は出ているのですが(同132)、今回これを歌心で更に掘り下げてみましょう。また、続くコルムナ133~153では歌心一般についても述べています。今一度読んでみて下さい。そして、この歌心こそ『肉体的な基礎』に優る『情緒的な基礎』であることを踏まえた上で、歌心で具体的に指の治療を試み(同153)、まずは歌心で右手とそのタッチの治療(同154~197)。続いてギタ-の材質の話しを挟んで(同198~211)、いよいよ先週から歌心で左手の治療のコルムナに入りました。これが大まかな流れです。 |
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212 お手本はパコ様の歌心で左手 24-10-2006(火) |
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今週からg歌心で左手hについてコルムナして行きますが、結論から言えば、右手同様(コルムナ153~197)、左手も結局歌心に帰着することになります。寿司はネタではなく酢加減(同)、絵は絵筆を持つ指ではなく絵心、中元歳暮は品物ではなく真心、指圧の心は母心、そして、ギタ-は指の技巧ではなく歌心。これは少し考えれば誰でも分かる簡単な真理です。そして、真理を度外視してあれこれ論じ始めると理屈や教則本になります。 論より証拠。理屈より一つの真理。左手についての理論や理屈を封じるために水戸黄門の印籠並みの強烈な真理を目の当たりに突き付けてみましょう。『左手の基礎練習は、ハンマリングは、指板に対する指の角度は、セ-ハのコツは・・・』とワイワイがやがや論ずる一味の者に『もういいでしょう~』『静まれ、静まれ~(←皆さん静まりましょうね)!! パコ様の左手が目に入らぬか、皆の者、頭が高~い!!』 筆者はあの日見たパコ・デ・ルシアの強烈な音と全く好対照なその左手のふんわり感が忘れられません(同91)。これで左手の総ての理屈には終止符が打たれます。もし、左手について肉体的に目指すものがあるとすれば、それはパコ様の様にいかに最小限の力で弦を押さえ、最小限の力でポジション移動するかです。そうすればパコ様の様に指先にタコも出来ないでしょう(指先を見た或る人の証言)。 しかし、ピカソの絵心なくしてピカソの絵は描けない様に(同133)、パコ様の歌心なくしてパコ様の如くギタ-は弾けません。左手も然りです。来週から歌心で少し左手の指に弦を押さえてもらいましょう。 |
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211 風説の流布ギタ-!? 17-10-2006(火) |
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更に問題なのは、相当高いギタ-までこう言う仕組みになっていることも多々あると言うことです(先週の続き)。もちろん、今現在日本に輸入されている有名製作家のほとんどのギタ-は本人作でしょうが、有名製作家のラベルとサインだけ本物のギタ-も少なくはないのです(コルムナ208~210)。その上これらは日本では高級手工品として販売され、仰々しく何とかモデルと称されているものに多い傾向です。しかも、定価は100万円以上!? オマケに、本物のラベルは貼ってはありますが、製作家本人はもう死んで、残った家族の経営する工房とは名ばかりの単なるギタ-販売所の場合まであると言うことです。昔日本で流行った演歌g昔の名前で出ています~♪hみたいなものです。 実例を挙げましょう。半年ほど前でしょうか。知り合いのマドリ-(マドリ-ド)在住の少しギタ-を弾く日本人が散歩していると、ふと気が付けば○○○・○○○○○の○○○-ナ工房の前にいたそうです。ちょと覗いてみると、日本人と見ると大歓迎され、いきなり白(糸杉:シプレスフラメンコギタ-の通称)を2900ユ-ロ(約45万円)で勧められたそうです。塗装はオレンジ色だったそうですから、大したことはないギタ-だったでしょう。もっと安いのはないのかと言ったら、あからさまに拍子抜けみたいな顔をされ、今日は金を持っていないと言うと、早く帰れみたいな雰囲気になったそうです。日本人を見ると皆ネギカモに見えるんでしょうね。とんでもないギタ-商人どもです。しかも、値札はなしの言い値。現地の人間にはもっと安く売っているはずです。そう言われたくなければ値札を付ければいいだけの話し。日本の多くのギタ-店のg時価hも同じこと。値札を付けず、客の顔に拠って料金を上げ下げするアラブ人商法です。現物が今ないならまだしも、他の安いギタ-には値札が付いているのに、何で目の前にある高級ギタ-は時価で、一々料金を口頭で尋ねなきゃいけないんでしょうか!? さて、筆者は観光ガイド時代、ある日本の添乗員さんから『海外では店員さんはgこれがお似合いですよh、日本ではgこれは皆さんお買いになりますよhと言う』と聞いたことがあります。自らの意志のない人ほどラベルだけで判断し、昔の名前や風説に流布されるのは株もギタ-も同じこと。踊らされずに、自分の音の好みをしっかり持って、名より実で判断して下さい。 来週からは歌心で左手です。 |
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210 ロエベはスペインの高級ブランド 10-10-2006(火) |
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もし、同じラベル(製作家)のギタ-が相当数、場合に拠っては世界中に何百本出回っているとすれば、それは本人の作品でも何でもありません(先週のコルムナ)。 安いギタ-から上の下まで工場に総て委託して本物はラベルとサインだけ。それでも量産とは言え日本に入って来れば決して安くはありません。いくらで売ろうがそれは勝手かも知れませんが、○セ・○ミ○スのラベルなら(同208)、せめて楽器店は○セ・○ミ○ス自身の作品ではなく、○セ・○ミ○ス印の量産ギタ-だと購入者に伝えるべきでしょう、楽器屋としてのモラルがあるなら。 ところで、スペインにロエベと言う有名ブランドのハンドバックがあります。筆者は観光ガイド時代に何度か日本の買い物おばさんのグル-プを連れて行ったことがあります。決して姑にはしたくないタイプのおばさん曰く『やっぱりロエベは違うわ~』。『あ、そ~。実はロエベはカディス県のウブリケと言う皮製品で有名な町の工場で作られていますが、同じハンドバックが出荷の際ロエベの判が押されるだけで何倍にもなるんですよ~』とは筆者は言いませんでしたが、今日ギタ-も同じ。○セ・○ミ○スも、日本で知名度のあるあれもこれも、フラメンコギタ-で世界的に有名な○○○・○○○○○も皆同じです。日本の売値から見ればまさかと思う様な原価で仕入れ、そこに本物のラベルを貼ってあっという間にブランドギタ-。 読者の皆さん、結局資本主義社会で成功したければ商品のブランド化なのです。炭酸砂糖毒色水のコカコ-ラ&ファンタもブランド化されれば原価の何倍にでも売れる様に、見る目がなければラベルだけ本物ギタ-を掴まされます。しかも、これらは主に日本市場をタ-ゲットにしているのです。 |
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209 ギタ-も影武者!? 03-10-2006(火) |
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筆者は新しい製作家と知り合った時、それとなく年産何本か聞くことにしています。相手が正直に答えたとすれば、大体その製作家の製作過程が分かります。と言うのは製作家一人がコツコツ頑張ってギタ-を作っても年間14~15本が限度だからです。息子や弟子と一緒に作ってもせいぜいその二倍弱。それ以上の数字なら疑った方が宜しいです。とは言え、各部分を弟子に用意させ、それを先生本人が作るならまだ話しは分かりますし、多くの歴史的名工達もおそらくそうして来たことでしょう。また、そんなことを一々購入者に言う製作家もいないでしょうが、仮にそう言われても、この程度なら納得がいきます。 しかし、問題は先週の様な場合です。100%他人の作品で本物はラベルとサインだけ!? 確かに工場製の量産ギタ-を仕入れて自分のラベルを貼って販売することは昔からされて来たことです。例えば筆者は相当古いラミレスのくるみギタ-を持っていますが、これはバレンシアの工場製と思われます。何故なら他のラベルの当時のバレンシアギタ-と作りや格好が同じだからです。これなら話しは分かりますが、相当高いギタ-まで全く他人任せとなると、これはモラルを問われそうですが、誰も問いません!? 誰もと言うのは本人も、影武者も、それを買うギタ-店も、購入者も誰もです。知らないのは皆さん購入者のみ。来週は少し知っていただきましょう。 |
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208 ギタ-製作家も多い方がいい!? 26-09-2006(火) |
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先週知り合いのマドリ-(マドリ-ド)出身の若い製作家がやって来ました。中々面白いことを言っていましたので、『歌心で左手(先週のコルムナ)』はもう少し先にして、今週来週再来週と先にこの話しをしましょう。 まず、いきなり曾爺さんが持っていたと言うフランシスコ・パウ作の1800年代後半のギタ-を持って来ました。この写真http://www.azstarnet.com/public/commerce/zavaletas/greene/pau.jpgとほぼ同じで、良く保存された逸品(ほとんど誰も弾かなかったらしい!?)です。そこで筆者もコレクションの同世代のフアン・モ-ジャ・マルティネス(Juan Moya Martinez:1800年代後半:アントニオ・デ・ト-レスと同郷同世代)のくるみギタ-(同203)を見せてやると『ホエ~』とか言っていました。http://www.azstarnet.com/public/commerce/zavaletas/greene/zalmeria.htm参照。 さて、面白いことと言うのはこのギタ-のことではありません。この製作家が以前マドリ-の○セ・○ミ○ス工房に履歴書を送っていたところ、つい最近忘れた頃に面接に来いとの連絡があったそうです。仕事の内容はもちろんギタ-製作ですが、自分のラベルは一切貼れず、○セ・○ミ○スの名前でギタ-を作ること!? 彼は目が点になったそうです。あの大画家サルバド-ル・ダリも晩年はお抱えの贋作士に描かせて、最後にサインするだけでボロ儲けしていたそうですが、残念ながらギタ-製作界ではこう言ったことが深く追求されることはありません。本来追及すべき消費者側が無知過ぎるからです。読者が思い浮かぶ少なからぬスペインの有名製作家はこれを当たり前の様に行っています。これを期にこの問題を読者と一緒に追及してみましょう。 |
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207 ギタ-は多い方がいい!? 19-09-2006(火) |
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ギタ-の材質はハカランダ、ロ-ズ、糸杉(シプレス)だけではなく、スペインギタ-には他の木も使用されることや、これらの様々な木材の一般的ランク付け、及び価格は必ずしもギタ-の出来映えに正比例しないことを見て来ました(コルムナ198~206)。 読者の皆さん、ギタ-は楽器ですから、見かけや価格やラベル(で判断する意志薄弱な日本人多し!?)ではなく、最後は音で判断しましょう。また、いつかは様々な材質のギタ-を弾いてみることをお勧めします。女性のハンドバックとギタ-は気分に応じていくつか使い分けた方が楽しいに決まっています。そうすることに拠ってギタ-を見る目(耳!?)も養われます。また、たまにはランクの落ちるギタ-を弾くことに拠って今持っているギタ-の良さを再発見することが出来るかも知れません。 いずれにせよ、他人のギタ-でもいいですから、より多くのギタ-を弾いてみましょう。ギタ-について見聞が広まり、聴く耳が養われることは間違いありません。ただ、それをギタ-ではなく、スペインギタ-でと言うのがgスペインギタ-週間コルムナhの目的の一つでもあります。 来週からは『歌心で左手』のテ-マでコルムナして行きます。 |
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206 特上!? 並!? それ以下!? 12-09-2006(火) |
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このかえでギタ-のラベルに書いてあった製作年月は忘れましたが、アントニオ・デ・ト-レス(1812~1892)ですから19世紀の中頃~後半でしょう(先週の続き)。当時としては当たり前サイズのかなり小振りなギタ-でした。裏板は三枚合わせ。現在は二枚合わせが常識ですが、これはマヌエル・カ-ノ先生に拠れば、当時は現代ほど木材が豊富ではなかったため、近代ギタ-の開祖、天下のアントニオ・デ・ト-レスと言えども、ましてやスペインの片田舎のアルメリア(Almeria)でいい材料は調達出来なかったからだとのこと。それが証拠に、何と事もあろうに節目だらけ。現在では考えられない最低最悪最安の材料で作られたギタ-だった訳です。ところが、ある時カ- |