◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新
|
果たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。 日本語情報センタ-は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ-ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。 |
141-160
|
160 人を見たら泥棒と思え・・・か? 03-05-2005(火) |
|
スペインも日本のGW並にメ-デ-連休でごった返しているからと言う訳ではないだろうが、先週末或る筆者の知り合いがその知り合いと些細なことから意思の疎通が上手く行かずギクシャクした関係になってしまった。詳しくは書かないが、要するに思い込みに拠る勇み足である。勇み足とは相撲の決まり手の一つで、圧倒的優勢に押し捲っていたはずの力士が相手力士を土俵から押し出す前に、自らの勢いで先に土俵を割り、勝手に負けてしまうことである。
スペイン人は思い込みの強い民族だが、両者共に悪気はなかったとは言え、思い込みの強さは多くの場合思い込みの正義の刃で相手を斬り付けることであると傍観していた筆者は感じた次第である。
星飛雄馬の様に『思い込んだら試練の道を行くが男のど根性~♪』なら日本的な意志の強さで大いに結構だが、そうでなければこの思い込みは本人の独断と好みで一方的にこうだと決め付けて有無を言わせず一刀両断にする場合の方が多い様である。
人生は(海外旅行でも)『七度捜して人を疑え。』と『人を見たら泥棒と思え。』の両面が必要である。ただ、このバランスが難しい。意志の弱い人ほどより難しく、思い込みの強い人ほど偏りがちになる。だからと言って時として強く出なければ相手の思う壺にズルズルはまるだけかも知れないし、間違った固定概念で強く出れば引っ込みがつかなくなる。今回の場合は正にそれである。
鳩の様に純真で、蛇の様に狡猾であれ。-----或る昔の偉い人
残念ながら今の世の中は疑ってかかった方がいい泥棒がうじゃうじゃいます。だから人を見たら泥棒と思っても損はしません。損はしませんが、七度探すことを怠って引っ込みがつかなくなる事態に自らを追い込むことにでもなれば、もっと損をすることになるかも知れません。
ところで、泥棒とは誰でしょう?
簡単な質問です。今すぐ各自自分の胸に手を当てて、今まで何らかの形で人様の物を盗んだことのない人がいれば堂々と清廉潔白宣言でもすればいいだけのことです・・・が、実際そんな無菌室の様な人はいません。欠陥だらけの嘘吐きの泥棒が我々の正体です。ただ、これを鳩の如く素直に認めることの出来る人はその純真さの故にまだ救いがあると言えます。
鳩の純真さと蛇の狡猾さ・・・。相反する様ですが、この両者を上手く兼ね備えた人が誠実かつ慎重な真に世渡りの上手な人と言えるのかも知れません。
|
||
|
159 色めき立つスペインオカマレズ協会 26-04-2005(火) |
|
先週のコルムナのタイトルではないが、これは果たして現実か幻覚かと思わず目を疑い(覆い!?)たくなる様な法案が先週木曜日スペイン国会で可決された。オカマ・女オカマ同士の結婚合法化である。
与党の社会党は『民主主義の勝利だ。』
スペインオカマレズ協会は『これで我々も長年の差別から解放されて市民として当然の権利を行使出来る。』だそうである。これがマジの談話なのだから顔も引き攣る末期ガン漫才であるが(コルムナ118)、男同士女同士が役場で婚姻届けを出し、親族一同を招いて結婚式に披露宴・・・、想像するだけでもおぞましい・・・とは思わないスペイン人が今日国民の七割だそうである(同89&130)。
現に一昨日日曜日の新聞の一面にはグラナダ市オカマレズ協会約五百人の祝勝会(!?)で舌を絡め合う男同士女同士のカラ-写真大掲載!?
近隣の市町村長もインタビュ-で合法化されれば民主主義の原則に則って同性同士の結婚を後押しすると官民一体を強調!?
一方、一応反対の立場のカトリック教会(オカマの神父は多いが・・・)は信者の公務員に同性同士の婚姻届け受け取り拒否を推奨し、政府はそんなことは憲法違反だと早くも賛否両論の真っ向対決。なるほど、本当にこんなことが法律になれば、それを履行しない方が憲法違反の名誉棄損で罪人になるのである、それも早ければ今秋から!?
おそらく今読者はドタバタ喜劇を見ている観客の様な気分で、笑いながらこのコルムナを読んでいるはずだが、この同性愛者結婚合法化はベルギ-、オランダに続くスペインだけではなく、今後世界中に若者の末期ガンの様な猛烈な速度で広まって行く、と筆者は予想する。想像さえしたくないが、世界中で人間社会が巨大な精神病院と化している以上(同118&119&120)、合法化とは行かないまでも、偽りの寛容の名の元に日本社会さえますますそうなって行くはずである。悪事も悪徳もあっという間に千里を走るからである。
ああ、悪を善、善を悪と言っている者達。彼らは闇を光、光を闇とし、苦味を甘味、甘味を苦味としている。-----或る昔の偉い人
善とは何でしょう?
悪とは何でしょう?
色々な答え方があるでしょうが、善とは何か絶対的なものでなければ総て相対的になり、最後は民主主義なんだから各自好きな様にやればいいじゃないかと言うことになってしまいます。そして、自然こそ絶対的な善であり、この自然を捻じ曲げることは広い意味で総て悪だと言えます。
砂漠や海のど真ん中で迷ってあ~でもない、こ~でもないと猿知恵を絞って袋小路に迷い込むのが多くの人の人生だとすれば、さ迷い続けてふと夜空を見上げるとそこには太古の昔から変わることのない南十字星がある・・・。これが自然の絶対さであり、これに逆らうことは総て自然を捻じ曲げて喜ぶ悪です。
21世紀の人類はもはや小手先の悪ではなく、民主主義の名の元に自然そのものに毒衝く重大な罪悪を公然と平然と犯して加速度的に滝壷に向っていると筆者の目には映ります。もちろん、自然とは人間が本来持ち合わせている愛情や礼儀などを含むことは言うまでもありません。
この場合善を悪、悪を善と呼ぶとは男を女、女を男と取り違えることにも相当します。自然とは男女が人間として愛し合うことであり、日本人にとって自然とは太古の昔から黒髪だと言うことです。今日多くの日本人が銀バエの様な頭なのは情けない限りです(同138)。せいぜい白髪染めでいいはずです。
|
||
|
158 現実か幻覚か 19-04-2005(火) |
|
今週は現実と幻覚の区別がつかなくなったバカな男の話し。つい先日スペインのアリカンテ県のある町で三十代の男が酒とコカインに酔い潰れて深夜帰宅し、寝ていた奥さんと二歳と六歳の子供二人を刺し殺して、その足でまたすぐ飲み直しに出かけた。
ところで、最近は昨年三月のマドリ-(マドリ-ド)列車テロ直後の総選挙で棚ボタで政権に就いた社会党政権になって一年経過後(コルムナ102)、スペインは新政権下でどう変わったのかと言うニュ-スが多い。『もちろん、我が社会党政権になって以来スペイン経済は前大衆党政権時代よりも良好である』とは先日の社会党サパテロ首相の談話である。
こんな凶悪事件が毎週の様に頻発する社会が良好とは国家元首からして現実と幻覚の区別がつかない様である。金銭経済面の良し悪しだけで国家の安泰や国民の幸せを判断しているとすれば、やはり、幻覚を見ているのである。
この男の場合、酒よりコカインが致命的だったことは否めない。では、麻薬は駄目だが酒はいいのか?
いきなり麻薬を始める奴はまずいない。酒タバコでトレ-ニングしてから麻薬に手を出すのが普通だとすれば、酒タバコも最初から口にしないのが一番である(筆者は酒は養命酒だけ)。余り厳し過ぎるのも考え物だが、ハンドルやブレ-キの遊びの目測を誤って、本人や周囲も大怪我をしてからでは遅い(先週のコルムナ)。
自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、虚しい物を追い求める者は貧しさに飽きる。-----或る昔の偉い人
各自自分の畑を耕すのが人生とも言えますが、自らの欲や自己中の故に耕し方を誤り(ついでに隣の畑も荒らし!?)、いつの間にか虚しい物を追い求めて貧しくなってしまったのが多くの人の人生かも知れません。現実には『私は一生懸命畑を耕したのに、何で貧しくなったのか』と努力の割には報われない人生だと感じる人も多いことかと思いますが、貧しさの原因は環境や運の無さではなく、実はこの様に自分自身にあることがほとんどではないでしょうか。それは個人から国家に至るまで理屈は同じです。
現実と幻覚とは先週の『誠実』と『虚偽』と同じ比喩とも言えます。良く考えてみるまでもなく、幻覚や『虚偽』に従って耕してロクな収穫がある訳がないのです。
スペイン版忠犬ハチ公の様に小さな『誠実』を持って現実の畑を無欲で耕せば、自身も予期せぬ食料を収穫することが出来ます(コルムナ60&100)。
|
||
|
157 格安航空券詐欺 12-04-2005(火) |
|
金融機関などを装って電子メールを送り、偽装したHPで暗証番号などを聞き出して金銭を騙し取る『フィッシング詐欺』の被害が広がっているのはここスペインでも同じであるが、先日新聞に載っていたスペインの新手のインタ-ネット詐欺をご紹介しよう。
HPでかなり安目の航空券を販売し(てはいないのだが)、クレジットカ-ドの暗証番号を入力させる。おまけに、最後にカ-ド決算出来ませんでしたので、当社の次の口座に送金して下さいと二重詐欺の追い討ち。盗っ人厚かましいとはこのことか。
今や世はとうとうとして虚偽が満ちている。信じるに足る誠実の人は暁の星の様に少なく、人皆虚偽とへつらいと偽善を語り、口先で人を陥れ、自らの利を得ようとする。これは現代を良く描いている。口先の上手い人、二心を持って滑らかに世を渡る者が随分栄える。舌に拠って勝ちを得ようと思う者が多い。今の時代は実に邪悪な時代で、卑劣なことが慕われ、不義な者が横行している。-----或る昔の偉い人
ここに二つの対極することばが出て来ます。『誠実』と『虚偽』です。昔中学の理科の時間に出て来た実像と虚像を思い出しますが・・・。
人間誰しも100%『誠実』で100%『虚偽』な人などいません。どちらの要素も兼ね備えているのが人間の存在だとも言えますが、『誠実』ではなく『虚偽』の方が圧倒的に幅を利かしているのが現代社会の実情です。いずれにせよ、悪質な詐欺師から嘘も方便に至るまで『虚偽』の本質に変わりはありません。
だからと言って、皆さん、嘘を徹底的に排除して100%『誠実』な人生を送りましょうと、ガチガチ一辺倒では遊びのないハンドルやブレ-キの様に運転も人間関係もギクシャクします。人の『誠実』さにも融通の利く遊びが必要です。ただし、元来嘘吐きな人間様はこの遊びを身勝手にも嘘も方便と取り違えて善人ぶっている人が多過ぎます。そして、その自らの嘘の故にいつの間にか『虚偽』の脇道に迷い込んで、自身や他人も傷付ける交通事故を起こします。遊びでも何事に於いても、根底に『誠実』さがなければ総ては『虚偽』に終わるからです。
さて、いつの間にか『スペイン週間コルムナ』も四年目に入りました。これからも毎週人間様の『虚偽』について書いて行くのかと思うとうんざりですが、自らの『虚偽』に泥酔して自分をも人様をもブッ飛ばさないためには一体どうすれば良いのでしょう?
それはスペイン版忠犬ハチ公の如く自らと他人に対して忠実(誠実)であることです(コルムナ60&100&156)。筆者は今まで犬や猫に嘘を吐かれたことはありません。この点で確かに人間は犬や猫に劣ります。普段からスペイン版忠犬ハチ公を心のハンドルとブレ-キにしておけば多くの虚偽は防げます。少なくとも人から騙されることはあっても、自ら喜んで人を騙して何とも思わない人間のクズになることはないでしょう。
『スペイン週間コルムナ』も四年目を迎えるに当り、今一度スペイン版忠犬ハチ公を筆者自身に、そして、読者に問いかけます。
|
||
|
156 宇佐美先生の涙 05-04-2005(火) |
|
筆者の母校の体育の教師であり、同時に11年間野球部の監督を務めた宇佐美先生の離任式が先週木曜日(3/31)に行われたことを野球部を応援する掲示板で知った。インタ-ネットとは本当に便利なものである。
筆者は同級生と言うだけで、一学年450人いたこともあり、正直面識はない。彼の名前を耳にし始めたのは、むしろ、母校の野球部の監督になって初めて甲子園に行った時からだと記憶している。
11年間で四度の甲子園(春三回&夏一回:コルムナ69&70&71)。初戦敗退一回。二回戦敗退一回。準決勝進出二回だから立派な成績である。その宇佐美先生が離任式で感極まって泣いたことをある在校生の投稿で知った。
普通小中高校の卒業式では卒業生代表が答辞を読み上げる時に泣くのが恒例だが(!?)、筆者の卒業式では代表の女生徒が泣かず、後から皆で『鬼~!!』とか言ったのを昨日のことの様に思い出す。宇佐美先生もその内の一人だったに違いない。あれから29年後、今度は同じ母校の講堂で生徒の前で自ら泣くことになるとは・・・。筆者はこの話しを聞くに当り、人生とはつくづく大河ドラマだと感じた次第である。
卒業生の中には宇佐美先生の様に地元に帰って地域社会にしっかり貢献している人もいれば、筆者の様に地球の反対側に飛んで行った奴もいる。女子の場合は嫁ぎ先に居るのが普通だろう。
それゆえ、私はあなたに誠実を尽くし続けた。-----或る昔の偉い人
筆者は常々小説同様、人生もある意味『起承転結』だと思うことにしています。そして、どんなに途中が面白おかしかろうが、最後の『結』が悪ければ爽やかな後味を残すことは出来ません。その秘訣は『誠実』ではないでしょうか?
確かに我々その他大勢は宇佐美先生の様に社会的注目を集める立場には居ない人がほとんどかも知れませんが、そんなことはどうでもいいことです。我々の家庭や学校や職場やご近所で小さな誠実の種を蒔いておけば、いつか必ず小さな誠実の実を刈り取ることが出来ます。
我々もスペインの忠犬ハチ公(同60&100)の様に日々誠実を尽くし続ければ、必ずや読者に感動を与える小説を書き上げることが出来るのではないでしょうか?
|
||
|
155 スペインの銭ゲバイ-スタ- 29-03-2005(火) |
|
先週欧米世界はイ-スタ-であった。日本語では『復活祭』と呼ばれ、スペイン語のSemana
Santa(セマ-ナ・サンタ)から訳せば『聖週間』となる。死後三日目の日曜日の朝に墓から甦ったキリスト様の復活をお祝いするもので、その前が受難週であり、最後の日曜日が復活の日である。正確には3月21日、または、それ以後の満月の次の第一日曜日に当り(ややこしい!!)、従って、イ-スタ-の日付けは流動的である。通常4月初旬が多く、今年の様に3月末になることはむしろ珍しい。と、そんな宗教的能書きなどどうでもいい。とにかく、飲んで、騒いで、金が儲かればいいと言うのがスペインのイ-スタ-である。
まず、一週間前の日曜日夜から最終日のイ-スタ-の日曜日の夜まで毎日神輿が出て街を練り歩く。檀家制度であることは仏教もカトリックも同じ。今日はこの教区の教会の神輿が出ると言う風に曜日に拠って決まっている。
何のことはない、一年に一度神社から御神体を担ぎ出して祭りをする日本の神輿と理屈は何も変わらない。祭りになると急に信者になるのもそっくりそのまま。終わったら皆でパ-と酒を飲んで打ち上げるのも瓜二つである。
祭りなら当然経済効果もある。祭りの装束。飲食店など、関連産業はいくらでもある。それでも、今年聞いた開いた口が一番塞がらなかった話しをご紹介しよう。セビ-ジャ(アンダルシア州都)市内のホテル料金は普段の三倍。しかも、一泊では宿泊拒否され連泊でないと泊れない!?
こんなことが一体どこまで合法なのか大いに疑わしいが、それでも毎年満杯になるらしい。先々週のバレンシアの火祭り然り、いや、総ての祭りが然りなのである。
もちろん、日本の祭りも然りである。筆者の地元は田舎と言うこともあり、あるお寺で厄払い祈祷の日に信者は皆料理を作って持って行くそうであるが、そんな物見向きもせず、坊さんは片っ端から捨てるそうである。そんなことより、その日一日の売上げ(!?)約二千万せしめた挙句、その夜キャバレ-に繰り出すとか!?
これは筆者の同級生で、このお寺の住職の友達の坊さんから聞いた話しだから間違いはない。スペインのカトリック教会でも、ミサが終わればタダの人的な坊さんが多いそうである。もちろん、酒やタバコだけでは済まない。
私はあなたの行いを知っている。あなたは生きているとされているが、実は死んでいる。-----或る昔の偉い人
どんなに一年に一度敬虔の皮を被っても、行いがそれにふさわしくなければ、実は死んでいる・・・とは核心を衝いたことばです。
普段素面では出来ない肉の欲求を仮面を付けてぶちまけて憂さ晴らしをするのがカ-ニバル(謝肉祭)の正体であり本質だとすれば(コルムナ97)、普段から散々やりたい放題やった連中がその醜い死んだ行いに臭い物に美しいフタの如く、一年に一度だけ宗教的な装束に身を包んで敬虔に振舞う偽善ショ-が宗教的祭りだと言えなくはないでしょう。これを観光資源にする国や、乗せられて大挙して押しかける旅行者も同類項です。
もし、我々も生きて人生を楽しんでいるつもりでも、行いが死んでいるなら、実は今もう既に死んでいるのかも知れません。
死んだ行いとは何でしょう?
総て自己愛が動機の行いは、あからさまに悪い行いはもちろん、例え人目には良い行いでも、広い意味で皆総て死んだ行いです(同140)。だから、現代社会は死臭が鼻を衝く臭い社会になってしまったのです。
いかに自己中に死んで復活するか・・・。誰しも復活しない限り死んだままなのです。
|
||
|
154 下々は控えおろう 22-03-2005(火) |
|
先週月曜日の午後と火曜日午前、アルハンブラ宮殿は突如一般公開中止となった。マドリ-で行われていた国際テロ会議(先週のコルムナ)がそのまま南下し、宮殿内のパラド-ル(国営ホテル)で急遽行われたためで、予約券を持っていようが、何とかツア-御一行様だろうが、ヨ-ロッパ主要五カ国の首脳会談が終わるまで下々は控えおろうとのお達しである。おまけにその延長で金曜日まで市内でNATOの会議まで行われたのであるから、市内は厳戒態勢。こんなにグラナダが安全な市だったこともかつてなかったのではないだろうか。
かと言って市内を警備していた多くの警官や上空を朝からうるさく飛び回っていたヘリコプタ-は、何も日本人旅行者を有名なスペインの強盗から守ってくれていた訳でも何でもない。現に、余りの日本人目当ての犯罪の多さに、遂に我が日本国政府は地元グラナダ市に領事館を設置することを正式に決定した・・・と先週土曜日の地元新聞に載っていた。
だとすれば、盗難、スリ、首絞めナイフ強盗、引ったくりなどの被害にあった日本人旅行者の皆さんは、もう駆け込み寺の如く日本語情報センタ-に来る必要もないと言うことになる。直接日本領事館に行けば、以前より遥かにスム-ズにパスポ-トの再発行、カ-ド停止、盗難証明など、しかも、総て日本語で対応してくれる。
しかし、国際テロ対策も日本領事館設置も、総ては事後対策本部なのである。本当は事後対策ではなく、何事も転ばぬ先の杖の方が遥かに肝心であり、事の本質を衝いている。もちろん、様々な避けられないことが起こるのが人生であり、確かにこうして起こってしまったことに対しての政治的社会的事後処理は必要であるが、被害を被るかも知れない側の我々下々としては、避けられないことは別として(と書いているとお昼のニュ-スでいきなり北九州の大地震の映像が映し出されている!?)、なるべく危険に身をさらさないことも重要である。
前者は単に事後処理のシステムについてであり、政治家の仕事。後者はモラルについてであり、我々の心の問題である。
今週は何も海外旅行中のテロや強盗など身の危険のことだけを言及しているのではない。例えば、いかに暴力推奨丸出しのテレビゲ-ムでもそれ自体、愚かにも法律や刑法に触れることはないが、それらは必ずや多くの青少年の歪んだ性格形成に一役買い、やがて法律や刑法に触れる様なことをしでかす十分な下地を形成し得るのであるから、そんな物は見るなと自分の息子や孫のモラルに訴えることの方が遥かに大切である、と言える。
貧しくても誠実に歩む者は、富んでいても曲がった道を歩む者に勝る。-----或る昔の偉い人
人は皆豊かになりたいのです。それでも突然地震に見舞われるのが人生かも知れませんが、仮に地震に見舞われて経済的に貧しくなったとしても、誠実に歩む人が実は豊かな人なのです。逆に、金銭物質的に富むことだけを欲して人としての道を踏み外し、曲がりくねった迷路に迷い込んでいるのが今日多くの人の人生の描写とは言えないでしょうか?
事後対策より転ばぬ先の杖。日本領事館より君子曲がった道を歩まず。人生誠実に歩んでいれば豊かさは必要用な分だけ付いて来ます。ただし、本当の誠実さとは自らのためではなく、他人や社会に対しての具体的な行いに現れるものでなければニセモノです。
自らの欲には誠実な人も結局欲望の墓を築いていることには違いないとすれば(コルムナ139&140)、誠実に欲望の墓を築くことは、究極のところ誠実の旗の元に歩む曲がった道に過ぎないのです。
世界の指導者から下々まで、人は皆クラスメ-トより、同僚より、他社より、外国より勝りたいのです。その秘訣は誠実に歩むことだけなのです。
では誠実とは何でしょう?
神経を研ぎ澄ませて毎週の『或る昔の偉い人』のことばをお読み下さい。
|
||
|
153 早いものでもう一年 15-03-2005(火) |
|
先週金曜日3月11日はマドリ-列車テロの一周年記念日だった(コルムナ101&102&103)。早いものである。
何日か前から国際テロ対策会議が同市内で開かれていることもあり、世界各国から首脳クラスが相集った大規模かつ、遺族の要望もあり、控えめな追悼式典が行われた。当局は万が一に備え、迎撃戦闘機を常時上空に待機させ、地対空ミサイルをも配備する物々しさであった。
191人の死者に加え、今も植物人間同然の被害者も何人かいると言う・・・。その他様々な凄まじい後日談が新聞やテレビニュ-スで紹介されたが、今週は『それでは、テロがなくなれば世界は平和になるのか』と言う観点からコルムナしてみたい。
多くの人は『国際テロ組織を壊滅させればテロはなくなる』と思っている様である。実際今回の国際テロ対策会議もそのためにわざわざ世界の要人達がマドリ-(マドリ-ド)までやって来て意見交換しているのであり、これらは確かに国レベル、世界レベルで協力体制を敷くべき問題である。
ただし、千里の道も、国際テロも一歩から(同101)であり、僅か一歩の悪でも野放しにすれば、千里とは行かないまでも、必ず大きな悪に至る。その社会レベル、世界レベルにまで千里の如く増長した悪に対処するのは今回の様に政治家や軍隊や警察の特別捜査班の仕事かも知れないが、やがて必ず将来大きな悪となる僅か一歩の悪に歯止めを掛けるのは我々一人一人が個人レベルで行うべきことある・・・が、圧倒的大多数は愚かにもこれをしないがために、現代は大小のテロに満ち満ちたとんでもない社会になってしまったことは毎日の様に起きる事件が証明している。
子供の喧嘩、虐め、姑の嫁いびり(逆も!?)などの刑法には触れないが、人間として倫理に反する大小様々な人間同士の諍い。これらは『量』は違えど『質』に於いては立派なテロと言えないだろうか?
これらはお互いがお互いのことを思いやれば最初から起きない問題が大半であるが(同150後半)、今日それに気付くほど思いやりのある人間の出来た人間様は余りいるものではないらしい。
思いやりの精神さえあれば海に汚水を垂れ流す自然に対するテロ、牛を殺して喜んで見世物にする闘牛の如き動物へのテロ、そして、人が人を殺める対人テロなど起こらないはずである。しかし、現実には良心の咎めることなくバンバン起こっている。何故か?
人は皆自己中で身勝手で、気に食わなければかんしゃくを起こす傾向にあるからである。
この様に他への思いやりの精神のないことが広い意味でテロの定義である。定義が大袈裟なら、少なくともその第一歩であると言える。思いやりの精神がない人はその自己中故に必ず他とぶつかる運命にあるからである。だとすれば我々も皆多かれ少なかれテロリストかも知れない。
人に思慮があれば怒りを遅くする。その人の光栄はそむきを赦すことである。-----或る昔の偉い人
真面目に勉強して働くことさえも、それがせいぜい自分と家族のためだけなら、身勝手な欲望の墓を築いているだけに過ぎないとすれば(同140)、ましてや、おもむろに思慮を欠け、怒りをぶちまけろと言わんばかりの強烈極まりない一歩に溢れた殺伐とした現代社会の欲望の墓参りは何と悲惨なことでしょう。
思慮を欠くか思慮を有するか。怒りをぶちまけるか赦すか。これがテロリストか否かの境目です。
読者の皆さん、気を引き締めて下さい。国際テロの有無に係わらず、日本社会はこれからますます殺伐としたおかしな事件が日常茶飯事になって来ます。それは新聞を賑わす悪い奴らだけではなく、実は気を引き締めなければ我々一人一人にも直接的間接的な責任のあることなのです。
テロとは思慮なく怒りをぶちまけること。思慮がなければ人も国も滅びます。国はともかく私達はどうでしょう?
|
||
|
152 お城が人とはこれ如何に!? 08-03-2005(火) |
|
スペインと言えば闘牛とフラメンコ。いずれの発祥の地でもある南スペイン・アンダルシア地方こそ、少なくとも我々外国人には最もスペインらしい地方であると言える。日差しも強烈で、州都セビ-ジャ市はコルドバ市と並んでスペインで最も暑い所。夏場気温は47~48度にまで達する。それに比べてここグラナダ市は標高680mの高原の盆地なので、上がってもせいぜい42度位である。
現在はこのアンダルシア地方に限らず、スペインの総ての地方は自治政府になっている。つまり、スペインは政治的には地方自治政府の集合体であり、各地方政府にはそれぞれの首相や大臣達が控えている。
そのアンダルシア地方政府の野党第一党党首が先日ニュ-ス番組で『今の与党のやり方では駄目だ~』とか何とか言っているのが耳に入って来た。総て与党のやることなすことに反対するのが野党の仕事なのは万国共通。またか、とさえ思わず聞き流しただけなので、どんな内容についての批判かは一切覚えていないが、これを聞いて何故か先日インタ-ネットの日本の新聞で見た、今日本中に論議を呼んでいる(かどうかは知らないが)愛媛警捜査費不正支出問題の渦中にある仙波巡査部長の言った『やはり、城は人なりですから、人間がまともになれば警察組織もまともになるんです~』の一言が思い出されて来た。
この両者は政治家と警察官と言う社会的立場は違えど、社会を良くし様と言う思いは同じである・・・が、その目の付け所は似て非なるものであることに読者はお気付きだろうか?
前者は社会を良くするための方法論自体の是非に過ぎず、後者はそれらの様々な方法を考え行う人の質に言及している。また、前者は立派な城の構築自体が論点であるが、後者はそれを担うのは人であり、人が機能しなければどんな立派な城も機能しないと言う・・・。
その昔ある日本の有名なビジネスマンが『私はビジネスは金ではなく、人であることを学んだ』と言ったことがあるが、理屈は全く同じである。
或いは、ゆとり教育なら週休二日にすればいいと言うのは、ただ単に休みの日を増やせばいいと言うだけの何と知恵のない安易な方法論だろう。肝心の生徒の人の質に言及しないから、時間的ゆとりばかり増えてろくなことをしなくなるのである(コルムナ138&143&144&145&150)。
逆に、子供の心に本当の意味でゆとりを与えてやれば(同60&100)、週休二日だろうが、一日だろうが、やるべきことは自主的にやるはずであり、また、人様に迷惑をかけない、社会のお役に立つ人間に成長して行くはずである。
この事件の本質も警察官の質たるべき正義感が希薄になったからこそ城が揺らいだ日本警察のお家騒動である。
人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人
社会も政治も学校教育も家庭環境もビジネスも・・・、総てはそれ自体の問題でも、システムや技術の良し悪しでもなく、それに携わる人次第なのです。人の質が良くなれば社会は自然と良くなり、悪くなれば社会もその悪の度合いに正比例して悪くなる・・・。そして、人の質が子供から極めて劣悪になっているから現代社会も子供から極めて腐敗して来ているだけの話しなのです(同89&150)。全く簡単な理屈です。
もしかして読者は『そんなことどうでもいいじゃないか、本人が良ければ・・・』と言う人かも知れません。確かに、ある意味本人が良いと思う様に各自の城を築くのが人生かも知れません。しかし、ささやかな小屋から大きな城まで、いくら本人が良ければとは言え、そこに人の質が伴わなければ結局愛媛警捜査費不正支出問題の様な大小様々な不正問題が起き、遅かれ早かれ城は基から揺らぐことになっているのです。
『城は人なり』
我々は勉強や仕事や家庭や人間関係で一体どんな城を築いているのでしょうか? それは我々の人次第なのです。
|
||
|
151 もらった馬の歯は見るな 01-03-2005(火) |
|
これはスペイン人なら誰でも分かるスペインの諺である。読者にはこの意味がお分かりだろうか?
お役御免の老いぼれ馬だからタダでくれたに違いない。老いぼれ馬なら歯はもう磨り減ってガタガタだから、見ないに越したことはない。この様にただでくれるからには皆それなりの理由があるのだから、いい物は期待するなと言う意味である。少々長ったらしい教訓だが、先週筆者はこの諺をことの他思い出さずにはいられなかった。
いつもの食堂で魚を食べていると、何の変哲もない小骨を噛んだと思った瞬間いやな予感がした。10ヶ月前大枚を叩いて治療した奥歯が真っ二つに割れてしまったのだった(コルムナ104)。
思えばその時歯科医から言われていたことなのだが、筆者の場合歯茎がガタガタで、グラついている歯が何本もあるとか・・・。今回もその時の歯自体の治療が不完全だったのではなく、原因は極めて不安定な歯茎のせいだった。結局長年お世話になったこの奥歯は抜くことになった。歯科医も前回の治療効果なく抜歯に終わったので悪いと思ったのか、今回治療費は無料であった。
どんなに腕のいい評判の歯科医でも、そして、こと歯に関してだけならどんなにお金をかけた完璧な治療でも、その土台である歯茎が揺らいでいては遅かれ早かれ歯は崩れ落ちる運命にある。
岩の上に土台を据えることをせず、自分の知識や思想や働きや富に頼っている者は砂上の家の様に、人の目にはいかに美しく、また堅固に見えても危険である。-----或る昔の偉い人
徳川家康は『人生は重荷を負って遠き道を行くが如し』と言ったそうですが、ここでは人生は『家』を建てることに比喩してありま・・・せん。良く読むと、むしろ、人目に付く家自体にも家の見映えにも言及しておらず、ことさら人目に付かない家の土台の安定不安定こそ家の総てを決定すると説いています。
しかも、普通人間社会ではこれこそ美徳とされる知識や思想や働きや富も、足元が砂地では危険極まりない砂上の楼閣とは・・・。
ましてやファッションやレジャ-やグルメや酒やバクチやバラエティ-番組が価値観の人生が健全な歯茎であり得るでしょうか?
人に目にはいかに美しいオシャレも、ヒット商品も、面白おかしいことも、何事も足場が岩ではなく砂なら、最後は抜歯の憂き目に会います。
例えば、筆者の経験ですが、ギタ-で右手左手の指が思い通り動いてくれないのは指が短かったり、指の基礎練習が足りないのではなく、指の土台である手自体が揺れているから指もグラついて上手く弾けない場合がほとんどなのです。素人考えではギタ-は指で弾くから指を鍛えればいいと思うところですが、指自体ではなく右手左手自体を安定させると、指も自然に安定して確実に上達します。
何事も一生懸命の割りに余り成果が伴わない方。見映えでもなく、人の評価でもなく、人が見向きもしない貴方の足元が『岩』か『砂』かに気を配ってはいかがでしょう?
『岩』なら例え小さくても堅固な家が自然に建って来るはずです。
|
||
|
150 ここまでやるか情熱のスペイン 22-02-2005(火) |
|
|