スペインギタ-週間コルムナ◆火曜日更新

現代人は勉強に仕事に忙しいのです。限られた時間を有効に活かしてギタ-を上達するにはスペイン人ギタリストの真似をするのが一番。楽譜なし、教則本なし、基礎練習ゼロ---。

 毎週このコラムを読めば貴方のギタ-人生が根底から覆されます。もし覆されない方がいらっしゃればグラナダにおいで下さい。私が自腹でスペイン名物脳みそフライをご馳走します。

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181-200

200 ボクシングはギタ-だ 01-08-2006(火)

 

8月2&3&4週はHP担当者の夏休みの都合に拠り、gスペイン週間コルムナh&gスペインギタ-週間コルムナhは臨時に文化交流部門掲示板http://6216.teacup.com/daido/bbsに掲載します(火曜日)。

一昔前までは多種多様な木で様々なギタ-が作られていた訳です(先週のコルムナ)。理由は当時は家具職人や大工出身者から転身した製作家が大半だったことが挙げられます。つまり、使い慣れた家具や建材の木材をそのままギタ-に使ったことになります。

ここでそれぞれの木材の単純な比較などしても面白くありません。このコルムナの目的は色々な木材のギタ-を弾くことの面白さを読者に知ってもらうことです。

例えばgパンチ力の強烈なヘビ-級だけがボクシングだhと盲目的に言い張る人がいるとします。確かに世界ヘビ-級チャンピオンの方が世界ライト級チャンピオンよりパンチ力、ファイトマネ-、視聴率は圧倒的に上ですが、ファイトマネ-、視聴率、観客動員力も評論家の評価も世界ライト級チャンピオンの方が世界ヘビ-級20位より圧倒的に上です。ただし、単にパンチ力の測定だけなら世界ライト級チャンピオンは世界ヘビ-級20位に全く及ばないのです。

木材の単純な比較とはこう言うことです。最高の材質ハカランダで作ったハカランダのギタ-こそ最高だと今日一体何人の製作家やギタ-店の主人が盲目的に言い張っていることでしょう? ヘビ-級のパンチ力だからと言って、ヘビ-級の一流ボクサ-になれるとは限りませんし、最高の材質からいつも最高のギタ-が出来上がる訳ではないのです。

確かに材質だけのランク付けをするならボクシングのgフェザ-級<ライト級<ミドル級<ヘビ-級hと言う様にg糸杉<ロ-ズ<ハカランダhと言った比較は成り立つかも知れませんが、ギタ-としての出来がこれに全く比例すると考えることは、それは世界ヘビ-級20位は世界ライト級チャンピオンに勝ると思い込む愚です。ボクサ-はパンチ力の測定値ではなくボクシングが上手いかどうか。ギタ-もその素材ではなくギタ-の音色の旨味です。世界ヘビ-級20位の様なハカランダのギタ-はいくらでもあります(たまには名工の作品も!?)。他の木材で作った軽量級上位ランカ-の様なギタ-の方が遥かにギタ-なのです。

 

 

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199 ギタ-の使用木材今昔(いまむかし) 25-07-2006(火)

 

今回アベバイ&アフリカ糸杉と言う全く変わった木で新作ギタ-を作ってみた訳ですが(先週のコルムナ)、実はこれには伏線があります。故マヌエル・カ-ノ先生は生前懇意にしていた製作家フアン・ロマン・パディ-ジャ氏(JRPJJRPN)に、研究のため様々な木材のギタ-を作らせていました。筆者もまたこのル-トでパディ-ジャ氏と知り合いました。パディ-ジャ氏の面白さは、カ-ノ先生から言われるまでもなく、既に様々な木材のギタ-を手がけていたことにあります。氏曰く『昔は皆色んな木でギタ-を作ったもんじゃ』。皆とは他のどんなギタ-製作家もと言う意味です。では現在はと言うと、これが大違いなのです。日本に入っているスペインギタ-を見ても分かる様にクラシックギタ-はハカランダかロ-ズ。フラメンコギタ-はシプレス(糸杉)かハカランダかロ-ズと相場は決まっています。つまり、これ以外の材質のギタ-は今ではほとんど作られていないのが現状です。資本主義の弊害とでも言いましょうか、パッとしない木よりも、これらの著名な木材の方がコンスタントな品質の楽器が作れるし、経済性もいい、と言うことなのでしょう。

しかし、それじゃあ面白くありません。論より証拠。以下現在筆者の持っているギタ-コレクションの様々なギタ-の材質を列挙します。『ハカランダ&ロ-ズ&シプレス(糸杉)& 赤糸杉&くるみ&カラコリ-ジョ&サビ-ナ&かえで(無地)&かえで(虎目)&黒色虎目かえで&マホガニ&にせマホガニ&ゼブラ材&プラタナス&モンゴイ&樫の木&サンゴ材』など40本以上。まだまだ続きます。来週も続きましょう。

 

 

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198 新しいギタ-は新しい木材で新しいコルムナ 18-07-2006(火)

 

年頭にひょんな(ひょうきんな!?)ことからセビ-ジャ県のど田舎にギタ-職人がいることを知り(コルムナ170)、3週間後に完成した2本のギタ-を見に行きました。かなりの出来映えでしたので注文を出しておきましたが、それが先日やっと完成し、今回めでたくHPに発表の運びとなりました。gアベバイh材のクラシックギタ-とgアフリカ糸杉hのフラメンコギタ-です。

元々gスペインギタ-週間コルムナhは楽譜も読めず、基礎練習も全くしないスペイン人フラメンコギタリストの真似をして、ギタ-教則本をぶっ飛ばそうと言うのがその主旨です(注:コント55号のg紅白歌合戦をぶっとばせh参照)。また、別の言い方をすれば、ギタ-は指の鍛錬ではなく、指からの解放であり、ギタ-は指で弾くのではなく、指に弾いてもらうもの。そのためには何はさて置き歌心、と言うことを今までずっと書いて来たとも言えます。そして、ギタ-が楽器である以上、今後も指ではなく歌心であることに違いありませんし、先週でg歌心で右手hが一段落したところで、次はg歌心で左手hについてコルムナして行く予定でしたが、この2本の変わった木材のギタ-が出来上がったところで、今回少しコルムナの趣向を変えてみたい気分になりました。gスペインギタ-週間コルムナhと名乗る以上、スペインギタ-を弾くことだけではなく、スペインギタ-の他のいくつかの側面に関心を持っても損はしないでしょう。

とは言え『表面板の木は~と言って、厚さ何mmで・・・』などとギタ-分解講座になっても面白くありませんし、筆者もまたギタ-製作自体については知識不足です。ですから、来週からなるべく堅苦しくない観点からギタ-の材質についてコルムナして行きましょう。

さて、今回これらのアベバイ&アフリカ糸杉の2本だけでなく、合計一挙8本の新作ギタ-を発表しました。他に虎目かえで&黒色虎目かえで&くるみ、そして、ハカランダ(中南米ロ-ズ)&ロ-ズ&糸杉など。http://www.jp-spain.com/20.html

 

 

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197 取り敢えずこれで歌心で右手 11-07-2006(火)

 

日本では夏の甲子園を目指して地方予選がたけなわになって来ました。先日どこかの県の高校の元監督さんの思い出としてこんな記事が載っていました。

フォームがいいからいい球が行く訳じゃない。いい球が行くからフォームが良くなる。

これを読んで思わず以前自分で書いたコルムナ(146171など)を思い出してしまいました。全く同じ、全く同じ理屈です。gフォ-ムがいいからいい音が出る訳じゃない。歌心が健全ならフォ-ムも良くなる。いい音が出たその時、一番いいフォ-ムになっているhとそっくりそのまま置き換えられます。結局ギタ-も野球も、世の中総てのことはある意味『一事が万事』とも言えます。理屈は同じ。コツは同じかも知れません。

さて、歌心で右手はこれでひとまずさて置き、引き続き歌心で左手についてコルムナして行く予定でしたが、先週ついにg国鉄の切符売場ギタ-hが2本完成しました(同170)。変わった材質のギタ-です。来週からは少し脇道に逸れて、ギタ-の使用木材についてコルムナしてみましょう。

 

 

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196 指の偽善者に良薬は歌心 04-07-2006(火)

 

コルムナ153からず~と歌心で右手について見て来ましたが、それもこれも、総ては良い音を出すためと言えます。そして、アポヤンドもアルアイレも(同28189195)、爪の形も、手の角度も、総ては良い音でその曲を歌わせる最終目的のための手段です。そして、それらは肉体的に訓練や矯正して得るのではなく、むしろ、スパ~と忘れて、歌心にさえ専心していれば、いつの間にか身に付くことを見て来ました(同181)。その歌心の結果として無意識に右手の指先が弦を爪弾いた音は各自の歌心なりに良い音になっているはずです。

何でこんなに音が小さいんだろう、音が浅いんだろう、金属的な音なんだろう、品のない音しか出ないんだろう、と感じる時。まず、それらの不備を自覚症状として感じる歌心があることが既に勝利です。そして、これらの症状を治すために教則本やギタ-教室の先生の指講座と言う、多くの場合間違った病院に行くと病状が悪化しないとも限りません。指講座ではなく、歌心講座です。音が小さいなら大きく、浅いなら深く、金属音ならまろやかに、品がないなら上品な音を弾き手の歌心で望んで下さい。そして、その様に歌ってみましょう。その気持ちになってみましょう。役者は役柄になり切ればこそ涙も流せます。同様に歌心で良い音をイメ-ジして歌ってみましょう。乗ってみましょう。そして、その歌心に指を乗せてしまいましょう。歌心の結果として涙も出る様な演奏になるかも知れません。歌心度外視で指だけで涙を誘おうとするなら、それは指の偽善者です。

そもそも口先だけの人間に大した奴はいません。指先だけのギタ-奏者は!? 論外だったりして(同70!?

 

 

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195 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(7) 27-06-2006(火)

 

ある意味g知らないhことは最大の強みかも知れません。アポヤンド&アルアイレの区別さえ知らなかったうぶなド初心者の頃の心境に帰ってみましょう。ついでに、一生アポヤンド&アルアイレなることばを聞かなかったことにしましょう!? これこそ音楽的知識もアポヤンド&アルアイレの区別も知らないが、歌心は豊かで、無意識の内にアポヤンド&アルアイレで弾き分けてしまっていることを本人は知りもしないスペイン人フラメンコギタリストそのものなのです。

何故この様なことが可能なのでしょう? アポヤンド&アルアイレの区別をすれば二つですが、しなければ一つだからです(先週のコルムナ)!? 何が一つであるべきなのでしょうか? 歌心です。多種多様なテクニックもたった一つの歌心の流れに乗せてしまえば問題は一つなのです。タッチの良し悪しも歌心の一念に任せればアポヤンド&アルアイレも歌心が自動選択(同188!? コツは弾き手は歌心の一事に専心すればいいだけのことです。大体ギタ-を弾く目的はその曲を歌わせて表現すること。決してアポヤンド&アルアイレの使い分けではありません。この歌心の初心に帰ればいいだけの話し。簡単な理屈です。

ここはアポヤンド、次はアルアイレとか、アルアイレはもっと音を大きくとか指先のことは忘れて、まずはさておきその曲、その箇所を歌うこと、歌えること、歌心です。そうすれば、ここはもっと大きな音が欲しいと歌心が欲すれば、それが指先に伝わって自然にタッチは深くアポヤンドに、もしくは、無意識の内にアポヤンド的なアルアイレに勝手になってくれているでしょう。

アポヤンド&アルアイレも、その他指の技術は右手も左手も総ても歌心のオマケと思っておけば気が楽です。後は歌心にやってもらいましょう。

 

 

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194 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(6) 20-06-2006(火)

 

命題は『アポヤンドとアルアイレで同じ音が出ること』なのですが(コルムナ192193)、指先のタッチや爪の形がどうこうではなく、指先は度外視して、一見指先とは何の関係もない情緒的基礎をしっかり据えてやれば、いつの間にか『アポヤンドとアルアイレで同じ音が出ること』になっていた!? これが常にgスペインギタ-週間コルムナhの目指すところです。

この場合まず情緒的基礎とか歌心とか以前にやるべきことがあります。いや、やらない方が弾き手の情緒的健全を維持し、いつの間にかタッチがアポヤンド的なアルアイレになってくれているためにも良いことがあります。何をやらなきゃいいんでしょうか?

難しく考えることはありません。多くのスペイン人ギタリストの真似をして、アポヤンド&アルアイレの区別があること自体を最初から知らなかったことすりゃあいいんです(同2832!? ここはアポヤンド、次はアルアイレ・・・。こんなことを頭の中で常時やっているから情緒的基礎が揺らいで情緒不安定に陥り、情緒が不安定になるから指まで不安定になるのです(同36)。正にg病も、指の病も気からhです。

さて、アポヤンド&アルアイレの区別をすれば二つですが、しなければ一つなのです!?

 

 

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193 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(5) 13-06-2006(火)

 

誰がどうギタ-を弾いてもアポヤンドの方がアルアイレより音は大きくなりますが、どうすれば一体ホセ・ルイス・ゴンザレス先生曰く『アポヤンドとアルアイレで同じ音が出る様に』なるのでしょう(先週のコルムナ)? これは、もちろん、アポヤンドの音量を控えめにしてアルアイレに揃えろと言う意味ではなく、今弱々しいアルアイレを強化してアポヤンドと同じ音にしろと言う意味です。こう言われて、疑いもなく、もっと指に力を込めてアルアイレを弾きゃいいんだろうと思った読者はギタ-人生の指針が見事に音痴です。

まず、肉体的な答えです。まずアポヤンドしてみて下さい。次にもう一度アポヤンドしますが、弦を弾いた後、急に気が変わって、次の弦に指先が到達してアポヤンドになってしまう直前に紙一重で指先を空中に引き上げてしまいましょう!? これでタッチはアポヤンド、形はアルアイレです。次の弦に指を止めないアポヤンドとでも言いましょうか。

つまり、アポヤンドで弾いて、次の弦に指先を止めるのがアポヤンドで、アポヤンドで弾いて、次の弦に指先を止めず空中に上げるのがアポヤンド的なアルアイレだと言えます。

しかし、肉体的なタッチは常に歌心の反映のオマケであるべきです。何よりアポヤンドとアルアイレのタッチではなく、発想の転換を計らねばタッチも本質的に変わることはありません。

命題は『アポヤンドとアルアイレで同じ音が出ること』なのですから、まずは弾き手本人が頭の中でアポヤンドとアルアイレの区別をするのを止めなきゃ何も始まらないんですよ!?

 

 

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192 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(4) 06-06-2006(火)

 

筆者はこの春まで3年間位毎週マッサ-ジに通っていました。この4月でマドリ-の治療院に転勤になったこの先生も少しギタ-を弾く関係で、マッサ-ジ中はいつもギタ-のCDが流れていました。日本でも有名無名の様々なギタリストの演奏でしたが、中でもスペインの故ホセ・ルイス・ゴンザレスの演奏は郡を抜いていると筆者は感じました。

CDを録音する様なギタリストなら皆指はとてつもなく動きます。その意味では皆大差はないかも知れません。しかし、どんな楽器の演奏でも、演技でも、スポ-ツでも、何でも、二人の人が教科書通り完璧にやって、それでいて、明らかにこちらの人の方が上手いと言うことがあり得ます。何故でしょう? 何が違うのでしょう?

指の技術でなく、演奏の味とコクと切れが違うと言えます。つまり、g上手いhのではなくg旨いh。指の技術が上手いのではなく、演奏が旨い。つまり、究極のところは歌心の差だと言えます。あの演奏はホセ・ルイス・ゴンザレスの歌心あってのもの。単にその指使いや運指や練習メニュ-をそっくりそのまま真似ただけでは、目の付け所が重度の音痴です。

そして、そのホセ・ルイス・ゴンザレス先生のおっしゃるには『アポヤンドとアルアイレで同じ音が出る様にしなさい』だそうです。

 

 

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191 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(3) 30-05-2006(火)

 

アポヤンド&アルアイレは異なった二つの奏法だと認識すること自体がまず間違いの始まりです(コルムナ189190)。ところが、買ったばかりのギタ-教則本にもいきなりそう書いてあるのですから、やはり、教則本の功罪については、ギタ-教室の先生も生徒も、もっと考えてもいいのではないかと思います(同626567757684)。

それでは二つの違った奏法ではないとすれば、アポヤンド&アルアイレは一体何が同じなのでしょう? いえ、一方は指先を次の弦に止め、他方は空中に上げる以上、外見上明らかに二つの違った奏法なのですが、一体何が両者にとって同じであるべきなのでしょう? これについて今週来週再来週と二つの例を見て行きましょう。

まず、一つ目の例ですが、筆者の学生時代の後輩で現在クラシックギタ-のプロが、もう20年以上前日本でホセ・ルイス・ゴンザレスの講習会に参加したそうです。因みに、その時の課題曲はgアグアドのイ短調ロンドh。これは難解です。他のプロの卵達の参加者も一人として弾きこなせている人はいなかったそうです。志半ばでギタ-に挫折したい読者がいれば、早速挑戦してみて下さい!?

そこでゴンザレス先生のおっしゃるには・・・。

 

 

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190 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(2) 23-05-2006(火)

 

筆者は高二の時に一年間習ったクラシックギタ-の先生からg禁じられた遊びhは親指もメロディ-の薬指も同時にアポヤンドしろと言われましたので(これはかなり難しい!?)、筆者はクラシックギタ-も親指はアポヤンドするのが当たり前と思って今に至っていますが、現実はどうやら違う様です(先週のコルムナ)。もっとも、逆に、フラメンコギタ-では親指は必ずアポヤンドですので、結果的にはこれで良かったことになりました。

ギタ-の奏法もある意味三つ子の魂百までかも知れません。いつもアポヤンドしている箇所をアルアイレ、アルアイレに慣れている人が急にアポヤンドと言われても、確かにそう簡単にはシフトチェンジ出来ないでしょう。しかし、奏法としてのアポヤンド&アルアイレの使い分けばかりに気を取られていると、肝心の歌心に拠るギタ-演奏自体を見失います。

初心に帰りましょう。ギタ-は:①私が私の指を一生懸命鍛えて私が奏でるアポヤンド&アルアイレで私が私のギタ-の弦を爪弾くのか ②私の指にアポヤンド&アルアイレでギタ-を爪弾いてもらうのか:のどちらかです(同6)。①ではなく②と言うのがgスペインギタ-週間コルムナhの一貫した立場であり、また、それは究極のところ歌心の成せる業であることは以前からの読者なら既にお分かりでしょう。

ではどうしたらいのか・・・ と考えれば考えるほど①に陥ります。集中すべきは歌心。そうすればオマケの指のことは自然に忘れます。忘れたついでに歌心で②の如く指をおだてて騙してアポヤンド&アルアイレをやってもらいましょう(同7)!? もちろん、それですぐにアポヤンド&アルアイレがやってもらえる様になる訳ではありませんが、歌心度外視で技術としてのアポヤンド&アルアイレの使い分けより、安定した歌心でアポヤンド&アルアイレがあやふやな方が、実はギタ-演奏としては希望があります。足腰グラグラでジャストミ-トして何とかヒットになるよりも、安定した足腰で空振りの方が将来性がある・・・とは思いませんか?

 

 

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189 歌心のオマケにアポヤンド&アルアイレ(1) 16-05-2006(火)

 

歌心のオマケに指先でタッチすれば(コルムナ185188)、それはアポヤンドかアルアイレのどちらかになるのでしょう。しかし、gここはアポヤンド、次はアルアイレhと理論的に意図的に区分けするのがgスペインギタ-週間コルムナhの目的ではありません。大物も歌心も細かいことは気にしないのです。それは歌心の結果として自然にそうなるもの。それが証拠にスペイン人フラメンコギタリストはアポヤンド、アルアイレと言うことばさえ知りません!? 知りませんが、使い分けています。使い分けてはいますが、本人達は無意識の内にそう弾いてしまっているのです(同2832)。

今週のコルムナを書くに当り、知り合いのクラシックギタリストにもスペイン人クラシックギタリスト達がどこまでアポヤンドとアルアイレを意識的に区別しているか聞いてみました。曰くgクラシックギタリストがフラメンコギタリストよりアポヤンドとアルアイレを意識して使い分けていることは確かだろう。それから、今はスペインの音楽院でもバルエコやラッセルの影響でアルアイレ主流みたいに指導する教授もいる、と言うことはクラシックギタ-界ではアポヤンドとアルアイレについてある種の流行みたいなものもあるんだろうな。ただ、勘違いしちゃいかんのは、要は奏法じゃなく、演奏の問題だと言うことだよ。h 

最後のこの一句は印象に残りましたね。要は奏法やアポヤンド、アルアイレなどの手段の問題ではなく、奏法は演奏と言う目的を果たすための手段であると言うことです。多くの人の様にギタ-の演奏とは左手の指で弦を押さえて右手の指で弾くと思っていると基礎練習やアポヤンド、アルアイレの区別と言った指の筋トレや技術論に走ってしまいます。

演奏とは何でしょう? 歌わせること。歌心です。後はある意味オマケでいいはずです。

 

 

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188 歌心のオマケに指先でタッチ(4) 09-05-2006(火)

 

ゲ-ム機のクレ-ンで景品を逃さない様に、imaとpで挟む様に丁寧にやればやるほど右腕も右手も安定し、タッチも深くなります(先週のコルムナ)。ここで肝心なことは右腕右手を動かさず、タッチも深くし様と肉体的に意識して試みたからそうなったのではなく、景品を逃すまいとする、その意地汚い一念が結果として右腕右手の安定とタッチの深さを呼び込んだのです。やはり、人間の行いは総てに置いて『情緒的基礎>肉体的基礎』と言えます(同174)。

同様に肉体的に右手や指のフォ-ムや爪の形がどうこうではなく、歌心の一念があれば、結果として良いタッチになって来ます。上手い人、才能のある人ほど指のフォ-ムや爪の形やタッチで悩まない理由もここにあります。歌心が自然に備わっているから、自然に、無意識の内に歌心が良いタッチに導いてくれているのです。『具体的にどう言う物を食べたらいいかじゃなく、体が健康になったら、何を食べたらいいか体が教えてくれる』様に(同182183)、歌心が健全なら、健全な歌心が無意識の内に健全なタッチを授けてくれる・・・と、大まかに、しかし、核心を衝いて言えます。この歌心の前には肉体的な指先のタッチ自体はやはりオマケです。タッチの良し悪しは歌心の一念に任せましょう。

さて、クレ-ンで丁寧に景品を掴もうとすればするほど、掴み方は無意識の内に弦に対して平行で、アポヤンド的になるのが分かりますか?

 

 

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187 歌心のオマケに指先でタッチ(3) 02-05-2006(火)

 

コルムナ171から続いたタッチのお話しも、今週やっと指先に到達しました。読者の皆さん、歌心が健全ならフォ-ムもタッチも自然に健全になるとの答えはもう出ているのですから(コルムナ181)、今週からのテ-マである指先のことは歌心に付随するオマケと思って下さい。そして、オマケならオマケらしく細かいことは言いませんが、今までその辺の教則本やギタ-教室の先生が言わなかった様な観点からコルムナしてみましょう。

まず、何はさて置きタッチは深目(同175177)。コツは、その昔、デパ-トの遊技場で10円でクレ-ンを動かしてお菓子や景品を掴むと言うのがありましたが、あんな感じでやってみましょう。机の上にピンポン玉か何かを置いて、前からimaで、後ろから親指pで挟む感じで掴んでみましょう。ただし、景品を逃さない様に丁寧にやります。丁寧にやればやるほど指だけ動いて、腕も右手も動かないのが分かりますか? そして、同じ感触を保ちながら、ギタ-を手にして、同じことを弦でやってみます。最初はpを6弦に、imaを4、5、6弦に置いて、何かの和音を同時に、丁寧に、ピンポンの玉と同じ感触で弾いてみて下さい。丁寧に弾けば弾くほど無意識にタッチが深くなってはいませんか? この深いタッチの感触を掴むためにも、少なくとも最初は爪は短めの方がいいでしょう。 

 

 

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186 歌心のオマケに指先でタッチ(2) 25-04-2006(火)

 

先週の手首に続いて、まず、右手全体です。指が思い通り動いてくれない時は、指自体が非力で音が小さいのではなく、爪の形が悪いから弦に引っ掛かるのでもなく、右手全体が左右か上下に僅かながらにでもグラついて、指が力を抜いた状態でジャストミ-ト出来ていないことが原因と思ってまず間違いありません(コルムナ1617181)。つまり、指の文字通り肉体的基礎である右手が不安定であり、それは更に奏者の情緒的基礎である歌心が不安定だから肉体的不安定を誘発するとも言えます(同181184)。

いずれにせよ、この右手の揺れも、先週の手首の角度も奏者が上から右斜め下に見下ろすだけでは意外と気付き難い角度と言えます。そこで、鏡の前で弾いてみるといいでしょう。大きな鏡が難しければ、せめて、右手の映る鏡を用意してみて下さい。意外な発見があるかも知れません。

さて、手首(先週)⇒右手全体(今週) と来たところで、来週は指先に移りましょう。

 

 

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185 歌心のオマケに指先でタッチ(1) 18-04-2006(火)

 

それでは、散々gタッチの心は歌心hとコルムナして来たところで(コルムナ171~)、最後に指先のタッチについて述べてみましょう。g歌心の後、最後にいよいよ肝心の指のタッチhのお話しではなく、g肝心の歌心の後、おまけに最後に指のタッチhのお話しなのです。この肝心な優先順位を再度念頭に置きましょう(同181)。とは言え、骨盤調整の先生が患者さんに具体的には答えなかった様に(同182)、タッチについて事細かく述べるのではなく、大まかに、しかし、この先生の様に枝葉ではなく、核心を衝いてみましょう。

まず、手首ですが、多くのギタリストの舞台や写真を見ると、上腕からそのまままっすぐに構えている奏者が大半です。手首を右に曲げないことに拠って腕全体の力が指までまっすぐに伝わると言えます。ピンと来ませんが、各自試しにやや右に曲げて構えていた手首をまっすぐにして弾いてみて下さい。最初はしっくり来ませんが、手首を曲げずにまっすぐに保つことを前提に、力を抜いて弾いてみて下さい。慣れればこちらの方が右に曲げていた手首のわだかまりがなくなった分だけ指がスッと抜けてくれる感触がありませんか? ただし、手首をまっすぐに構えても低音弦を弾く際は多少右に曲がって来るでしょうし、常時手首をかなり右斜めに構えて滅茶苦茶上手いプロも見たことがありますので、一概には言えません。最終的には各自に一番適した、一番力を込めずに一番無理なく力が弦に伝わる角度で結構です。

いずれにせよ、指だけではなく、弦に腕全体のエネルギ-が伝わる様に心掛けてみて下さい。もちろん、力を込めないで・・・。上手い人は皆無意識の内に支点が上に来ているものです。これも訳が分からない表現ですが、一流打者ほどバットだけでなく、体全体でボ-ルを打つのと同じです。ヒットを打つためにはバットを持つ腕力だけ鍛えればいいと言えば笑われるでしょう? 同様に、ギタ-は左手指で弦を押さえて、右手指先で弦をタッチするから指を鍛えればいい・・・。視野が狭過ぎます。   

 

 

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184 タッチにしがらむサイドブレ-キは歌心で外す 11-04-2006(火)

 

年頭からg歌心でタッチhについてコルムナして来ました(コルムナ170~)。結局端的に表せば『 歌心 > 右手の安定 > 指のタッチ 』となりますが(同181182)、今週からはもう少し別の角度からこの優先順位の構図を見てみましょう。

エンジンをかけてアクセルを踏んでも車が発進しない。おかしいなと思ったらサイドブレ-キがかかったままだった・・・。これは車を運手する人なら誰でも経験のあることです。エンジンの問題でもなく、運転技術の問題でもなく、サイドブレ-キがかかったままなのを知らないことが問題なのです。同様にタッチが悪い(と思い込んでいる)のは、実は指やタッチ自体ではなく、ギタ-が上手くならないのはタッチが悪いからだ、だからこそ、どうしても理想のタッチや爪の形を見つけなければ上達しないと思い込んでいる、その思い込みが力みとなってサイドブレ-キの様に指にしがらんでいるからです。そのしがらみのサイドブレ-キの力みを外せば指は解き放たれた野獣の様に走り出します。どうすれば外れるでしょう? 指の角度や爪の形を変えてみる・・・。それは最後の最後にやればいいこと。お門違いです。では、どうすれば?

そもそも、人間の体は注意を注げばそこに力が入る様に出来ているのです。だから、万年g指が、指が、私の指がhモ-ドでは指が多かれ少なかれ力んで自らサイドブレ-キを指にかけることになります。逆に、指やタッチや爪以外のことを考えれば、もはや指には力が入らず、しがらみのサイドブレ-キも解除され、指は力まず走り出します。では、指やタッチや爪以外とは何でしょう? 歌心です。大体ギタ-を弾く目的は指を動かすことではなく、その曲を歌わせることでしょう?

 弦は指先でタッチすると思い込んでいる人が余りに多過ぎます。指先ではなく、弦は歌心でタッチすればいいのです。上手い人は皆無意識の内にこうなっています。だから、歌心の結果としていいタッチで弦を奏でている訳です。

 

 

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183 タッチの構造改革は腰から(2) 04-04-2006(火)

 

構造改革とは人目に付く箇所だけ体裁良くいじくるのではなく、構造の根底からの改革だとすれば、ここはやはり西洋医学的発想ではなく、『具体的にどう言う物を食べたらいいかじゃなく、体が健康になったら、何を食べたらいいか体が教えてくれますよ』と言う東洋医学的発想に頭を切り替えましょう(先週のコルムナ)。

つまり、タッチに問題があれば、そして、優先順位は『 歌心 > 右手の安定 > 指のタッチ 』だとすれば、g指のタッチhだけを改革しようとしても、それは付け焼きに過ぎず、構造改革ではありません。g指のタッチhよりg右手の安定h。更にg指のタッチhより構造の一番の根底であるg歌心hから着手するのが構造改革のはずです。

以前からの読者の皆さんはご存知と思いますが、筆者はいつも便宜上ギタ-の基礎をg肉体的基礎hとg情緒的基礎hの二つに分けて考えています。この場合も『 右手の安定 > 指のタッチ 』とはg肉体的基礎h、『 歌心 > 指のタッチ 』とはg情緒的基礎hのことであることが分かります。そして、両者は別物ではなく、常に相関関係にあり、更に、常に『 情緒的基礎 > 肉体的基礎 』と言う優先順位に則った相関関係にあります。

腰は体の要と書くなら、音楽の肝心要は歌心です。歌心が健全な程にタッチも健全になって来ます。タッチや爪の形で悩んでいる読者にはいい加減な答えかも知れませんが、この骨盤調整の先生も患者さんに何を食べたらいいか具体的には答えず、体が健康になれば・・・と、一見患者さんの質問をはぐらかした様で、実は核心を衝きました。

同様に歌心を豊かにすれば、タッチは必ず良くなって来ます。それは、健康な体が自ずと健全な食物を求める様に、健全な歌心が自然に良いタッチを求めてくれるからです。自分であくせくタッチを捜し求めるのではなく、歌心に自然に任せりゃいいんですよ。

 

 

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182 タッチの構造改革は腰から(1) 28-03-2006(火)

 

実は筆者は昔から今に至るまで腰が悪く、もう167年前に一時帰国した際、一ヶ月程骨盤矯正の診療所に通ったことがあります。ある日のこと、隣の患者さんが『先生、(病人の私としては)どんな物食べたらいいでしょうか?』と質問しました。これに対する先生の答えが大変興味深く、今日まで印象に残っています。『具体的にどう言う物を食べたらいいかじゃなく、体が健康になったら、何を食べたらいいか体が教えてくれますよ。』

筆者のギタ-人生に決定的に影響したものが二つあるとすれば、一つ目は楽譜も読めず、基礎練習も一切しないスペインのフラメンコギタリスト達と(↑上枠)、二つ目はこの診療所の先生の答えです。西洋医学では患部を治療しますが、東洋医学では患部自体ではなく、元を正して、自然治癒力を向上させ、患部を癒そうとします(コルムナ4&16)。この様に体が元から健康になれば、健全な食物とは具体的に何か尋ねなくても、体が自ずから健全な食物を要求して来ると言う訳です。

ギタ-人生の目に見える患部は、確かに指であり、爪であり、タッチの悪さかも知れません。そして、生徒は『先生、タッチが悪いんですが、どうしたらいいでしょうか?』と質問し、先生も『指を弦に当てる角度や爪の形を工夫してみなさい』と西洋医学的な指導をしているのではないでしょうか? つまり、先週の『 歌心 > 右手の安定 > 指のタッチ 』の優先順位どころか、g指のタッチhしか見ていないのが多くのギタ-奏者の現状です。(この項続く)  

 

 

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181 タッチも構造改革 21-03-2006(火)

 

タッチの良し悪しも肉体的な指先の当て方ではなく、結局歌心の良し悪し次第。今週はこの歌心至上主義を実際に読者に体験してもらいましょう(先週のコルムナ)。

まず、弾き慣れた得意の曲を弾いてみましょう。すんなり弾けましたね。次に苦手な曲を弾いてみましょう。すんなりとは弾けませんね。それでは次に、右手の指ではなく、右手全体を見ながらもう一度両者を弾いてみましょう。得意な曲は右手が安定しており、苦手な曲は右手が例え僅かでも動揺していませんか? だから前者は指先のタッチが定まり、後者はタッチが揺らぐのです。それは指先のタッチ自体の良し悪しの問題ではなく、右手の安定不安定の問題であり(コルムナ12131519)、更にそれは歌心の安定不安定に直結しています。

つまり、『 歌心 > 右手の安定 > 指のタッチ 』。 これが曲の出来不出来(得意不得意)の構造であり、認識すべき優先順位と言えます。

素行不良の問題児の素行だけ矯正し様としても、その不良な性根を改革しなければ不良な素行は絶対に良くはなりません。これが本当の構造改革であり、本当の構造改革とは上っ面ではなく、人の心に言及するものでしょう。

ギタ-も同じこと。素行不良の指のタッチを構造改革したければ、指や爪ではなく、歌心から豊かに改革することです。そうすれば指の素行もタッチも自然と良くなって来ます。

 

 

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