◆スペインギタ-週間コルムナ◆火曜日更新
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現代人は勉強に仕事に忙しいのです。限られた時間を有効に活かしてギタ-を上達するにはスペイン人ギタリストの真似をするのが一番。楽譜なし、教則本なし、基礎練習ゼロ---。
毎週このコラムを読めば貴方のギタ-人生が根底から覆されます。もし覆されない方がいらっしゃればグラナダにおいで下さい。私が自腹でスペイン名物脳みそフライをご馳走します。 |
120-140
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140 メガネを代えれば歌心 07-06-2005(火) |
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ギタ-演奏でコンピュタ-の愛の告白の如き愚の骨頂を犯さないためには何より歌心が不可欠です(先週のコルムナ)。
つまり、ギタ-を弾く上でまず優先順位であり最終目的は“いかに歌わせるか”、また、“いかに今弾いているこの曲を音楽として表現するか”であって、正しい指使いも有名なギタリストの何とか奏法も教則本も楽譜もギタ-自体さえもそのための手段に過ぎないと言うことです。
まずは何を弾くに於いても“歌心>指の技術”を念頭に置いてみましょう。いや、もはや“弾く”のではなく“歌わせる”のがギタ-演奏だと頭を切り替えるとギタ-人生も新境地に切り替わります。
赤いサングラスから青いサングラスに代えれば今まで総て赤く見えていた物が今度は総て青く見えて来る様に、今まで指の技術と言うメガネでしか見ていなかったギタ-を歌心と言うメガネで見始めると今後のギタ-人生の総ての情景が変わって見えて来るはずです。
筆者は教則本も使わず基礎練習などもう15年以上やったことはありませんが(↑上枠参照)、例えば退屈な教則本の練習曲も“歌わせよう”と思って弾いてみてはどうでしょう?
必ず何か違った味わいが出て来ます。退屈だと思っていた音階練習曲もアルペジオ練習曲も音楽性のあるものなら“歌心”の観点からやってみる価値はあると言うことですね。
逆に音楽性(歌心)の求め様のないコンピュタ-の愛の告白の如き単に指のメカニズムの練習的なものは如何に一生懸命やっても歌心は養えない訳ですから、そんなものに時間を費やする位なら実際の曲の音階やアルペジオの部分を直接歌心を持って練習した方が余程有益で実践的です。
ギタ-を弾きながら指の動きではなく“今歌っているか”どうかを最大の関心事にしてみましょう。そして、歌ってなければ歌心で歌わせましょう。歌えた分だけ指は動く様になります。ここが肝心です。続きはまた来週。
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139 歌心なき『ボ・ク・ワ・ア・ナ・タ・ヲ・ア・イ・シ・テ・イ・マ・ス』 31-05-2005(火) |
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今週は“上手くても歌心がないから評価されない” ことについて考えてみましょう(先週のコルムナ)。
このところ“歌心あれ”とのコルムナなのですが、逆説的に“歌心なし”なら何故評価されないかを考察してみましょう。万人に分かり易い例を用いてみることにします。
コンピュ-タ-が例の単調な調子で、例えば『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザ-の様に(分からない人はお父さんお母さんに訊いてね!?)『ボ・ク・ハ・ア・ナ・タ・ヲ・ア・イ・シ・テ・イ・マ・ス』と言ったとしましょう。或いは『平家物語』の冒頭の句『~オ・ゴ・レ・ル・モ・ノ・モ・ヒ・サ・シ・カ・ラ・ズ~』と朗読(!?)したとします。
読者はこれに感激しますか?
文字通り機械仕掛けで色気はゼロ。つまり、歌心はゼロ。何の感銘も受けませんね。
もし、『いや、文法的には完璧じゃないですか』と言う人がいれば、それは余程歌心絵心の欠如した奇人変人です。
確かに文法的には完璧で落ち度がありません。しかし、仮に聴く人の知識に訴えることはあっても、心にまで響くことはありません。
単に楽譜通り、先生に言われた通りの正しい運指で弾けばいい、これがギタ-を弾くことだと思っているだけの我々その他大勢は正にこのコンピュタ-の愛の告白の如き愚の骨頂を犯している可能性大です。しかも、それで悦にでも入っていれば正に学芸会のチャンピオン止まりです(同138)。
指が上手いのか、旨い演奏か。似た様な表現ですが、両者は似て全く非なるものです。
指の技術で聴く人の視覚に訴えるのか、歌心で聴く人の心に訴えるのか・・・。一つ間違えばギタ-に拠るコンピュ-タ-漫談になりかねません。
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138 普段からの心がけは歌心 23-05-2005(火) |
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『歌心を養ってみましょう。必ず指がそれなりに動く様になります(先週のコルムナ)』と言われても、何か漠然として掴み所のない表現です。
この文では歌心を養うことが条件です。歌心の養い方は人にも拠るでしょうが、その一つはどんどん良い演奏を聴くことです(コルムナ135)。それは栄養価の高い食事を取れば肉体の健康に反映されるのと同じです。先週筆者は20年振りに“かっぱえびせん”を口にしましたが、どんなに懐かしく美味しくてもスナック類で栄養は取れません。音楽も同じかも知れません。
では今週は歌心について奏者側の心がけとでも言うべきことについて考えてみましょう。
やることなすこと総て歌心で解釈してみましょう。つまり、一小節から曲全体に至るまで“指で上手く弾けたか”ではなく“歌っているか”どうかを最大の関心事としてみて下さい。
まずは、ギタ-を弾くことの目的は楽譜通り指で忠実に弾きこなすことではなく、その曲を歌わせること、表現すること。これが目的意識です。どんな楽器も結局目的は同じです。最後は歌心に帰着します。だからこそ歌心についてのコルムナなのです。
筆者も長年そうでしたが、指が一通り動けばその曲は弾けたと思う人が非常に多いのではないかと思います。浅はかにもこう思うこと自体音楽センスのない凡人の証拠ですが、こう言う人ほどその歌心のなさの故に指は動かないものです。仮に歌心抜きで動けば動くほど、学芸会レベルでは『きゃ、誰々君てステキ』程度にチヤホヤされても、聴衆がある一定レベル以上だと全く評価されないことになります(コルムナ110)。つまり、前者では指の動きが評価され、後者では歌心のない演奏が評価されない訳です。
“上手くても歌心がないから評価されない” 来週はこのことについて考えてみましょう。
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137 まず歌心ありき、指は? 17-05-2005(火) |
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先週は腰と全身の関係から“歌心が健全になれば指の動きも自然に健全になって来る”と結論しましたが、“私が私の指で”主義の人は“そんな馬鹿な”ことがと思ったかも知れません。つまり、最初に歌心ありきか、指の技術ありきか。
“歌の上手い人は練習しなくても歌は上手い”とは良く先輩の吉川二郎さん(今ちょうどこちらに来ています)の言うことですが、そう言う彼も指の技術論は良く口にしますし、教室でも生徒に教えている様です。もちろん、この両者のバランスが大切なのですが、問題はこの大切な両者のうち、人間の体で言えばどちらが腰に相当するかと言うことです。
指の技術論一辺倒、つまり、指を鍛えればギタ-は上手くなると思い込んでいる人ほど大ギタリストの奏法を信奉しがちではないでしょうか?
例えばクラシックギタ-ならセゴビア奏法やタレガ奏法、フラメンコギタ-ならパコ・デ・ルシアの奏法を絶対視する・・・。これではホ-ムランを打ちたければ皆迷わず王貞治の一本足打法にしろと言うのと大差はありません(コルムナ60)。中には教室丸ごと何とか奏法を標榜していると看板を出しているところもある様ですが、こうなると剣道の~流道場を思い浮かべてしまいます。
セゴビアの歌心なくしてセゴビア奏法は無理です。タレガの歌心なくしてタレガ奏法を真似ても時間の無駄です。パコ・デ・ルシアの歌心なくしてパコ・デ・ルシアの指使いを真似るだけなど身の程知らずです(同78)。もちろん、これらの奏法は素晴らしいものですが、それを教える側も受け取る側も歌心を度外視した単なる指の技術論に終始しているところが極めて的外れです(同76&84)。
アイデアが浮かばずペンが走らないからと言ってぺを持つ指を鍛えるひょうきんな小説家はいません。ところが、ギタ-に限らず弦楽器も鍵盤楽器も指が動かないのはフォ-ムが悪い、練習が足りないとからだと先生も生徒も決め付けている人が大半です。
小説家同様アイデア(歌心)がないからギタ-を弾く指が動かないのです(同53~59)。極めて簡単な理屈です。
読者に歌心が欠けていれば、どんなに何とか奏法を真似しようが、何時間練習しようが大した効果は期待出来ません。歌心を養ってみましょう。必ず指がそれなりに動く様になります。
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136 歌心は腰の健康から 10-05-2005(火) |
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実は筆者は昔から腰が悪く、今でもかなり痛い日があります。そこで、もう17,8年も前のことになりますが、一時帰国した際ある骨盤調整の診療所にしばらく通いました。ある日横の患者さんが先生にした質問とその答えが今でも印象に残っていますのでご紹介しましょう。
『先生、何を食べたらいいでしょうか?』『具体的に何を食べたらいいかではなく、体が健康になれば、何を食べたらいいか体が要求します。』
つまり、患者さんとしては病人として具体的に何を食べたらいいかと先生に質問したところ、先生は一々何を食べよと具体的には答えず、この患者さんの的外れな思い違いと根本的な原因を突いたと言う訳です。これをギタ-に置き代えてみましょう。
『先生、指が思い通りに動いてくれないんですが、どんな練習をしたらいいでしょうか?』『具体的に指がどうこうではなく、歌心が健全になれば指の動きも自然に健全になって来ます。』
実はこれが一連の歌心についてのコルムナの結論でもあるのですが、読者の皆さん、どう思いますか? これはこじ付けでしょうか?
筆者がたまに引用する『基礎とは揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部(コルムナ5)』とは実はこの骨盤調整の治療時代の経験から来ています。腰は文字通り体の要と書きます。腰がグラつけば肩が凝り、歯は浮き、膝も痛くなります。逆に、腰を正せばこれらの症状は軽減します。
そして、これはギタ-に限らず人生の総てに共通する大真理です。大真理ならギタ-に応用しない手はありません。来週から具体的に応用してみましょう。
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135 歌心は心に歌を 03-05-2005(火) |
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歌心が充分ではない我々その他大勢は歌心を補充するしか手はありません(先週の続き)。
どこに? 歌心なのですから心にです。指は二の次です。
どうやって?
指の基礎練習をしっかりやって・・・。バカ言っちゃあいけません。歌心を無視した指だけの肉体的な運動など、アイデアの浮かばない小説家がムキになってきれいな字を書く練習をする様なもの。
“いや、正しいフォ-ムでペンを持ってきれいな字で書けば、いつか必ずいい小説が書ける”とマジで思っているのが多くのギタ-教室の先生と生徒だとすれば、いっそのことギタ-はケ-スにしまって、しっかりとギタ-音楽を聴いたらどうでしょう?
いえ、ギタ-だけではなく、他の楽器や他のジャンルでも、コンサ-トでもCDでも、いい音楽をどんどん聴けば歌心が養われて、それは必ず指から弦に伝わり、ギタ-がその補充された歌心通りに鳴って来ます。
人間の行動はその心から湧き上がって来る感情の結果です。心の豊かな人は豊かな行いをし、心のさもしい人はその行動までさもしくなります。歌心とギタ-を弾く指も全く同じです。
その昔NHKの夕方の人形劇『八犬伝』に“さもしい浪人さも二郎”と言うのがいましたが(昭和48年頃:分からない読者はお父さん母さんに訊いてね!?)、ギタ-演奏がさもしい我々は歌心を豊かにすればさもしい演奏から開放されます。
部屋に閉じ篭ったままでアイデアの浮かばない小説家が外出して気分転換を図ればアイデアが浮かぶ様に、ギタ-を側に置いておいて良い音楽を聴いて歌心を養い補充することは予想以上に効果のあることなのです。
何もギタ-を弾くだけがギタ-の練習ではありません。
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134 絵は絵心、歌もギタ-も歌心 26-04-2005(火) |
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結局“ギタ-は歌心”であると言う一語に集約出来ます(先週のコルムナ)。と言うことはギタ-は歌心であり、指自体ではないと言うことです。少し考えれば分かることですが、歌心は心であり、心にあり、歌心が指自体にある訳がありません。
この歌心こそギタ-演奏と言う建物の基礎であり、指のテクニックはその基礎の上に築く建物であるとも言えます。
何事も基礎が大切と言う立場から右手の場合も左手の場合もそれぞれ便宜上“肉体的基礎”と“情緒的基礎”に分けて考えて来ましたが(同4&57&58&70&71&84&87&88&89&100&117&118&119etc)、もちろん、“肉体的基礎”より歌心に通じる“情緒的基礎”の方がより基礎だと言う結論に達します。また、基礎とは『揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部』だとすれば(同5)、歌心がある人は自然に指が動き、歌心のない人は指までグラついていつまで経ってもギタ-が上達する訳がないとも言えます。
この意味でギタ-に限らず総ての楽器は最後は歌心(才能やセンス)の問題だと言えますが、それでは歌心が充分ではない我々その他大勢は一体どうすればいいのでしょう?
とは言え、ないものは仕方ありません。ない歌心は補充するしかありませんね。来週は補充してみましょう。
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133 絵は絵心、歌もギタ-も歌心 19-04-2005(火) |
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今週から≪歌心≫で指を煽てて勝手に動いてもらうことにしましょう(先週のコルムナ最後)。便宜上左手の情緒的基礎はこの≪歌心≫の一語に集約するに至りましたが(同118~)、これはギタ-を奏でる左手右手、そして、総ての音楽に共通する大真理です(同126&127)。
この点で≪歌心≫を言及するに当り、ある意味“スペインギタ-週間コルムナ”は佳境を迎えたと言えます。従って、昨年から見て来た左手についてのコルムナは先週で一応終わりとし(同87~)、今週からはギタ-を弾く上で最も肝心なこの≪歌心≫について考えて行きましょう。
だからと言って初心を忘れた訳ではありません。いや、むしろ、初心貫徹です。“スペインギタ-週間コルムナ”の初心(の一つ)は“本人は指で苦労しないで、いかに指にギタ-を弾いてもらうか”にあります(同6&118)。あくまでこの一事を追及して行きましょう。
別の言い方をすれば“自分の指で四苦八苦するか、自分の指を煽てて(騙して)ギタ-を弾かせるか”のどちらかです(同7)。その煽て方を今まで二年半に渡って“スペインギタ-週間コルムナ”で色々な角度から考察して来たとも言えますが、結局総ては≪歌心≫の一語に集約出来ると言うことです。
つまり、絵心のない人に絵は描けない様に、≪歌心≫のない人は歌も歌えず、楽器も弾けないと言う単純明快な答えがここにあります。
絵筆を持つピカソ(スペイン・アンダルシア地方マラガ市出身)の指が特別だった訳ではなく、その絵心が特別だった様に、≪歌心≫を度外視した指の基礎練習など蛇足です。むしろ、≪歌心≫絶対視、基礎練習度外視の方が情緒的に健全と言えます(同119&上の青ワク↑)。
さて、この≪歌心≫のコルムナが何回になるかまだ筆者も分かりませんが、読者の皆さん、これからが佳境です。
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132 集中力もアクセントも結局は歌心!? 12-04-2005(火) |
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このところ少しフラメンコ、及びフラメンコギタ-にテ-マが逸れた様で(コルムナ128~131)、実は逸れてはいません。コルムナを続ける前に今一度全体の流れを整理しておきましょう。
・コルムナ87からずっと左手について考えて来ました。
・まず左手の肉体的基礎(同87~117)、そして、現在は左手の情緒的基礎について書いています(同118~)。
・奏者が情緒的に豊かになれば左手も煽てられて指も勝手に動いてくれます(同120)。
・左手の煽て方その一は≪集中力≫(同120&121)
・左手の煽て方その二は≪歌心≫(同125~127)
・左手の煽て方その三は≪アクセント≫(同128~):このアクセントの例としてフラメンコ(ギタ-)を挙げました(同129~131)。
・左手の煽て方についてはもっと述べることが出来るでしょうが、取り敢えずこれらの三つと言うことにしておきます。
・また、便宜上これら三つに分けましたが、結局≪集中力≫も≪アクセント≫も広い意味では≪歌心≫に包括されます。
・従って、≪歌心≫を磨けば左手の指は≪歌心≫に煽てられて勝手に動いてくれる・・・。これが結論です。
来週からはこの≪歌心≫について見て行きましょう。
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131 フラメンコギタ-は右手と左手と足!? 05-04-2005(火) |
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今週は先週の12拍子 1
2 3 4 5 6 7 8 9
10 11 12
にコ-ドと左手を加えてみましょう。
Am Am Am G G G
F F E E E E
このコ-ド進行で弾いてみましょう。もちろん、3:4:8:10:12はアクセントを置いて弾きます(右手の弾き方は何でも良い)。
フラメンコ独特の短調の様で短調ではなく、イ短調の様でイ短調でもなく、Amで終わらずEで終わる物悲しい響きです。これは『さくらさくら』など日本の代表的な陰旋律にも共通する『ミの旋法』とも言うべきもので、西洋的なラ(Am)で終わる短調ではなく、ミ(E)で終わる東洋的な響きです。
これだけでもフラメンコに初めて遭遇した人には斬新な発見かと思いますが、ここ四週(コルムナ127~)はアクセントで左手の指を煽てること、つまり、メロディ-よりリズムがテ-マですので、フラメンコの旋律についてはまたいつか取り上げることにして、ここはリズムに集中しましょう。
先週左手は一切使わないで、この12拍子を体で覚えるまで何度も何度も繰り返した様に、今週はこれにこの四つのコ-ドを押える左手も加えて、徹底的に繰り返してみて下さい。
もちろん、太字の箇所のアクセントは付けなければ何の意味もありません。そして、先週同様アクセントの箇所は右手で引くと同時に足で床を踏んで下さい。つまり、先週は右手と足(先週のコルムナ最終行)だけ。今週は右手と左手と足です。
右手と左手と足。これは意外と難しいはずですが、体全体がリズムに乗っていれば出来ます。出来なければ、先週の様に左手はミュ-トして、まず右手と足。次に左手を加えて行くと良いでしょう。
要は右手や左手や足の問題ではなく、体全体がリズムに乗るか反るかが問題なのです。
リズムに乗れば(リズムが回れば)両手の指も足も勝手に動く感触を掴んでみて下さい。これが先週今週のコルムナの目的です。また、今回これでフラメンコギタ-を弾かない読者がフラメンコギタ-に興味を持つ様になれば、更に結構なことです。
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130 フラメンコギタ-簡易入門 29-03-2005(火) |
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今週は簡単なコ-ド進行ですが、“何じゃこのリズムは!?”と言うフラメンコギタ-独特の一節を弾いて、アクセントの重要さを身を持って体験してみましょう。同時に、クラッシクギタ-の方にもフラメンコギタ-と言うリズム主体の異次元空間に足を一歩踏み入れていただきましょう。その一歩がかじる程度に終わるのか、ドツボにはまるのか、それは各自の音感ではなく、リズム感次第です。
さて、現代音楽は大体3拍子か4拍子と思っておけばいい訳ですが(先週のコルムナ)、ここではフラメンコの定番12拍子をご紹介します。
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11
12
この12泊の周期で回って行きます。アクセントは太字の3:6:8:10:12にあります。
これはフラメンコに良くある基本リズム(フラメンコ用語でcompas:コンパス)ですが、フラメンコ(ギタ-)未体験の方にとっては急に異次元空間に迷い込んだ様な、かなり奇々怪々な異色のリズムではないかと思いますが、どうですか?
習うより慣れろ。まずギタ-は横に置いておいて、手拍子でこの12泊を打ってみましょう。もちろん、アクセントの箇所は強く打たないと意味がありませんし、“回る”感触も生まれません。“回る”まで何回も何回も繰り返します。
手拍子をアクセントを交えて12回打つことに慣れたら、今度は手拍子と同時にアクセントの箇所に足(どちらの足でも良い)を踏んでみます。手だけではなく足も、手と足だけではなく、体全体がこの12泊のリズムに乗る感触を掴んで下さい。
何とか乗ることを覚えたら、実際にギタ-を持ってみましょう。まず、左手はミュ-トしたままで、右手だけでこのリズムを刻んでみます(もちろん、アクセントを付けて)。右手の動きは何でも構いません。リズムさえ合っていれば結構です。
そして、これに慣れたらリズムを刻む右手と同時に、上と同じくアクセントの箇所を足で踏みます。これを何度も何度も繰り返して下さい。
この時点で動いているのは右手と足ですね。来週は左手も加えます。
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129 アクセントの権化フラメンコギタ- 22-03-2005(火) |
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