◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新

たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。

 日本語情報センタ-は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ-ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。

 人としての日本語情報センタ- スペイン週間コルムナ総評 スペインギタ-主旨

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251-287

287      アバタも笑窪かアバタの笑窪か 09-10-2007(火)

 

   グラナダ市郊外の先々週の事件とは別のある町での先週の出来事。別れた元奥さんを待ち伏せした元夫が白昼堂々と斧を頭に振り下ろした。さすがは情熱のスペイン。夫婦喧嘩も徹底している。本人は殺意満々だったらしいが、幸いにも頭蓋骨骨折の割には一命を取り留め意識も回復している。

 そう言えばごく最近手にしたある日本の小冊子に最近の情報として日本では三組に一組の夫婦が離婚に至ると書いてあったが、首位打者の打率の如く離婚するこれら3割3分3厘の日本の夫婦も、離婚率現在五割のスペイン人夫婦も、そして、この九死に一生を得た26歳のスペイン人女性も、最初は皆良かれと思って結婚するのであり、誰しも離婚するかも知れないと思って結婚する人はいない。それが一体どこで何がどう間違ってしまうのだろう?

 これは結婚や離婚に限ったことではなく、家庭学校職場近所など様々な人間関係をこじらせる悪の共通項を解き明かさなければ、頭蓋骨骨折には至らないまでも、どこの国でも大なり小なり悲劇は起こり続ける。日本語でgアバタも笑窪hと言う表現があるが、やはり、いい意味で実はgアバタの笑窪hを見抜けなければ人生バカを見るのは万国共通である。バカを見ないためには・・・。

 以前ある有名な日本人実業家が言った『私はこのビジネスを通じてビジネスとは金ではなく人であることを学んだ』とのことばが筆者は好きである。要するに知能指数や能力や業績や社会的地位ではなく、人生総ての物事は結局g人hに帰着すると言うことである。夫婦関係ならなおさらだろう。そして、どこの国の人でも物事上手く行っている時、特に金をもらう時や結婚前は皆笑窪のいい人なのである。だからこそ筆者は次の三つを見極めるまでは、いい意味で人を根底からは信用しないことにしている。

 一つ。何か不都合が起こった時のその人の反応。つまり、すぐイライラしたり、それを明らさまに表情や言動に表す様な人間かどうか。二つ。金銭に潔癖かどうか。借りて来た猫の様におとなしく寝ている猫も鰹節をチラつかせると猫まっしぐらになる様に、金まっしぐらの別人格に豹変する文字通り現金な奴かどうか。三つ。約束に忠実かどうか。小さな嘘を吐く人は必ず大きな嘘を吐くことになっているからである(コルムナ )。

 知恵のある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれを壊す。----- 或る昔の偉い人

 もちろん、これは男性もですが、また、金に価値観をおいている人ほど妖怪株券小僧の如く頭が良く口が巧く嘘も多いものです。この意味で二つ目と三つ目は同じコインの裏表とも言えますが、最近筆者の知り合いから聞いたgてめ~ら人間じゃね~(破れ傘刀舟先生)h実話。その知り合いの知り合いの老夫婦の四十代の息子が肺がんで亡くなったそうです。ところが、悪性だと分かるや否や奥さんは手の平を返すが如く病床の旦那にいとも簡単に見切りをつけて蒸発。g健やかな時も病める時も・・・hの結婚の誓いなど見事に踏み倒す変わり身の早さ。もしかして夫婦仲が悪かったとかならまだ話は分かりますが、次の一手はまず日本人社会ではお目にかかれない、ぐうの音も出ない王手飛車取り。消えたはずの奥さんが遺産相続の席に突如未亡人に豹変して現れた!? 正式に結婚していた以上亡夫の財産の半分は民法に拠れば当然私の物よと臆面もなく要求!? 絵に描いた様な見事な必殺鉄面皮固めでバカ負け一本。確かに日本にもその昔疾風の様に現れて疾風の様に去って行くスク-タ-に乗ったおじさんがいましたが(← 分からない読者はお父さんに訊いてね!?)・・・。

 しかし、広い意味で悪いのはこの毒婦だけではありません。事前にこの三か条で吟味しておけば傷口に塩を塗り込む現金な女を配偶者に迎えはしなかったでしょうし、斧を振りかざす様な男と結婚することもなかったでしょう。

 いずれにせよ、人にせよ事業にせよ何にせよ無条件に笑窪だらけと信じ込めば、それは知恵のないことです。この三か条で人を裁くのではなく吟味する時、笑窪の下のアバタが垣間見えるかも知れません。これが自らの家を建てるか壊すかの境目だとすれば、そうする価値は十分あります。人に拠っては違った三か条かも知れませんし、五か条かも知れません。それは各自の自由でしょうが、いずれにせよ、上っ面ではなく人の性根まで見抜く洞察力は、少なくとも結婚や共同事業など人生の正念場には必要です。正念場ほどコケたら起き上がり難いからです。ましてや、g背が高くてハンサムで高給取りで次男hの四か条など知恵の欠如も甚だしいこと山の如し!? 毒婦よりゃましか!?

 

 

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286     お先真っ黒スペインの学生白書 02-10-2007(火)

 

   アナウンサ-は『久し振りに明るい話題です』とは言わなかったが、明らかに悪い知らせではなく、良い兆しとして紹介された先週のスペインのニュ-スに拠れば、ここ13年間で初めて学生達の酒&麻薬の消費量が減少したそうである。もっと詳しく言えば、麻薬とはハシシュ(モロッコ産)、コカイン、ヘロイン、合成麻薬で、アルコ-ルも含めて、これら総てにおいて減少傾向に転じたのは政府の絶え間ないキャンペ-ンの効果だそうである。

 ま、確かにそう言う当局の努力もあったのだろうが、ところで、スペイン語で学生はestudianteと言い、ご覧の様に英語と良く似ている。今回ニュ-スの対象となったのはこれらスペインの学生なのだが、実はスペイン語で大学生はuniversitarioと言い、つまり、スペイン語でestudianteとは大学生未満の学生を指すことばなのである。そこで今回のニュ-スを日本人読者に分かり易く解説すれば、スペインでは相当数の1418歳の中高生が堂々と酒を飲み、ハシシュ、コカイン、ヘロイン、合成麻薬を吸っていることになる。これが減少傾向に転じたのは政府が校門やディスコでの薬の売人の取締りや未成年者への酒の販売禁止を強化したためだそうである。

 大学生以上の20代、30代の若者ならまだ話は分かるが、今回のニュ-スでははっきりと1418歳の学生と言及されている。もちろん男女の区別はない。もちろん、こんなガキどもがそんな金を持っているはずもないが、アル中に薬中ともなれば当然パパやママからもらったお小遣いでは足らなくなる。と言ってこの世界にズボっとハマってしまえば急に止める訳にもいかない。あとはもう自らも薬の売人になるか、売春しかないと相場は決まっている。二十歳で廃人がうじゃうじゃいても不思議はない社会的下地は既にガチガチに塗り固められている。

 日本人から見れば末期ガン漫才かも知れないが、これがスペインの現実なのである。

 人が若い時にくびきを負うのは良い。----- 或る昔の偉い人

 これはいわゆる日本語の諺で言うg若い時の苦労は買ってでもしろhと言う意味のくびきのことでしょう。ま、極めて残念ながら、今の日本の若い親達もそうでしょうが、スペインでも可愛いうちの息子にくびきなんかとんでもないと言う、結局我が子を激しく害するに終わる、何でも買い与えて叱ることを知らない様な甘いしつけの馬鹿な親が多過ぎます。例えば、読者もスペインを旅行すれば一目瞭然なのですが、この国ではレストランや食堂で相当数の両親が可愛いはずの自らの乳飲み子や幼児の傍らでモクモクと、さも美味しそうに煙草を臆面もなくプア~っとふかしまくっているのはもはやこの国の年中風物詩です。なるほど、毒を毒と思わず、むしろこんな美味いものが息子の害になる訳がないとさえ思っていれば当然の習性かも知れませんが、やはり害毒を害毒とも思っていないのなら、大きくなった可愛い1418歳の我が子をくびきで繋がず、無防備にも夜の悪徳歓楽街に野放しにしても何の罪悪感もないのでしょう。

 しかし、毒は毒。毒を飲んで、しかも、好んでがぶ飲みして健康でいられる人はいません。死に至るくびきを自ら好んで自らの首にがっちりハメるだけです。首が回らない借金地獄の方がまだコカインやヘロインよりましです。

 それにしても中高生からコカインにヘロイン・・・。正に気違い予備軍です。それが証拠に先週地元グラナダ市で初めて市主催で女性同士の結婚式があたかも自由平等博愛の代名詞の如く行われました!? この点日本はまだましでしょうが、一つ気がかりなのはg美しい日本hが早くも頓挫してしまったことです。短い命でした。学生が、そして、若者が正しいくびきを負うことを学ばずしてg美しい日本hもまた真にあり得ないのかも知れません。

 

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 285 スペイン人の家族愛 25-09-2007(火)

 

   スペインではどこの市町村でも夏から秋にかけて年に一度の村祭りがある。日本とは違い、お祭り好きの国民性を反映してか期間は一週間と長い。大体初日と最終日が賑わうと相場は決まっている様だが、この期間中は郊外にお祭り特設会場が設置され、遊技場や仮設レストランが七日の命の蜻蛉の如く忽然と姿を現す。こうして祭りから祭りを渡り歩くg祭り屋hなる職業さえ存在する。余り家庭を顧みる時間はなさそうな仕事である。

 グラナダ市郊外のある町でこうした村祭りが8月半ばにあった。ところが、確か二日目か三日目に会場である若者が別の若いのを刺して殺害。お祭りム-ドにドラム缶で冷水を注いだ。目撃者の証言に拠れば、この二人は前夜激しく口論していたとのことで、頭に来た犯人が当日有無を言わさず切りかかったらしい。

 その一ヵ月後の先日の新聞に、この犯人の家族親戚20人が無実を訴えて裁判所に詰めかけた記事が載っていた。何でも奥さんに拠れば、その時間は一緒に居たとか居なかったとか・・・。どこまで嘘か芝居かは知らないが、この話を聞いて、筆者はその昔日本にいた頃聞いたアメリカでのある裁判のことを思い出した。

 相当古い話らしいが、その裁判は裁判官と被告が幼馴染みだと言うことでアメリカ全国の注目を浴びたらしい。日本なら遠山の金さんが最後にg終生所払いを命じるhとの粋な計らいに、不本意にも罪を犯した今週の主人公の可愛そうな罪人がgお、お奉行様ぁ~hともらい泣き。最後はgこれにて一件落着hで全国の視聴者も一話完結でめでたしめでたしなのだが、温情処置を期待していたであろう世論に反し、この裁判官は友人に最も重い刑を宣告したそうである。ところが、一度裁判が終わると、裁判官席を降りて、g君、この罰金を私に払わせてくれhと涙したとのことである。

 倒れたら起き上がらないだろうか。背信者となったら悔い改めないだろうか。-----或る昔の偉い人

 確かに裁判にも情状酌量は必要でしょうが、やったことにそのままふたをしてgさあさあ、皆の衆、本人も反省していることだし、ここは一つ見なかったことにして・・・hとなると、膿を出さずに包帯を巻く様なものですし、gやってないじゃないかhと情状酌量の横車を押し付けるのが家族愛なら、大東亜共栄圏の日本軍と同じく、やはり臭い物に美辞麗句のふたです。

 本当に起き上がりたければ、そして、起き上がって欲しければ、まずは起訴状を素直に認めて悔い改めること。感動の美辞麗句も悔い改めないなら背信者のアバタを隠す厚化粧に過ぎません。

 情状酌量とは愛は盲目で曲げてはいけないことを曲げることではないはずです。個人的愛情と公義の区別がつかない人は裁判官になるべきではないのです。ただし、公義の後は私人として人として大いに情状酌量の精神を実行に移さなければ、それこそ美辞麗句だけに終わってしまいます。
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284 スペインの事実は日本の漫画より奇なり 18-09-2007(火)

 

  先日聞いたある日本人旅行者の体験談。レンタカ-を借りて悠々自適なスペインの旅のはずだったが、ある町で観光から帰ってみると駐車禁止で反則切符。その人は少しスペイン語の心得があったこともあり、罰金はどうしたらいいのか地元の警察署に訊きに行った。以下はスペインの本官さんとの会話。

 『旅行者?­』『そうです。』『日本へはいつ帰る?』『9月中旬ですけど。』『そしたら、もう罰金払わずにお帰り。』『えっ!!』『しっ~(人差し指を口に当てて:こう言うのは日本と変わらない)!! 放っときゃええ。誰にも言うたらあかんで(と再び人差し指を口に当てる)。』    

 日本のg天才バカボンhの本官さんでもここまではやるまい。スペインの本官さん恐るべし。モロッコの本官さんも(コルムナ276!?

 その日は土曜日の午後で本官さんも一人しかおらず、決して哀れな外人旅行者に温情をかけた訳ではなく、ただひたすら自らが余計な仕事をしたくなかったらしい。国民の税金から給料をもらっている以上、任された職務を遂行するのは当たり前だと日本の公務員なら思っているかも知れないが、公務員なら仕事をしようがしまいが給料は一緒。だったら、仕事はなるべくしないに越したことはないと言うのは公務員だけでなく、この国ではサラリ-マンに共通した労働本能だと言っても良い。もちろん、全員ではないが、スペイン人は一般的に南に行けば行くほどこう言う思考回路に生まれついているおめでたい連中が多い。論より本官さんの証拠である。     

 小さな事に不忠実な者は大きな事にも不忠実である。-----或る昔の偉い人

 日本語で責任感の塊と言う表現がありますが、これでは正に無責任感の塊です。第三者として笑っている内は漫才かも知れませんが、こう言う本気無責任漫才師と結婚したり、一緒に仕事をするとなると話は全く別です。この区別がつかず結婚して離婚に至ったり、仕事や付き合いで様々な問題が起こるのは万国共通です。人生もちろん楽しく笑った方がいいに決まっていますが、その笑いも責任感に根ざした笑いか、ただ一途に無責任感に根ざした無責任な笑いなのか・・・。益する笑いもあれば、害する笑いもあると言うことです。

 日本では公務員の飲酒運転に拠る事故が厳しく取り沙汰されている様ですが、スペインでは警察官が休憩中に制服を着たままビ-ルやワインを飲んでいるのは当たり前ですし、それを見ておかしいと思う市民も一人もいません!? これまたg天才バカボンhの本官さんでも絶対にやらないことでしょうが、スペインではビ-ルとワインは水代わりで、誰も酒と思っている人がいないのです!?  

 

 

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283 酔い痴れるスペインのサッカ-ファン 11-09-2007(火)

 

   先日街角で朝食のBar(バル:日本的に言えば立ち飲み喫茶店みたいなもの)で良く顔を合わせていた60過ぎのおじさんに遭った。以前はほぼ毎日来ていたのに、もう一年以上顔を出していない。どうかしたのかと訊くと、店員とサッカ-の口論になり、喧嘩別れになったとのこと。

 ここグラナダもそうだが、地元に強いチ-ムがない限り、スペイン人はどこの地方に行っても大体レアル・マドリ-かバルセロ-ナ FCに肩入れする連中が多い。日本で言えば巨人&阪神に当たると言える。このおじさんと筆者も良く知っているこの50半ばの店員も、どっちがどっちのチ-ムだったか忘れたが、最初はいつも通り冗談交じりに相手チ-ムをけなし合っていたのが、いつの間にか本気モ-ドでけなし合い、最後は『もう誰がこんなとこ来るか、ボケ!!』『あ~、もう来んでもえ~わ。このクソッたれ!!』となったそうだ。いとも簡単に頭に血が上り易いスペイン人丸出しのエピソ-ドだと言わざるを得ない。

 そう言えばスペインでは朝から誰ともなくすぐにサッカ-の話が始まる。女性はそう言うことはないが、男性の場合挨拶代わりに自動的にサッカ-の話題になると言ってもいい。しかし、筆者が日本にいた頃も、俗っぽく言えば、男同士集まればすぐに野球と女の話だった。ま、そう言う面ではどこの国でも似たり寄ったりかも知れないが、我々から見ればこんな些細なことで本気で絶交するのだから、先週のコルムナも含めて、スペイン人は現実と漫才の見境が付き難い民族だとも言える。

 争いを避けることは人の誉れ。愚か者は皆争いを引き起こす。-----或る昔の偉い人

 誰でも好きな野球チームや歌手位いるものでしょう。しかし、我々は当事者のスポ-ツ選手や芸能人ではないのですから、まず勉強なり仕事なり、やることをやった後バックネット裏の野次馬雀の如くピ-チクパ-チクさえずって、気晴らしが終わったら本業の学校に職場に戻ればいいだけの話です。

 確かにプロスポ-ツや芸能界は観る人に夢を売るのが商売でしょうが、観る側にこの現実と夢の区別がつかなければ、この二人の大人気ないおじさんの様になってしまいます。そして、この現実と夢の区別がつかない人ほど夢に肩入れし、夢中になって夢に酔い、他の泥酔者に絡んで低次元の争いを引き起こし易いのかも知れません。

 

 

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282 スペインサッカ-のヒ-ロ-逝く 04-09-2007(火)

 

日本の高校野球甲子園大会が終わると(コルムナ279280)、スペインサッカ-リ-グが始まると相場は決まっている。既に先週末で第2節が終了しているが、先々週の開幕戦でスペインナショナルチ-ム代表選手でもあるプエルタ選手が試合中突然心臓発作で倒れ、3日後に亡くなった。若干22歳。

スペイン全国が大騒ぎしているおかげでその名前も今回初めて聞いたほど筆者はサッカ-に興味はない。残念とは思うが、正直痛くも痒くも感じない。毎日イラクでたくさんの人が死んでいるのに、我関せずと日々日常の生活を送る日本人やスペイン人の如くである。

ただ、誰かが比較的若年で亡くなった時、筆者はいつも『人生太く短く』の極意は『人生は深く』だと思い起こす(同171。つまり、ダラダラ生きるより凝縮した人生の方が年数はないが価値はある。その意味で人はその絶頂期に惜しまれつつ逝くのも悪くはないかなとも思う。

それでは『人生は深く』とは何だろう?

恵みと真を捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書き記せ。-----或る昔の偉い人

自分とせいぜい家族に施す恵みも恵みでしょうが、極悪人でさえ子供には良くしてやるものです。恵みとは本来それを受けるに値しない者に代価を求めず与えることだとすれば、それは内部ではなく、外部に対する対人関係において表れるべきものです。しかも、それが具体的な真の行いとなって表れるところに『人生は深く』の真の意味合いがあります。また、恵みと真は二つの別物ではなく、隣人愛と言う一枚の硬貨の裏表であることも分かります。

人の噂も四十九日。『人生は深く』なければ49日で忘れ去られます。

多くの人は何らかの自己主張をして生きているとも言えます。あれを買って、これを着て、いい成績を取って、一生懸命仕事をして・・・。それはそれで大いに結構なことですが、その根底に隣人に対する恵みと真がなければ人の噂も四十九日です。それ以上人々の記憶に残ることが人生の真の価値だとすれば、恵みと真を私達の首に結び、心の板に書き記すしかありません。

紀元前の不朽の名作は21世紀でも不朽の名作でしょう。大袈裟な超大作は必要ありませんが、我々も恵みと真を絵の具に使うなら何かいい作品が描けそうな気がします。

 

 

281 薬中か高校野球か 28-08-2007(火)

 

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先週ラジオ番組である薬中更正者の実話が紹介された。

薬学部を卒業し、自ら薬剤販売会社を興し若くして大成功。奥さん子供にも恵まれたが、大学時代からのアル中に加え、花形実業家とちやほやされる内に麻薬に手を染め、昼は薬剤ブロ-カ-、夜はマリファナブロ-カ-として名を馳せる様になる。こんな日々が長く続く訳はなく、ある日突如逮捕状。求刑150年、実刑3年のブタ箱暮らしとなった。服役中多くの同罪の囚人達が獄死や自殺したのを目の当たりにしたが、幸い家族や友人の尽力で社会復帰し、現在は幸せな生活を送っているとのことである。

スペインでも麻薬は簡単に買える。近年腐り切った若年層にはg18歳になったら酒タバコ辞めようhとか言うおめでたい連中が多い。そして、辞めるどころか、酒タバコなど麻薬へのウォ-ミングアップに過ぎない(ビ-ルは酔い覚まし!?)。麻薬もモロッコが国を挙げて栽培している軽めのハシシュから始まって、段々合成麻薬やマリファナ、ヘロインへと格上げされて行く。しかし、未成年のガキどもがそんな金を持っているはずもない。結局、薬の売人になるか、売春しかないと相場は決まっている。そして、二十歳で堂々たる廃人・・・。日本の読者には誇張と思われるかも知れないが、これが現代スペインの未成年の半数の実体である。

日本では先週まで筆者も含めて高校野球に沸いたが(コルムナ279280)、あの舞台に立てる球児はほんの一握り。その他大勢の日本全国の高校生の相当数はこんなもんだとすれば(同 )、日本も多かれ少なかれ同じ道を歩んでいるのかも知れない。

心の堕落している者は自分の道に甘んじる。善良な人は彼から離れ去る。-----或る昔の偉い人

元々何を意味するのかは知りませんが、日本語で言うg勝ち組負け組みhとは何でしょう? 今回の高校野球の様に勝負に負けても頑張った人が評価されるのが勝ち組であり、頑張らなかった人が負け組みであるべきでしょう。

いつでも誰でもイ-ジ-な方に流されるのは簡単です。流されるのに努力は要りません。流れに身を任せておけば後は何もしなくてもどんどん勝手に下流に流されて最後は滝壺に逆落としです。中流で酒タバコだったものが、下流では麻薬に売春・・・。川は下流ほど水が汚いものです。下流に差し掛かってもう古い現代社会も・・・。

こんなどぶ水の中で生まれた魚が健全に育つことが難しいのもまた確かでしょう。しかし、だからと言って、流れに身を任せて甘んじれば心の堕落している者です。離れ去って上流を目指さなければ、今日読者自身や読者の息子や孫がいつの間にか薬中や携帯売春婦になっていても何の不思議もない世の中になって来ているのです。冷たく見捨てろと言う意味ではありません。しかし、我々はある種の人々とは一線画さなければ下流に道連れにされます。だからこそ、下流の真っ只中にある現代社会においても、時としてボランティア精神の高校野球の様な一服の清涼剤が必要なのです。そして、球児達ではなく、無名の我々一人一人がそうなるところに我々の人生の意義もまたあるはずです。

 

 

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280 甲子園のヒ-ロ-逝く 21-08-2007(火)

 

残念ながら、筆者の母校はベスト8で敗退(先週のコルムナ)。しかし、深夜、そして、早朝にインタ-ネットの無料生中継配信で4試合も楽しませてもらった。暫し童心に戻れて感謝の念この上なし。

筆者はこう言う時、やはり、g試合に敗れて山河有りhの文句を思い出す(同1314124125)。それは、高校野球に限らず、何かのイベントが終わった時の感動の余韻と、それに続くべき各自の次章のことである。人は生きている限り、どんな感動や成功を得ても、テレビドラマの最終回の字幕の様にg終わりhではなく、g続くhでなければ明日に繋がって行かない。大きな感動さえも点ではなく腺となって継続して行かなければ力とはならず、大きな打ち上げ花火に終わってしまう。選手諸君は今後の進路で、応援した生徒の皆さんも受験勉強で、そして、我々も各自の家庭や職場でしっかりとふと我に返って、もらった感動を糧に継続して行かなければ力とはならない。

それでも人はやがて死を迎えるのか・・・。今回試合はもちろんだが、ある意味筆者にとって一番印象に残ったのが今大会中余り騒がれもせず癌で亡くなった第55回大会優勝広島商業のエ-ス、佃正樹氏の訃報である。因みにキャッチャ-は後に広島カ-プで活躍した達川氏。筆者の母校もこの時ベスト4。筆者自身もブラスバンド部員としてアルプススタンドで5試合応援。筆者と漢字も同じ全く同名であることから何故か気になる存在だった。

すべての人は草、その栄光はみな野の花の様だ。-----或る昔の偉い人

あれから34年。若い読者には34年もと映るかも知れませんが、特に甲子園の時期が巡って来る今頃、筆者にはつい昨日のことの様にも思えます。時の流れはある意味時計で計れる時間の量的な積み重ねであり、また、ある意味時計では計れない主観的なものかも知れません。ただ、こんな形で再び名前を聞くとは寂しい限りです。

それにしても、ちょうどあの時分流行った『狙い撃ち』が未だに各校応援歌に使われているとは。正に時が止まったかの様です。嬉しい誤算は今はすっかりオバさんになった山本リンダか? 『困っちゃうな~♪』と苦笑いしているかも。← 分からない読者はお父さんに訊いてね!?

小説も人生もある意味起承転結。途中経過を疎かにして良い結尾も書き終えることは不可能であり、また、最後の締めがあやふやなら、読者に感動を与える良い小説とは言えません。入選か、落選か佳作か駄作か、途中放棄か・・・。確かに人目を気にせず信念を持って生きることは大切ですが、我々は否応無しに周囲の人々から小説の如く読まれていることもまた事実だとすれば、ある意味人目を気にすることもまた時として必要かなとも思います。

今回球児達はペンの代わりに白球で甲子園を舞台に高校野球小説を書いてくれたとも言えます。今度はそれを糧にして我々読者が我々の山河で継続して力とする番です。

スペインでは真夏に早くもクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ発売中(同68!? どう言う感動だ!?

 

 

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279 荒稼ぎかボランティアか 14-08-2007(火)

 

先週スペインプロサッカ-の強豪バルセロ-ナFCがアジアツア-を行い、日本にもやって来て試合をした。サッカ-リ-グのオフシ-ズンを利用したいつものオ-プン戦荒稼ぎツア-である。もちろん、スペインのファンやマスコミは試合内容や結果には全く無関心である。過密スケジュ-ルに不満たらたらの選手達のコメントが若干ニュ-スになった位でお終い。ただ、年棒何億のスタ-選手軍団のギャラを賄うための資金稼ぎはしなければならない訳だから、企業として考えればこの種のイベントを濡れ手に泡とばかりにちゃっかり企画するのはむしろ資本主義社会の鉄則だと臆面もなく思っているのだろう。今年もまた懲りずに腐っても経済大国日本と成金中国を名指しでやって来たのは、ただただオ-プン戦でしこたま儲けるために他ならない。たまには第三世界でノ-ギャラで試合して、現地の貧しい子供達に夢と希望を与え様とか、そんな発想は重箱の隅にもない。

今回こちらの新聞に載ったのは追っかけをする北京の丸出しのミ-ハ-ギャル達の写真だったが、観客の大半はこの様にスポ-ツとしてのサッカ-ではなく、スタ-選手お目当てのサッカ-ショ-観戦。スタ-歌手お目当ての歌謡ショ-と乗りは寸分違わない。

ノ-ギャラと言えば、筆者自らこの春書いたコルムナを思い出す(コルムナ261262)。あの時は春の甲子園。そして、今行われている夏の高校野球甲子園大会こそ、正に文字通りノ-ギャラのボランティア精神の真髄であると読者は思わないだろうか?

何故あなたがたは食料にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。-----或る昔の偉い人

その昔学生だった頃、毎日学校に行って勉強して、クラブ活動をやって、家に帰れば母ちゃんがご飯を作って待っていてくれる・・・。思えば金銭には無欲な、ある意味無邪気な、今思い返せば懐かしい純粋な日々だったのかも知れません。しかし、社会に出れば金を稼がなければ生きては行けません。皆この金で苦労し、金が無いとボヤき、多くの人は金を追い求めて躓きます。金が悪いのではありません。金を追い求めるが故に自らと隣人を欺く人間様が悪いのです。金銭はあくまで中立です。

逆に、高校野球が爽やかな感動を観る人に与えるのは金が絡まず、純粋にスポーツを競うが故だとも言えます。もちろん、今の時代総ての高校球児がそんな爽やかな訳でも何でもないのが現実でしょうが、我々大人も金に触れる以前の、あの頃の金以外の価値観に生きていたあの感触を忘れないでいたいものです。忘れてしまえば、ヨ-ロッパプロサッカ-の様に単なる勝ち負けや、g儲かってまっかhが挨拶になってしまうほど金だけが価値観の次元に自らを引き下げることにもなりかねません。勝者が賞賛されるのは当たり前。敗者への思いやりがあってこそ真のスポーツマンシップではないでしょうか、当事者も観客も。とすれば、阪神ファンのgボケ~、カス~、アホンダラ~!!hはいただけませんな!? 柄の悪いスペインのサッカ-ファンと何ら変わりはありません。 

因みに水曜日第一試合は筆者の母校が登場します。応援して下さい。

    8月はHP管理者の夏休みの関係で更新が不規則になります。

 

 

 

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278 スペイン人はま