スペインギタ-週間コルムナ◆火曜日更新

現代人は勉強に仕事に忙しいのです。限られた時間を有効に活かしてギタ-を上達するにはスペイン人ギタリストの真似をするのが一番。楽譜なし、教則本なし、基礎練習ゼロ---。

 毎週このコラムを読めば貴方のギタ-人生が根底から覆されます。もし覆されない方がいらっしゃればグラナダにおいで下さい。私が自腹でスペイン名物脳みそフライをご馳走します。

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バックナンバー

120-140

140 メガネを代えれば歌心 07-06-2005(火)

 

    ギタ-演奏でコンピュタ-の愛の告白の如き愚の骨頂を犯さないためには何より歌心が不可欠です(先週のコルムナ)。
 つまり、ギタ-を弾く上でまず優先順位であり最終目的は“いかに歌わせるか”、また、“いかに今弾いているこの曲を音楽として表現するか”であって、正しい指使いも有名なギタリストの何とか奏法も教則本も楽譜もギタ-自体さえもそのための手段に過ぎないと言うことです。
 まずは何を弾くに於いても“歌心>指の技術”を念頭に置いてみましょう。いや、もはや“弾く”のではなく“歌わせる”のがギタ-演奏だと頭を切り替えるとギタ-人生も新境地に切り替わります。
 赤いサングラスから青いサングラスに代えれば今まで総て赤く見えていた物が今度は総て青く見えて来る様に、今まで指の技術と言うメガネでしか見ていなかったギタ-を歌心と言うメガネで見始めると今後のギタ-人生の総ての情景が変わって見えて来るはずです。
 筆者は教則本も使わず基礎練習などもう15年以上やったことはありませんが(↑上枠参照)、例えば退屈な教則本の練習曲も“歌わせよう”と思って弾いてみてはどうでしょう? 必ず何か違った味わいが出て来ます。退屈だと思っていた音階練習曲もアルペジオ練習曲も音楽性のあるものなら“歌心”の観点からやってみる価値はあると言うことですね。
 逆に音楽性(歌心)の求め様のないコンピュタ-の愛の告白の如き単に指のメカニズムの練習的なものは如何に一生懸命やっても歌心は養えない訳ですから、そんなものに時間を費やする位なら実際の曲の音階やアルペジオの部分を直接歌心を持って練習した方が余程有益で実践的です。
 ギタ-を弾きながら指の動きではなく“今歌っているか”どうかを最大の関心事にしてみましょう。そして、歌ってなければ歌心で歌わせましょう。歌えた分だけ指は動く様になります。ここが肝心です。続きはまた来週。
 
 

 

 139 歌心なき『ボ・ク・ワ・ア・ナ・タ・ヲ・ア・イ・シ・テ・イ・マ・ス』 31-05-2005(火)

 

  今週は“上手くても歌心がないから評価されない” ことについて考えてみましょう(先週のコルムナ)。
 このところ“歌心あれ”とのコルムナなのですが、逆説的に“歌心なし”なら何故評価されないかを考察してみましょう。万人に分かり易い例を用いてみることにします。
 コンピュ-タ-が例の単調な調子で、例えば『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザ-の様に(分からない人はお父さんお母さんに訊いてね!?)『ボ・ク・ハ・ア・ナ・タ・ヲ・ア・イ・シ・テ・イ・マ・ス』と言ったとしましょう。或いは『平家物語』の冒頭の句『~オ・ゴ・レ・ル・モ・ノ・モ・ヒ・サ・シ・カ・ラ・ズ~』と朗読(!?)したとします。
 読者はこれに感激しますか? 文字通り機械仕掛けで色気はゼロ。つまり、歌心はゼロ。何の感銘も受けませんね。
  もし、『いや、文法的には完璧じゃないですか』と言う人がいれば、それは余程歌心絵心の欠如した奇人変人です。
  確かに文法的には完璧で落ち度がありません。しかし、仮に聴く人の知識に訴えることはあっても、心にまで響くことはありません。
 単に楽譜通り、先生に言われた通りの正しい運指で弾けばいい、これがギタ-を弾くことだと思っているだけの我々その他大勢は正にこのコンピュタ-の愛の告白の如き愚の骨頂を犯している可能性大です。しかも、それで悦にでも入っていれば正に学芸会のチャンピオン止まりです(同138)。
 指が上手いのか、旨い演奏か。似た様な表現ですが、両者は似て全く非なるものです。
 指の技術で聴く人の視覚に訴えるのか、歌心で聴く人の心に訴えるのか・・・。一つ間違えばギタ-に拠るコンピュ-タ-漫談になりかねません。
 
 

 

 138 普段からの心がけは歌心 23-05-2005(火) 

 

  『歌心を養ってみましょう。必ず指がそれなりに動く様になります(先週のコルムナ)』と言われても、何か漠然として掴み所のない表現です。
 この文では歌心を養うことが条件です。歌心の養い方は人にも拠るでしょうが、その一つはどんどん良い演奏を聴くことです(コルムナ135)。それは栄養価の高い食事を取れば肉体の健康に反映されるのと同じです。先週筆者は20年振りに“かっぱえびせん”を口にしましたが、どんなに懐かしく美味しくてもスナック類で栄養は取れません。音楽も同じかも知れません。
 では今週は歌心について奏者側の心がけとでも言うべきことについて考えてみましょう。
 やることなすこと総て歌心で解釈してみましょう。つまり、一小節から曲全体に至るまで“指で上手く弾けたか”ではなく“歌っているか”どうかを最大の関心事としてみて下さい。
 まずは、ギタ-を弾くことの目的は楽譜通り指で忠実に弾きこなすことではなく、その曲を歌わせること、表現すること。これが目的意識です。どんな楽器も結局目的は同じです。最後は歌心に帰着します。だからこそ歌心についてのコルムナなのです。
 筆者も長年そうでしたが、指が一通り動けばその曲は弾けたと思う人が非常に多いのではないかと思います。浅はかにもこう思うこと自体音楽センスのない凡人の証拠ですが、こう言う人ほどその歌心のなさの故に指は動かないものです。仮に歌心抜きで動けば動くほど、学芸会レベルでは『きゃ、誰々君てステキ』程度にチヤホヤされても、聴衆がある一定レベル以上だと全く評価されないことになります(コルムナ110)。つまり、前者では指の動きが評価され、後者では歌心のない演奏が評価されない訳です。
 “上手くても歌心がないから評価されない” 来週はこのことについて考えてみましょう。
 
 

 

137 まず歌心ありき、指は? 17-05-2005(火)  

 

  先週は腰と全身の関係から“歌心が健全になれば指の動きも自然に健全になって来る”と結論しましたが、“私が私の指で”主義の人は“そんな馬鹿な”ことがと思ったかも知れません。つまり、最初に歌心ありきか、指の技術ありきか。
 “歌の上手い人は練習しなくても歌は上手い”とは良く先輩の吉川二郎さん(今ちょうどこちらに来ています)の言うことですが、そう言う彼も指の技術論は良く口にしますし、教室でも生徒に教えている様です。もちろん、この両者のバランスが大切なのですが、問題はこの大切な両者のうち、人間の体で言えばどちらが腰に相当するかと言うことです。
 指の技術論一辺倒、つまり、指を鍛えればギタ-は上手くなると思い込んでいる人ほど大ギタリストの奏法を信奉しがちではないでしょうか? 例えばクラシックギタ-ならセゴビア奏法やタレガ奏法、フラメンコギタ-ならパコ・デ・ルシアの奏法を絶対視する・・・。これではホ-ムランを打ちたければ皆迷わず王貞治の一本足打法にしろと言うのと大差はありません(コルムナ60)。中には教室丸ごと何とか奏法を標榜していると看板を出しているところもある様ですが、こうなると剣道の~流道場を思い浮かべてしまいます。
 セゴビアの歌心なくしてセゴビア奏法は無理です。タレガの歌心なくしてタレガ奏法を真似ても時間の無駄です。パコ・デ・ルシアの歌心なくしてパコ・デ・ルシアの指使いを真似るだけなど身の程知らずです(同78)。もちろん、これらの奏法は素晴らしいものですが、それを教える側も受け取る側も歌心を度外視した単なる指の技術論に終始しているところが極めて的外れです(同76&84)。
 アイデアが浮かばずペンが走らないからと言ってぺを持つ指を鍛えるひょうきんな小説家はいません。ところが、ギタ-に限らず弦楽器も鍵盤楽器も指が動かないのはフォ-ムが悪い、練習が足りないとからだと先生も生徒も決め付けている人が大半です。
 小説家同様アイデア(歌心)がないからギタ-を弾く指が動かないのです(同53~59)。極めて簡単な理屈です。
 読者に歌心が欠けていれば、どんなに何とか奏法を真似しようが、何時間練習しようが大した効果は期待出来ません。歌心を養ってみましょう。必ず指がそれなりに動く様になります。
 
 

 

  136 歌心は腰の健康から 10-05-2005(火)

 

  実は筆者は昔から腰が悪く、今でもかなり痛い日があります。そこで、もう17,8年も前のことになりますが、一時帰国した際ある骨盤調整の診療所にしばらく通いました。ある日横の患者さんが先生にした質問とその答えが今でも印象に残っていますのでご紹介しましょう。
 『先生、何を食べたらいいでしょうか?』『具体的に何を食べたらいいかではなく、体が健康になれば、何を食べたらいいか体が要求します。』
 つまり、患者さんとしては病人として具体的に何を食べたらいいかと先生に質問したところ、先生は一々何を食べよと具体的には答えず、この患者さんの的外れな思い違いと根本的な原因を突いたと言う訳です。これをギタ-に置き代えてみましょう。
 『先生、指が思い通りに動いてくれないんですが、どんな練習をしたらいいでしょうか?』『具体的に指がどうこうではなく、歌心が健全になれば指の動きも自然に健全になって来ます。』
 実はこれが一連の歌心についてのコルムナの結論でもあるのですが、読者の皆さん、どう思いますか? これはこじ付けでしょうか?
 筆者がたまに引用する『基礎とは揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部(コルムナ5)』とは実はこの骨盤調整の治療時代の経験から来ています。腰は文字通り体の要と書きます。腰がグラつけば肩が凝り、歯は浮き、膝も痛くなります。逆に、腰を正せばこれらの症状は軽減します。
 そして、これはギタ-に限らず人生の総てに共通する大真理です。大真理ならギタ-に応用しない手はありません。来週から具体的に応用してみましょう。
 
 
 

 

  135 歌心は心に歌を 03-05-2005(火)

 

  歌心が充分ではない我々その他大勢は歌心を補充するしか手はありません(先週の続き)。
 どこに? 歌心なのですから心にです。指は二の次です。
 どうやって? 指の基礎練習をしっかりやって・・・。バカ言っちゃあいけません。歌心を無視した指だけの肉体的な運動など、アイデアの浮かばない小説家がムキになってきれいな字を書く練習をする様なもの。
 “いや、正しいフォ-ムでペンを持ってきれいな字で書けば、いつか必ずいい小説が書ける”とマジで思っているのが多くのギタ-教室の先生と生徒だとすれば、いっそのことギタ-はケ-スにしまって、しっかりとギタ-音楽を聴いたらどうでしょう? いえ、ギタ-だけではなく、他の楽器や他のジャンルでも、コンサ-トでもCDでも、いい音楽をどんどん聴けば歌心が養われて、それは必ず指から弦に伝わり、ギタ-がその補充された歌心通りに鳴って来ます。
 人間の行動はその心から湧き上がって来る感情の結果です。心の豊かな人は豊かな行いをし、心のさもしい人はその行動までさもしくなります。歌心とギタ-を弾く指も全く同じです。
 その昔NHKの夕方の人形劇『八犬伝』に“さもしい浪人さも二郎”と言うのがいましたが(昭和48年頃:分からない読者はお父さん母さんに訊いてね!?)、ギタ-演奏がさもしい我々は歌心を豊かにすればさもしい演奏から開放されます。
 部屋に閉じ篭ったままでアイデアの浮かばない小説家が外出して気分転換を図ればアイデアが浮かぶ様に、ギタ-を側に置いておいて良い音楽を聴いて歌心を養い補充することは予想以上に効果のあることなのです。
 何もギタ-を弾くだけがギタ-の練習ではありません。
 
 

 

  134 絵は絵心、歌もギタ-も歌心 26-04-2005(火)

 

  結局“ギタ-は歌心”であると言う一語に集約出来ます(先週のコルムナ)。と言うことはギタ-は歌心であり、指自体ではないと言うことです。少し考えれば分かることですが、歌心は心であり、心にあり、歌心が指自体にある訳がありません。
 この歌心こそギタ-演奏と言う建物の基礎であり、指のテクニックはその基礎の上に築く建物であるとも言えます。
 何事も基礎が大切と言う立場から右手の場合も左手の場合もそれぞれ便宜上“肉体的基礎”と“情緒的基礎”に分けて考えて来ましたが(同4&57&58&70&71&84&87&88&89&100&117&118&119etc)、もちろん、“肉体的基礎”より歌心に通じる“情緒的基礎”の方がより基礎だと言う結論に達します。また、基礎とは『揺るぎなく据えてやれば他の個所も自然に良くなり、逆にこれがグラつけば他の個所も総てグラつく最重要部』だとすれば(同5)、歌心がある人は自然に指が動き、歌心のない人は指までグラついていつまで経ってもギタ-が上達する訳がないとも言えます。
 この意味でギタ-に限らず総ての楽器は最後は歌心(才能やセンス)の問題だと言えますが、それでは歌心が充分ではない我々その他大勢は一体どうすればいいのでしょう?
 とは言え、ないものは仕方ありません。ない歌心は補充するしかありませんね。来週は補充してみましょう。
 
 

 

  133 絵は絵心、歌もギタ-も歌心 19-04-2005(火)

 

  今週から≪歌心≫で指を煽てて勝手に動いてもらうことにしましょう(先週のコルムナ最後)。便宜上左手の情緒的基礎はこの≪歌心≫の一語に集約するに至りましたが(同118~)、これはギタ-を奏でる左手右手、そして、総ての音楽に共通する大真理です(同126&127)。
 この点で≪歌心≫を言及するに当り、ある意味“スペインギタ-週間コルムナ”は佳境を迎えたと言えます。従って、昨年から見て来た左手についてのコルムナは先週で一応終わりとし(同87~)、今週からはギタ-を弾く上で最も肝心なこの≪歌心≫について考えて行きましょう。
 だからと言って初心を忘れた訳ではありません。いや、むしろ、初心貫徹です。“スペインギタ-週間コルムナ”の初心(の一つ)は“本人は指で苦労しないで、いかに指にギタ-を弾いてもらうか”にあります(同6&118)。あくまでこの一事を追及して行きましょう。
 別の言い方をすれば“自分の指で四苦八苦するか、自分の指を煽てて(騙して)ギタ-を弾かせるか”のどちらかです(同7)。その煽て方を今まで二年半に渡って“スペインギタ-週間コルムナ”で色々な角度から考察して来たとも言えますが、結局総ては≪歌心≫の一語に集約出来ると言うことです。
 つまり、絵心のない人に絵は描けない様に、≪歌心≫のない人は歌も歌えず、楽器も弾けないと言う単純明快な答えがここにあります。
 絵筆を持つピカソ(スペイン・アンダルシア地方マラガ市出身)の指が特別だった訳ではなく、その絵心が特別だった様に、≪歌心≫を度外視した指の基礎練習など蛇足です。むしろ、≪歌心≫絶対視、基礎練習度外視の方が情緒的に健全と言えます(同119&上の青ワク↑)。
 さて、この≪歌心≫のコルムナが何回になるかまだ筆者も分かりませんが、読者の皆さん、これからが佳境です。
 
 

 

 132 集中力もアクセントも結局は歌心!? 12-04-2005(火) 

 

  このところ少しフラメンコ、及びフラメンコギタ-にテ-マが逸れた様で(コルムナ128~131)、実は逸れてはいません。コルムナを続ける前に今一度全体の流れを整理しておきましょう。
 
・コルムナ87からずっと左手について考えて来ました。
・まず左手の肉体的基礎(同87~117)、そして、現在は左手の情緒的基礎について書いています(同118~)。
・奏者が情緒的に豊かになれば左手も煽てられて指も勝手に動いてくれます(同120)。
・左手の煽て方その一は≪集中力≫(同120&121)
・左手の煽て方その二は≪歌心≫(同125~127)
・左手の煽て方その三は≪アクセント≫(同128~):このアクセントの例としてフラメンコ(ギタ-)を挙げました(同129~131)。 
・左手の煽て方についてはもっと述べることが出来るでしょうが、取り敢えずこれらの三つと言うことにしておきます。
・また、便宜上これら三つに分けましたが、結局≪集中力≫も≪アクセント≫も広い意味では≪歌心≫に包括されます。 
・従って、≪歌心≫を磨けば左手の指は≪歌心≫に煽てられて勝手に動いてくれる・・・。これが結論です。
 
 来週からはこの≪歌心≫について見て行きましょう。
 
 

 

131 フラメンコギタ-は右手と左手と足!? 05-04-2005(火) 

 

  今週は先週の12拍子 1 2 4 5 10 11 12 にコ-ドと左手を加えてみましょう。
  Am Am Am G G G F F E E E E このコ-ド進行で弾いてみましょう。もちろん、3:4:8:10:12はアクセントを置いて弾きます(右手の弾き方は何でも良い)。
 フラメンコ独特の短調の様で短調ではなく、イ短調の様でイ短調でもなく、Amで終わらずEで終わる物悲しい響きです。これは『さくらさくら』など日本の代表的な陰旋律にも共通する『ミの旋法』とも言うべきもので、西洋的なラ(Am)で終わる短調ではなく、ミ(E)で終わる東洋的な響きです。
 これだけでもフラメンコに初めて遭遇した人には斬新な発見かと思いますが、ここ四週(コルムナ127~)はアクセントで左手の指を煽てること、つまり、メロディ-よりリズムがテ-マですので、フラメンコの旋律についてはまたいつか取り上げることにして、ここはリズムに集中しましょう。
 先週左手は一切使わないで、この12拍子を体で覚えるまで何度も何度も繰り返した様に、今週はこれにこの四つのコ-ドを押える左手も加えて、徹底的に繰り返してみて下さい。
 もちろん、太字の箇所のアクセントは付けなければ何の意味もありません。そして、先週同様アクセントの箇所は右手で引くと同時に足で床を踏んで下さい。つまり、先週は右手と足(先週のコルムナ最終行)だけ。今週は右手と左手と足です。
 右手と左手と足。これは意外と難しいはずですが、体全体がリズムに乗っていれば出来ます。出来なければ、先週の様に左手はミュ-トして、まず右手と足。次に左手を加えて行くと良いでしょう。
 要は右手や左手や足の問題ではなく、体全体がリズムに乗るか反るかが問題なのです。
 リズムに乗れば(リズムが回れば)両手の指も足も勝手に動く感触を掴んでみて下さい。これが先週今週のコルムナの目的です。また、今回これでフラメンコギタ-を弾かない読者がフラメンコギタ-に興味を持つ様になれば、更に結構なことです。 
 
 

 

 130 フラメンコギタ-簡易入門 29-03-2005(火) 

 

  今週は簡単なコ-ド進行ですが、“何じゃこのリズムは!?”と言うフラメンコギタ-独特の一節を弾いて、アクセントの重要さを身を持って体験してみましょう。同時に、クラッシクギタ-の方にもフラメンコギタ-と言うリズム主体の異次元空間に足を一歩踏み入れていただきましょう。その一歩がかじる程度に終わるのか、ドツボにはまるのか、それは各自の音感ではなく、リズム感次第です。
 さて、現代音楽は大体3拍子か4拍子と思っておけばいい訳ですが(先週のコルムナ)、ここではフラメンコの定番12拍子をご紹介します。
 1 2 4 5 10 11 12 この12泊の周期で回って行きます。アクセントは太字の3:6:8:10:12にあります。
 これはフラメンコに良くある基本リズム(フラメンコ用語でcompas:コンパス)ですが、フラメンコ(ギタ-)未体験の方にとっては急に異次元空間に迷い込んだ様な、かなり奇々怪々な異色のリズムではないかと思いますが、どうですか?
 習うより慣れろ。まずギタ-は横に置いておいて、手拍子でこの12泊を打ってみましょう。もちろん、アクセントの箇所は強く打たないと意味がありませんし、“回る”感触も生まれません。“回る”まで何回も何回も繰り返します。
 手拍子をアクセントを交えて12回打つことに慣れたら、今度は手拍子と同時にアクセントの箇所に足(どちらの足でも良い)を踏んでみます。手だけではなく足も、手と足だけではなく、体全体がこの12泊のリズムに乗る感触を掴んで下さい。
 何とか乗ることを覚えたら、実際にギタ-を持ってみましょう。まず、左手はミュ-トしたままで、右手だけでこのリズムを刻んでみます(もちろん、アクセントを付けて)。右手の動きは何でも構いません。リズムさえ合っていれば結構です。
 そして、これに慣れたらリズムを刻む右手と同時に、上と同じくアクセントの箇所を足で踏みます。これを何度も何度も繰り返して下さい。
 この時点で動いているのは右手と足ですね。来週は左手も加えます。
 
 

 

 129 アクセントの権化フラメンコギタ- 22-03-2005(火) 

 

  “左手の指の煽て方その三、アクセント”について、フラメンコを通じて、クラッシクギタ-の方にも分かり易い様に何とか説明してみることにしましょう。また、これを機に、クラッシクギタ-愛好家の方にもフラメンコギタ-を少し伝道してみることにしましょう。
 もしクラシックギタ-奏者に音感が要求されるとすれば、フラメンコギタ-奏者には何よりリズム感が不可欠だと言えます。
 ところで、総ての音楽は一応(!?)拍子の上にメロディ-が乗っていると言えます。例えば『禁じられた遊び』は3拍子、『さくらさくら』は4拍子のリズムに乗ったメロディ-ですね。それでは『白鳥の湖』は何拍子でしょう? メロデイ-を口ずさんでみて下さい。4拍子ですね。簡単です。何が簡単かと言うと我々凡人には天才作曲家チャイコフスキ-の作曲や編曲の真似は出来ませんが、しかし、チャイコフスキ-に限らず、どんな世界の名曲でも、その拍子(リズム)を取るだけなら簡単だと言うことです。『エリ-ゼのために』3拍子。『津軽海峡冬景色』4拍子・・・。どんな曲でもリズムだけなら、少しメロディ-を口ずさめば、余程救われ様のないリズム音痴の人以外誰でもすぐに分かります。
 我々日本人西洋人が普段耳にする音楽は、文部省唱歌から歌謡曲、演歌、クラッシク、映画音楽に至るまで、大体3拍子か4拍子と思っておけば、まずハズレはありません。ハズレがあるなら、それは例外として暗記してしまえばいいのです。この様に音楽は音を楽しむ音楽なのですから、メロデイ-や和音の美しさを鑑賞すればいいのであって、リズムなど誰も気に留めません。リズム自体は簡単だからです。
 ところが、フラメンコ(ギタ-)ではこの常識が全く逆になります。メロディ-は何となく分かるが、リズムがさっぱり掴めない、と言う現象が起こるのです。来週は簡単なコ-ド進行ですが、“何じゃこのリズムは!?”と言うフラメンコギタ-の一節を弾いて、アクセントの重要さを身を持って体験してみましょう。
 
 

 

128 のっぺらぼうにアクセント 15-03-2005(火) 

 

  左手の指の煽て方その三、アクセントについて引き続き考えてみましょう。
 とにかくメロディ-はのっぺらぼうに弾かないで、アクセント(強弱)を付けて弾くこと。先週見た様に3/4のワルツなら『弱弱』。4/4なら『弱弱弱』と言う風にです。
 このところ題材として取り上げている『禁じられた遊び』の短調の旋律の前半後半の境目の『~シラシド:ドシレ#ドシ~』だけでなく、いかなる種類の左手のポジション移動もアクセントのあるべきところにアクセントを付けて、左手の指をその強弱の流れに煽てて乗せてしまえばいいのです。
 さて、以上のことは非常に重要ですので、後程もっと詳しく、面白おかしく説明する予定ですが、アクセントの話しに因んで、ここでしばらくアクセントの権化とも言うべきフラメンコギタ-の観点から“左手の指の煽て方その三、アクセント”について、クラッシクギタ-の方にも分かり易い様に何とか説明してみましょう。また、これを機に、フラメンコギタ-に全く縁のない方にフラメンコ、及びフラメンコギタ-を少し伝道してみることにしましょう。
 とにかく、フラメンコはリズムが命です。一度観ると分かりますが、徹頭徹尾とても人間業とは思えない様な手拍子足拍子(踊り手&歌い手)に終始します。このリズム一辺倒の傾向はフラメンコだけではなく、世界中の原始音楽に見られます。ブラジルのサンバなどもそうですが、原始音楽ですからメロディ-が発展しておらず単調で、その分リズム色が強くなり、太鼓などのリズム楽器が多いと言う共通点があります。
 その意味でフラメンコに限らず、世界の原始音楽は音楽ではなく“リズム楽”と言った方が当たっています。音感よりリズム感の方が要求されます。
 そのリズム楽のフラメンコの歌と踊りの伴奏であるフラメンコギタ-も当然リズムを刻むことが使命です。続きはまた来週。
 
 

 

127 左手もアクセントで煽てりゃポジション移動 08-03-2005(火) 

 

  左手の指の煽て方その二は歌心です(先週のコルムナ)。これはここ何週間か具体的に取り上げている左手のポジション移動についてだけではなく、音楽総てに共通する大真理だと思いますので、しばらく続けてこの『歌心』に重点を置いて考えてみることにしますが、その前に左手の指の煽て方その三、アクセントについて考えてみましょう。
 ある音にアクセントを付けるのですから、奏者はその他の音よりその音に集中する訳です。その意味ではアクセントを付けるとは『左手の指の煽て方その一は集中力(同120&121)』の別の言い方であり、また、ある音にアクセントを付ければ、当然その他の音は弱くなり、自然にメロディ-に強弱が付いて来ますので、『左手の指の煽て方その二は歌心(同126)』にも大いに通じます。つまり、『アクセント』も『集中力』も『歌心』の一環と言えます。
 今週は左手の指の煽て方その三、アクセントで左手の指を煽てて懸案の『禁じられた遊び』の短調の旋律の前半後半の境目の『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』を弾いて(ポジション移動して)もらいましょう。初心に帰りますが、“指で弾いてみましょう”ではなく、あくまでも“指を煽てて指に弾いてもらいましょう”なのです(同6&118&120)。これを誤るとギタ-人生総てコケます。
 さて、難しく考えることはありません。この旋律は三拍子のワルツですから、『弱弱』とアクセントを付けるだけの話しです。つまり、『~シラシド:ドシレ#ドシ~』 この通り『弱弱』をリズムに乗って四回繰り返せば良いだけの話しです。
 上手い人はどんな曲でも“肉体的には”総ての音を真面目に弾いてはいません。『(アクセント)』の勢いで『弱』に付いて来てもらっているだけなのです。ですからこの場合『弱弱』三泊皆真面目に弾くのではなく、一泊弾いて後二泊は惰性に乗せれば良いのです。つまり、ワルツは『アクセント・惰性・惰性』のメロディ-とリズム周期を崩さず滑らかに軽やかに回って行けばいいのです。
 前半後半のポジション移動自体は上手く行かなくてもいいですから、この『弱弱』のワルツのリズムに乗って、これを途切らせないことを大前提にやってみて下さい。別の言い方をすれば、指は途切れてもいいですから、『弱弱』のアクセント周期が途切れなければいいと言う考えで弾いてみましょう。もちろん、これは先週の『このメロディ-を淀みなく歌い続けてメロディ-が途切れないことを前提に弾いてみる』ことと同一でもあります。
 
 

 

126 ポジション移動の心は歌心!? 01-03-2005(火)

 

  要は“5フレットハ-フセ-ハのAmのポジションから瞬時の内に7フレット全セ-ハのB7のポジションへのポジション移動”を何度も反復練習すること自体が目的ではなく、“5フレットハ-フセ-ハのAmのポジションから瞬時の内に7フレット全セ-ハのB7のポジションへのポジション移動”してメロディ-を途切れさせず、『禁じられた遊び』を音楽として表現するのが目的です。このポジション移動はそのための手段に過ぎません(先週のコルムナ)。
 ポジション移動のコツは反復練習と言う手段に捕われず、目的意識、つまり、メロディ-をしっかり意識すること。肉体的な指の反復練習によって二つのポジションを肉体的に指で繋ごうとするのではなく、頭の中で情緒的にメロディ-が途切れないことを意識することです。
 この二つのポジションを“指で”淀みなく繋ぐのではなく、この『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』を淀みなく“歌い続けて”いればいいのです。
 肉体的な指のポジション移動モ-ドだと、わざわざ意識して二つのポジションの合間を作る様なもの。『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』を繋げたいなら、頭の中で淀みなく歌っていなければポジションが円滑に繋がる訳がないのです。
 ところが、現実にはわざわざ意識して区切っている人が大半ではありませんか? 意識過剰になっては逆効果です。
 『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』は3+3の6拍ですが、ポジション移動が繋がらないと言うことは6.1かそこらになっている訳です。意識が指の肉体的なポジション移動モ-ドだと6.1ともたつくかも知れませんが、まずは意識を指の肉体的なポジション移動から情緒的にメロディ-を歌うことに転換すれことです。このメロディ-を歌う際に前半と後半の間に誰がわざわざ一呼吸置くでしょう? メロディ-は淀みなく3+3の6拍。それだけの話しです。
 まずはメロディ-モ-ドに頭を切り替えて下さい。早速この3+3の6拍を今淀みなく口ずさんでみて下さい。次に淀みなく口ずさみながら実際に弾いてみましょう。ただし、このメロディ-を淀みなく歌い続けてメロディ-が途切れないことを前提に弾いてみて下さい。それですぐにポジション移動が目を見張るほど上手くなる訳ではありませんが、必ず何か違った、しかし、確かな感触が得られるはずです。
 左手の指の煽て方その二はこの歌心です。これは左手のポジション移動だけではなく、音楽総てに共通する大真理だと思いますので、来週からしばらく続けてこの『歌心』について考えてみましょう。
 
 

 

125 反復練習やってりゃいいのかポジション移動? 22-02-2005(火)

 

  先週先々週と腱鞘炎の話題で逸れましたが、今週からはコルムナ122の続きで、再び左手の指を騙して煽ててポジション移動をやってもらう“左手の指の煽て方その二”を考えてみましょう。
 さて、誰でも『禁じられた遊び』のこの箇所(コルムナ120~122)のポジション移動は難解です。この様な場合、読者の皆さんはどう練習するでしょうか?
 おそらくこの“5フレットハ-フセ-ハのAmのポジションから瞬時の内に7フレット全セ-ハのB7のポジションへのポジション移動”を何度も反復するのではありませんか? ギタ-教室の先生もそう教える以外ないのではないかとも思いますが・・・。
 確かにギタ-に限らず何でも苦手な箇所は何度も何度も繰り返してマスタ-するのが一番時間がかかる反面、一番地道で確実な方法かも知れません・・・が、ではどうして、いくら難しい箇所とは言え、この箇所は何年やってもすんなりポジション移動してくれないのでしょう?
 この反復練習は単に左手の指の肉体的なトレ-ニングの色合いが強いです。この様に単に右手も左手も指の肉体的鍛錬モ-ドになった時は要注意です。何故なら『健全な左手の肉体的基礎(同87117)も情緒的基礎が健全であればこそ』だからです(同119)。ですから、この単純なポジション移動の反復練習にも情緒的要素を加えてやらなければ片手落ちです。ではこの場合情緒的要素とは何でしょう? と言っても難しく考えることはありません。
 初心に帰りましょう。総てはメロディ-が途切れないため、メロディ-が途切れず『禁じられた遊び』を表現するため、これが目的です。この箇所のポジション移動はそのための手段に過ぎません。
 手段を目的と取り違えると、結局目的がない訳ですから目的を達成出来ず、何年間も堂々巡りになってしまいます。何年経っても一向にギタ-上達の手応えがない人は手段としての指の鍛錬をあたかも目的と取り違えている可能性大です。何故ならギタ-は指では弾かないからです(同53~59)。
 手段としての指ではなく、元来の目的であるメロディ-や音楽表現にもっと注意してみると指は動いてくれ・・・るかどうか、来週から見て行きましょう。
 
 

 

124    万年ロ-ギア-で腱鞘炎 15-02-2005(火)

 

 腱鞘炎になった人の話しを聞くと一つの共通点があることに気付きます。それは皆ギタ-に熱心で良く練習する人達だと言うことです。

ところが、この“熱心で良く練習する”ことが曲者です。結局筆者の見るところ、日本人らしく熱心に真面目に根を詰めて、そして、ギタ-が上手くなりたい、この一事のためにギタ-上達のゴ-ルを目指して熱心かつ愚かにも万年ロ-ギア(コルムナ8)で驀進したのです。

 読者がドライバ-ならこんなバカな運転はしないでしょう? もし、誰かが全行程をロ-ギアで吹かしまくっていたら笑うでしょう? ところが、真面目な国民性の日本人はギタ-に限らずどんな分野でもこの“燃え尽き症候群過労死万年ロ-ギアモ-ド”に陥りがちなのです。

 その結果エンジンがオ-バ-ヒ-トしたのが腱鞘炎と言えます。筆者自身腱鞘炎になったことはありませんので自らの体験としては言えませんが、実際に腱鞘炎になった人の体験談から判断すれば、これが原因だと断定しても宜しいでしょう。

 誰でも子供の頃学校のマラソン大会で最後は精根尽き果てて根性だけでゴ-ルインした経験があるはずです。一年に一回のマラソン大会ならともかく、こんな力任せのギタ-練習を毎日やっても何の得にもなりません。腱鞘炎になるだけです。

どんな楽器の演奏もスポ-ツも名人達人ほど力を込めないで力を伝えるものです(同23)。基礎練習から実際の曲まで、右手も左手も最小の力で最大の音を出してこそ初めて弾けたと言うべきです。

ギタ-学習に於いて力を込めた弾弦と押弦は、実は一番避けなければならないことなのです。

とにかく両手共に徹底的に力を抜くこと。そうすれば腱鞘炎になどなることはありません。 

 
 

 

123 ああ無情・・・ 08-02-2005(火)

 

 先週知り合いの日本人ギタ-留学生がセンタ-にやって来ました。しばらく見なかったので日本に帰ってしまったのかと思っていたのですが、開口一番『右手の中指がおかしいんですが・・・。弾いた後、元に戻らないんですよね。』
 中指(m)でアポヤンドやアルアイレで手前に弾弦した後、その中指が何故か元に戻ってくれないそうです。筆者自身こう言う経験はありませんが、これと全く同じ症状になった人を既に四人知っていましたので、間髪入れず答えました。『そりゃ、腱鞘炎だよ。』
 筆者はこれで五人目の腱鞘炎患者(皆右手)と知り合ったことになりますが、症状は全員皆同じ。指(i:m:a)が戻らなくなるそうです。そして、痛みを伴わないため本人はかなり悪くなるまで気付かず、“あれ、弾いた指が戻らない、おかしいな”と思った時はかなりの重症だそうです。
 痛みを伴う腱鞘炎もあるそうですので、心当たりのある人は検索してみて下さい。
 左手の煽て方(120~)は小休止して、しばらくこの腱鞘炎についてコルムナしてみましょう。
 とは言え、筆者自身は腱鞘炎になったことがありません。“スペインギタ-週間コルムナ”は憶測ではなく筆者の体験に基づいて書くことを念頭に置いていますが、今回ばかりは仕方がありません。極めて確かな憶測で腱鞘炎について書いてみましょう。
 まずはともかく、はっきり言えることは力を込めたら左手も右手もろくなことにはならないと言うことです。
 
 

 

122 左手も煽てりゃポジション移動 01-02-2005(火)

 

  先週は難しい左手のポジション一般について、何となく弾き流さないでそこに神経を集中すること、集中力で指を煽てれば指は動いてくれる、これが指の煽て方その一だと述べておきました。
 先に進む前に、途中からこの“スペインギタ-週間コルムナ”を読み始めた読者のために、もう一度全体の流れを説明しておきましょう。
 昨年後半から左手及び左手の基礎について現在までコルムナを書いています(コルムナ87~)。更にその左手の基礎を“肉体的基礎(同87~117)”と“情緒的基礎(同118~)”に分けて考えています。つまり、現在は“左手の情緒的基礎”について連載中であり、その心得は“いかに言うことを聞いてくれない貴方の左手の指を鍛えるのではなく、煽てて弦を押さえてもらうか(同117)”なのです。そして、その煽て方その一が集中力(同120&121)。今週からは別の角度から指を煽てて難解なポジション移動をやってもらいましょう。
 もう一度『禁じられた遊び』の短調の旋律の前半後半の境目の『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』に戻ります(同120)。7フレット全セ-ハのB7のポジションを維持したまま小指だけ①弦のレ#まで届け、いや、届くだけではなく、しっかり押えないと音が出ないぞ、と言う後半の方が5フレットハ-フセ-ハのAmのポジションよりかなり難しいのは明らかですが、実は後半もさることながら、この前半から後半へ、つまり、5フレットハ-フセ-ハのAmのポジションから瞬時の内に7フレット全セ-ハのB7のポジションへのポジション移動もかなり難解です。
 何せポジション移動はポジションが移動すればいいと言うだけではありません。音もメロディ-も低音も途切れたら駄目なのです。それには目にも留まらぬ速さで瞬時に移動しなければなり(鳴り!?)ません。
 『禁じられた遊び』のこのポジション移動は、この曲を何年も弾いている上手い人でもちょっと気を抜けばすぐに音が途切れる難しい箇所です。来週は左手の指を騙して煽ててこのポジション移動をやってもらいましょう。来週は左手の指の煽て方その二。 
 
 

 

121 左手も煽てりゃ集中力 25-01-2005(火)

 

  『禁じられた遊び』の短調の旋律の前半後半の境目『~ドシララシド:シドシレ#ドシ~』の後半B7全セ-ハの箇所で小指で押さえる難解なレ#に神経を集中して弾いてみましたか(先週の続き)?
 『小指に神経を集中したらレ#には届いたけど、その分神経を集中しなかった⑥弦のシや②弦や③弦を押さえ切れなかった。6本の弦を全部セ-ハしながらだから、こりゃきつい~。』 なるほど、ある箇所に神経を使えば当然他の箇所は疎かになります。この様に問題箇所が複数の場合には優先順位を付けてみましょう。この場合まずはレ#が押さえられれば後は押さえられなくてもいい、まずはレ#が先決だと言う考えで行くことです。そして、レ#を押える感触を十分覚えたら、次の問題箇所に神経を移して行けばいいのです。慣れたら同時に複数個所に集中して弾いてみましょう。
 この様に大した注意も払わず弾き流すのではなく、問題箇所に神経を集中すると左手の指は動く様になりますが(先週のコルムナ)、勘違いしてはいけないのは集中力であって、決して指自体に力を込めるのではないと言うことです。肉体的には指はあくまでもリラックスしていましょう。
 貴方の集中力で届かない指を煽てて届いてもらいましょう。決して届かない指を肉体的に鍛えて届かせるのではありません。この両者は似た様な表現ですが全くの対極です。これを取り違えた人が腱鞘炎になるのです。力を使わない左手の押弦、右手の弾弦を心掛けていれば腱鞘炎など絶対になりません。毎日8時間力を込めて練習して最後は腱鞘炎ではギタ-人生浮かばれません。決してムキになって指に無理をさせないことです。
 この“スペインギタ-週間コルムナ”は多くの人がギタ-を指に弾かせて、本人は楽をして大いに浮かばれるためのものなのです。
 取り敢えず指の煽て方の第一は集中力だと結論しておきますが、まだまだあります。来週から続けて見て行きましょう。