◆スペインギタ-週間コルムナ◆火曜日更新
|
現代人は勉強に仕事に忙しいのです。限られた時間を有効に活かしてギタ-を上達するにはスペイン人ギタリストの真似をするのが一番。楽譜なし、教則本なし、基礎練習ゼロ---。
毎週このコラムを読めば貴方のギタ-人生が根底から覆されます。もし覆されない方がいらっしゃればグラナダにおいで下さい。私が自腹でスペイン名物脳みそフライをご馳走します。 |
141-160
|
160歌心で力を抜いてアルペジオ 25−10−2005(火) |
|
|
さて、歌心に乗って親指pを力を抜いてしっかり打ち込んでみましたか(先週のコルムナ)?
力を抜くコツはアルペジオに限らず何でしょう?
指や手や腕自体ではなく、まず頭が自然体になることです(同23〜25)。人間の総ての行動は脳から体の各部所に命令が行くことを思えば、まず精神状態を自然体に保たなければ指も力の抜けた自然体になる訳がありません。その意味でもギタ−演奏の情緒的基礎は頭が自然体と言えますが、ここでは更に進んで頭が音楽的に自然体と言う意味、つまり、ギタ−奏者の精神状態が流れる様な歌心モ−ドになることであり、こうなって初めて指から余計な力が抜けてimaも更に安定し、imaは自然にスッと抜けてくれる様になります。何故でしょう?
人間の体は意識する箇所に力が入り、意識しない忘れた箇所には力は入らないことになっているからです。ですから、まずimaではなくpに意識を置けば、それだけimaから力が抜け、imaは楽になります。力む箇所に力むなと命じて力みを取るのではなく、力む箇所以外の箇所のことを考えてやれば問題箇所は無意識の内に忘れられて自然に力みが取れると言う訳です。何故なら人間の体は意識しない忘れた箇所には力は入らないことになっているからです。
そして、“p>ima”だけではなく、更にこれに歌心を加えて“歌心>p>ima”として歌心を何より意識の中心に持って来れば、imaにもpにも力は入らず、pも“力を抜いてしっかり打ち込む”ことが出来る様になる・・・かどうか、それに拠って右手全体が安定し、imaも更に安定してimaも自然にスッと抜けてくれる様になる・・・かどうか、もう一度各自やってみましょう。ただし、あくまで頭が歌心モ−ドになって、そのアルペジオの一節(或いはアルペジオ練習曲)を歌うことに神経を集中し、無意識の内に指から力が抜けるほど指のことは忘れるまでに歌心モ−ドになることが肝心です。遂にアイデアが浮かんだ小説家がペンやペンを持つ指のことなど一切気に掛けず、アイデアで小説を書き続けるのと同じです。歌心とギタ−も同じ理屈です。
アルペジオに限らず“歌心>p>ima”は建物で言えば“基礎工事>一階>二階”とも言えます。中々指が思い通りに動いてくれずギタ−人生悩んでいる方、二階から建て始めてグラついてコケたのではありませんか?
|
|
|
159 アルペジオは親指で歌心 18−10−2005(火) |
|
|
歌心でアルペジオの話しを続けます(コルムナ157)。アルペジオもimaの技術ではなく、究極的には歌心で弾くことに違いありませんが(同141)、それでもどうしてもアルペジオを指で弾かなければ気が済まない人は親指で弾くことを心からお勧めします!?
これについてはコルムナ11〜22にくどくど書きましたが、今読み返してみると『アルペジオ(&トレモロ)の諸問題の根本原因はima自体ではなく右手のグラつきであり、それは親指pの踏み込みに拠ってかなり改善される』と言うアルペジオの“肉体的基礎”だけに言及していることが分かります。
もっとも、指自体が問題ではなく、その土台である手自体がグラついているからその上の指のテクニックもグラつくのであり、逆に、手自体の安定を図れば指も自然に安定して指も上達すると言うのはアルペジオだけではなく、右手左手総ての技巧に共通する“肉体的基礎”についての大真理です。これを念頭に置いた上でこの“肉体的基礎”よりも更に音楽の基礎であるところの“情緒的基礎”である“歌心”についての最近のコルムナしている訳なのです。
それではアルペジオを親指で弾いてみましょう。もちろん、常に歌心を加味しながらですが、まず・・・。
@ギタ−は傍らに置いて何かのアルペジオの一節ををハモッて歌ってみます。音楽性があるなら誰かのアルペジオ練習曲でもいいでしょう。強弱やアクセント、速度にも加減を付けて表情豊かに歌わせてみて下さい。少しは歌えているかなと思った頃・・・。
A同じくメロディ−を歌いながら、同時にアルペジオの低音の親指pだけ弾きます!?
最初は感覚を掴むために弦に触れるだけの弱いタッチでも構いませんが、最終的には“力を使わずに力強く打ち込んで”下さい(同21&22)。
Bこれに慣れたらimaを加えて通常のアルペジオで弾いてみます。ただし、この場合も、Aの親指pだけで弾いた時の親指pの感触を保ちながらアルペジオを弾いてみて下さい。つまり、親指pだけの時も、アルペジオ(pima:pami:pimamiなど)の時も“力を使わずに力強く打ち込む”親指pの感触が同じであることを心掛けます。こうすることに拠って右手全体が安定し、imaも更に安定してimaは自然にスッと抜けてくれる様になる・・・かどうか各自やってみましょう。
以上、この間自らを常に歌心モ−ドに保つことこそが“情緒的基礎”であり、この場合“肉体的基礎”である親指自体の安定よりも、よりアルペジオの基礎であることは言うまでもありません。と言うか、歌心のある上手い人のアルペジオとその親指pは無意識の内に、その歌心故にそうなっているはずです。
|
|
|
158 第三回マヌエル・カ−ノフラメンコギタ−ソロコンク−ル 11−10−2005(火) |
|
|
今年もまた故マヌエル・カ−ノ先生の名前を戴いた若手フラメンコギタ−リストの登竜門コンク−ル決勝が先週土曜日グラナダ市郊外のグラナダ信用金庫本館講堂において行われました(コルムナ40)。
優勝はコルドバ出身の二十歳のうら若きギタリスト(準優勝、第三位はそれぞれハエン、グラナダのギタリスト)。ピカ−ド(スケ−ル)、アルペジオ共に全く雑音のない澄んだ音量と音質。上手さに関しては他の二人も遜色ないのですが、何より“切れ”が違いました。
ここまではコルムナ40と全く同じですが、このところのテ−マである歌心の観点から言えば、“味”も“切れ”も“コク”も結局“歌心”と言う一言に集約されるとつくづく思った次第です。
歌心さえあればテクニックは付いて来る。そして、人並みはずれた歌心を内に秘めたギタリストはテクニックも冴え渡る・・・。今回そんなことを感じました。
逆に歌心なき指のテクニックだけの演奏は、聴衆が一定レベル以上なら評価されないこともまた事実です。歌心かテクニックか(最近のコルムナ)。酢加減か寿司の具か(同80〜82)。機関車か客車の装飾か(同44〜46)。もう一度考えても損はしません。
それにしてもこの優勝した童顔の若者は話してみれば学生気分の抜けない、何の変哲もない、まるでフツ−の子供の様でした。それでいてフラメンコギタ−の達人ですから、人様を外見で判断してはいけないとつくづく思い知らされました。
先週の歌心と親指でアルペジオの続きはまた来週。
|
|
|
157 歌心でアルペジオ 04−10−2005(火) |
|
|
歌心を醸し出すために各グル−プ毎の頭にアクセントを付けないより付ける方が表情が出て宜しい訳ですが(コルムナ154〜)、ただ機械的に『強弱弱弱』の繰り返しでも芸がなさ過ぎます。更にスケ−ル全体を見渡し、音楽として全体的な強弱や表情を付けなければ歌わせたことにはなりません。
もっとも、これはスケ−ルに限ったことではなく、総てのテクニックに於いて共通です。このことを踏まえて今週からは歌心でアルペジオです。
アルペジオもまた強弱を付けることに違いはありません。これを聞いて“えっ”と驚く人は今まで何となくアルペジオを弾き流していた人ではありませんか?
では、アルペジオのどこにアクセントを付けるかと言うと、どこだと思いますか? まずは“親指”です。
これを聞いて、これまた“えっ”と驚く人はアルペジオはimaで弾くから、imaを鍛えればいいと確信していた人ではありませんか?
さて、“スペインギタ−週間コルムナ”の目的の一つは日本の読者のギタ−人生を根底から覆すことにありますが(↑上青枠)、今週はアルペジオについての常識を親指で覆してみましょう。
ギタ−は指ではなく歌心で弾くのですから、アルペジオもimaではなく歌心で弾くことになりますが(同141)、それでもどうしてもアルペジオを指で弾かなければ気が済まない人は親指で弾けと言うことです!?
こう言われて覆りそうになる読者は以前のコルムナを読んだことがないか、忘れてしまいましたね?
来週話しを続ける前にもう一度コルムナ11〜22を読んでおいて下さい。
パコ・デ・ルシア全集【CD50枚&DVD2枚&伝記評論25分冊】50000円:日本まで宅配料金込み*発送来年2月末頃
*お尋ね&申込みはメ−ルでお願いします(10月一杯受付)。info@jp-spain.com
|
|
|
156 スケ−ルは歌心で勝手に回れ 27−09−2005(火) |
|
|
歌心でスケ−ル(単音メロディ−)の第三週目です。繰り返しますが、imを如何に肉体的に鍛えて速弾きするかではなく、奏者が如何に指を忘れて歌心モ−ドになるかです。そうすれば歌った分だけ指とスケ−ル自体が勝手に回って歌ってくれます。
先々週は便宜上ハ長調音階を取り上げましたが、歌心も色気もない音階自体はウォ−ミングアップにはなっても、歌心養成とは全く無関係と言わざるを得ません。どうしても音階練習をしなければ気が済まない人ならともかく、限られた練習時間しかない学生さんや社会人はいきなり実曲のスケ−ルを弾けばいいのです(コルムナ42)。ただし、imを交互に動かす肉体的な指の運動としてではなく、スケ−ルを歌わせることを目的に弾くことです。
それでも強いて肉体的な面を言えば、それは表情を付けるために頭にアクセントを付けて弾くことです(同127〜132)。先週先々週の例はいずれも4拍毎の頭でしたが、場合に拠っては3連符のこともあるでしょう。そして、この様に3泊毎、4泊毎、或いは8分の6拍子なら6拍毎に頭にアクセントを付けて回して行くことです。
結局歌心のある人の演奏は回り、ない人は回っていないとも言うことが出来ます。回っていないとは例えば『ドレミファ』、もしくは『ドレミファ』とも言えます。歌心もアクセントもなしに、ただ単に『ドレミファ』と弾いて、弾けたと思っている人が日本人には非常に多いと思います。逆に、歌心がない故に手加減なしに『ドレミファ』と弾く人もいます。加だけではなく加減を付けなければアクセントの意味がありませんし、結果としてメロディ−は歌ってはくれません。もちろん、歌心のある人は『ドレミファ』と弾きます、と言うか、自然にそう弾いてしまっているはずです。
結局上手い人は“歌心で”快適にトップギアの如くギタ−を弾き、下手な人は喘ぎながら万年ロ−ギアの如く“指で”弾くと言えます(同8&9)。これはスケ−ルだけではなく、総てのテクニックに共通の大真理です。これらの『ギタ−は誰が弾くのか?(コルムナ6)』『ギタ−は指では弾かない(同53〜59)』『ギタ−は歌心で弾く』は実は先生も生徒もじっくり考えるべき大命題だと思います。
さあ、もう一度先週最後のファル−カの単音メロディ−を歌わせながら弾いてみましょう。読み難い読者は自分のレパ−トリ−のどんなスケ−ルでもいいですし、音楽性があるなら教則本の音階練習曲でもいいでしょう。imは忘れて歌ってみましょう。歌えば自然にアクセントも表情も付いて来ます。imだけではなく左手の指さえも歌った分だけ勝手に動いてくれます。小説家はアイデアが浮かべばペンが走るのと理屈は全く同じです(同53〜55&57)。
パコ・デ・ルシア全集【CD50枚&DVD2枚&伝記評論25分冊】50000円:日本まで宅配料金込み*発送来年2月末頃
*お尋ね&申込みはメ−ルでお願いします。info@jp-spain.com
|
|
|
155 美人は目鼻立ちがくっきりアクセント 20−09−2005(火) |
|
|
先週に続いて歌心でスケ−ル(音階または単音のメロディ−)です。先週見た様にスケ−ルを歌わせるためにはまずアクセントで強弱を付けることですが(コルムナ8)、実は“スケ−ルはアクセントを付けて弾け”とは故マヌエル・カ−ノ先生がレッスン中良く言っていたことです。
アクセント(強)を付けることに拠って弱で休むことが出来ますので肉体的にも楽です。と言うか上手い人は皆自然にこうなっています。
この“スペインギタ−週間コルムナ”の愛読者の方はお分かりと思いますが、筆者は便宜上“肉体的基礎”と“情緒的基礎”に分けてギタ−を考えています(同153)。そして、肉体的基礎の一つはスケ−ルだけではなく、いかなる技巧に於いても常に強弱を付けて弾くことです。強弱を付けることに拠って強だけ弾いて弱は休む省エネ奏法とも言えます。こうすれば腱鞘炎対策にもなります。意外に思えますが、腱鞘炎は力を抜くことを知らない初心者に多いのです。上手い人は力を抜いて弦を押さえ、力を抜いて大きな音を出すことを知っていますので腱鞘炎の人は少ない様です。
“情緒的基礎”の面から言えば、アクセントと強弱の効いた表情豊かな演奏こそ真に味のある上手い演奏だと言えます。女性なら皆目が二つ、耳が二つ、鼻と口が一つづに違いはありませんが、目鼻立ちがくっきりアクセントのある女性の方がより美人だと言うのと同じです。
『4/4|ファミレミ:ファミソファ:ミレミレ:ドレドシ|ドシラソ♯:ラシドレ:ミファソラ:ソファミソ|ファミレド:シラソ♯ラ:シラソ♯ファ:ミレドシ|ラ〜』
これはファル−カと言うフラメンコの四拍子の曲のフレ−ズの終わりに使われるピカ−ド(スケ−ル)の例です。ちょっと見難いですが、@A弦で弾き始めて最後のD弦の(ラ)までmiの交互で太字にアクセントを付けて、これら四小節を歌わせながら弾いてみて下さい。先週はハ長調音階でしたが、今週は機械的にアクセントや強弱を付けるだけでなく、音楽として歌わせてみて下さい。歌わせないと何の意味もありません。
|
|
|
154 歌心で弾き逃げ 13−09−2005(火) |
|
|
今週からはどうしても上手くいかないスケ−ル、アルペジオ、ポジション移動、スラ−、ハンマリングなど便宜上各項目に分けて、歌心で具体的に指にやってもらいましょう。
初心はあくまで“私の指であくせくギタ−を弾くのではなく、いかに私の指にギタ−を弾いてもらうか(コルムナ6)”です。あれやこれやのテクニックが上手く行かない人は“私が私の指で”モ−ドになっている公算大です。そうではなく指には勝手に動いてもらって、私は歌心豊かにギタ−音楽を楽しんでいましょうね!?
筆者の体験から言うと“難しい箇所、指使いの速い箇所、複雑な箇所”ほどその難しくて速くて複雑な指のことは忘れて、“面倒臭い、行てまえ〜”とウジウジ考えないで歌心に乗って一気に弾き逃げした方が弾けてしまうものです!?
意味不明でしょうか?
この意味不明を順次解明して行きましょう。まずはスケ−ル(フラメンコギタ−ではピカ−ド)から始めましょう。題材はスケ−ルであれば何でも結構ですが、一応手っ取り早いところでハ長調音階を取り上げます。
『(ド)レミファ(ソ)ラシド/(ド)シラソ(ファ)ミレド/(ド)〜』と上下のドを繰り返して、上昇下降共に8拍とします。コツは何度も繰り返すことです。
一往復で16拍。ましてや繰り返しとなると何十泊も真面目に全部弾いていては指が持ちません。もう一度コルムナ8を読んで二通りで弾いてみましょう。
歌心の始めは強弱を付けること・・・と言ってもいいでしょう。アクセントがなければ歌心なき『ボ・ク・ワ・ア・ナ・タ・ヲ・ア・イ・シ・テ・イ・マ・ス』と同じ愚を犯します(同139)。
|
|
|
153 歌心で具体的に指の治療、その前に 06−09−2005(火) |
|
|
さて、今まで歌心こそ基礎中の基礎であり、歌心さえあれば指は勝手に動く、フォ−ムもいつの間にか良くなると述べて来ましたが(コルムナ132〜152)、来週からは実際にどうしても上手くいかないスケ−ル、アルペジオ、ポジション移動、スラ−、ハンマリングなど便宜上各項目に分けて、歌心で具体的に指にやってもらってみましょう。
その前に今週は今までの歌心に至るまでの過程を列記します。
・ギタ−演奏の基礎は指の技術や鍛錬ではなく、歌心です。もちろん、歌心のない人も指の技術だけは上達し得るし、歌心のある人でも練習を怠れば指の技術は落ちることには違いはありませんが、しかし、究極のところは歌心です。
・従って、歌心が健全であれば演奏も健全になります。
・結局上に列記した指の様々な技術が出来ない原因は指の基礎練習不足でも、ましてや、指のサイズや柔軟さの問題ではなく、奏者の歌心が不健全でギクシャクしているから指もギクシャクしているだけの話しなのです。
・逆に言えば、これらの様々な指の技術を指の鍛錬で習得すればギタ−は弾けると思っている大半のギタ−奏者はピンボケです。関心事の優先順位は『歌心>指』であるべきです。
・この“スペインギタ−週間コルムナ”では右手左手共に便宜上『情緒的基礎』と『肉体的基礎』に分けて考えて来ましたが、もちろん優先順位は『情緒的基礎>肉体的基礎』です。
・そして、『情緒的基礎』とは究極のところ歌心であり、『肉体的基礎』の最も端的な説明は駒大苫小牧高校野球部の監督さんのお話しです(同100〜105&151)。
さあ、来週からは自分で苦労して指を動かすのではなく、歌心を健全にして指に勝手に動いてもらいましょう(同137&138&142)。
|
|
|
152 病は気から、歌心は・・・ 30−08−2005(火) |
|
|
『病は気から』とは誰でも知っている諺です(コルムナ119)。これをギタ−に当てはめてみましょう。
例えば、ある人が準備万端でコンサ−ト当日を迎えたのに、朝車をぶつけてしまったとしましょう。保険屋さんに連絡を取ったり、示談のことが頭にチラついたりで足が地に(指が弦に)付かず、結局本番もとちりまくってしまった・・・。
これは十分想像出来ることですよね?
こうなると普段の練習やタッチやフォ−ムがどうのこうのと言う問題ではありません。本人の心に波風が立っている訳ですから、指がまともに動いてくれるはずもありません。これは極端な例かも知れませんが、結局歌心と指も同じことです。
歌心である機関車が情緒不安定で不整脈を患っていれば、当然客車(指の技術)もギクシャクします(同44&45&46&71&72&73&146)。機関士(奏者)も客車の乗客(聴き手)も気が気じゃありません。誰が二度とこんな汽車に乗るもんかと言われないとも限りません。
逆に、ある日何かいいことがあったら、いつもは上手くいかないアルペジオも何故か出来た、上手く弾けた・・・。読者にこんな経験はありませんか?
健全なギタ−演奏は健全な歌心から。これは疑いのない大真理であり、これこそギタ−の基礎です。基礎である歌心がグラついているからその上に建て上げる指の技術もグラついてコケるだけの話し(同134)。決して指自体ではありません。
指が病にかかっていると思っている人。病んでいるのは指ではなく実は歌心ではありませんか(同70)?。歌心の健全さに比例して指は動く様になります。
|
|
|
151 高校野球も歌心 23−08−2005(火) |
|
|
高校野球甲子園大会は二年連続駒大苫小牧高校の優勝に終わりました。読者の皆さん、毎年この時期になると一年前のコルムナ(100&101&104&105)を思い出してみて下さい。http://www2.asahi.com/koshien2004/nanboku/MYT200408240007.html
今年の優勝の際にはこの手の記事は皆無でしたが、去年のこの記事は人生のどんな分野にも当てはまる大真理だと思います。
さて、“スペイン週間コルムナ”の愛読者ならお分かりかと思いますが、便宜上『肉体的基礎』と『情緒的基礎』に分けてギタ−演奏の基礎を考えています。そして、この監督さんの教えは正に『肉体的基礎』の集約であり、このところずっとコルムナして来た“歌心”こそ『情緒的基礎』のエッセンスであると言えます。
もちろん、この二つは全く別物どころか大いに相関関係にあります。どんなに肉体的条件を十分整えても、情緒不安定では野球もギタ−も満足なプレ−は望めません。特にスポ−ツではない楽器の演奏やその他の芸術に於いてその優先順位は『情緒的基礎>肉体的基礎』であることは明白です。
健全な情緒的基礎(歌心)の上に指を乗せれば指は勝手に動き出す・・・。今後も歌心をキ−ワ−ドにこの点を考えて行きましょう。
|
|
|
150 ど初心者も歌心 16−08−2005(火) |
|
|
ギタ−に限らずその他の楽器でも初心者の半分以上はごく初期の段階で辞めて行ってしまうのが現実です。何故でしょう?
本人が甘く見過ぎていたこともあるでしょうが、いきなりやらされる基礎練習のせいだとは思いませんか?
ピアノで言えばバイエルなど、あんな面白くもない音階練習の羅列をやらされたら、いや、見るだけでやる気を削がれます。これで多くの人に『私には向いてない』と練習開始早々思わせてギタ−に見切りを付けさせるとしたら罪な話しです(コルムナ43&69)。
このところ歌心さえ豊かになれば必ず指は動く様になるとコルムナして来ましたが(同132〜)、この様な初心者の場合はどうなのでしょうか?
先週全くの初心者の旅行者がくるみギタ−を買って行きましたが、これを機にギタ−とギタ−ど初心者の正しい出会いについて歌心の面から考えてみましょう。
全くの初心者だからこそ基礎が大切。その基礎とは基礎練習と言う間違った方程式こそ悪の元凶です。音楽と語学は似ており(同144)、ことばはまず文法をガッチリと言う間違った方程式ではなく、小さい頃から遊びながら覚えるのが理想である様に、音楽もまたガチガチの基礎練習や教則本ではなく、ことば同様畏まらず遊び心、自然体(同24&25)で臨むことが非常に大切です。
なるほど、子供の遊びことばに文法の知識は一切関係ありません。だからこそ、物心付き過ぎた中一から英語を始めるのは遅過ぎます。同様に、ボ−ルがおもちゃ代わりだった星飛雄馬の様に、英語もギタ−も幼い頃始めれば一番良いのですが、中一どころか物心付き過ぎてその上にカビの生えた中年親父とか、いきなりギタ−を持たされて“歌心を養えば指も動く様になる”と言われても、確かにそれは戸惑うだけかも知れません。
それにはまず、歌謡曲でも何でもいいですから楽器屋さんに行って歌詞と図解コ−ドの載っている曲集を買って来て、好きな曲を選んで口ずさみながら、図解コ−ドを見ながら“あ〜でもない、こうでもない”とコ−ドを押えて右手でジャ〜ンと掻き鳴らすことから始めてみてはどうでしょう。
これならど初心者でも楽しめますね。楽譜も読める必要もありません。もちろん、指使いやフォ−ムなどどうでも宜しいです。健全な遊び心で奏でれば、いつの間にか一番いい指使いやフォ−ムになっています(同145〜147)。この場合遊び心が歌心と言う訳です。
ギタ−は学問的に学習するものではなく、楽しむもの。初心者なら尚更そうあるべきです。理屈抜きに、まずは楽しんでみて下さい。
|
|
|
149 酢加減も腰も指も歌心で矯正 09−08−2005(火) |
|
|
この酢加減とネタの関係はギタ−だけではなく、結局総てのことについて共通する大真理です(先週のコルムナ)。今週は以前書いた腰の健康をテ−マにもう少し詳しく書いてみましょう(同136)。
『先生、肩が凝って仕方がないんですが。』『腰の運動をしなさい。』
『先生、最近過労気味で歯が浮くんですが。』『腰の運動をしなさい。』 『先生、体がだるいんですが。』『腰の運動をしなさい。』
なるほど、これでは医師としていい加減な答えと言われても仕方がありませんが、筆者の体験から言えば正にそうなのです。腰の運動をしたからと言ってそれですぐに全身が健康になる訳でも何でもありませんが、何か根本的なものが確かに改善します。腰は書いて字の如く体の要です。要が不安定な内は体の各所も不安定なのは道理です。音楽の要は指の筋トレではなく歌心じゃありませんか?
同様に『先生、どうしても薬指が言うことを聞いてくれないんですが。』『歌心を養いなさい。』
『先生、どうしてもトレモロの粒が揃わないんですが。』『歌心を養いなさい。』 『先生、ハンマリングで音が出ないんですが。』『歌心を養いなさい。』
なるほど、こんな指導をすればギタ−教室の先生なら信用問題かも知れませんが、しかし、理屈は全く同じです。筆者の経験から言えば、指使いなど忘れて、その問題箇所を歌えば歌うほど薬指も動く様になり(必ずしも薬指に力が付いたと言う意味ではない)、トレモロの粒も揃い、ハンマリングの音も力を抜いて軽く振り下ろすだけで大きな音が出る様になります。もちろん歌ったからと言って、すぐに指の動きが見違えるほど良くなる訳でも何でもありませんが、何か根本的なものが確かに改善するのが実感出来ます。
目に見える“外面的な”指の運動ではなく、目に見えない“何か根本的なもの”、歌心の問題です。
要は指の筋トレモ−ドではなく、歌心モ−ドに入ることです。前者は万年ロ−ギア−、後者はトップギア−での運転とも言えます(同8)。筆者は時間がないこともありますが、もう15年以上基礎練習と言うものをしたことがありません(冒頭の青ワク序文↑)。そんな時間の無駄使いよりも歌心を養った方が読者が想像しているより遥かに有益です。
|
|
|
148 如何わしい華僑の寿司も歌心で矯正 02−08−2005(火) |
|
|
今週は久々に華僑のひょうきん寿司を引き合いに出してギタ−と歌心について更に考えてみましょう(コルムナ79〜84)。
さて、どんなに活きのいいネタで握ったところで、肝心の酢加減が音痴ならそれは寿司ではありません。せっかくの極上のネタも活きては来ません。ネタを活かすも殺すもべ−ス味の酢加減次第なのです。逆に、例えネタはス−パ−の特売品でも、干ぴょうが入ってなくても、お米は標準米でも、酢加減がビシッと決まっていれば寿司の味がします。
寿司が何たるか音痴の華僑のシェフやスペイン人の客はネタで勝負の前者を評価しても、我々日本人には酢加減のしっかりしている後者の方が遥かに寿司なのです。
これぞ正に本物と偽者の標本です。スペインに限らず海外に行く機会のある読者は一度華僑経営の日本料理屋(今日ヨ−ロッパには多い)で寿司を賞味してみましょう。その如何わしい何とも言えない味に思わず笑ってしまいます(が、顔をしかめるとますます日中の溝が深まりますから辞めましょう)。
ギタ−も同じです。寿司の本質はネタではなくべ−ス味の酢加減である様に、左右の指の技術は皆食材(ネタ)です。幾ら基礎練習で左右両手の指を鍛えたところで、それは食材を準備しているに過ぎません。
アルアイレ、アポヤンド、アルペジオ、トレモロ、ラスゲア−ド、アルサプ−ア、上昇下降スラ−、ハンマリング、ポジション移動、セ−ハ・・・。読者の皆さん、これらは総て食材であり、これらの食材をいくら丹精込めて揃えたところで、肝心のべ−ス味である歌心がまずければ酢加減の音痴な如何わしい華僑のひょうきん寿司ギタ−に過ぎません。
逆にべ−ス味である歌心さえ美味しくなれば、これらの食材である指のテクニックもいつの間にか理想のフォ−ムになり、いつの間にか上達して来ます(同145〜147)。私が私の指を鍛えて私のギタ−を弾くのではなく、私の指にギタ−を弾かせるコツが正にここにあります(同6)。
こんな大切なことを反面教師で教えてくれて、華僑の日本料理屋さん、有難う!?
|
|
|
147 正しいフォ−ムで歌心 26−07−2005(火) |
|
|
正しいフォ−ムを身に付けなければギタ−は上達しないのではなく、歌心が健全なら手や指はいつの間にか一番いいフォ−ムになってくれています(先週の結論)。かつてどのギタ−教則本が、そして、どこのギタ−教室の先生がこんなおかしなことを言ったでしょうか? しかし、“スペインギタ−週間コルムナ”は敢えてこう言います。
もう一度基本に帰りましょう。『基礎とは揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部』だとすれば(コルムナ5)、グラつく左手右手の指はフォ−ムが悪いからグラつくのではなく、基礎練習が足りないからグラつくのでもなく、音楽をする上で一番の基礎の基礎である歌心がグラついているから指もフォ−ムも演奏も総てグラつくのです。
逆に言えば、歌心がグラついている内はどんなに手や指のフォ−ム自体を教則本や先生のアドバイスに従って肉体的に矯正しても、どんなに基礎練習を重ねてもグラつきは完全にはなくなりません。基礎である歌心がグラついているのですから、その上に建て上げる指の技術や演奏がグラつくのは当たり前のことだからです。
まず『総ての音楽の基礎は歌心であり、総ての技術は歌心の上に建て上げるべきもの』と言う当たり前の観点に立って下さい。そうすれば、これが極論でも何でもない、全くの常識であることに気付くのに時間はかかりません。
この当たり前の観点に立たないことは音楽や楽器を志す上で致命的です。筆者は愚かにもギタ−暦30年を超えてやっとこれに気付きました。一生気付かない人はもっと悲劇です。“スペインギタ−週間コルムナ”は一人でも多くの日本人ギタ−愛好家がこの悲劇から解放され、新たなギタ−人生を歩んで欲しいがためのものなのです。
ですから、弦や指板に対する指の角度とか、タッチの深さとか、そんな見た目の細かいフォ−ムなど気にしなくてもいいのです。今弾いているその曲を、そのフレ−ズを歌ってみて下さい。歌えれば歌えるほど、いつの間にか一番いい角度、一番いいタッチになっていますよ。
|
|
|
146 正しいフォ−ムの歌心 19−07−2005(火) |
|
|
『日本の常識は世界の非常識』と言うことばがあります。これは主に外国との習慣の違いについてだとは思いますが、“スペインギタ−週間コルムナ”も日本人のギタ−学習の常識の逆を衝くことを喜びとしています(!?)。例えば、ギタ−は指では弾かない(コルムナ53〜59)、基礎練習は必要ない(上の青枠↑)、ふんわり弦を押える(同91)などなど・・・。ただし、毎週のコルムナはただ闇雲に逆のことばかり書いているのではなく、総て自らの経験に基づいてのことです(同67)。
21世紀になっても相変わらず多くの日本人のギタ−上達の常識は“機関車を走らせたければ客車の装飾を怠るな”と言う滅茶苦茶な固定概念である以上、むしろ、逆を衝いた方が健全なギタ−人生を送れます。『機関車(歌心)>客車の装飾(指の技術)』
これが順番です。
では何故全く逆の『機関車(歌心)<客車の装飾(指の技術)』が日本人の間では常識であり正論になってしまうのでしょうか?
ギタ−教則本やギタ−教室の先生、そして、固定概念のせいです、総てではありませんが・・・。
教則本やギタ−教室の先生は最初に右手左手の正しいフォ−ムや爪の形から入ります。そう言われた生徒は『正しい右手左手の正しいフォ−ムを身に付けて、理想的な爪の形が見つかればボクも私もギタ−が上手くなる』と当然のことながら思い込みます。教える方もそう思っているのでしょうから日本人のギタ−学習が日本人丸ごとこうなってしまうのも無理はありません。
だったら、有名なギタリストに教則本ビデオを撮らせてもらって、手や指のフォ−ムや角度、爪の形、ついでに練習メニュ−もそっくりそのまま真似ればボクも私も将来の大ギタリスト間違いなし〜と思うほど読者は愚かではないでしょう?
ところが、現実は多くの先生も生徒もこの愚を犯しています。
機関車(歌心)を整備してみましょう。そうすれば客車(指の技術)は装飾は不備ながら走ります。同様に、教則本や先生に言われた通りのフォ−ムを身に付けなければギタ−は上達しないのではなく、歌心が健全なら手や指はいつの間にか一番いいフォ−ムになってくれているのです。順番が逆です。
どんな豪華な客車も機関車がギクシャクしていては快適な演奏になる訳がありません。来週はこの点をもっと詳しく述べてみましょう。
|
|
|
145 鶏か卵か、歌心か指の技術か? 12−07−2005(火) |
|
|
鶏か卵かとは良く用いられる例えですが、純粋にこのどちらが先かと言われれば皆一応に返答に困ります。しかし、ギタ−に限らず演奏は歌心か指の技術かと言われれば、これはもう歌心に決まっています。
鶏がいなければ卵を産み様がないし、卵がなければ鶏も産まれ様がない訳ですが、ある程度の右手左手の技術がなければギタ−は弾き様がない訳ですから、まず基礎練習で指の技術を養うことから始めるのが普通です(が、スペイン人フラメンコギタリストは楽譜が読めないので基礎練習も教則本もへったくれもない!?)。また、いかに肝心の歌心があっても指の技術がゼロではギタ−は弾けません。この意味では確かに指の技術なくしてギタ−演奏はありえないことになりますし、実際そうですが・・・。
ここでもう一度兄弟子の吉川二郎さんのことばを思い出してみましょう。何故『歌の上手い人は練習しなくても歌は上手い』のでしょうか?
筆者は中学高校とブラスバンドをやっていました。高一の時には母校の野球部の応援で甲子園で5試合応援したことがあります。広い甲子園球場でラッパを吹き鳴らすのは本当に気分のいいものです。
そこで気付いたことはトランペットもクラリネットもどんな楽器でも、やはり生徒に拠って上達の速度が違うと言うことです。この違いは何でしょう?
上手くなった生徒は人一倍真面目に基礎練習したからでしょうか?
やはり歌心に比例して歌も楽器も上手くなります。最後は歌心です。いや、基本が歌心なら最初から最後まで結局は歌心の成せる業なのです、指の技術さえも。
弦楽器とは肉体的に指の技術を鍛えて、それを組み立てて行くと曲になると思っている人が大半かも知れませんが、全く逆です。歌心さえ健全であれば、それに伴って指の技術も自然に磨かれて来ます。また、いつの間にか正しい指のフォ−ムになっています。右手左手の正しいフォ−ムで悩んでいる方、来週歌心で答えを出してみましょう。
|
|
|
144 英語も歌心 05−07−2005(火) |
|
|
言語と音楽は良く似ていると言われます。一般的にも外国語の得意な人は音楽も得意、また、その逆も然りである場合が多い様です。
さて、私達が中学高校の頃を思い出してみましょう。複数いた英語の先生の中で誰が一番英語が上手いのか生徒はちゃんと分かっていたはずです・・・ね? 生徒に“この先生は英語が上手い、この先生はそうでもない”と思わせるその違いは一体どこのあるのでしょう?
外国語学習の理想は小さい頃から遊びながら自然に身に付くことです。子供ですから文法もへったくれもありません。英語は英語で理解すればいいのです。
『そんなこと言われたって〜』と言う多くの日本人にも同情の余地はあります。物心付き過ぎの中一からでは遅過ぎるからです。『でもボクは英語の成績は良かった』と言う読者は日本の文部省の教科書に拠る日本人のための日本の受験英語と言う本場の英語とはかけ離れた英語の文法や作文の試験でいい点を取ったと言うだけの話しでしょう。それはどこまで行っても日本のインドカレ−や日本人のフラメンコみたいなもの。知識としての文法や作文に長けてはいても、肝心のエッセンスに欠けるから、肝心の英会話がさっぱりなのです。
日本人は英語の点が良くて英会話が出来ない人が多過ぎるのが現状です。良く考えると日本の英語教育は文法や作文だけで、本来英語学習の目的であるべき英会話のクラスがないのですから、これも当たり前の自業自得の結果です。
いい意味での遊び心、そして、歌心がなければ英会話の苦手なガチガチの英文法教室の優等生止まりなのはギタ−も同じです。文法もいい点で楽譜も読めて、教則本もきっちりやった方が宜しいかも知れませんが、これらは歌心を度外視しては実戦に役立たない単なる自己満足の知識に過ぎません。逆に歌心さえあれば知識は不完全でも必ず生きた英会話、活きた演奏になります。
|
|
|
143 母心は歌心 28−06−2005(火) |
|
|
趣味でギタ−を弾いている筆者のある知り合いのお母さんはかなりピアノが上手いとのことです。
その息子であるこの知り合いの話しによると、昔お母さんから『あんたのギタ−演奏は回ってない。音楽は常に回っとらんと聴けたもんじゃないんよ。あんたは音楽には向いてないからギタ−なんかもう辞めなさい!!』と言われたことがあるそうです。中々厳しいお母さんです・・・。
ピアノの上手いお母さんだからこそ息子に音楽的才能(歌心)がないことを即座に見取って図星を衝いたのでしょう。
確かに筆者が聴いても彼の演奏に“円”の如く“回る”感覚を感じたことがありません。滑らかとは言い難く、いつも何か“八角形”を回している様なごつごつした感じの演奏なのです。高速道路でトップギア−で走ればいいものを、わざわざセカンドとサ−ドギアで走って、それを安全運転だと思い込んでいる様な・・・。これでは同乗者も聴く方もギクシャクして快適なドライブとはいきません。ところが、当の本人は快適なドライブと思っているかどうかは知りませんが、少なくとも安全運転だとは思っている様です。快適なドライブと安全運転は楽器の演奏に置いても似て非なるものですが、本人は気付いているフシがない様です。
日本人にはギタ−に限らずどんな楽器でもこの手の技術的には“手堅くがっちり”ですが、それ故演奏全般的には円滑に回らない“ガチガチ”した人が多いと思います。あたかも知識としての英語の文法は成績が良くて実践英会話が苦手な多くの日本人の様です。
ところが、幸か不幸か本人には余りこの自覚がない様です。本人はギタ−は趣味と割り切っていますので、この点は不幸中の幸いですが・・・。
このお母さんはピアノは分かってもギタ−は分かりません。しかし、歌心の有る無しは総ての音楽や楽器の共通項です。お母さんはここを鋭く衝いた訳ですね。
つまり、お母さんは歌心があり、息子は歌心がないが故の今週のコルムナと要約出来ます。
ギタ−上達には指の技術ではなく歌心を鍛えろと言うことです。
英語のお話し(先週のコルムナ)はまた来週。
|
|
|
142 ギタ−は歌心か指の筋トレか 21−06−2005(火) |
|
|
『歌えた分だけ指は動く様になる(先々週のコルムナ最後&先週の冒頭)』とは先週の様にアルペジオだけではなく、その他総てのギタ−テクニックに於いても同様です。つまり、アルペジオ、スケ−ル、アポヤンド&アルアイレ、トレモロ、上昇&下降スラ−、ハンマリング、セ−ハ、ポジション移動、フラメンコギタ−独特のピカ−ド、ラスゲア−ド、5連トレモロ、ゴルペ、アルサプ−アなど様々な奏法は何も根性で指を鍛えた人だけが遂に成し得る偉業ではなく、奏者本人に歌心があればあるほどいつの間にか指が勝手に弾いていてくれるものなのです。
もう一度初心に帰りましょう。筆者はいつも初レッスンの人にこう尋ねます。『あのね、私がス−パ−に行って私が食材を買って私が料理を作って食べるのと、据え膳上げ膳どっちが楽?』。当然後者です。『それじゃあ、私が私の楽譜を見ながら私のこのギタ−を私のこの指で弾くのと、私の指にギタ−を弾いてもらうのどっちが楽?』。何でも人にやらせた方が楽に決まっています(同6)。
プロが一時間のコンサ−トに耐え得るのも必ずしも普段から基礎練習で指の筋トレをやって指の筋が強いからではありません。現に腕相撲をやれば読者の方が強いが、ギタ−は読者より遥かに上手い人はたくさんいるでしょう。ギタ−演奏は腕力筋力ではないのは明らかです。
指に弾かせて本人は音楽表現(歌心)に集中しているから指が勝手に動くのです。ま、本人にこの自覚症状があるかないかは別の話しですが。
我々その他大勢も目指すところはこうあるべきです。つまり、鍛えた指でギタ−を弾くのではなく、歌心を鍛えれば指が歌心に乗っていつの間にかギタ−を弾いてくれていた・・・。これが正しいギタ−の弾き方です。腰を矯正してやると他の悪い箇所もいつの間にか自然に良くなるのと同じです(同136)。
来週はこれをギタ−と英語を比較しながら考えて行きましょう。
|