◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新

たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。

 日本語情報センタ-は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ-ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。

 人としての日本語情報センタ- スペイン週間コルムナ総評 スペインギタ-主旨

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181-200

 200 祝200回記念コルムナ 07-02-2006(火)

 

 早いものでgスペイン週間コルムナhも今週で200回。読者の皆さん、少しは『継続は力なり』になったでしょうか(コルムナ53?

 とは言え毎回毎回違ったテ-マで同じ理屈を書く継続も根気が要りますが、これは人間とは国境を越えて強欲で罪深い存在であると言う前提に立てば、毎週の事件やニュ-スの類は最初から簡単に予想出来たことであり、ネタ切れも心配するだけ野暮でした。

 ついでにここで今後の世界情勢を予想、いえ、予言しておきましょう。世界のどこでも世の中は加速度的に悪くなり、今以上に子供から狂気の沙汰が増加し(同150)、人間も驚異的にアホになり、ますます金銭物質快楽至上主義のドツボにハマって行きます。これを予言するのに予言者である必要はありません。これは人間の負の法則ですから、後は法則通りブレ-キの壊れたダンプカ-の如く自らも社会をも破壊して腐敗して腐臭を発するに至るお決まりの電車道です。

 それにしても昨年末から世間を騒がせているあれやこれやの守銭奴ドキュメンタリ-劇場は正にgスペイン週間コルムナhそのものです。これら総ては人間の『質』より金銭物質の『量』を追い求めた結果、ことばを変えれば人間が人間の『質』を放棄し、人間が人間であることを辞めた結果であると言えます。

 100年以上前の日本で書かれたある偉人の書に『今や社会のどこでも詐欺と賄賂と忠義道徳は併立して行われている』とあります。明治時代の日本人も実『質』的には大差がなかったことが分かります。これは詐欺や賄賂を犯す卑劣な人間に限って口では忠義道徳と綺麗事を言う偽善者であるとの意味でもあります。この書が書かれたのは日露戦争の前で、日本の敵はロシアではなく、この様に同義的に腐敗した日本人自身こそが日本の存続の敵だと文章は続きます(同138最後)。余りにgスペイン週間コルムナhと良く似ているので筆者も思わず驚いてしまいました。

 そして、100年後の現在は忠義道徳とさえ余り言われません。むしろ、g楽しきゃいい、美味しきゃいい(←スペインに来る旅行者も!?)、楽して金が稼げりゃ携帯で何やってもいい、嘘もホラもバブルも欲望の墓(同7980)もデカイ方がいい、鉄筋を削減して金さえもらえば住民なんか地震で死んでもいいetchと人間様はよりその本性をむき出し、忠義道徳の厚化粧で自己中のアバタを隠そうともしません。正に人間が人間の『質』を放棄し、人間であることを辞めたが故の毎日の事件やニュ-スであると言えます。『テメ-ら人間じゃね-、叩っ斬ってやる!!』と破れ傘刀舟先生に悪人狩でもやって欲しいものです(同146)。

 正しい人は人に与えて惜しまない。-----或る昔の偉い人

 皆誰でも物や金に限らず、地位や関心や愛情でも与えるより受けたいと思うのが人情でしょう。しかし、その身勝手な人情と言う自己中こそ諸悪の根源であり、それは正しくない、正しくないことを皆がやっているから社会全体がおかしくなるのも道理である、とこの或る昔の偉い人は暗にそう言っているかの如くです。

 逆に、正しい人とは口先だけの忠義道徳の偽善者ではなく、実際人に与えて、更にそれを惜しいと思わない人・・・。これは単に物理的に他人に金銭物品を与えるだけの安っぽいボランティア活動や募金以上に(同146)、もっと深淵な、しかし、単純で、それでいて極めて実行し難い真理を衝いています。

  惜しめば与えても『質』が不純な善意です。惜しまず与えることの出来る人だけが『質』、つまり真に人間味のある人間であると言えます。これを人間様に教えてくれるのが皮肉にもスペインの犬や猫であることがgスペイン週間コルムナhの真髄かも知れません(同171860100132181188)。今後ともご愛読下さい。

 

 

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199 未亡人をあの世に送って経費節減 31-01-2006(火)

 

先週末からスペイン全土は大寒波に見舞われ、ここ南スペイン・グラナダでも雪が積もっている。雪に覆われたアルハンブラ宮殿は絶景である。それでも最低気温はこのところ連日-3℃位だから、去年の今頃の-11℃には軽く及ばない。日本人も含めほとんどの外人はスペインは南の暑い国と思い込んで来るらしいが、たまに真冬にTシャツに短パンにサンダルの外人旅行者のオッサンを見かけることがあるのもそのためか!? スペインの緯度は関東東北と同じで日本と何も変わらないが、夏暑く冬寒い極端な高原性気候である。

その標高の高い所に雪が降ればアイスバ-ンとなり、スペイン人の国民的超楽天的運転も重なって必然と交通事故が多発する。先週土曜日バレンシア県の南のアリカンテ県の県道で乗客満載の貸し切りバスが悪天候の中を無理な追い越しとスピ-ド違反が祟って滑って横転し、5人が死亡12人が重症の大事故となった。これだけならたまにはある話しかも知れないが、このバスはより安全な有料高速道路に入らず、金をケチるためにわざわざこの山道の県道に入ったらしい。筆者も10年位昔に友人と乗用車でバレンシアに行った時、やはり高速料金を浮かすためにこの県道に入ったので気持ちは分かるが、スペイン中にアイスバ-ン凍結注意報が出ている状況下で、ましてやガンガン追い越しをかける道路ではない。生存者の証言では遅れを取り戻すためにガンガンごぼう抜きだったとか・・・。

この御一行様はどこかの町の未亡人会だったらしい。そのため死亡した5人は総て老境を迎えた未亡人・・・。その代わり僅かな金をケチった軽症の運転手は逮捕された。

気違いは燃え木を死の矢として投げるが、隣人を欺きながらgただ、戯れただけではないかhと言う者もそれと同じだ。-----或る昔の偉い人

なるほど、貪欲もケチるのも、隣人を欺いてのことなら燃え木を死の矢として投げる気違いかも知れません。ただ、当の本人はgただ、戯れただけではないかhと自分のやったことについて自律神経失調症なのは神童の仮面で日本中を欺いてお縄になった例の株買占め守銭奴一味もバス一台分の乗客を欺いたこのバスの運ちゃんも理屈は同じかも知れません。実は燃え木を死の矢として投げて戯れた事の重大さに本人達は気付いてはいないのです。その他校内暴力、虐め、嫁いびり、夫婦喧嘩、不倫、離婚、空巣、強盗、各種詐欺、嘘も方便、イエロ-キャブ、出会い系サイト~などgただ、戯れただけではないかhと隣人も自身をも欺いている当事者達も実は気違いかも知れません。

それにしてもgハゲタカファンドhとは・・・。これが一番言い当て妙ですね。参りました。隣人と戯れ欺く気違いを最も良く描写しています。

 

 

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198 気違いに刃物と守銭奴に株は刑事くんが逮捕するのだ 24-01-2006(火)

 

 ま、遅かれ早かれこんな顛末になるのではないかと言う確かな予感はあった。今週は気違いに刃物、守銭奴に株のお話しである。

 株式市場では経済的な洞察力が必要であるが、守銭奴に株を持たせれば何をしでかすかを予測するには洞察力など必要ない。全く何の洞察力もない人でも気違いに刃物を持たせれば遅かれ早かれ殺傷事件を起こすであろうといとも簡単に確実に予感出来るのと全く同じである。ただ、さすがに地球の裏側のスペインの投資家には寝耳に水だったらしい。実際スペイン株式市場も軒並み値下がりのとばっちりを食っている。本当にいい日本の恥である。

 スペインのある諺に拠ればg金持ちは成るものではなく、生まれるものであるh。これは真の金持ちは教育もマナ-も常識も備えた謙遜な人間であるが、それに引き換え、金の『量』こそ人生の総てと思っている成金ほど人を人とも思わず、金のためなら平然と嘘を吐き、傲慢でタチ『質』が悪いと言う意味である。

 それにしても文字通り g金持ちに成りたがって、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とに陥るh方程式(先週のコルムナ)に従って日々刻々と解明されて行く株買占め気違いの欲望の墓の有様は(同7980139140)、やはり同次元中継で日々刻々とガタガタになって行くお姉さんの歯の如きである。地球の反対側でこれまた日々刻々と同時進行している先週のアルハンブラ宮殿入場券詐欺事件もまた全く同じ方程式の応用問題である(現時点で逮捕者は9人)。

 これはまた『質』より『量』の方程式とも言える。当事者達はただ一心不乱に金の『量』だけに価値観を追求するが余り、自分で自分の人間としての『質』と他人様をも踏み躙っていることに気付かない。金の『量』より人間の『質』の方程式なら世の中まともになるはずだが・・・。

 この文章を書きながら何故か子供の頃の人気番組『刑事くん』の主題歌が思い出されて来た(元祖gコメットさんhの後釜番組でTBS月曜19:30だったはず!?)。

『義理も捨てたし、人情さえも捨ててさすらうコンクリ-トジャングル。嘘で固めた都会の夕陽、他人同士に何故赤い~♪』

 嘘は花は咲かせるが実は成らせない。-----或る昔の偉い人

 この歌詞は30年以上経った今尚やけに新鮮に、そして、真実味を帯びて響いて来ます。この世と人間の真相の核心を衝いた予言的名言だったかも知れません。リバイバルで誰かが、いや、株買占め気違い本人が歌手デビュ-でもして歌えば爆発的大ヒットになるかも!?

 今思い出してもこのドラマは毎回人情に訴える内容であったと記憶しています。人情、すなわち人としての『質』。だからと言って具体的なエピソ-ドに特別感動した記憶もありませんが、急に思い出した今、心に爽やかな後味の残る少年時代の思い出であることを再認識せざるを得ません。同じ警官でもg逮捕するのだ!!hと拳銃を撃ちまくる天才バカボンの本官さんよりも遠い汽笛は故郷列車の『刑事くん』の方が人情に溢れています。

最近読んだ日本語の記事に『記録』より人々の『記憶』に残るのが名勝負だとありました。スポ-ツもドラマも、そして、ビジネスさえ『量』より『質』であり、『記録』より『記憶』だと言えます。この株買占め守銭奴達は何年か後日本人の心に一体どんな風に『記憶』されているのでしょう(同176192? 札束の咲き乱れた『花』か『実』の破滅か、天才バカボンか!?

 

 

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197 アルハンブラ宮殿偽造切符はいかが!? 17-01-2006(火)

 

新年早々ユネスコの世界遺産アルハンブラ宮殿が揺れている。正確には昨年12月末からだが、ガイド、宮殿職員、旅行代理店、予約システム代行のBBVA銀行が一体となった入場券詐欺が発覚。現時点で7人逮捕。報道に拠れば現在も重要参考人30人以上が取り調べ中とのことで、今後も逮捕者は芋蔓式に増える見込みである。

事件を要約すると、宮殿の入場者数制限を逆利用し、故意に半券を切らないチケットを何回も使ったり、コンピュタ-の予約システム自体を改ざんして勝手に入場券を発券したり、挙句の果ては入場券印刷用紙を倉庫から盗み出してチケットを偽造。こうして官民一体で私腹を肥やしていた訳である。

適当なとこで辞めときゃいいのに、入場者実数の記録が減少傾向なのに気付いた当局が警察に極秘調査を依頼。おまけに、配当の分配で揉めた偽造一味の内輪揉めに拠るタレ込みが決め手となり、遂に事件が明るみに出た訳である。

今後アルハンブラ宮殿を訪れ様とする日本の皆さんも悪に加担したくなければ是非とも団体旅行はやめて個人旅行をお勧めしたい。何せ、報道に拠るとこの一味は、特に日本人団体絡みで何年間もこの犯罪を犯して来たそうである。とすれば、誰が手を染めていたか、10年間アルハンブラ宮殿で観光ガイドとして働いた筆者には大体予想が付く。

金持ちに成りたがる人は、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とに陥る。-----或る昔の偉い人

このニュ-スを聞いて、筆者は何故か日本の明治維新以来の富国強兵策を思い出しました。日清日露戦争~第一次大戦~支那事変~満州国と闇雲に侵略戦争を続けて海外植民地を着実に増やして行った挙句第二次大戦に突入。最後は原爆を二発叩き込まれて総ては元の木阿弥で極東の島国に逆戻り・・・。

スケ-ルは違いますが、今回の事件も、いや、現代社会の多くの出来事や事件も本質は全く同じではないでしょうか?

それにしても、誘惑と罠と人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とは、良くもここまで羅列したものです。他人や外国のお話しではないかも知れません・・・ね?

 

 

 

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 196 ここまでやるかタバコ大国スペイン 10-01-2006(火)

 

今年からスペインではいよいよ禁煙法が発効した(1/1~:コルムナ137)。公共機関やお役所では全面禁煙となったが、日常生活では何ら変わりはない。相変わらず中学生からタバコをバカスカ吸いまくっている。頭からタバコを止める気がない連中がほとんどなのだから、これは予想通りだが、さすがは世界のタバコ大国スペイン。筆者の予想の範疇を超えた、いや、日本人なら全く誰一人思い付きさえしない返し技で逆襲に出た。

グラナダ市内を始め全国各地の圧倒的大多数の飲食店は『禁煙』どころか、入口に堂々と『喫煙可』の張り紙を張り出して謹賀新年!? 愛煙家の顧客を失わないがための手段であるが、それだけスペイン人のタバコ好きは我々日本人から見れば常軌を逸している。

筆者はてっきり禁煙マ-クを度外視して今まで通りタバコを湯水の如く吸いまくると予想していたのだが、一本踏み込んでここまでお上に盾突くとは完全に意表を衝かれた。赤信号も禁煙法も皆で渡れば怖くないと言う群集心理と言えば言えそうだが、筆者もまだまだスペイン人を良く知らない証拠である。

因みに真面目に法に則って禁煙と張り紙したばかりに、クリスマス連休中だと言うのにガラガラで途方に暮れる飲食店のインタビュ-が地元新聞に載っていた。

法に毒衝けば繁盛し、遵守すれば村八分。正に人間様の身勝手の鏡と理不尽の標本の如きである。正義が勝つのはもはや映画や小説の中だけなのかも知れない。

ああ、悪を善、善を悪と言う者たち。彼らは闇を光、光を闇とし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。ああ、己を知恵ある者とみなし、己を悟りがある者と見せかける者たち。ああ、酒を飲むことでの勇士、強い酒を調合することにかけては豪の者。彼らは賄賂のために悪者を正しいと宣言し、義人からその義を取り去る。-----或る昔の偉い人

別に禁煙禁酒運動がgスペイン週間コルムナhの目的ではありません。ただ、酒タバコに限らず、自らや社会に人畜有害な多くの物事を好き好んで大手を振って偉そうに横車を押しているのが愚かな現代人とも言えます。それを過半数を遥かに超えた群集がやっているから民主主義の原理で、それがあたかも市民の正論の様に見えるだけなのです。

結局問題はニコ中でもアル中でもなく、総ての社会問題はその構成員である人間様の徹底した自己中に帰着すると言うことです。これを度外視して、臭い物にフタ、おしゃべりに猿轡、泥棒に手錠、タバコに禁煙法では何一つ根本的に解決してはいないのです(同83)。

 

 

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195 一年の計は宝くじにあり!? 03-01-2006(火)

 

昨年末クリスマスドリ-ムジャンボ宝くじの夢破れて山河有り・・・かなと思ったら(先週のコルムナ)、スペイン人の新年はまたもやクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ第二弾で始まる(クリスマスは12/241/6)。抽選は今週6日金曜日。つまり、クリスマス最終日を飾る一大イベントである。一等賞金は第一弾よりやや少ない200万ユ-ロ(約2億9千万円)。全く懲りた様子がない!?

つまり、スペイン人の一年はクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじに始まり、クリスマスドリ-ムジャンボ宝くじに終わる。もちろん、この間一年中毎週土曜日抽選の週間宝くじ(一等5000万~一億円位)、毎日抽選の盲人宝くじ(同181)、サッカ-くじ、数字当てくじと、とにかく一年中公営ギャンブルの途絶える時がない。つまり、何度宝くじの夢破れ様が山河までもが宝くじと言う人が多い。もちろん、国民皆がそうではないが、この年末年始のクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじはそうだと言っても良い。それ程国民的行事なのである。

傍目に見る分には陽気で明るいノ-天気な連中と映るかも知れないが、有って無き物に望みを置いている人間社会の明日の望みも実は有って無き望み・・・だとすれば、残念ながら始まったばかりの2006年もまたろくでもない出来事オンパレ-ドの一年であろうことは容易に想像が付く。

私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも貧しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。-----或る昔の偉い人

宝くじは庶民の夢・・・そんな謳い文句を昔日本で聞いた様な気がします。しかし、宝くじに限らず何事も金銭欲がその動機なら、あらゆる悪の根源にもなりかねません(同80)。

コップ半分の水を見て『半分しかない。私は貧しい。飢えている。』と嘆き確信し、残り半分を満たすのに労力を費やすのが多くの人の人生とも言えますが、実は今あるコップ半分の水で十分なのを知らないことが人の貪欲と不幸とも言えるのでしょう。

欲しがる人間様は醜い限りです。スペインの忠犬ハチ公(同60100)や猫(同1718132188)の方がましです。

さて、読者の今年一年の計は何にあるでしょうか? 始め良ければ終わり良しだとすれば、この選択は重要です。自分の考えや好みではなくg或る昔の偉い人hのことばに賭けてみませんか? 有って無き物に賭ければ損をしますが、有って有る物に賭ければ絶対に損はしません。

 

 

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194 最後の詰めは宝くじ 27-12-2005(火)

 

日本は既にクリスマスモ-ドから年末年始正月モ-ドにちゃっかり宗旨替えされている今日この頃、スペインではむしろ122425日からクリスマス(~1/6)はまだ始まったばかり(先週のコルムナ)。日本人には不可解だが、こちらではむしろこれが普通の感覚なのである。

さて、今年もまた世界中でろくでもない出来事ばかりの一年だったが、スペイン人の最後の詰めはクリスマスドリ-ムジャンボ宝くじ。先日その抽選があった。一等は300万ユ-ロ(約4億3千万円)。何せ宝くじ(空くじも!?)一枚買うだけで20ユ-ロ(約2800円)。これぞ博打好きの国民性をモロ反映して余りある文字通りハイリスクハイリタ-ンの鏡(だから離婚率も五割か!?:コルムナ31)。しかも、待ち切れない宝くじファンのために7月から既に販売しているのだから、正に半年かけてこの日この時のために備えていたことになる(同20)。

そして、運命の抽選日。朝からテレビラジオ各局は抽選会の実況生中継。甲子園出場チ-ムの試合中地元の街から人通りが絶える様に、最後に一等当りくじが出るまでスペイン中の街角で人が疎らになる。翌朝の新聞でも各社一面扱い。正に国中が挙国一致体制の如く固唾を飲んで見守る国民的クリスマス行事なのである。

もちろん、この日圧倒的大多数は有って無き幻(同68)と自らの強欲に踊らされていたことに気付くに至る。宝くじの夢破れて山河有り・・・。ああ無情(同情の余地なし!?)・・・。

いかに学才技芸ありとも心に愛なくば光はなし。-----或る昔の偉い人

いかに学才技芸(同181)、そして、金があっても心に愛なくばその人に光はありません。

いかに携帯でやりたい放題やらかしても(同46189)、いかに若くて美人でスタイルが良くても(同74175)、いかに背が高くてハンサムで高給取りで次男でも、そして、いかに宝くじが当って億万長者になっても(同47)、心に愛なく光もなく最後の詰めを誤れば、人生の夢破れた挙句山河まで失ってしまうかも知れません。

来年もそんな題材だらけならそんなコルムナばかりになると思いますが、しかし、愛と光で最後の詰めを誤らない秘訣は『或る昔の偉い人』のことばにあります。続けてお読み下さい。

 

 

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193 理不尽極めりゃクリスマス 20-12-2005(火)

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  何~にがクリスマスじゃ!! 誰もキリスト様の誕生を祝うどころか、自分のために飲めや歌えや、クリスマスケ-キにプレゼントの交換・・・。普段は酒タバコ遊興不倫とやりたい放題の挙句に、十字架に釘付けられたキリスト様をダシにして急にキリスト教信者に化ける変わり身の早さ!?
 と、これは日本だけのことではなく、今クリスマス商戦狂想曲たけなわのスペインでも全く同じことである。おまけに、悪いことに(!?)スペインではクリスマスは1月6日まで続く。カトリック社会では年末年始正月もクリスマスの一環なのである(コルムナ88)。
 gスペイン週間コルムナhではせめて今週位少しはクリスマスの意義について考えてみよう。そもそも何故キリスト様が十字架で死刑になったのか? その裁判を端的に再現すると・・・。『被告には一切罪を認め得ない。因って死刑に処する(裁判官)。』と言うことになる。一世を風靡した天才バカボンのパパのお決まりのジョ-ク『賛成の反対なのだ』をマジでやったとも言える。『無罪だから死刑なのだ!?』
 さて、残すところ後十日の今年もまた日本で、スペインで、そして、世界中で理不尽な戦争や事件や犯罪には事欠かなかった。最近日本では小学生を殺すのが流行っている様であるが、スペインでも何ら引けを取らない理不尽な犯罪がバンバン起こっているご時勢である。
 しかし、このキリスト様の裁判こそ正に人間様の理不尽の極み、人類史上最大の理不尽と位置付けることが出来ると筆者は思う。何せ自分の我を突き通すために罪のない人を嘲笑って殺したのである(当時のロ-マ&ユダヤ)。正に国家ぐるみの理不尽であるが、二千年後の現代社会の毎日の新聞やニュ-スも、この様に結局本質は人間様の理不尽であるところの事件で満ち溢れている。お姉さんの歯もガタガタになる訳である。
 それをクリスマスだからと言って急にg世界は一家、人類は皆兄弟hでは浮かばれない。悪い奴ほど自らの偽善を美辞麗句の厚化粧でガッチリ塗り固めて、遂には本当に自らを美人だと思い込むに至るから怖い。キャバレ-のあばずれ女然り、旧日本軍の大東亜共栄圏然り、そして、偽クリスチャンのバカ騒ぎクリスマス然りである。要は冠婚葬祭にだけ神社仏閣に行く日本人と本質的には全く何の変わりもない。この様に欧米諸国は基本的に偽クリスチャン社会だと思えば、植民地支配、奴隷売買、宗教戦争、人種差別、武器輸出、核兵器など、連中のやって来た総ての理不尽なバチ当り行為はきれいに説明が付く。
 人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。----- 或る昔の偉い人
 罪のない誕生日の主役を自らの罪で十字架に付けておいて、それを肴に誕生日の宴会騒ぎとは何たる理不尽の鏡。せめてクリスマスの間位馬小屋に生まれて飼葉桶に寝かされたキリスト様の謙遜に想いを馳せてもバチは当りません。自分のためのクリスマスケ-キや贈り物はそれからでも十分です(同37&38)。
 それにしてもg高慢hとg謙遜h、g破滅hとg栄誉h。いかなる国のいかなる人のいかなる成功も失敗もこの一語に集約されてはいないでしょうか?
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192 感動のお土産は千円!? 13-12-2005(火)

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  先日11年振りに日本の恩師に電話をかけた。数年前引退された大学時代のスペイン人教授である。在学中は良く教授室や、たまには自宅まで押しかけ、会話の練習に付き合ってもらった。おまけに当時は学費が卒業するまで八年間(注:筆者は人様の二倍スペイン語を勉強した)毎g年h36000円(ゼロは三つ!?)だったのだから、まるで先生をただで利用させてもらった様なものである。
 一通りお互いの近況や同級生や他の教授陣の話しを終えた後、筆者が26年前最初にスペインに行った時に贈ったお土産の話しになった。筆者自身は忘れていたが、そう言えば『恵んであげなさい、女の方。この世にグラナダの盲人ほど哀れな者はいないのだから。』と言うグラナダの風光明媚さを詠んだ有名な詩の書かれたタイルのお土産を差し上げたことが思い出されて来た。グラナダは山あり谷ありの地形で、しかも、背後には現在雪に覆われたシエラ・ネバ-ダ山脈が横たわる。画材には事欠かない、絵描きの好む町でもある。
 その詩のタイルが今もここにあると言われて、筆者も思わず嬉しくなってしまった。当時せいぜい千円位であったとは思うが、お土産も贈答品も、物自体や金額や、ましてや義理の問題ではなく、気持ちこそその本質たるべきものであると認識した次第である。何せ僅か千円の代物が26年と言う時空を超えて小さな感動を伝えてくれるのである。
 そんなことを考えていると、全く好対照とも言うべき日本一の買い物おばさんの思い出が頭をよぎって来た。観光ガイド時代のこと。ロンダの町の観光後、ちょっと時間があったので、団体さん丸ごと地元のホテルでお茶を飲んで休憩することになった。そうしたら、中にあった小さな売店のおばさんがg時間があったら寄って行って下さいhと声を掛けに来た。そしたら、日本の買い物おばさん達は皆時間もないのに売店に突入。バブル崩壊以前の話しなので、それだけなら驚きはしなかったが、買い物だけが生甲斐と顔に書いてあるその内のおばさんの一人が『ガイドさん、この店員さんの着てる服欲しいから交渉してよ』と言われ、結局売り子さんの服を脱がして買って行った!? 前代未聞である!? これは観光ガイド心得の盲点を衝いた見事な技である。ここまでやられたらこちらも返すことばがないが、この買い物おばさんだけは、もう15年以上経った今でも唯一楽しく思い出せる欲望の墓漫才なのかも知れない(コルムナ79&80)。こんな嫁はんや姑はお断りだが・・・。
 正しい人は人に与えて惜しまない。-----或る昔の偉い人
 自分の物欲や金銭欲や虚栄心を満たすためだけなら、おまけ目当てにお菓子を買う子供から、株買占めテレビ局乗っ取りまで、それはスケ-ルは違えど結局自己中の発露に過ぎません。主人公が私である以上、人様の心に爽やかな感動を残すことは不可能です(同176)。だからと言って、何も今日から一大決心してボランティアに人生を賭けることもありません。
 まずは、ほんの僅かな善意を、しかし、相手のことを真に思って惜しまず与えることです。僅かでも本物の善意なら、そして、相手を気使う心さえあれば、必ず時空を超えて小さな本物の感動を描くことが出来ます(同188)。
 日本人もgまたか、厚かましいhとブツブツお金を惜しみながら贈る中元歳暮偽善ショ-なんか辞めりゃいいんですよ。
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191 呉越同舟会グラナダ侵攻作戦 06-12-2005(火)

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  二週間前の話しになるが、グラナダ県観光協会の招きで日本のランドオペレ-タ-10社の代表がグラナダ市役所に馳せ参じた。
 ランドオペレ-タ-(通称オペレ-タ-)とは分かり易く言えば海外旅行の卸売り。日本で皆さんが海外旅行を申し込む様々な旅行代理店は言わば小売り。その小売り旅行代理店が現地での宿泊や観光の手配などを業務とするこれらオペレ-タ-から一括して卸しで買って、そこに利益を載せて消費者(海外旅行者)にツア-として売るのが旅行業界の大まかな仕組みである。因みに筆者が10年間観光ガイドとして働いたのもこの内のオペレ-タ-の一社とである。
 格安海外旅行&円安のご時勢でもあり、なるべく安く出すオペレ-タ-に日本の小売り旅行代理店がなびくことは想像に難くない。もちろん、これら10社は筆者の目から見ても、内心は『うちがやっていたあのツア-を取りやがって・・・』と日本の小売り旅行代理店を奪い合う文字通り熾烈な商売敵である。スペインまで来て日本企業同士がいがみ合う・・・。もっと仲良くやればいいのにと筆者もガイド時代思ったものだが、それでも何故か日本人オペレ-タ-協会と言う呉越同舟会があり、今回これにお呼びがかかったと言う訳である。
 新聞記事に拠ると、従来のアルハンブラ宮殿とフラメンコ以外にも広くグラナダ県全体として日本人旅行者に新たに観光資源を提供することで両者の意見が一致したそうである。例えば、県内にあるいくつかの温泉保養地とか・・・。筆者も一度行ったことがあるが、とにかく、入るや否や爺さん婆さんだらけで気が滅入ったのを思い出す。もっとも、どうせやるなら今流行のエステ系ツア-商品を目指すとは思うが、そこまで細かい報道ではなかった。
 と、そんなことはどうでもいい。この手の日本人観光の記事になると、担当記者は面倒なのでお決まりの原稿を予め用意して、それを毎回コピ-貼り付けしているとしか思えない『当局は金払いのいい日本人旅行者を積極的に誘致すべきである』との決まり文句。つまり、インド人やエジプト人ならここまで大歓迎されることはない。大歓迎されているのは我々日本人ではなく、日本人の落とす金以外の何物でもない。文字通り現金な連中である。
 もっとも、そんなことは日本のオペレ-タ-側も百も承知。各社共、要するに自分とこのツア-が売れて、企業として現金を稼ぐことしか眼中にないのであるから、類は友を呼んでグラナダ県観光協会と現金に関する利害が一致しただけの話しなのである。
  『欲望の墓』とは何と余韻に富んだことばであろうか。世の真相はこの一語に尽きている。人は欲の化身として存在しているではないか。彼等の終わりはみな『欲望の墓』である。-----或る昔の偉い人 
 筆者は常々、人生何をやるかも大切ですが、その後何が残ったかと言う方が事の本質だと思っています。そして、後にg何が残るべきかhと言われれば、g人としての感動hの一言に要約します。旅行業界に限らず、人生どんなことをやろうが、人が人である以上、後にg人としての感動hが伴わなければ、総ては人間味が薄味で、美味しい人間模様は描けません(コルムナ96&181)。
 それでは旅行の後実際g何が残ったかhと言われれば、主催者側は現金、参加者側は薄っぺらいg楽しかった、美味しかった・・・h。これが今日の旅行業界のありのままの姿だと言えるでしょう、大まかには・・・(同134)。
  確かに我々は資本主義社会に生まれた以上金儲けをしなければ生きて行けませんし、息抜きも必要です。しかし、人間味が希薄なら、例え世間の目にはどんなに立派で正当な物事も、結局立派で正当なg欲望の墓hに過ぎません(コルムナ79&80&139&140&165)。そして、世の真相はこの一語に尽きている・・・そうです。
 そして、毎週のコルムナも実はこの一語に尽きています。だからこそ、一人でも多くの同胞日本人がこの一語に尽きないがための毎週のg或る昔の偉い人hのことばなのです。
 そもそも、わざわざスペインの温泉地までエステに来ることがg欲望の墓h丸出しであることに誰か異論があるでしょうか? 一体その金で世界中で飢えに苦しんでいる一体何千万人の人が救えますか(同161)? そんなこと頭に浮かびもしないこと自体その人のg欲望の墓h以外の何物でもないのです。

 

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190 恐怖の独裁政治か自由奔放民主主義か 29-11-2005(火)

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  去る11月20日はスペイン史上悪名高い独裁者フランコが死んでちょうど30年目(コルムナ185)。30年前のこの日、筆者はスペイン学科を目指して高校三年も押し迫った受験勉強真っ最中だったので、朝日新聞朝刊一面左下に出たこのニュ-スのことは良く覚えている。
 節目に当る今年のこの日、この30年でスペインはどう変化したかと言うニュ-スやテレビ番組が多く見受けられた。一言で言えばg独裁⇒民主主義hなのだが、あるテレビニュ-スの比較記事を思い出せる分だけ書いてみよう。
 言論思想統制(体制の悪口など言うと街中の私服の刑事に思想犯としてしょっ引かれて強制収容所送り)⇒言論思想の自由(スペインのテレビほど裸の女がバンバン出て来るテレビは世界に類を見ない!?:同54) 姦通罪(日本の戦前と同じく女性のみ適用)⇒離婚率5割(スペイン語では貞操観念と言うことばは既に死語:同31&97&98&123) 同性愛者は社会秩序を乱す犯罪者としてブタ箱行き⇒今年から男同士女同士の結婚合法化(とやかく言うと反民主主義的な他人を差別する心の狭い人間として名誉棄損で訴えられる!?:同12&89&130) 貧困(電気水道さえない家庭が多かった)⇒物が溢れる(飽食日本と同じく毎日食べ物を捨てて良心の咎めさえ感じない人が多い。おまけに何でもロ-ンで買って貧乏物持ち!?:同40) 治安が良い(泣く子も黙ると言われたフランコ親衛隊の人民警察を恐れて泥棒さえ稀で、夜道も安全だった)⇒治安の悪化(空き巣強盗家庭内校内暴力全盛!?:同111&129&150) 物価安(昔は300万円もあれば家が買えたが・・・)⇒物価高(食料&公共料金以外は何でも日本より高いと言っていいほど現在ユ-ロバブル状態である:同79&94&133) などなど。
 人が変わらなければ社会は変わらない。----- 或る昔の偉い人
 子供にすれば余りに厳しい親は嫌でしょうが、全く放任主義なのも教育上却って逆効果です(同26)。人間の罪悪にはこの厳格と腑抜けの両極端な二面性がありはしないでしょうか?
 確かに独裁よりは民主主義の方が遥かにいいでしょう。議論の余地などありません、社会システムとしては。しかし、民主主義社会システムの結果は自由奔放な現代社会です。いや、自由奔放な現代g人hが構成員だから自由奔放な現代g社会hになったのです。そして、その自由奔放の結果が⇒の右に代表される民主主義社会の諸問題だとすれば、単なる比較だけなら⇒の左の独裁時代の方が却って良かったりするおかしなことにもなります!?
 人間の自由奔放な欲望を恐怖で頭ごなしに押さえつけたのが独裁政治システムで、人間の自由奔放な欲望と恥を野に解き放たれた野獣の如く野放し垂れ流しにしたのが民主主義社会システムとも言えます。
 結局社会システムが変われば社会が変わるのではなく、その構成員である人自体が良く変わらなければ社会は絶対に良くは変わりません(同45)。これこそ時代体制民族の違いを超えた人間社会諸問題の根本原因です。そして、21世紀の今日、万国で人間の質が激しく地に落ちているからこそ社会も殺伐と腑抜けているだけの話しなのです。
 ところで、変わるべきg人hとはいけ好かないあの連中ではなく、実は筆者や読者自身のことなのです。 
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189 理解のある奥さん 22-11-2005(火)

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  先日聞いた筆者のある友人の話しに拠ると、他県への出張の多い仕事柄各地に愛人がいる友達が一人いるそうである。筆者も一度だけ会ったことがある。しかも、その友人の友達は奥さんに『男なら外に女の一人や二人いるのが当り前だ』と堂々と愛人宣言し、奥さんも納得しているとか!?
 それについて友人の言うには『理解のある奥さんで良かった』そうである(マジの談話)!?
 実はこの友人はその昔ブラジルに渡り離婚経験がある。彼の言うにはブラジルである女性と知り合い、今まで何人と付き合ったかと聞かれ、四人と答えると、『あら、貴方は情熱的じゃないのね』とがっかりされたそうである!? 付き合うとはもちろん深い付き合いのこと。と言うか、向こうでは男女が知り合うとすぐ深い関係になるのが普通とか。もっとも、これは日本人的感覚で深いのであり、ブラジル人から見れば全くライト感覚で知り合ってはすぐ関係を結び、簡単に別れて、また新しい女(男)を捜すことを繰り返すのが当り前とのことであるから、その数が多いほど人間としての信用も増すらしい(意味不明)!?
 こうなると、どいつもこいつも貞操観念ゼロどころか貞操観念氷点下の末期ガン漫才である(コルムナ54&120)。ゼロなら、まだゼロからの出発で希望はあるかも知れないが、氷点下なら凍りついたマンモスの化石同様特別天然記念物で見世物になるのが関の山である。
 そう言えば、もうかなり以前に聞いた話しだが、筆者も昔世話になったある会社の社長は愛人三人にそれぞれアパ-トを買って住まわせ、その内の一人は会社の女性だそうである。もちろん、社員全員が知っているのだから、奥さんや子供が知らない訳はない。
 三週間前のバス会社の社長もそうだが、愛人を囲うのはあたかも社会的に地位のある男の証しの如く思う傾向があるのはどうやら万国共通の様である(コルムナ186)。いや、頭に来てわめき散らしたこの社長の奥さんの反応こそまともだが(いや、筆者の友人に拠れば夫に対する理解のない心の狭い妻か!?)、それでも黙って正妻で居続ける今週のこの二人の妾囲い男の奥さんもどうかしている!? 自分の旦那が自分と複数の愛人を掛け持ちしているのに不潔感さえ感じないらしい。よくこれで家庭崩壊しないものである。
 私達の義はみな不潔な着物の様です。-----或る昔の偉い人
 日本はここまでひどくないにしても、そうなりつつあります。出会い系サイト全盛で誰とでもすぐ知り合って、すぐ関係を結んで、あっさり別れて、また同じことを繰り返す。それでお金がもらえれば一石二鳥で渡りに船!?
 性的な側面に限らず、巨大な精神病院(同118&135&168&169)と化した現代社会の患者達の義は義の様に見えても、実は不潔な着物の如く不義なのです。
 ところで、私達の身勝手な義が不潔な着物だとすれば、私達は一体何を絶対的な義の基準とすればいいのでしょう? 様々な答え方があるかも知れませんが、普遍なる自然の摂理こそ不動の絶対的価値観と断言出来ます。いつの時代も北は北、南は南なら、道に迷った時自分の経験や、これまた砂漠のど真ん中で迷っている他人に聞いてもっと迷うよりも、天の星を見上げて自然の摂理に方角を伺った方が間違いません。何故なら自然の摂理は絶対だからです(同130)。
 ところで、自然の摂理とは何も大空や自然に目を向けなくてももっと身近にあります。人間が人間としての常識を兼ね備えた人間味溢れる人間であること(同184)。これこそ人間がその身に帯びるべき自然の摂理のはずです。帯びなければ今週のコルムナの様に単なる哺乳類のヒト科の雄と雌に成り下がるまでのことです。
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188 蝉になったスペインの子猫 15-11-2005(火)

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  先週水曜日朝九時過ぎ、近くのス-パ-に猫の砂(トイレ用)を買いに行って来た。何せ日本語情報センタ-には今や五匹の猫が住み着いているのである(コルムナ132)。食費と砂の経費などタカが知れているのだが、一袋5Kgの砂を一々ス-パ-に買いに行くのは結構重労働である。
 その帰り、と言うか、そのス-パ-のすぐ隣の工事現場に二匹の猫の死体と、その横に生後二週間位の一匹の黒い子猫がいた。やせ細り、目やにで両目共潰れていた。思わず懐に抱いてセンタ-に戻り、しばらくティシュを敷いたバケツの中に入れておいた。
 温水ヒ-タ-が十分温まった頃、余りに汚かったので風呂に入れてやった。猫は水を極端に嫌がるが、乳飲み子の子猫なので有無を言わさず首から下を湯に浸けた。筆者も猫を風呂に入れてシャンプ-したのは生まれて初めてである。最初は嫌がっていたが、観念したのか気持ちがいいのか、湯船の中で大人しくなりゴロゴロ言い始めた。そうするうちに絵の具でも塗っていたかの様に汚れが出始めた。おまけに小さな体に無数の蚤。筆者は蚤を溺れ殺そうと子猫を数分間湯に浸けたままにしておいた。徐々に湯で解れて来た目やにを取ってやると両目共きれいに開いて来た。風呂の後はタオルで拭いて、天気も良かったので、日当たりのいいベランダに勝手に乾けとばかりに出してやった。そこですぐに最初のお漏らしをしたので、筆者はその跡を掃除していた・・・。
 その僅かに目を離した隙にベランダの鉄柵の本当に僅かな隙間から自ら死を選ぶかの様に四階から身を投げた。何とも言えない鈍い嫌な音がした。あっと言う間の出来事だった。急いで駆けつけた時、まだ息はあったが、センタ-に戻ってすぐに息絶えた。
 乾いたらスポイドで飲ませてやるつもりで暖めていた僅かばかりのミルクはまだ温かいままだった、と言えば安っぽいお涙頂戴劇かも知れないが、余りにあっ気ない出会いと別れに筆者は悲しみさえ感じることがなかった。
 まだシャンプ-の香りのする濡れた体を撫でてやりながら、そして、その誠に無邪気で穏やかな死に顔を見ながら、筆者はあくせくしなければならない人の一生とは一体何なのか、この子猫の方が遥かに罪がないではないか、と思わざるを得ない静かな衝動に駆られた。
 もし人が百人の子供を持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が幸いで満たされることなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う、死産の子の方が彼よりはましだと。-----或る昔の偉い人
 あのまま放っておいても盲目の中を飢え渇いた挙句、せいぜい数日の命だったことでしょう。蝉の様に僅か二週間の命、僅か三時間の付き合いでしたが、初めて太陽を見て、人情に触れて、ほんの僅かの幸せを味わって逝ってくれたと思います。
 この死産の子にも等しい、虫けらの如く死んで行った子猫ですが、その死に際し筆者にだけ小さな、そして、静かな感動を与えてくれました。
 我々もある意味死ぬ時が正念場です。我々の死に際して周囲を取り巻く人や社会に一体どんな感動を与えるか・・・。これが読者の、そして、筆者の人としての真価と言えるかも知れません(同60)。いくら稼いだとか、あれやこれを買ったとか、そんなことは人の真価ではない、どうでもいいことじゃないか、とこの子猫の安らかな死に顔を見ながら心からそう思ったことでした。
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187 スペインでタダ飯!? 08-11-2005(火)

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  筆者は日本では見たことも聞いたこともないが、訳すと社会食堂なるものがスペインでは各市町村に存在する。早い話しが極貧家庭やホ-ムレスのための無料食堂であり、カトリック系の尼さんやボランティアがやっているところがほとんどである。日本でも行く所に行けばあるのかも知れない。
 先週そのグラナダ市の社会食堂の前を通った。いや、月に一、二度は前を通るのであるが、先週はいつもとは少し違う光景を目にした。食堂の前の反対側の歩道にヒッピ-が二人座り込んでタバコを噴かせながら何やら話していたのである。夕食の時間にはまだかなりあったと記憶している。
 スペイン語に『聞く気のないつんぼほどタチの悪いつんぼはいない』と言う諺があるが、同様に『働く気のない失業者ほどタチの悪い失業者はいない』と言うことになる。それ故、ただ貧しいからと言うだけで無条件に同情するだけなら、それは安っぽい判官贔屓であり、この現実を前にすれば浅はかと言わざるを得ない。人の善意を疑うのは悲しいことだが、ただ闇雲に貧しい人に衣食住を与えれば人助けになったと考えるのも真に知恵があるとは言えない。
 因みに、日本では街中で余り見かけない種族かも知れないが、ヒッピ-とは一日中ぶらぶらして遊び呆けて酒と麻薬にうつつを抜かし、誰とでも寝て、何日も風呂に入らなくても何とも思わない、どう仕様もない連中のことである(グラナダ市は非常に多い)。生計は窃盗、物乞い、麻薬の売買・・・。捕まえてみると弁護士や社長のパパからもらったクレジットカ-ドを持っていることも珍しくないそうである。食うに困っての物乞いではなく、働くのが嫌だから物乞いをしているのであり、仮に仕事があっても働きたくない連中なのである。
 だから、貴方の貧しさは浮浪者の様に、貴方の乏しさは横着者の様にやって来る。-----或る昔の偉い人
 もちろん、更正する気のある浮浪者なら大いに結構です。大いに援助すべきです。ただ、やる気がない浮浪者なら税金で寄生虫に餌をくれてやるだけのことです。別にヒッピ-だけを槍玉に挙げているのではありませんが、勤労意欲のない無気力無感動人間なら、誰でも多かれ少なかれ横着者になる可能性がありはしないでしょうか? 例え文字通りホ-ムレスにはならなくても、人間性が横着者の浮浪者になってしまうことはないでしょうか?
 ある意味人間最後は個人個人です。人助けもボランティアも対複数ではなく、個人的な重荷を持って、的を絞って個人的に行わない限り、見た目ほど人道的な配慮ではなく、見た目ほど実質効果もないのが実情かも知れません(コルムナ146&161)。
 ところで、以前グラナダ市で偽警官に職務質問されて財布を巻き上げられ、金がなくなって筆者が紹介したこの社会食堂に行った日本人旅行者がいました。貴重な経験だったことでしょう。合掌・・・。
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186 自分で蒔いた種の収穫は身の破滅 01-11-2005(火) 

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  先日私用で久々にマドリ-(首都マドリ-ド)に行って来た。その帰りのこと。筆者はグラナダ行きバスの一号車だったのだが、出発前二号車の運転手がこちらを見てしきりに手を振っているので、誰かと思ったら、観光ガイド時代良く一緒に日本人団体の仕事をした観光バスの運ちゃんだった。軽く10年以上振りである。あの当時同様途中休憩の馴染みのドライブインの台所に忍び込み、約20分間昔話しに花を咲かせた。
 そこで今ではすっかり接点のなくなった当時のバス会社の社長の話題になった。遠距離路線にかこつけて、長年別の市で付き合っていた愛人(のことは筆者も当時から知ってはいた)が最近グラナダまで押しかけ、当然のことながら奥さんにバレ、怒号飛び交う大喧嘩の末に離婚。会社も次々と顧客もベテラン運転手も失い、現在は何人かのモロッコ人運転手を安月給で雇って細々と市内近郊路線を運行しているだけだそうである。離婚調停の慰謝料のせいかは知らないが、結構借金もあるとかないとか・・・。
 もっともこんな掃いても捨て切れない粗大生ゴミの様な話しは不倫大国スペインでは珍しくも何ともない。何せ統計に拠るとスペインの離婚率五割の一番の原因は男女共不倫なのである(コルムナ31&98&123)。四日前の金曜日にもグラナダ市内である女性の元愛人が同伴中の現愛人を目の前で斧を振り回して殺すと言う事件が起きたばかり。頭に血が上ったら自らも周囲も破滅に導くまで、何でもとことんやるのが情熱のスペインらしい!?
 結婚が総ての人に尊ばれる様にしなさい。-----或る昔の偉い人
 いくら結婚式の定番文句とは言え、富める時も病む時もと永久の愛を誓っておいて、それをいとも簡単に破るとは、早い話しが嘘吐きだと言うことです。ただし、そうなる伏線は結婚前から、いや、子供の頃から十分あるのが貞操観念の薄いこと風の如き今日の世相ではないでしょうか?
 出会い系サイト全盛で青少年から貞操を切り売りするのは日本もスペインも同じこと(同97&168)。こんなイ-ジ-マネ-を掴んで面白おかしくやらかした子ギャルどもが、将来就職して十何万円かの月給を稼ぐために真面目に働く気になるでしょうか? スペインでは週末は女子中学生からポケットに避妊具を持参してディスコで男あさり。もちろん男も極めて不潔な同類項ですが、こんな連中が、お互い男遍歴女遍歴豊富で将来結婚して果たしてじっとしているでしょうか? 結婚後急に真面目な夫、貞淑な妻になれるでしょうか? こんな両親を鏡とする子供が果たして無傷で育つでしょうか(同162)?
 性道徳が腐敗すれば、やがて腐り切って腐臭を放つのは個人から社会まで理屈は同じです。結婚も男女関係も尊ばれるか、腐臭を放つのか・・・。これに明確な一線を画すことを怠れば、いつか読者の子供も孫も腐臭を放つに至るかも知れません。責任重大です。このバス会社の社長の様に腐臭を放ってからでは遅いのです。人は必ず蒔いた種を刈り取ることになっているのです(同3)。
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185 スペイン共産党は共産主義者・・・か? 25-10-2005(火) 

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  先週木曜日マドリ-ド自治州大学講堂でサンティアゴ・カリ-ジョ元スペイン共産党書記長への名誉学士授与式が行われた。これは同氏の政治的功績や1975年フランコ死後スペインの民主主義国家への移行への貢献に拠るものであるが、旧フランコ体制支持(まだこんなのがいるのか!?)の学生達が明らかに計画的な妨害行為に及び、逮捕者まで出る騒ぎとなった。
 一言で言えば共産主義と右翼の対決となったスペイン市民戦争はヒトラ-の圧倒的な武器援助を受けたフランコ将軍がソ連や国際義勇軍の援助を受けた共和党政府を破り、ファシズムが第二次世界大戦の前哨戦を制した形となった。当時米英仏は共産主義よりまだファシズムの方がマシだと干渉せず、義兄弟の契りを交わした日本の軍部とフランコスペインはこれを機にスパイの交換をするまでに至る。
 一方破れた共和党側のスペイン人は強制収容所(今でも収容経験を持つ老人は多い)か国外亡命(パリに亡命したピカソなど)か同盟国ソ連に逃れるか(今でもロシアから帰って来れないスペイン人がいる)・・・。その後フランコスペインは第二次大戦に参加せず、戦後唯一世界に残ったファシズム国家となった。
 その間共産党は戦中の日本と同じく違法となり、地下活動を強いられる。その指導者がこのカリ-ジョ氏であり、フランコ死後即合法化されて遂に日の目を見たスペイン共産党党首となり、スペインの民主化に大いに貢献した・・・と言うのが今回の受賞の成り行きである。
 と書くと共産主義はファシズムの可愛そうな犠牲者だと言う判官贔屓になりそうだが、筆者は日本にいる頃から大学で何とか色の旗の新聞を学生達に無理矢理勧めることに青春のエネルギ-を浪費していた一部の連中をバカな奴らだと思っていた。現にソ連東欧の旧共産圏や中国、キュ-バ、そして、何よりあの北朝鮮の共産主義が好きな人が果たして読者の中にいるだろうか。
 共産主義とは名ばかりの軍事独裁洗脳貧困国家より、各自の努力が報われる資本主義社会の方が明らかに良いに決まっている・・・と筆者も含めて日本人なら圧倒的大多数がそう確信しているはずであるが、筆者はここ15年ばかり、特にgスペイン週間コルムナhを書き始めて『いや、実は総ての人が総てを共有し共存共栄する共産主義こそ人類の理想社会ではないのか』と思う様になって来た。何せ、誰も何物をも自らの所有物と見なさず、総てを共に生産し、必要に応じて総てを分かち合い、物資が不足すればお互い心から譲歩し合い、喜んで今ある物で満足する・・・。これこそ正に絵に描いた様な人類の理想社会に他ならない。読者も良く考えてみるとそう言う結論に至らないだろうか。
 正しい人は人に与えて惜しまない。-----或る昔の偉い人
 決して共産思想自体が悪なのではありません。いや、むしろ理想です。しかし、人に与えて惜しみ、自分が一番可愛いくて仕方がない、そのためには嘘を吐き人を騙し盗み、羨み妬み嫉んで止まない粗暴で守銭奴な正しくない人には共産思想など所詮花咲か爺さん以上に非現実的なおとぎ話しなのです。マルクスもレ-ニンも毛沢東も、この人間の負の本性を度外視して人間に共産主義が実現出来ると思った以上真に知恵があるとは言えません。
 筆者はその昔日本であるサ-ビス業のアルバイトをしたことがありますが、良く言われたのは『サ-ビス精神のない人にサ-ビス業は向かない』と言うことでした。同様に他を思いやる精神のない人に共産思想が実行出来る訳がないのです。仕事上の能力でも共産主義のシステムでもなく、結局総ては『人』の『質』の問題に帰着すると言うことです。そして、その答えは『正しい人』であり、それは口先ではなく、心から『人に与えて惜しまない』ことを実践する人・・・などこの世に存在するのでしょうか? いや、100%そんな聖人の様な人は最初からいませんが、次の様に少し発想の転換をすればきっかけ位掴めるかも知れません。
 『本日ただ今この瞬間から私はg受けるhよりg与えるhことに価値観を持つことに決~めた!!』と突然一大決心をすること。ある意味簡単です。そして、決めたからには今後その通り考え方と行いを改めれば良いだけのこと・・・。要するに『Be gentleman.』だと言うことです(先週のコルムナ)。
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184 紳士たらずば人間退学処分!? 18-10-2005(火) 

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  先週金曜土曜と二日間に渡りサラマンカ市で第15回イベロアメリカ首脳会議が開かれた。イベロアメリカとは文字通りイベリア半島とアメリカ全土を指すことばで、元来スペイン&ポルトガル&中南米&北米の総ての国々を意味する。例えば1929年セビ-ジャ市で開かれたイベロアメリカ博覧会にはこれらほとんど総ての国々が参加し、それらのパビリオンは今でも市内に残っているが、75年後の現在ではスペイン&中南米諸国だけの意味合いが強く、今回の参加国もそうである(+ブラジル)。昔から日本人はアメリカと言えばアメリカ合衆国だが、今でもスペイン人にとっては旧植民地の中南米の国々を意味するのである。
 これら総ての国々の首相がスペイン国王の元に相集ったと言えば壮観だが、貧困が代名詞の様なこれらの国々がスクラムを組んだところで、早い話しが第三世界サミットの観は免れない。実際今回の議題は中南米各国からスペインへの移民(難民!?)対策、及びイベリアメリカと言う枠組みを世界に浸透させるための意見統一であり、わざわざアナン国連事務総長を呼んだのもその箔付けのためらしい。
 さて、今週はこの貧困と政情不安と麻薬に喘ぐ中南米諸国の話題をダシに先週のコルムナの最後に述べた現代社会の諸問題への答えを出してみよう。
 まず何より、認識すべきは現代社会の諸問題とは現代社会のシステムや経済的な問題ではなく、その構成員である人間の問題であると言うこと。そして、人間の問題とは人間の『質』の問題であると言うこと。そして、人間の『質』の問題とはいけ好かないあの人やこの人の人間の『質』ではなく、私の貴方の人間の『質』の問題であると言うことである。その答えとは・・・。
 Be gentleman.-----或る昔の偉い人
 これはクラ-ク博士が札幌農学校に着任した際、学校側から示された総ての校則を拒否して『これで十分』と言った一言であると以前どこかのインタ-ネットのペ-ジに書いてあったものです。g少年よ大志を抱け:Boys,be ambitious.hも名言ですが、このg紳士たれ:Be gentleman.hも短いがまた黄金律です。
 短い黄金律なら余計な講釈は要りません。総ての人の『質』が紳士的であれば、多くの家庭問題、社会問題、労使問題、国際紛争などは起こらないずです。いや、例え起こっても紳士的に解決出来るはずです・・・が、現代社会は見事なまでに全く逆です。人間の『質』が紳士的ではないからです。
  ある関連ペ-ジには『そうでない者は学生の資格を欠く者として退学を命ずる』と言う札幌農学校の方針が書いてありました。と言うことは、紳士べからざる者は人間の資格を欠く者として人間社会から退学!? 確かに毎週のコルムナ、そして、日本でもスペインでも毎日のニュ-スや事件の主人公達は紳士どころか、人間社会から退学した守銭奴や野蛮人や嘘吐きや人でなし列伝とも言えます。ただし、私達も『質』が紳士的でない限り、多かれ少なかれ守銭奴か野蛮人か嘘吐きか人でなしなのです。五十歩も百万歩も『質』は同じです(コルムナ51&52)。
 読者の皆さん、家庭や学校や近所や職場で様々な問題がありますか? 内側から紳士的に振舞うことが真の解決です。相手がそうはいかない? それは相手の問題でしょう? 下手に付き合うとこちらまで人間退学処分になってしまいますよ!?
 閉会メッセ-ジでは、次回来年度開催国の首相が『愛する友(アミ-ゴ)、そして、兄弟達、また来年お会いしましょう』と、これ以上はない紳士的な美辞麗句で締め括って麗しい兄弟愛を世界にアピ-ル。恵みと誠(先週のコルムナ)に満ちた有り難いおことばです。これを紳士的に実行しさえすればイベロアメリカの将来は『これで十分』なのでしょうが・・・。
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183 凶暴化するスペインの女学生 11-10-2005(火)

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 校内暴力は何も日本に限ったことではない。ここスペインではもう既に立派な重度の社会問題に昇格されている。先週もグラナダ県の小中学校の先生達が当局に校内警備を増やせと半日ストライキをするほどスペインの学校は荒れている。
 その関連記事に拠れば、最近の特長として女学生に拠る暴力沙汰が増えて来ているそうである(コルムナ150)。愛や音楽やスポ-ツに国境はないが、残念ながら校内暴力にもまた国境も性別もない時代を迎えたと言わざる得ない。元々ラテンの女性は引くことを知らない気が強い連中が多いことを差し引いても(だから現在スペインの離婚率は五割:同31&98)、女の子から凶暴化して校内で生徒や先生に暴力を振るうとは、今日学校さえも巨大な精神病院と化している証拠である。
 一方で西サハラの難民には相変わらず国境が歴然と存在する(先週のコルムナ)。先週木曜日には先々週のセウタ市に続いて難民がメリ-ジャ市の国境の有刺鉄線突破を試み、モロッコ警察に発砲されて6人が死亡。それでもスペインもモロッコも即国外追放の方針は微動だにしない。つまり、スペインはやっとスペインに辿り着いた難民を即モロッコに引渡し、モロッコは水も食料も一切持たせないで、水も食料も一切調達出来ないアルジェリア国境の砂漠に放逐する暴挙に出た。これに対してはさすがにどこかのNGOが両政府に働きかけている様ではあるが・・・。
 これはもう勝手に死ねと言うことと同じであるから、難民達はまた何度でも国境を乗り越え様とやって来て同じことの繰り返しになる。そこで、ニュ-スに拠ればスペイン政府は約2500万ユ-ロ(34億円)かけてセウタ・メリ-ジャ両市の国境を金城鉄壁化するそうである。
 恵みと誠を捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書き記せ。-----或る昔の偉い人 
 今週は校内暴力と西サハラ難民の問題をこじつける気はありませんが、人間の負の性質には国境も性別もなく、また、人間の自己中は有刺鉄線で他人を寄せ付けず、縄張りを固持するためには子供から暴力を厭わない・・・と今回筆者はこの二つの事件を前に痛切に感じた次第です。
 結局また先週の繰り返しに、いや、毎週のことですが、世の中の総ての問題は人間が人間であることを辞めた故に起きる非人間的な問題であり、結局人間としての問題だと言うことです。赤の他人同士で舐め合っているうちの猫の方が時として遥かに人間様より人間的です。
 それでは、単なる哺乳類のヒト科に過ぎないタチの悪い人間性喪失人間は一体どうすれば良いのでしょう? 来週は一つの答えを出してみましょう。
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182 難民は有刺鉄線と銃弾でお出迎え 04-10-2005(火)

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 モロッコにはスペイン領セウタ(Ceuta)とメリ-ジャ(Melilla)と言う二つの市がある。ジブラルタルを返す気などサラサラないイギリスのことは海賊呼ばわりするくせに、自分とこの海外植民地はしっかり棚に上げて知らぬ存ぜぬ見て見ぬフリ。ロシアの北方領土問題も理屈は全く同じ。せしめた獲物を手放して堪るかとしがみつくのは身勝手な個人から罪深い国家まで理屈は同じである。ところで、このスペイン領セウタ市がこのところ連日新聞やニュ-スのトップを飾っている。
 内戦中の主に赤道ギネアなどのアフリカの国々(スペインでは西サハラと呼ぶ)から難民が半年から一年半もかけてサハラ砂漠を横断し、戦争と飢餓を逃れてモロッコのスペイン領セウタ市を目指してやって来るのである。ところが、モロッコ・セウタ国境には高さ3mの鉄線が張り巡らされている。モロッコ側の山中に身を潜めて機を伺い、意を決して有刺鉄線にはしごを掛けスペイン側に身を投げる。しかし、後ろからはモロッコの警察に銃撃され、前からはスペインの警察に追い払われる。 
 こう言ったイタチごっこと呼ぶには凄まじ過ぎるサバイバルがここ数週間に渡って繰り広げられ、先週は死者4人まで出る始末。スペイン国会でも議論に上ったが、結局は警備を厳重にして難民を阻止せよと言うことになったらしい。と言うことは難民達は遅かれ早かれモロッコ側で捕まり、モロッコに入って来たアルジェリアル-トで追放されるとのことである。結局何の解決にもなってはいない。
 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。-----或る昔の偉い人
 政治について述べるのはこのコルムナの目的ではありません。ただ、各自自分のことだけではなく、他の人のことも顧みれば、内戦も起こらず、難民に発砲したり、追い返したり、追放したりすることもなかったことでしょう。
 要はこの西サハラの難民問題だけではなく、世の中の総ての問題は政治的問題でも社会的問題でも金銭的問題でもなく、結局人間としての問題だと言うことです。人間が血の通った人間として振舞えば今日多くの社会問題は起こらないはずですが(先週のコルムナ)、悲しいかな現代社会の現実は全く逆、しかも、その兆候は強まるばかりです。
 だからこそ人間として時代の流れに逆行する勇気があるか・・・。これがgスペイン週間コルムナhから日本の読者への毎週の問い掛けでもあります。
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181 スペインの盲導犬 27-09-2005(火)

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  スペインではどこの市町村に行っても町中にONCEと書かれた小さなボックスが立っている。読み方はオンセで、英語のonceとは何の関係もない。これはスペイン盲人宝くじ協会の頭文字で、月~金曜日までこれらのボックスや路上で毎日抽選の宝くじのク-ポンを売っている。筆者は酒タバコ博打女は一切やらないのでいくらかは知らないが(酒は昔から養命酒だけ)、せいぜい一ユ-ロ位、当っても大した額ではないはずである。これは盲人、もしくは目に障害のあるスペイン人のための社会福祉の一環で、宝くじを売るとコミッションと将来年金が付くのである。もっとも、買う側の目に障害のないスペイン人達はただ単に当って金が儲かればいいと言う、ただ盲目的な金銭欲だけが動機に過ぎないのであるが・・・。中には盲導犬を携え首から宝くじをぶら下げて売っている全盲の人もいる。
 先日新聞で見た盲導犬訓練士のインタビュ-の見出しをご紹介する。『人も犬もg機能hではなくg存在hで見られれば』
 悲しいかな、人は特に社会に出てからは金銭社会にg機能hする人格のない部品に過ぎなくなる場合が多いのではないだろうか。とにかく売上げがなければ人も会社も評価されない資本主義社会。サラリ-マンや自営業の人なら嫌と言うほど身に染みる現実のはずである。
 そうではなく人間は(盲導犬も)人間としてのg存在hとして見られなければ悲しいではないか、と言うのがこの見出しの意味するところである。ことばを代えればg人間不在hではなく、まずはg初めに人有きh。gスペイン週間コルムナhの人としての日本語情報センタ-の精神とも一致する。
 いかに学才技芸ありとも心に愛なくば光はなし。-----或る昔の偉い人
 人の学才技芸とは単なる頭や手先のg機能hのこと、心の内にある愛こそその人のg存在hの本質と言えます。そう考えれば愛のない人は単なる勉強マシン、スポ-ツマシン、金儲けマシンであり、愛も光もない以上実は闇の中を蠢いて(うごめいて)いるのかも知れません。自己愛以外の愛も光もなければ目が不自由になってドブにハマっても不思議ではありません。勉強や仕事の機能とその結果(成績や業績の数字や量)だけが評価される現代社会に住んでいることも人間性喪失の大きな一因でしょう。
 しかし、筆者は敢えて言いましょう。華僑の握る酢加減の音痴な寿司は寿司もどきであり寿司ではない様に(今日ヨ-ロッパには華僑経営の怪しい日本料理屋が多い)、人間味の音痴な人間は人間もどき(マグマ大使か!?)であり、悪知恵だけは万物の霊長の哺乳類のヒト科に過ぎない・・・かも知れません。
 今日多くの犯罪や不幸の根本原因は人間が人間であることを辞めたからであり、いくら学才技芸があっても、心に愛がなければ、決して盲導犬以上の人間にはなれないこともまた疑い様のない事実です。合掌・・・。
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