◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新

たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。

 日本語情報センタ-は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ-ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。

 人としての日本語情報センタ- スペイン週間コルムナ総評 スペインギタ-主旨

バックナンバー

141-160

160 人を見たら泥棒と思え・・・か? 03-05-2005(火)

 
  スペインも日本のGW並にメ-デ-連休でごった返しているからと言う訳ではないだろうが、先週末或る筆者の知り合いがその知り合いと些細なことから意思の疎通が上手く行かずギクシャクした関係になってしまった。詳しくは書かないが、要するに思い込みに拠る勇み足である。“勇み足”とは相撲の決まり手の一つで、圧倒的優勢に押し捲っていたはずの力士が相手力士を土俵から押し出す前に、自らの勢いで先に土俵を割り、勝手に負けてしまうことである。
 スペイン人は思い込みの強い民族だが、両者共に悪気はなかったとは言え、思い込みの強さは多くの場合思い込みの正義の刃で相手を斬り付けることであると傍観していた筆者は感じた次第である。
 星飛雄馬の様に『思い込んだら試練の道を行くが男のど根性~♪』なら日本的な意志の強さで大いに結構だが、そうでなければこの“思い込み”は“本人の独断と好みで一方的にこうだと決め付けて有無を言わせず一刀両断にする”場合の方が多い様である。
 人生は(海外旅行でも)『七度捜して人を疑え。』と『人を見たら泥棒と思え。』の両面が必要である。ただ、このバランスが難しい。意志の弱い人ほどより難しく、思い込みの強い人ほど偏りがちになる。だからと言って時として強く出なければ相手の思う壺にズルズルはまるだけかも知れないし、間違った固定概念で強く出れば引っ込みがつかなくなる。今回の場合は正にそれである。
 鳩の様に純真で、蛇の様に狡猾であれ。-----或る昔の偉い人
 残念ながら今の世の中は疑ってかかった方がいい泥棒がうじゃうじゃいます。だから人を見たら泥棒と思っても損はしません。損はしませんが、七度探すことを怠って引っ込みがつかなくなる事態に自らを追い込むことにでもなれば、もっと損をすることになるかも知れません。
 ところで、泥棒とは誰でしょう? 簡単な質問です。今すぐ各自自分の胸に手を当てて、今まで何らかの形で人様の物を盗んだことのない人がいれば堂々と清廉潔白宣言でもすればいいだけのことです・・・が、実際そんな無菌室の様な人はいません。欠陥だらけの嘘吐きの泥棒が我々の正体です。ただ、これを鳩の如く素直に認めることの出来る人はその純真さの故にまだ救いがあると言えます。
 鳩の純真さと蛇の狡猾さ・・・。相反する様ですが、この両者を上手く兼ね備えた人が誠実かつ慎重な真に世渡りの上手な人と言えるのかも知れません。 
 
 

 

159 色めき立つスペインオカマレズ協会 26-04-2005(火)

 
  先週のコルムナのタイトルではないが、これは果たして“現実か幻覚か”と思わず目を疑い(覆い!?)たくなる様な法案が先週木曜日スペイン国会で可決された。オカマ・女オカマ同士の結婚合法化である。
 与党の社会党は『民主主義の勝利だ。』 スペインオカマレズ協会は『これで我々も長年の差別から解放されて市民として当然の権利を行使出来る。』だそうである。これがマジの談話なのだから顔も引き攣る末期ガン漫才であるが(コルムナ118)、男同士女同士が役場で婚姻届けを出し、親族一同を招いて結婚式に披露宴・・・、想像するだけでもおぞましい・・・とは思わないスペイン人が今日国民の七割だそうである(同89&130)。
 現に一昨日日曜日の新聞の一面にはグラナダ市オカマレズ協会約五百人の祝勝会(!?)で舌を絡め合う男同士女同士のカラ-写真大掲載!? 近隣の市町村長もインタビュ-で“合法化されれば民主主義の原則に則って同性同士の結婚を後押しする”と官民一体を強調!? 
 一方、一応反対の立場のカトリック教会(オカマの神父は多いが・・・)は信者の公務員に同性同士の婚姻届け受け取り拒否を推奨し、政府は“そんなことは憲法違反だ”と早くも賛否両論の真っ向対決。なるほど、本当にこんなことが法律になれば、それを履行しない方が憲法違反の名誉棄損で罪人になるのである、それも早ければ今秋から!? 
 おそらく今読者はドタバタ喜劇を見ている観客の様な気分で、笑いながらこのコルムナを読んでいるはずだが、この同性愛者結婚合法化はベルギ-、オランダに続くスペインだけではなく、今後世界中に若者の末期ガンの様な猛烈な速度で広まって行く、と筆者は予想する。想像さえしたくないが、世界中で人間社会が巨大な精神病院と化している以上(同118&119&120)、合法化とは行かないまでも、偽りの寛容の名の元に日本社会さえますますそうなって行くはずである。悪事も悪徳もあっという間に千里を走るからである。
 ああ、悪を善、善を悪と言っている者達。彼らは闇を光、光を闇とし、苦味を甘味、甘味を苦味としている。-----或る昔の偉い人
 善とは何でしょう? 悪とは何でしょう? 色々な答え方があるでしょうが、善とは何か絶対的なものでなければ総て相対的になり、最後は“民主主義なんだから各自好きな様にやればいいじゃないか”と言うことになってしまいます。そして、自然こそ絶対的な善であり、この自然を捻じ曲げることは広い意味で総て悪だと言えます。
 砂漠や海のど真ん中で迷って“あ~でもない、こ~でもない”と猿知恵を絞って袋小路に迷い込むのが多くの人の人生だとすれば、さ迷い続けてふと夜空を見上げるとそこには太古の昔から変わることのない南十字星がある・・・。これが自然の絶対さであり、これに逆らうことは総て自然を捻じ曲げて喜ぶ悪です。
 21世紀の人類はもはや小手先の悪ではなく、民主主義の名の元に自然そのものに毒衝く重大な罪悪を公然と平然と犯して加速度的に滝壷に向っていると筆者の目には映ります。もちろん、自然とは人間が本来持ち合わせている愛情や礼儀などを含むことは言うまでもありません。
 この場合善を悪、悪を善と呼ぶとは男を女、女を男と取り違えることにも相当します。自然とは男女が人間として愛し合うことであり、日本人にとって自然とは太古の昔から黒髪だと言うことです。今日多くの日本人が銀バエの様な頭なのは情けない限りです(同138)。せいぜい白髪染めでいいはずです。
 
 

 

158 現実か幻覚か 19-04-2005(火)

 
  今週は“現実”と“幻覚”の区別がつかなくなったバカな男の話し。つい先日スペインのアリカンテ県のある町で三十代の男が酒とコカインに酔い潰れて深夜帰宅し、寝ていた奥さんと二歳と六歳の子供二人を刺し殺して、その足でまたすぐ飲み直しに出かけた。
 ところで、最近は昨年三月のマドリ-(マドリ-ド)列車テロ直後の総選挙で棚ボタで政権に就いた社会党政権になって一年経過後(コルムナ102)、スペインは新政権下でどう変わったのかと言うニュ-スが多い。『もちろん、我が社会党政権になって以来スペイン経済は前大衆党政権時代よりも良好である』とは先日の社会党サパテロ首相の談話である。
 こんな凶悪事件が毎週の様に頻発する社会が良好とは国家元首からして“現実”と“幻覚”の区別がつかない様である。金銭経済面の良し悪しだけで国家の安泰や国民の幸せを判断しているとすれば、やはり、“幻覚”を見ているのである。
 この男の場合、酒よりコカインが致命的だったことは否めない。では、麻薬は駄目だが酒はいいのか? いきなり麻薬を始める奴はまずいない。酒タバコでトレ-ニングしてから麻薬に手を出すのが普通だとすれば、酒タバコも最初から口にしないのが一番である(筆者は酒は養命酒だけ)。余り厳し過ぎるのも考え物だが、ハンドルやブレ-キの“遊び”の目測を誤って、本人や周囲も大怪我をしてからでは遅い(先週のコルムナ)。
 自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、虚しい物を追い求める者は貧しさに飽きる。-----或る昔の偉い人
 各自自分の畑を耕すのが人生とも言えますが、自らの欲や自己中の故に耕し方を誤り(ついでに隣の畑も荒らし!?)、いつの間にか虚しい物を追い求めて貧しくなってしまったのが多くの人の人生かも知れません。現実には『私は一生懸命畑を耕したのに、何で貧しくなったのか』と努力の割には報われない人生だと感じる人も多いことかと思いますが、貧しさの原因は環境や運の無さではなく、実はこの様に自分自身にあることがほとんどではないでしょうか。それは個人から国家に至るまで理屈は同じです。
 “現実”と“幻覚”とは先週の『誠実』と『虚偽』と同じ比喩とも言えます。良く考えてみるまでもなく、“幻覚”や『虚偽』に従って耕してロクな収穫がある訳がないのです。
 スペイン版忠犬ハチ公の様に小さな『誠実』を持って“現実”の畑を無欲で耕せば、自身も予期せぬ食料を収穫することが出来ます(コルムナ60&100)。
 
 

 

157 格安航空券詐欺 12-04-2005(火)

 
  金融機関などを装って電子メールを送り、偽装したHPで暗証番号などを聞き出して金銭を騙し取る『フィッシング詐欺』の被害が広がっているのはここスペインでも同じであるが、先日新聞に載っていたスペインの新手のインタ-ネット詐欺をご紹介しよう。
 HPでかなり安目の航空券を販売し(てはいないのだが)、クレジットカ-ドの暗証番号を入力させる。おまけに、最後に“カ-ド決算出来ませんでしたので、当社の次の口座に送金して下さい”と二重詐欺の追い討ち。盗っ人厚かましいとはこのことか。
 今や世はとうとうとして虚偽が満ちている。信じるに足る誠実の人は暁の星の様に少なく、人皆虚偽とへつらいと偽善を語り、口先で人を陥れ、自らの利を得ようとする。これは現代を良く描いている。口先の上手い人、二心を持って滑らかに世を渡る者が随分栄える。“舌に拠って勝ちを得よう”と思う者が多い。今の時代は実に邪悪な時代で、卑劣なことが慕われ、不義な者が横行している。-----或る昔の偉い人
 ここに二つの対極することばが出て来ます。『誠実』と『虚偽』です。昔中学の理科の時間に出て来た“実像”と“虚像”を思い出しますが・・・。
 人間誰しも100%『誠実』で100%『虚偽』な人などいません。どちらの要素も兼ね備えているのが人間の存在だとも言えますが、『誠実』ではなく『虚偽』の方が圧倒的に幅を利かしているのが現代社会の実情です。いずれにせよ、悪質な詐欺師から“嘘も方便”に至るまで『虚偽』の本質に変わりはありません。
 だからと言って、“皆さん、嘘を徹底的に排除して100%『誠実』な人生を送りましょう”と、ガチガチ一辺倒では“遊び”のないハンドルやブレ-キの様に運転も人間関係もギクシャクします。人の『誠実』さにも融通の利く“遊び”が必要です。ただし、元来嘘吐きな人間様はこの“遊び”を身勝手にも“嘘も方便”と取り違えて善人ぶっている人が多過ぎます。そして、その自らの嘘の故にいつの間にか『虚偽』の脇道に迷い込んで、自身や他人も傷付ける交通事故を起こします。“遊び”でも何事に於いても、根底に『誠実』さがなければ総ては『虚偽』に終わるからです。
 さて、いつの間にか『スペイン週間コルムナ』も四年目に入りました。これからも毎週人間様の『虚偽』について書いて行くのかと思うとうんざりですが、自らの『虚偽』に泥酔して自分をも人様をもブッ飛ばさないためには一体どうすれば良いのでしょう?
 それはスペイン版忠犬ハチ公の如く自らと他人に対して忠実(誠実)であることです(コルムナ60&100&156)。筆者は今まで犬や猫に嘘を吐かれたことはありません。この点で確かに人間は犬や猫に劣ります。普段からスペイン版忠犬ハチ公を心のハンドルとブレ-キにしておけば多くの虚偽は防げます。少なくとも人から騙されることはあっても、自ら喜んで人を騙して何とも思わない人間のクズになることはないでしょう。
 『スペイン週間コルムナ』も四年目を迎えるに当り、今一度スペイン版忠犬ハチ公を筆者自身に、そして、読者に問いかけます。
 
 

 

156 宇佐美先生の涙 05-04-2005(火)

 
  筆者の母校の体育の教師であり、同時に11年間野球部の監督を務めた宇佐美先生の離任式が先週木曜日(3/31)に行われたことを野球部を応援する掲示板で知った。インタ-ネットとは本当に便利なものである。
 筆者は同級生と言うだけで、一学年450人いたこともあり、正直面識はない。彼の名前を耳にし始めたのは、むしろ、母校の野球部の監督になって初めて甲子園に行った時からだと記憶している。
 11年間で四度の甲子園(春三回&夏一回:コルムナ69&70&71)。初戦敗退一回。二回戦敗退一回。準決勝進出二回だから立派な成績である。その宇佐美先生が離任式で感極まって泣いたことをある在校生の投稿で知った。
 普通小中高校の卒業式では卒業生代表が答辞を読み上げる時に泣くのが恒例だが(!?)、筆者の卒業式では代表の女生徒が泣かず、後から皆で『鬼~!!』とか言ったのを昨日のことの様に思い出す。宇佐美先生もその内の一人だったに違いない。あれから29年後、今度は同じ母校の講堂で生徒の前で自ら泣くことになるとは・・・。筆者はこの話しを聞くに当り、人生とはつくづく大河ドラマだと感じた次第である。
 卒業生の中には宇佐美先生の様に地元に帰って地域社会にしっかり貢献している人もいれば、筆者の様に地球の反対側に飛んで行った奴もいる。女子の場合は嫁ぎ先に居るのが普通だろう。
 それゆえ、私はあなたに誠実を尽くし続けた。-----或る昔の偉い人
 筆者は常々小説同様、人生もある意味『起承転結』だと思うことにしています。そして、どんなに途中が面白おかしかろうが、最後の『結』が悪ければ爽やかな後味を残すことは出来ません。その秘訣は『誠実』ではないでしょうか?
 確かに我々その他大勢は宇佐美先生の様に社会的注目を集める立場には居ない人がほとんどかも知れませんが、そんなことはどうでもいいことです。我々の家庭や学校や職場やご近所で小さな誠実の種を蒔いておけば、いつか必ず小さな誠実の実を刈り取ることが出来ます。
 我々もスペインの忠犬ハチ公(同60&100)の様に日々誠実を尽くし続ければ、必ずや読者に感動を与える小説を書き上げることが出来るのではないでしょうか?
 
 

 

155 スペインの銭ゲバイ-スタ- 29-03-2005(火)

 
  先週欧米世界はイ-スタ-であった。日本語では『復活祭』と呼ばれ、スペイン語の“Semana Santa(セマ-ナ・サンタ)”から訳せば『聖週間』となる。死後三日目の日曜日の朝に墓から甦ったキリスト様の復活をお祝いするもので、その前が受難週であり、最後の日曜日が復活の日である。正確には3月21日、または、それ以後の満月の次の第一日曜日に当り(ややこしい!!)、従って、イ-スタ-の日付けは流動的である。通常4月初旬が多く、今年の様に3月末になることはむしろ珍しい。と、そんな宗教的能書きなどどうでもいい。とにかく、飲んで、騒いで、金が儲かればいいと言うのがスペインのイ-スタ-である。  
 まず、一週間前の日曜日夜から最終日のイ-スタ-の日曜日の夜まで毎日神輿が出て街を練り歩く。檀家制度であることは仏教もカトリックも同じ。今日はこの教区の教会の神輿が出ると言う風に曜日に拠って決まっている。
 何のことはない、一年に一度神社から御神体を担ぎ出して祭りをする日本の神輿と理屈は何も変わらない。祭りになると急に信者になるのもそっくりそのまま。終わったら皆でパ-と酒を飲んで打ち上げるのも瓜二つである。
 祭りなら当然経済効果もある。祭りの装束。飲食店など、関連産業はいくらでもある。それでも、今年聞いた開いた口が一番塞がらなかった話しをご紹介しよう。セビ-ジャ(アンダルシア州都)市内のホテル料金は普段の三倍。しかも、一泊では宿泊拒否され連泊でないと泊れない!? こんなことが一体どこまで合法なのか大いに疑わしいが、それでも毎年満杯になるらしい。先々週のバレンシアの火祭り然り、いや、総ての祭りが然りなのである。
 もちろん、日本の祭りも然りである。筆者の地元は田舎と言うこともあり、あるお寺で厄払い祈祷の日に信者は皆料理を作って持って行くそうであるが、そんな物見向きもせず、坊さんは片っ端から捨てるそうである。そんなことより、その日一日の売上げ(!?)約二千万せしめた挙句、その夜キャバレ-に繰り出すとか!? これは筆者の同級生で、このお寺の住職の友達の坊さんから聞いた話しだから間違いはない。スペインのカトリック教会でも、ミサが終わればタダの人的な坊さんが多いそうである。もちろん、酒やタバコだけでは済まない。
 私はあなたの行いを知っている。あなたは生きているとされているが、実は死んでいる。-----或る昔の偉い人
 どんなに一年に一度敬虔の皮を被っても、行いがそれにふさわしくなければ、実は死んでいる・・・とは核心を衝いたことばです。
 普段素面では出来ない肉の欲求を仮面を付けてぶちまけて憂さ晴らしをするのがカ-ニバル(謝肉祭)の正体であり本質だとすれば(コルムナ97)、普段から散々やりたい放題やった連中がその醜い死んだ行いに臭い物に美しいフタの如く、一年に一度だけ宗教的な装束に身を包んで敬虔に振舞う偽善ショ-が宗教的祭りだと言えなくはないでしょう。これを観光資源にする国や、乗せられて大挙して押しかける旅行者も同類項です。
 もし、我々も生きて人生を楽しんでいるつもりでも、行いが死んでいるなら、実は今もう既に死んでいるのかも知れません。
 死んだ行いとは何でしょう? 総て自己愛が動機の行いは、あからさまに悪い行いはもちろん、例え人目には良い行いでも、広い意味で皆総て死んだ行いです(同140)。だから、現代社会は死臭が鼻を衝く臭い社会になってしまったのです。
 いかに自己中に死んで復活するか・・・。誰しも復活しない限り死んだままなのです。
 
 

 

154 下々は控えおろう 22-03-2005(火)

 
  先週月曜日の午後と火曜日午前、アルハンブラ宮殿は突如一般公開中止となった。マドリ-で行われていた国際テロ会議(先週のコルムナ)がそのまま南下し、宮殿内のパラド-ル(国営ホテル)で急遽行われたためで、予約券を持っていようが、何とかツア-御一行様だろうが、ヨ-ロッパ主要五カ国の首脳会談が終わるまで下々は控えおろうとのお達しである。おまけにその延長で金曜日まで市内でNATOの会議まで行われたのであるから、市内は厳戒態勢。こんなにグラナダが安全な市だったこともかつてなかったのではないだろうか。
 かと言って市内を警備していた多くの警官や上空を朝からうるさく飛び回っていたヘリコプタ-は、何も日本人旅行者を有名なスペインの強盗から守ってくれていた訳でも何でもない。現に、余りの日本人目当ての犯罪の多さに、遂に我が日本国政府は地元グラナダ市に領事館を設置することを正式に決定した・・・と先週土曜日の地元新聞に載っていた。
 だとすれば、盗難、スリ、首絞めナイフ強盗、引ったくりなどの被害にあった日本人旅行者の皆さんは、もう駆け込み寺の如く日本語情報センタ-に来る必要もないと言うことになる。直接日本領事館に行けば、以前より遥かにスム-ズにパスポ-トの再発行、カ-ド停止、盗難証明など、しかも、総て日本語で対応してくれる。
 しかし、国際テロ対策も日本領事館設置も、総ては事後対策本部なのである。本当は事後対策ではなく、何事も転ばぬ先の杖の方が遥かに肝心であり、事の本質を衝いている。もちろん、様々な避けられないことが起こるのが人生であり、確かにこうして起こってしまったことに対しての政治的社会的事後処理は必要であるが、被害を被るかも知れない側の我々下々としては、避けられないことは別として(と書いているとお昼のニュ-スでいきなり北九州の大地震の映像が映し出されている!?)、なるべく危険に身をさらさないことも重要である。
 前者は単に事後処理のシステムについてであり、政治家の仕事。後者はモラルについてであり、我々の心の問題である。
 今週は何も海外旅行中のテロや強盗など身の危険のことだけを言及しているのではない。例えば、いかに暴力推奨丸出しのテレビゲ-ムでもそれ自体、愚かにも法律や刑法に触れることはないが、それらは必ずや多くの青少年の歪んだ性格形成に一役買い、やがて法律や刑法に触れる様なことをしでかす十分な下地を形成し得るのであるから、そんな物は見るなと自分の息子や孫のモラルに訴えることの方が遥かに大切である、と言える。
 貧しくても誠実に歩む者は、富んでいても曲がった道を歩む者に勝る。-----或る昔の偉い人
 人は皆豊かになりたいのです。それでも突然地震に見舞われるのが人生かも知れませんが、仮に地震に見舞われて経済的に貧しくなったとしても、誠実に歩む人が実は豊かな人なのです。逆に、金銭物質的に富むことだけを欲して人としての道を踏み外し、曲がりくねった迷路に迷い込んでいるのが今日多くの人の人生の描写とは言えないでしょうか?
 事後対策より転ばぬ先の杖。日本領事館より“君子曲がった道を歩まず”。人生誠実に歩んでいれば豊かさは必要用な分だけ付いて来ます。ただし、本当の誠実さとは自らのためではなく、他人や社会に対しての具体的な行いに現れるものでなければニセモノです。
 自らの欲には誠実な人も結局欲望の墓を築いていることには違いないとすれば(コルムナ139&140)、誠実に欲望の墓を築くことは、究極のところ誠実の旗の元に歩む曲がった道に過ぎないのです。
 世界の指導者から下々まで、人は皆クラスメ-トより、同僚より、他社より、外国より勝りたいのです。その秘訣は誠実に歩むことだけなのです。
 では“誠実”とは何でしょう? 神経を研ぎ澄ませて毎週の『或る昔の偉い人』のことばをお読み下さい。 
 
 

 

153 早いものでもう一年 15-03-2005(火)

 
  先週金曜日3月11日はマドリ-列車テロの一周年記念日だった(コルムナ101&102&103)。早いものである。
 何日か前から国際テロ対策会議が同市内で開かれていることもあり、世界各国から首脳クラスが相集った大規模かつ、遺族の要望もあり、控えめな追悼式典が行われた。当局は万が一に備え、迎撃戦闘機を常時上空に待機させ、地対空ミサイルをも配備する物々しさであった。
 191人の死者に加え、今も植物人間同然の被害者も何人かいると言う・・・。その他様々な凄まじい後日談が新聞やテレビニュ-スで紹介されたが、今週は『それでは、テロがなくなれば世界は平和になるのか』と言う観点からコルムナしてみたい。
 多くの人は『国際テロ組織を壊滅させればテロはなくなる』と思っている様である。実際今回の国際テロ対策会議もそのためにわざわざ世界の要人達がマドリ-(マドリ-ド)までやって来て意見交換しているのであり、これらは確かに国レベル、世界レベルで協力体制を敷くべき問題である。
 ただし、“千里の道も、国際テロも一歩から(同101)”であり、僅か一歩の悪でも野放しにすれば、千里とは行かないまでも、必ず大きな悪に至る。その社会レベル、世界レベルにまで千里の如く増長した悪に対処するのは今回の様に政治家や軍隊や警察の特別捜査班の仕事かも知れないが、やがて必ず将来大きな悪となる僅か一歩の悪に歯止めを掛けるのは我々一人一人が個人レベルで行うべきことある・・・が、圧倒的大多数は愚かにもこれをしないがために、現代は大小のテロに満ち満ちたとんでもない社会になってしまったことは毎日の様に起きる事件が証明している。
 子供の喧嘩、虐め、姑の嫁いびり(逆も!?)などの刑法には触れないが、人間として倫理に反する大小様々な人間同士の諍い。これらは『量』は違えど『質』に於いては立派なテロと言えないだろうか? これらはお互いがお互いのことを思いやれば最初から起きない問題が大半であるが(同150後半)、今日それに気付くほど思いやりのある人間の出来た人間様は余りいるものではないらしい。
 思いやりの精神さえあれば海に汚水を垂れ流す自然に対するテロ、牛を殺して喜んで見世物にする闘牛の如き動物へのテロ、そして、人が人を殺める対人テロなど起こらないはずである。しかし、現実には良心の咎めることなくバンバン起こっている。何故か? 人は皆自己中で身勝手で、気に食わなければかんしゃくを起こす傾向にあるからである。
 この様に他への思いやりの精神のないことが広い意味でテロの定義である。定義が大袈裟なら、少なくともその第一歩であると言える。思いやりの精神がない人はその自己中故に必ず他とぶつかる運命にあるからである。だとすれば我々も皆多かれ少なかれテロリストかも知れない。
 人に思慮があれば怒りを遅くする。その人の光栄はそむきを赦すことである。-----或る昔の偉い人
 真面目に勉強して働くことさえも、それがせいぜい自分と家族のためだけなら、身勝手な欲望の墓を築いているだけに過ぎないとすれば(同140)、ましてや、おもむろに“思慮を欠け、怒りをぶちまけろ”と言わんばかりの強烈極まりない“一歩”に溢れた殺伐とした現代社会の欲望の墓参りは何と悲惨なことでしょう。
 思慮を欠くか思慮を有するか。怒りをぶちまけるか赦すか。これがテロリストか否かの境目です。
 読者の皆さん、気を引き締めて下さい。国際テロの有無に係わらず、日本社会はこれからますます殺伐としたおかしな事件が日常茶飯事になって来ます。それは新聞を賑わす悪い奴らだけではなく、実は気を引き締めなければ我々一人一人にも直接的間接的な責任のあることなのです。
 テロとは思慮なく怒りをぶちまけること。思慮がなければ人も国も滅びます。国はともかく私達はどうでしょう? 
 
 

 

152 お城が人とはこれ如何に!? 08-03-2005(火)

 
  スペインと言えば闘牛とフラメンコ。いずれの発祥の地でもある南スペイン・アンダルシア地方こそ、少なくとも我々外国人には最もスペインらしい地方であると言える。日差しも強烈で、州都セビ-ジャ市はコルドバ市と並んでスペインで最も暑い所。夏場気温は47~48度にまで達する。それに比べてここグラナダ市は標高680mの高原の盆地なので、上がってもせいぜい42度位である。
 現在はこのアンダルシア地方に限らず、スペインの総ての地方は自治政府になっている。つまり、スペインは政治的には地方自治政府の集合体であり、各地方政府にはそれぞれの首相や大臣達が控えている。
 そのアンダルシア地方政府の野党第一党党首が先日ニュ-ス番組で『今の与党のやり方では駄目だ~』とか何とか言っているのが耳に入って来た。総て与党のやることなすことに反対するのが野党の仕事なのは万国共通。またか、とさえ思わず聞き流しただけなので、どんな内容についての批判かは一切覚えていないが、これを聞いて何故か先日インタ-ネットの日本の新聞で見た、今日本中に論議を呼んでいる(かどうかは知らないが)愛媛警捜査費不正支出問題の渦中にある仙波巡査部長の言った『やはり、“城は人なり”ですから、人間がまともになれば警察組織もまともになるんです~』の一言が思い出されて来た。
 この両者は政治家と警察官と言う社会的立場は違えど、社会を良くし様と言う思いは同じである・・・が、その目の付け所は似て非なるものであることに読者はお気付きだろうか? 前者は社会を良くするための方法論自体の是非に過ぎず、後者はそれらの様々な方法を考え行う“人”の“質”に言及している。また、前者は立派な“城”の構築自体が論点であるが、後者はそれを担うのは“人”であり、“人”が機能しなければどんな立派な城も機能しないと言う・・・。
  その昔ある日本の有名なビジネスマンが『私はビジネスは金ではなく、人であることを学んだ』と言ったことがあるが、理屈は全く同じである。
 或いは、ゆとり教育なら週休二日にすればいいと言うのは、ただ単に休みの日を増やせばいいと言うだけの何と知恵のない安易な方法論だろう。肝心の生徒の“人”の“質”に言及しないから、時間的ゆとりばかり増えてろくなことをしなくなるのである(コルムナ138&143&144&145&150)。
 逆に、子供の心に本当の意味でゆとりを与えてやれば(同60&100)、週休二日だろうが、一日だろうが、やるべきことは自主的にやるはずであり、また、人様に迷惑をかけない、社会のお役に立つ人間に成長して行くはずである。
 この事件の本質も警察官の“質”たるべき“正義感”が希薄になったからこそ“城”が揺らいだ日本警察のお家騒動である。
 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人
 社会も政治も学校教育も家庭環境もビジネスも・・・、総てはそれ自体の問題でも、システムや技術の良し悪しでもなく、それに携わる“人”次第なのです。“人”の“質”が良くなれば社会は自然と良くなり、悪くなれば社会もその悪の度合いに正比例して悪くなる・・・。そして、“人”の“質”が子供から極めて劣悪になっているから現代社会も子供から極めて腐敗して来ているだけの話しなのです(同89&150)。全く簡単な理屈です。
 もしかして読者は『そんなことどうでもいいじゃないか、本人が良ければ・・・』と言う人かも知れません。確かに、ある意味本人が良いと思う様に各自の“城”を築くのが人生かも知れません。しかし、ささやかな小屋から大きな城まで、いくら“本人が良ければ”とは言え、そこに“人”の“質”が伴わなければ結局愛媛警捜査費不正支出問題の様な大小様々な不正問題が起き、遅かれ早かれ城は基から揺らぐことになっているのです。
 『城は人なり』 我々は勉強や仕事や家庭や人間関係で一体どんな“城”を築いているのでしょうか? それは我々の“人”次第なのです。
 
 

 

151 もらった馬の歯は見るな 01-03-2005(火)

 
 これはスペイン人なら誰でも分かるスペインの諺である。読者にはこの意味がお分かりだろうか?
 お役御免の老いぼれ馬だからタダでくれたに違いない。老いぼれ馬なら歯はもう磨り減ってガタガタだから、見ないに越したことはない。この様にただでくれるからには皆それなりの理由があるのだから、いい物は期待するなと言う意味である。少々長ったらしい教訓だが、先週筆者はこの諺をことの他思い出さずにはいられなかった。
 いつもの食堂で魚を食べていると、何の変哲もない小骨を噛んだと思った瞬間いやな予感がした。10ヶ月前大枚を叩いて治療した奥歯が真っ二つに割れてしまったのだった(コルムナ104)。
 思えばその時歯科医から言われていたことなのだが、筆者の場合歯茎がガタガタで、グラついている歯が何本もあるとか・・・。今回もその時の歯自体の治療が不完全だったのではなく、原因は極めて不安定な歯茎のせいだった。結局長年お世話になったこの奥歯は抜くことになった。歯科医も前回の治療効果なく抜歯に終わったので悪いと思ったのか、今回治療費は無料であった。
 どんなに腕のいい評判の歯科医でも、そして、こと歯に関してだけならどんなにお金をかけた完璧な治療でも、その土台である歯茎が揺らいでいては遅かれ早かれ歯は崩れ落ちる運命にある。
 岩の上に土台を据えることをせず、自分の知識や思想や働きや富に頼っている者は砂上の家の様に、人の目にはいかに美しく、また堅固に見えても危険である。-----或る昔の偉い人
 徳川家康は『人生は重荷を負って遠き道を行くが如し』と言ったそうですが、ここでは人生は『家』を建てることに比喩してありま・・・せん。良く読むと、むしろ、人目に付く家自体にも家の見映えにも言及しておらず、ことさら人目に付かない家の土台の安定不安定こそ家の総てを決定すると説いています。
 しかも、普通人間社会ではこれこそ美徳とされる知識や思想や働きや富も、足元が砂地では危険極まりない砂上の楼閣とは・・・。
 ましてやファッションやレジャ-やグルメや酒やバクチやバラエティ-番組が価値観の人生が健全な歯茎であり得るでしょうか? 人に目にはいかに美しいオシャレも、ヒット商品も、面白おかしいことも、何事も足場が岩ではなく砂なら、最後は抜歯の憂き目に会います。
 例えば、筆者の経験ですが、ギタ-で右手左手の指が思い通り動いてくれないのは指が短かったり、指の基礎練習が足りないのではなく、指の土台である手自体が揺れているから指もグラついて上手く弾けない場合がほとんどなのです。素人考えではギタ-は指で弾くから指を鍛えればいいと思うところですが、指自体ではなく右手左手自体を安定させると、指も自然に安定して確実に上達します。
 何事も一生懸命の割りに余り成果が伴わない方。見映えでもなく、人の評価でもなく、人が見向きもしない貴方の足元が『岩』か『砂』かに気を配ってはいかがでしょう? 『岩』なら例え小さくても堅固な家が自然に建って来るはずです。
 
 

 

 150 ここまでやるか情熱のスペイン 22-02-2005(火)

 
  先週水曜日地元グラナダ市内の中学校で14歳の女生徒が同級生の女生徒を相手に刃渡り15㎝の刃物を振り回す寸前の大立ち回りを演じた。
 さすがは情熱のスペインと笑って済ませるには顔が引き攣りそうだが、事件の詳細など書いたところで意味はないし、14歳だろうが17歳だろうが、刃渡り何センチのナイフ(コルムナ120)だろうがカッタ-(同113)だろうが、そんなこともどうでもいい。少年法の刑法の年齢を引き下げれば少年犯罪件数が減少するだろうと言う安易な発想は付け焼きに過ぎないし、少年院にぶち込んで隔離しておけばいいと言う問題でもない。
 日本でもスペインでも世界中で子供から一線を越えた凶暴な犯罪(同149後半)が現代社会の特色となりつつあることはもはや誰も否定出来ない。こんな子供達が近い将来どんな大人になるかと思うと全く末恐ろしい限りであるが、残念ながらその予備軍は今もう既にかなりの数に上ると筆者は思う。
 この邪悪軍団に正式に入隊してからでは遅い。入隊すればドスだけでは済まない。酒に麻薬にと、ありとあらゆる邪悪(同112~114&118~120)で武装されるのである。後から武装解除を試みるより最初から入隊しないのが一番であるが、厄介なのはいつの間にか入隊してしまっている場合が多いことではないだろうか。
 いくら人間は性悪説(同149後半)とは言え、中学校で女生徒がナイフを振り回して傷害事件を起こすなど世も末の前兆である。雪だるま式に増える借金地獄と同じで、人間の悪も子供から加速度的に増長して従来の人間の悪の観念を遥かに超えた時代を我々は世界中で既に迎えつつあるのである。
 『この木は根っこから歪んでるから、こりゃ矯正出来ないね・・・』 これは以前スペインのラジオ番組で聴いたある植木職人の話しである。つまり、歪んだ枝なら添木やロ-プで矯正することは出来ても、幹が根元から歪んでいては手の施し様がないと言う意味である。子供も同じことではないかとその時のゲストの一人が言っていたのを思い出す。
 転ばぬ先の杖ならぬ“性根が極端にひん曲がる先の妙薬”はあるのだろうか?
 誰でも自分の利益を求めないで、他人の利益を心掛けなさい。-----或る昔の偉い人
 性根が自己中で歪んでいるから幹も枝も実も歪んで来るだけのこと。文字通り枝葉には拘らず、性根が自分のためではなく他人のためを思う思考回路になればこの世の圧倒的大多数の悪は防げます。毎日新聞を賑わす事件はもちろん、読者の抱えている学校や職場のちょっとした問題を考えてみても、お互いがお互いのことを思いやれば最初から起きない問題が大半であることに気付きます。
 例え英語や算数は出来なくても、子供にこの他人や動物や自然をいたわる心を植え付けることさえ出来れば学校教育の目的のほとんどは達成出来たと言えると筆者は思います。これこそ本当のゆとり教育です。教職の本当の目的もここにあるべきはずです。
 これさえあれば後は何とかなります。性根が良ければ幹も枝も実も健全に発育するからです。たまに病気になっても治療可能な病気で終わります。
 逆にこれがなければ、いくら成績が良かろうが人生何ともなりません。性根が自己中で歪んでいるから、何をやろうが幹も枝も実も歪んで来るからです。
 この女生徒の場合はその実が極端に湾曲した例に過ぎませんが、まだ表舞台に登場しない殺伐殺戮青少年予備軍がおびただしい数に及んでいることを筆者はひしひしと感じます。ですから、これから世の中はもっともっと荒れて来ます。
 読者の皆さん、この邪悪の奔流に流されないためには常に他への思いやりの精神を根底に持つことです。
 
 

 

 149  飲んだら乗るな、吸ったら乗るな!? 15-02-2005(火)

 

グラナダ市救急病院に交通事故で担ぎ込まれた患者の統計が先週発表された。これは交通事故と飲酒運転の因果関係を調べるために病院側が自主的に患者の血液検査から割り出したものであるが、結果は予想に反してとんでもない実態が明らかになった。

 交通事故を起こした40歳以下に限って言えば、その原因は酒より何と麻薬が一番の原因だそうである。

 それ程スペインでは麻薬は手に入り易い。コカイン、ハシシュなどその気になれば誰でも買えるし、当然売る奴がいる。

 薬の売人はスペイン語の俗語で“カメ-ジョ:camello(らくだ:運び屋)”と呼ばれている。“らくだ”連中は末端の下っ端であり、当然それを仕切っているもっと悪い奴らがいる。日本でも若年層に麻薬が広まっているそうであるが、理屈は同じである。

 人間の愚かさに比例してその愚行も酒タバコから麻薬に格上げされているだけの話しだが、今週は敢えてその人間の愚行を“通常の愚かさ”と“致命的な愚かさ”の二種類に分類してみたい。

本人が悔い改めればまだ修正可能な愚かさが“通常の愚かさ”なら、後から本人がどんなに後悔しようが更正に努力しようが、ドツボにハマってもうどうにもならないのが“致命的な愚かさ”であると言える。

例えば未婚の母。一時の情に溺れて一生重荷を引き摺るのは母子共に辛いことである。麻薬に溺れて幻覚モ-ドで車をぶっ飛ばして他人をもぶっ飛ばして巻き添えにするのも致命的な愚かさの実と言う点では同じである。この場合、仮に両者共本人や周囲の努力で傷は癒されるとしても、一生消えない大きな傷跡は残る。

知恵のある者と共に歩む者は知恵を得る。愚か者の友となる者は害を受ける。-----或る昔の偉い人 

昔高校の漢文の教科書にあった性善説か性悪説なら、議論の余地なく人間は性悪説です。筆者も読者も皆そうです。例外はありません。しかし、その人間の悪が若年層から、いや、幼少期から野放しになり、遂に“通常の愚かさ”と“致命的な愚かさ”の一線を越えてしまった人が多いのが日本やスペインだけでなく、世界中の現代社会と言えます。だから、世界中でおかしな事件が頻発しているのです。

こんがらがってどう仕様もなくなれば、ソロバンなら“ご破算で願いましては”で済みますが、人生はそうは行きません。

人生こんがらがってどう仕様もなくなる前に『友』の選択を誤らないことです。

貴方の『友』は貴方に知恵を与えるのか、害を与えるのか・・・。血液検査の方法をお教えしましょう。

毎週の“或る昔の偉い人”のことばをリトマス試験紙にして自らを吟味してみて下さい。損はしません。

 
 

 

148 カリブの島で地獄の休日 08-02-2005(火)

    やっと本人の居場所が判明した。しこたま金を集めてトンズラした悪い奴のことである(もう一度コルムナ139&140をお読み下さい)。
地元新聞が突き止めた一大スク-プが記事になったのは先週金曜日。もっとも、容疑者自身が事の真相を明らかにするために第三者を通じてこの新聞社にコンタクトを取って来たそうである。以下本人の言い分を要約すると・・・。

  『村を早朝逃げる様に抜け出し、いくつかの国を逃避行の挙句現在はあるカリブの島にいる(記事は電話ではなく、新聞社の記者がここまで直々に赴いてのインタビュ-)。居場所は明かさないで欲しい。確かに私は昔から野心に溢れた人間だった。それが今回の顛末の遠因にもなったのかも知れない。ただ、皆(出資者)のためにと頑張ったが、結果が伴わなかった。後もう2、3ヶ月待ってくれていれば企業自体を売却出来てこんな事態にはならなかったはずだが、ロシアと国内のマフィアから付け狙われて命の危険を感じたので、僅か3000ユ-ロ(約42万円)だけ持って逃げたのだ。以前新聞記事に載った様なロシア人の愛人などいない。私は今家族も含めて総てを失ってしまった。出資者の皆さんには本当に申し訳ないと思っている。私の子供達には私のことは運が悪かった善良な父親として覚えていて欲しい・・・。』一方被害者達は一応に『綺麗事ばっかり抜かしやがって、このペテン師!!』と罵っているそうである。
  もちろん、総て事実を言ったとは思えないし、警察の調べでは高飛びする直前に預金を総て引き出したとのことであるが、自己弁護の美辞麗句はさておき、まず自ら名乗りを挙げたことと、被害者に十把一絡げながら謝罪していることについては誠意のかけらを感じる。結局、金の匂いを嗅ぎつけたロシアと国内のマフィアがブラックマネ-を投資して来たのが破綻の直接原因だった様だ・・・と言うのが筆者の第一印象である。となると、確かにこの加害者も被害者と言えなくはないかも知れないが・・・。
スペイン語の出来る方はご覧下さい。この新聞の記事です。リンク枠下↓

このインタビュ-は居場所だけは明かさないと言う条件付だったそうであるが、警察がその気になればこの新聞社に問い詰めればいいだけのこと。本当は本人は捕まってスペインに帰って洗いざらい裁判でぶちまけたいのではないだろうかと誰でも思わないだろうか・・・。
『欲望の墓』とは何と余韻に富んだことばであろうか。世の真相はこの一語に尽きている。人は欲の化身として存在しているではないか。彼等の終わりはみな『欲望の墓』である。-----或る昔の偉い人
  そうなれば、叩けば埃の出る連中がイモ蔓式に出て来るともこの容疑者は言っていました。実際別の新聞の記事ではグラナダ市内のある有名企業もこの容疑者に闇金を投資していたとのこと・・・。しかし、法の前に誰が加害者であり被害者であろうが、そんなことは事後処理であって事の真相ではありません。事の真相はこの『欲望の墓』の一語に尽きているのです。ただ、それだけのことなのです。
  『欲の皮が突っ張っているからこんなことになるんだろ、アホな奴ら・・・』とこの事件を傍観している私達はあたかも潔白の如く言えるでしょうか? 例え小さくても善良に『欲望の墓』を築いているな ら、皆誰しも同類項です(同140後半)。ただ、多くの場合人間は他人の欲は裁くくせに、自らの欲には自律神経失調症なのです。痛みを感じ始める頃にはもう末期癌かも知れません。今回の事件は、むしろ、我々の欲をはらんだ人生の縮図とも言えるはずです。人生最後はこの一語に尽き果てたくない方、続けて“スペイン週間コルムナ”をお読み下さい。

 
http://www.ideal.es/granada/pg050205/prensa/noticias/Local_Granada/200502/05/COS-GRA-162.html

 

147 アバタも笑くぼか雪化粧 01-02-2005(火)

 
 先週木曜日はアウシュビッツ開放60周年に当り、ドイツも含めた当時の関連各国首脳が当地に集まり記念式典が行われた。
 スペイン内戦(1936~39)で疲労困憊していたスペインは直後の第二次世界大戦には参加しなかった。フランコ将軍の国民党側と共和党側に分かれてスペイン人同士が殺し合ったスペイン内戦はヒトラ-からしこたま武器援助を受けたフランコ将軍がソ連の援助を受けた共和党側を破って、第二次大戦後世界で唯一のファシスト国家となる第一歩を踏み出した。
 破れた共和党側の多くのスペイン人は同盟国ソ連に亡命し(今でもロシアから帰国出来ない中国残留孤児の様なスペイン人もいる)、ドイツと戦うために連合軍側から従軍して、運悪くこのアウシュビッツ収容所送りになったスペイン人兵士もかなりいたのである。今回その生き証人のスペイン人のインタビュ-などもテレビで放映された。各国首脳は皆口を揃えて『悲しい歴史が繰り返されない様に』とメッセ-ジを述べてはいたが・・・。
 一方先週スペイン全国は20年振りの大寒波に見舞われた。亜熱帯で有名なグラナダ県の地中海海岸でも50年振り、場所に拠っては100年振りに雪が降る有様で、全国各地で降雪、アイスバ-ンに拠る車の立ち往生が後を絶たなかった。筆者も8年前観光ガイド時代、積雪でバスが立ち往生し、一晩中車内で過ごした経験がある。団体をマドリ-ドのホテルに降ろした後だったのが不幸中の幸いだったが、真夜中に赤十字から差し入れのサンドイッチを貰ったのは後にも先にもこの時が最初で最後である。
 ただ、今回残念ながらグラナダ市内はマイナス11度まで下がった割には雪はちらついた程度で積もりはしなかった。残念ながらと言うのは雪に覆われた絶景のアルハンブラ宮殿は中々お目にかかれないからである。もっとも、テレビのニュ-スを見ると、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないと言われそうなほど各地は積雪に拠る様々な事故や被害に見舞われていた。
 そんなテレビの映像の中でも雪化粧されたトレドの町は綺麗であった。読者がスペインの旅行書を持っていれば、トレドの全景の写真のペ-ジを見て、これが総て雪に覆われている場面を想像していただきたい。町に一歩入れば、まさか犬の糞がゴロゴロしていようとはとても思えない美しさである(筆者は観光ガイド時代何度も仕事で行ったので良く知っている)!? そう言えばもう何年も前の話しだが、日本のどこかの街で積雪の後、雪が解け始めるとたくさんの犬の糞が出て来たと言う話しを聞いたことがある。
 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人
 各国首脳の美辞麗句の追悼メッセ-ジも今回のスペインの大雪も、結局犬の糞の如き人間様のアバタを隠す美しい厚化粧に過ぎないのではないでしょうか? 実際60年後の今日、人類がアウシュビッツの教訓を学んだとはとても思えないと言うのが新聞やニュ-スの論評でもあります。
 犬の糞を犬のせいにして、その解決策は美しい雪化粧の如き、あたかも人情溢れるかの様な優等生発言。まずは犬の、いや、人間様の汚物に満ちた人間社会の構成員である我々人間一人一人が汚物の垂れ流しを悔い改めない限り社会が良い方向に変わる訳がないのです。出来ることはせいぜい遠くから眺めれば美しいこと極まりない美辞麗句で総ての臭い物に見事にふたをする解ける前の雪化粧位でしょう、人間が変わらない限り・・・。
 ところで、一昨日の新聞に拠ると、5200万ユ-ロ(約72億円)に及ぶ人情溢れるスペイン政府のスマトラ沖地震の援助の80%は利子付きの企業援助(!?)だそうです(先週のコルムナ)。やはり裏がありましたね。雪に見惚れて雪化粧の下の犬の糞を見抜かなければ糞づけて、糞だり蹴ったりです!? いや、ウンの付きか!?
 
 

 

146 人道支援はウルフチ-フ 25-01-2005(火)

 
  昨年の世界の十大ニュ-スのトップは何と言っても年の瀬のスマトラ沖大地震と津波であった。
 スペインでは国内外を問わず、この種の災害が発生するとすぐに驚くばかりの義援金が集まる。今回大盤振る舞いの日本政府には額では及ばないが、スペイン政府もかなりの金銭物資援助を既に提供している。人口30万に満たない当グラナダ市だけでも現時点で35万ユ-ロ(約5000万円)の寄付が集まった。今回世界中からの援助に“世の中まだ捨てたもんじゃなか”と思った人も多いのではないだろうか。
 さて、筆者がこの多大な世界規模の援助の有効性を考えていたところ、何故か“ウルフチ-フ”のことを思い出した。ウルフチ-フとは今からもう30年前のテレビ野球漫画『侍ジャイアンツ』の主人公のノ-コンピッチャ-番場蛮のライバルのアメリカインディアンである。筆者が高校一年の頃だから、あの巨人9連覇の最後の年。因みに日本シリ-ズは今や日本の父親の理想像と崇められる野村監督(その割に嫁はんはアクが強いが・・・)が現役でキャッチャ-の南海ホ-クスが先勝したが、後は確か巨人の4タテだった。余談だが、この年筆者の母校今治西高は甲子園春夏連続出場した。春は確かベスト8であの作新学園の怪物江川に僅か内野安打2本に抑えられ、ほとんどお情けで完全試合を免れさせてもらった。やはり規格外の大投手である。夏はその江川が銚子商業相手に雨中の四球押し出しサヨナラ負けの歴史的名場面。母校はベスト4で静岡高校に破れている。筆者もブラスバンド部員としてアルプススタンドから何試合も応援させてもらった。結局この大会で優勝したのは後に広島カ-プのキャッチャ-から監督にもなった達川の広島商業だった。
 話しが逸れたが、その『侍ジャイアンツ』でウルフチ-フがある時暴走する野牛の群れに向って、こんなにたくさんいるんだから当たるだろうと槍を“群れに向って”投げたが当たらず、長老に諭された通り、群れの中の一匹だけに“的を絞って”投げたら仕留めることが出来たと言う一話が今回何故か思い浮かんで来た。
 この例に限らず、人生総てのことは神経も努力も勉強も、仕事でも人間関係でも愛情でも何でも十把一絡げではなく、集中して狙い澄まさないと思ったほどの効果は期待出来ない。読者にはこんな経験はないだろうか? 善意の救援物資が中々被災地に届かなかったり、早速インドで善意の救援物資が売られていると言う先日の国際ニュ-スを見て、ますますこのウルフチ-フの話しを思い出した次第である。
 ところで、筆者はある疾患のため、先月帰国の際(コルムナ143~145)病院に行った。先生は余り親身には診てくれず、事務的に仕事をこなしている印象を受けた。どうも納得がいかなかったのであと二つ同じ科の別の病院にも行ったが、印象は全く同じで診立ては違った!? 最後はお決まりの薬をもらってお終い。別に儲け主義の病院とは思わないし、多くの患者がいればそうなってしまうのかも知れないが、医師が筆者の身になって診てくれたなどとは微塵も感じなかった。日本にはもう破れ傘刀舟先生(やぶれがさとうしゅう:萬屋錦之助主演:分からない読者はお父さん母さんに聞いてね)の様な人情と気骨ある町医者はいないのだろうか? そう言えば悪人相手の刀舟先生の太刀回りの決まり文句は“テメ-ら人間じゃね-、叩っ斬ってやる!!”だった。 
 医者と患者も、寄付者も被災者も、総ては人と人の成せる業である。一番肝心な弱い相手の立場に立つことなく事務的処理だけに終わるのなら、傍目から見ればどんなに高尚なことも結局人の心には届かない。寄付も診療も、そして、読者や筆者の勉強や仕事など、結局総てに於いてそうなのである。
 そう言えば小学校の頃の赤い羽根募金は一体何だったのだろう? あの10円がどこに寄付されたのか筆者は今もって分からず終いなのである。例え多額でも、ただ何となくの善意や義務感からでは結局しないよりはまし程度に終わってしまうのがオチかも知れない。
 確かに今回の様な場合、我々は被災者を個人的に知らないので個人レベルでは心配してあげ様がない。それ以上何をどうしろと言うのかと言われれば返すことばがないが、要は相手に対して、例え今回の様に不特定多数でも人として個人的な重荷(同134)を感じるかどうかと言うことである。これさえあれば必ず後に残る何かを人として与え、また、得ることが出来るが、なければ人間不在の単なる事務処理的行為に終わってしまう(同127)。
 誰でも自分の利益を求めないで、他人の利益を心掛けなさい。-----或る昔の偉い人
 もちろん、これは助ける側だけではなく、助けられる側にも言えることです。要は人が“人”であるかどうかの問題ではないでしょうか? “世の中まだ捨てたもんじゃなか”かどうかは集まった寄付金の額を見て言うことばではなく、寄付した人と寄付を受ける人の“人”次第と言えます。額の問題でもなく能力の問題でもありません。人助けもまた見える金や物ではなく、見えない“人”なのです(同134)。
 今回寄付しなかった人より寄付した人の方がより情に富んだ良い人間かと言えば必ずしもそうではないでしょう。寄付しなかった我々ももっと身近なことや些細なことでもいいから、的を絞って人として情に富めばいいだけのことです。“群れに向って”ではなく、“的を絞って”情に富めばそれは自然と行いとなって表れ、必ず人間として満足感を味わえるはずです。 
 しかし、今の世の中破れ傘刀舟先生に“テメ-ら人間じゃね-、叩っ斬ってやる!!”と言われそうな人間が一体どれ位いることでしょう? 日本もスペインも毎日そんなニュ-スの何と多いことか・・・。太平にうつつを抜かしていると今度は日本、いや、貴方の番かも知れません。
 
 

 

145 浦島太郎の火星探検20日間(3) 18-01-2005(火)

 
  二回で終わる予定が、こちらもつい力が入って来た。今週もう一回だけ浦島太郎で行くことにしよう。
 さて、正直なところ筆者は今回『相田みつお物語』を見るまで相田みつおについては全く知らなかった(先週の続き)。清貧に甘んじる人情と気骨ある古風な日本人と言えば一言でその人格を要約出来るかも知れない。正に星飛雄馬がそのまま書道家になった如くである。
 番組の中でも彼のいくつもの金言が出て来たが、筆者個人的には先日インタ-ネットで検索していて見つけた『一生感動一生青春』が好きである。
 今日一体どの位の日本人が感動のある人生を送っているだろう? 青年時代はもちろん、感動さえあれば壮年期でも老境に差し掛かっても青春であるとは素晴らしいことばである。逆説的解釈を施せば、現代の多くの日本人は子供からして物質や快楽追求型の、人としての感動の希薄なボケ老人が多いのではないかと帰国中同胞日本人に強く憂いの念を感じた次第である。ファッションやバラエティ番組が価値観の若者や子供に一体何の感動があるのだろう・・・。
 一方『忠臣蔵』と言えば時代劇の定番であり、片岡知恵蔵の昔から多くの役者に拠って演じられて来たにも係わらず、そして、もうシナリオも起承転結も総て分かっているにも係わらず、何度見ても飽きが来ない。『本当に価値あるものに賞味期限はない。』 これは筆者が今回『忠臣蔵』を見て思ったことでもある。相田みつおの向こうを張って、これも中々の金言だと我ながら思うが、どうだろう? 
 “スペイン週間コルムナ”のテ-マは女心と秋の空の様に移り気な価値観ではなく、賞味期限のない価値観を求めることでもある。その賞味期限のない価値観のエッセンスの様なこの二つの番組を見て、一体金髪でミニスカ-トの日本の女子高生を初め、バラエティ番組で脳みそが狂牛病の現代の特に若い世代の日本人は一体感動したのだろうか? いや、どうせ『あんな貧乏な生活なんてイヤ~。ご飯がなかったらどうすんのよ!!』とか『電柱でござる???』とか、火星人の漫才の様なことを本気で言ったのではないだろうか? 学力低下で有名な現代の子供ならこれ位のことを平然と言ったとしても不思議ではない。合掌・・・。
 日本の子供の人間の質が低下したから学力も低下したまでのこと。こんな簡単な理屈が見抜けない政治家も教師も親も火星人症候群である。
 貴方の先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。-----或る昔の偉い人
 何も総てに於いて昔の方が良かったと言う訳ではありませんが、昔ながらの価値観が今風の浅はかな価値観に取って代わられる時、人はますます愚かさの深みにハマって行くのではないでしょうか? 何度でも繰り返します。高校生はおろか、小学生から髪を染めてミニスカ-トで登校して、それを禁じる校則も風紀部の規則もなく、政治家も教師も親も誰も危惧しないとは日本が既に滅びの崖っぷちに直面している明らかな証拠です(同138)。“勝った、勝った、また勝った”と原爆を叩き込まれる直前まで浮かれていた当時の軍国主義に洗脳された日本人と全く同じノ-天気ではありませんか?
 それでも日本の子供達はミニスカ-トだけでは済まないスペインの子供達よりまだましだとは思いますが、筆者は先々週先週今週と日本人とスペイン人を比較したつもりはありません。少しはしたかも知れませんが、個人的な好みはともかく、極めて劣悪な両者に劣悪同士で優劣を付けたところで意味がありません。ヒトラ-とムソリ-ニはどちらがましかと論じるのと同じです。それは日本人もスペイン人も先祖が立てた昔からの価値観の地境を自らの愚かさと欲望の赴くままに著しく移してしまったから・・・、いや壊してしまったからではないでしょうか?
 おのおの方。“スペイン週間コルムナ”では今年も賞味期限のない価値観と感動を一緒に考えましょう。考えなければ火星に島流しです。
 
 

 

144 浦島太郎の火星探検20日間(2) 11-01-2005(火)

 
  何せ10年半の空白は大きい(先週の続き)。
 月曜夜8時TBSお決まりの『水戸黄門』も『大岡越前』もやってない!? テレビ朝日の『アフタヌ-ンショ-』も昼メロもなく、NHKの『ニュ-スセンタ-9時』も、その後9:40からの『銀河テレビ小説』もない!? 日本テレビの『11PM』もなければ、フジテレビの『プロ野球ニュ-ス』もない!? 一体何がどうなっとるんじゃ!? 日曜夕方6:30 に『サザエさん』を見つけた時には心から安堵したが、声優が代わっていることに時の流れを感じざるを得なかった。筆者が小学生の頃からやっている長寿番組なので、確かに35年も経てばこれも当たり前のことか。漫画の登場人物は歳を取らないが、声優さんは生身の人間である。
 一方、25年振りに名古屋で学生時代勤めた塾に行こうとしたが、区画整理されてどこがどこだかさっぱり分からず行き着けなかった(例え行き着けたとしてもなかったとは思うが)。同じくバイト先の青果市場に12年振りに行ってみれば身売りしており、大学や下宿の当りもすっかり街並みが変わって道に迷うばかり。当時の銭湯もパチンコ屋もなく、いつも行っていた床屋の親父はガンで亡くなっており、家庭教師に行っていたお宅もなくなっていた。毎日の様に新聞を買いに行っていたタバコ屋には、いつもいたお婆さんではなく孫娘。とにかく商店の7割は変わっていた。昔からの店を見つけると心からホッとした。
 地元に帰ってみれば、これまた駅前が著しい区画整理で昔の面影は全くなく、母校周辺にも新しいマンションが立ち並んでいた。おまけに市町村合併で聞き覚えのないおかしな名前の市がわんさか!?
 おまけに徳川の将軍様がサンバを踊っておるとはこれ如何に? 『こ奴は上様ではない。上様の名を語る曲者じゃ!!』 上様自らご乱心あそばされてサンバを踊って金儲けしている様では日本はもう終わりじゃ!? 遠山の金さんも桃太郎侍も必殺仕事人も子連れ狼も星飛雄馬も、皆どこへ行ったのじゃ!!
 韓国のミ-ハ-芸能人を成田まで見送って本気で泣いているあの日本の恥の如きおばさん連中は一体何じゃ!? 他にやるこたぁないのか!! あれではおばさんの仮面を被ったミ-ハ-の女学生である。あんなのだけは姑にしたくない。子供の顔が見たい。ああ言う恥ずかしいことは火星に行ってやってくれ!!
 先週の金髪にミニスカ-トの女子高生と言い、日本は物質的に豊かになり過ぎて子供から平和ボケ老人化している。北朝鮮から核ミサイルが飛んで来るぞ、と警鐘を鳴らすのが『スペイン週間コルムナ』の社会的役割のはずだが、今回は筆者のバカ負けであった。
 私は殴られたが痛くなかった。叩かれたが知らなかった。いつ私は醒めるのだろうか。もっと飲みたいものだ。-----或る昔の偉い人
 これは或る昔の偉い人に拠る酔った人の描写です。皆とは言いませんが、多くの日本人は自らの豊かさに酔い潰れて人事不詳に陥っているのではありませんか? ほとんどの人が酔っているからそれが罷り通っているだけの話し。日本もまた巨大な精神病院になってしまったと今回感じました(コルムナ118&135)。何せ小学生から髪を染めてミニスカ-トで登校して、それを禁ずる校則も風紀部の規則もないのです。これを読者がおかしくも何とも感じないなら、読者もまた狂っているのです。例え圧倒的大多数が泥酔して諸手を挙げて賛同し様が、間違いは間違い、泥酔は泥酔です。
 戦時中日本人の圧倒的大多数は軍国主義に泥酔して、諸手を挙げて日本は必ず戦争に勝つと思い込んで、ボロ負けに終わりました。筆者には同じ理屈に映ります。もちろん、軍国主義はいけませんが、新渡戸稲造の『武士道』にある様に、あの当時の日本人には、それでも忠義心や潔さなど人間としての美徳が同時に備わっていたからこそ戦後の奇跡的な復興も可能だったのです。しかし、脳みそが腑抜けでは狂牛病なだけの話しです。
 そして、ショッピグセンタ-の食堂で久し振りに日本の味を楽しんでいると、親子共々髪を染めて食事をするいかにもヒマそうな若い主婦と学校をサボって来たとしか思えない高校生の二人連れの多いこと。とても勉強している雰囲気じゃない。ちょうど期末試験の時期じゃなかったのか!!
 日本人の皆さん、貴方は本当にこんなものが豊かさであり、ゆとり教育だと思いますか?
 そんな中にあって、爽やかな一陣の風であり得たのが帰国中テレビで見た『忠臣蔵』と『相田みつお物語』でした。  (この項続く)
 
 

 

143 浦島太郎の火星探検20日間(1) 04-01-2005(火)

 
  また新年が明けてしまった。筆者がその昔日本にいた頃には、新年を迎える度に“新たなる気持ちで今年は~をしよう”と言う新鮮さが感じられたものだが、最近の国際情勢や日本の社会情勢を見ていると、一体何がおめでとうなのかさっぱり分からないご時勢である。  
 さて、実は筆者は先月12月1日から20日まで10年半振りに帰国した。今週来週と筆者の目に映った祖国日本を描写してみることにする。
 まず、スペインとの余りのギャップに驚いたのが、日本の街にはゴミ一つなく、禁煙と言えば誰一人タバコを吸う者もなく、バスや列車内でも誰一人携帯を使う人もいなかった。筆者は街にはゴミ捨て放題、禁煙マ-ク度外視でタバコはどこでも吸い放題、誰も他の乗客の迷惑になるとさえ思ってもいないので、車内での携帯使用を禁止する発想さえないスペインに住んでいるので、この日本人の国家的統制力の前には感服した次第である。日本の読者の皆さんには何でもない普通のことかも知れないが、実はこれは本当に立派なことなのである。
 車の騒音の差も気になった。東京のど真ん中でも、僅か30万都市のここグラナダより静かである。何せスペインでは三台に一台の車は車検切れ。騒音公害など誰も気にしない。従って、東京の方が遥かに静かで空気も綺麗である。日本の皆さんには以外かも知れないが、確かにそうである。
 車や街の騒音だけではない。人々の話し声、店内の音楽、テレビの音など、総てに於いて日本の方が遥かに静かなのである。これはスペイン人の方が日本人より鼓膜が分厚いと言う生理的理由もあるかも知れないが、筆者は主に二つの理由を挙げたい。早い話しが国民性と社会的しつけの違いである。
 一つは日本人の美徳観念は謙遜遠慮であり、スペイン人に限らずラテン民族は徹底的な自己主張だと言うこと。言わば一歩引くことと一歩前に出ること。丸っきり正反対である。当然日本人の方が総てに於いて“音”の量が少なくなるはずである。国際結婚の統計でも日本人とゲルマン・アングロサクソン系、日本人とラテン系では、後者の方が圧倒的に離婚率が高いそうであるが、これも頷ける話しである。
 二つ目は一つ目の別の言い方になるかも知れないが、日本人は意識的無意識的に他人をも社会をも重んずる精神構造になっているが、スペイン人を初めラテン民族は他人や社会や国家さえも迷わず二の次にする徹底した個人主義であると言うこと。例えば日本人ならどんなに嫌な仕事でも、仕事が始まってしまえば一生懸命仕事をしてしまう。逆に、ラテン民族は絵に描いた様な自己中な人が多いので上で述べた様な社会になる。ところが、我々から見れば身勝手で騒々しい振る舞いでも、皆がそうだからこれで釣り合いが取れている!? コルムナ137で書いた通りである。
 もちろん、以上は民族として一概に言えばの話しであり、個人差があるのは言うまでもない。
 後は個人的好みも含めて各自が判断すれば良いことかも知れないが、これを郷に入らば郷に従えと言う一文だけで説明付けるのは知恵がない。本当の知恵とは筆者の書くこのコルムナでも、読者の感想でもなく、次の一文である。 
 誰でも自分の利益を求めないで、他人の利益を心掛けなさい。-----或る昔の偉い人 
 国や時代や社会的地位がどんなに違おうが、要はこの精神から人の総ての行動は湧き出ると言うことです。読者はどちらでしょう?
 先週の或る昔の偉い人のことば『人よ何が良いことなのか』の問いかけの答えの一つがここにあります。 
 さて、以上の如く社会的国家的統率と周囲への思いやりと言う面だけから言えば、明らかに日本人に軍配が上がるかなと帰国中思った次第ですが、その祖国日本に忽然と現れて総てをぶち壊してくれたのが、髪を染めてミニスカ-トの制服で我が物顔で街を闊歩する女子高生。中にはピンクレディ-みたいなのもいた。いや、時代が違うからセ-ラ-ム-ン(スペインでも放映)の物真似か!? 何じゃこりゃ(同138)!? 思わずここは火星かと思ったのでした。 (この項続く)
 
 

 

142 逆転勝ちか逆転負けか 28-12-2004(火)

 
  今年は“逆転の発想”をテ-マにコルムナを書いて来た(コルムナ91)。読み返してみれば3回に2回は“逆転の発想”と言うことばを本文中に使っていることがお分かりいただけると思う。
 今年最後の今週のコルムナでは、この“逆転の発想”について総括してみたい。
 まず、“逆転の発想”とは文字通り大半の人のやっていることの逆を衝け、そこに勝機があると言う意味である。普通の人が何気なく“スペイン週間コルムナ”を読めば、単なるへそ曲りにさえ捕らえられかねないかも知れないが、“逆転の発想”の基本理念は次の通りである。
 世の中過半数が狂っているから世の中も狂って来る。そして、現実に日本もスペインも社会は狂う一方である。ところが、例え狂っていても、過半数なら民主主義の原則でそれが間違った正論となる。そして、人間の過半数どころか圧倒的大多数が著しく狂っている今日、総てに於いてとは言わないが、多くのことに於いて彼らと全く逆のことをすれば、正統な正論が見出せるのではないか・・・。
 太平洋戦争中、軍国主義に洗脳された圧倒的大多数の当時の日本人は最後の最後まで“勝った、勝った、また勝った”と言って本気で日本の勝利を疑わなかった。その結果、最後には原爆を2発叩き込まれ、国土は焦土と化してしまった。
 消費にうつつを抜かし、所有する金銭物質や娯楽こそ人生の総てだと洗脳され、大切な人生の本質を度外視して、今は勝ち戦のつもりが最後は荒廃した人生に終わるのは今日日本人もスペイン人も何人も同じことではないだろうか? 
 実際、戦時中の日本と今の日本はある意味良く似ている。一億総玉砕と一億総白痴。両者共スタンピ-ト(アメリカやアフリカでの動物の群れの大暴走:最後は訳の分からないまま崖から落ちて皆溺れ死ぬ)の如く破滅に向かっていることには違いないと思いませんか?
 冗談抜きで、近い将来北朝鮮から核ミサイルが飛んで来ても不思議ではない国際情勢である。仮に飛んで来なくても、今年日本を襲った地震や大型台風はまだ始まったばかりかも知れない(同138)。浮かれているとこれらのものが急に頭上に降り掛かかる。その時にはもう手遅れかも知れない。
 と、このコルムナを書いているとスマトラ沖地震のニュ-スが入って来た。果たして他人事だろうか? 仮に戦争や自然災害には遭わなくても、個人として道を踏み外せば、必ず個人として何か手痛い目に遭う。これは摂理である。
 人よ、何が良いことなのか。-----或る昔の偉い人
 毎週毎週のコルムナは人生手遅れになった人達の悲しい手記とも言えるのです。 
 降り掛かる火の粉を振り払いたければ絶対的過半数に押し流されないで、酔いから醒めてしっかりと目を見開いていることです。いつの時代も押し流されるのは簡単です。逆転の発想で踏み止まらなければ押し流されて最後は滝壺にハマってしまいます。 
 逆転の発想とは、大多数が下流に押し流されている真っ只中にあっても上流を目指すことと言えるでしょう。読者にはその勇気があるでしょうか? その勇気がある人は逆転勝ち、ない人は逆転負けの人生を送るのではないでしょうか・・・。
 何が良いことなのでしょう? 大多数に右へ倣えで下流に押し流されることでしょうか? 逆転の発想で上流を目指すことでしょうか? 
 読者も今後どんなことでも、こんなの常識じゃないかと考えもしないのではなく、一々逆転の発想で吟味してみてはどうでしょう? やってみる価値はあります。
 
 

 

141 誘拐エキスプレス 21-12-2004(火)

 
  筆者は毎週なるべく読者の印象に残る様なタイトルを心掛けてはいるが、今週の“誘拐エキスプレス”とは何だろう? 何だろうと言うか何と言おうか、実はこれは何か含みを持たせた表現ではなく、スペインの新手の犯罪の文字通りの名称そのものなのである。手口は誰かを誘拐してすぐに身代金を要求する!?
 いかにも発想が第三世界丸出しである。ニュ-スに拠ればメキシコから伝来(!?)したとのことだが、筆者の知っている限り、この手の犯罪はメキシコだけでなく、中南米全域で見られる。例えばコロンビアでは外人と見れば誘拐する。面倒ならバスごと誘拐する!? 赤信号で止まると強盗されるから、車は皆横断歩道で止まらない様信号近くになると間合いを計りながら走る!? 子供を誘拐して臓器をアメリカに売り飛ばす(臓器摘出は地元の病院が全面協力)!? そして、国際ニュ-スに拠ると先月末にコロンビアの首都ボゴタで妊婦がさらわれ胎児が誘拐された!? もう滅茶苦茶である。  
 まだまだいくらでもあるが、これらは総て実話である。つまり、本来ブラックユ-モアのネタであるべきことが実際に罷り通っているのだから、これはやはり末期ガン漫才である。スペインも毎週のコルムナで紹介している様に末期ガン社会になって来たのでこの手の犯罪が起こり始めただけの話しなのである。と言うことは同じく末期ガン社会に突入して久しい日本社会も、近い将来ろくでもない犯罪がガンガン起こって来るのは目に見えている。筆者は予言者でも何でもないが、これらは末期ガン社会の方程式であるから、予言するまでもなく必ず起こる運命にある。
 しかし、子供を誘拐して臓器を売り飛ばして、胎児を母体から引き摺り出すなど、正に悪魔の申し子である。そう言えば中南米のどこかの国で誘拐された子供が、腎臓一つ摘出された状態で救出されたとか聞いた覚えがある。闇に葬られなかっただけまだましかも知れないが・・・。
 何故筆者がこれらのことについて少々詳しいかと言うと、実は“日本語情報センタ-”の三大主旨(Topペ-ジ右参照)の一つは収益金を中南米の街の孤児救済機関VIDAyLIBERTAD(命と自由:本部スペイン:バルセロ-ナ)に寄付することだからであり、その関係でこの手のレアな情報はお手の物なのである。先日公開した日本語訳付きHPをまだ見てない方はご覧下さい。http://www.jp-spain.com/vidaylibertad0a.htm
 私はあなた方が善には聡く(さとく)、悪には疎く(うとく)あって欲しいと望んでいます。-----或る昔の偉い人
 本当はパチンコの玉や馬券の買い方も知らず、酒やタバコの味も知らないのが一番いいのでしょう。しかし、日本社会の現実は日本にいる読者の方が筆者より良くご存知です。全く逆転の発想で子供から“善には疎く、悪には聡く”です(コルムナ130の或る昔の偉い人)。
 確かに、今の時代余程善に聡くなければ、圧倒的な悪の濁流に有無を言わせず押し流されてしまいそうです。そして、もう下流まで押し流されているから上流よりも中流よりも水が濁り腐った末期ガン社会になってしまったのです。“中南米よりゃまだましだろ”と下を見て比べてみたところで、日本のどぶ水の方がまだキレイと安心する様なもの。両者とも極めて下流には違いないのです。
 ゼンダマンとアクダマンならヤッタ-マンの親戚です(筆者はレコ-ドを持ってます!!)。善と悪とは一体何でしょう? 今一度考えてみて下さい(同140)。