◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新
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果たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。 日本語情報センタ−は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ−ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。 |
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100 祝第100回:スペイン版忠犬ハチ公再び登場 09−03−2004(火) |
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いつの間にか『スペイン週間コルムナ』も今週で100回目になりました。日本語情報センタ−の主旨の一つでもある『継続は力なり』を有言実行出来て筆者も何か責任を果たした様な安堵の気持ちを覚えます。
そこで今週は簡単に今までの100回のコルムナ(コラム)を振り返って総集編としてみましょう。
端的に言えば毎週毎週人間様の欲望の墓オンパレ−ド(コルムナ79&80)に比べ、結局一番心打たれたコルムナは猫のポチ(同17&18)とスペイン版忠犬ハチ公(同60)だったと言うことです。人間様に合掌・・・。
コルムナ100回目くらいは何か良いテ−マをと思い、このスペイン版忠犬ハチ公の足跡を尋ねて一昨日日曜日実際にカディス市に赴き、その場所を訪ねてみようと思ったのですが、寝過ごしてしまいました(何せ出発予定が夜中の三時なのです)!?
近い内に実現して読者の皆さんに報告したいと思います。
と言う訳で今週は100回目を記念してスペイン版忠犬ハチ公から再び学んでみましょう。何故なら唯一の人間の欲望の墓対策の答えが正にここにあると思うからです。
暇な方、まずもう一度コルムナ60を読み返してみて下さい。・・・・・結局基本的にこれ以上付け加えることは何もありません。スペイン版忠犬ハチ公を今一度筆者自身に、そして、読者に問いかけるだけです。
選挙戦真最中(今月14日投票日)のスペインの政治家にも同じことが言えます。政治家なら社会を良くしたいと言う使命感はあるでしょうし、そのためにあれやこれやと経済的テコ入れ、公共事業、税制改革、年金社会保険制度の充実、教育改革、交通騒音問題の緩和・・・など実現に向って公約して努力もするでしょう。確かにこれら自体は大変良いことであり、やらなければならないことですが、こうした政策も刑法も校則も社会を良くしようと言う意図だけは結構なことですが、一つ共通点があります。それは人間自体を変え様とせず、いきなり社会を変え様と最期は無駄に終わる努力をしている点です。
胃癌で口臭が臭いのに、胃癌に気付かず歯磨きや香りの良いガムやマスクを付ける懸命の努力に何か意味があるでしょうか?
その間に癌はどんどん進行して末期ガンになるだけです、現代社会の様に・・・。
『人が変わらなければ社会は変わらない(或る昔の偉い人)』とすれば、社会を変え様と言う善良な意図と努力は認められても、人間が変わらなければならない必要性に全く言及しないなら、例え政治家の様に知能指数は高くても愚かなのです。ではどうすればまず人間が変わり、その結果社会が変わるのでしょうか?
死に至るまで忠実であれ。−−−−−或る昔の偉い人
それはある意味、こんな短い文章に要約出来るほど、犬一匹にも出来るほど簡単なことなのです。それは我々がこのスペイン版忠犬ハチ公の様に徹底的に忠実であれと言うことです。逆に貴方がいかに高学歴高収入の有能な人物でも、忠実でないなら、自らの欲望にだけは忠実な犬にも劣る人間だと言うことです。
究極の逆転の発想で犬から学ぶ。これぞ“スペイン週間コルムナ”の真骨頂です。筆者は犬猫両方好きですので、今猫の“名犬ラッシ−”と黒猫の“シロ”の二匹を日本語情報センタ−で飼っています。今年のコルムナの基本理念が起死回生の逆転の発想(同91)なのは決して口先だけではないのです。
来週からしばらくどうすればスペイン版忠犬ハチ公から本当に教訓を得ることが出来るか見て行きましょう。
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99 バレンシアオレンジを摘むのは移民、食べるのは私 02−03−2004(火) |
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先週土曜日2月28日はアンダルシアの日と言って祝日であった。ちょっと用事があったので金曜の夜行バスでグラナダからバレンシアへ向い、帰りにムルシアへ寄って来た。
バレンシアと言えば火祭り(3月16〜19日)。一年中市民が働いた税金で作った巨大な人形に火を付けて税金を燃やすのだから訳の分からない祭りである。要するに憂さ晴らしの様だ。今年は四日前に公示された総選挙の選挙戦真最中の時期とも重なり、いけ好かない政治家の人形が火あぶりの刑にされるのだろう。
それに比べてムルシア(グラナダとバレンシアの中間やや西)は何故日本の旅行書に見向きもされないのか簡単に納得出来るほど何もない普通の町である。それでもいつか行ってみようと言う方にお勧めしても何の意味もないのが華僑のやっている『富士山:Fujiyama』と言う名のいかがわしい日本料理屋である。
因みに当グラナダ市内にもこの手の華僑経営のいかがわしい日本料理屋が数軒ある。世界一まずい寿司を食べたい方は笑い話しのネタにと思って一度行ってみるといい。しかも、食べ終わった後ニコニコ笑いながら美味しかったかと聞きに来るのだから、まさかまずいとも言えず、思わぬところで日本人の本音と建前を自覚するハメに陥る。人生やはり何でも笑って済ませてはいけない。昔そう言えば『笑って赦して〜♪』とか言う、確か和田アキ子の歌謡曲があった。何でも笑って済ませるとは『スペイン週間コルムナ』の精神とは余りにかけ離れてはいるが、ここはお笑いと思って我慢しよう。やはり笑いは人生には不可欠である。
ところで四年前両市を訪れた時に比べて今回中南米、アジア、アフリカからの移民の多さが目に付いた。地元のスペイン人に聞けば主に農場(この地方はオレンジ畑が多い)の季節労働者なのだそうである。そして、選挙戦の各党の争点が失業対策なのに矛盾して、スペイン人もやはり3Kの仕事はやりたくないそうである。
自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、虚しい物を追い求める者は貧しさに飽きる。−−−−−或る昔の偉い人
季節柄卒業旅行の日本人大学生諸君が多い。外見で人を裁く訳ではありませんが、どうもはっきりとした目標を持ってこれから社会人として仕事をするぞと言う意気込みの感じられる学生は少ないと感じます。そんなこと外見だけで分かるのかと言われそうですが、これは確かな“感じ”の話し。大半は卒業したら就職しなきゃいけないから就職活動をして決まった会社に行くだけ・・・、特に女性の方にそう言う“感じ”がします。
つまり総てがライト感覚である・・・と筆者は“感じ”ます。逆転の発想で3Kでも何でもやって根性を叩き直さないといつか移民に母屋を乗っ取られるかも知れません。実際スペインでは移民の払う年金の掛け金を当てにしなければ年金制度が維持出来なくなって来ているのです。
最期は真面目に地道に働いた人間が笑うのは摂理です。建前ではなく本音で笑うためには何をどうすればいいのか、しっかり考えて行動しなければ建前だけ立派なホワイトカラ−に成り下がってしまいます。考えて行動すべきなのは他でもない貴方。筆者は毎週のコルムナでそのお役に立てれば、いやスペインから日本を少しでも良くし様と思って書いているのです!?
これが筆者の本音か建前かは読者の判断に任せます。スペインで美味しいワインを飲んだからと言ってそれで社会が変わる訳ではありませんから(先週のコルムナ)。
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98 スピ−ド離婚で五割をキ−プ 24−02−2004(火) |
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夫と妻双方が離婚に合意した場合の離婚手続きが十日から最高十五日で可能になるべく、ごく近い将来スペインの民法が改正になるそうである。
お役所の手続きは何でも簡単な方が良いに決まっているが、これは両配偶者が離婚に同意している以上、事はなるべく早く進めて、お互いなるべく早くスッキリさせた方が良いと言う行政の思いやり(!?)である反面、逆転の発想で考えれば、それだけ現代スペインでは離婚が多い裏返しでもあり、行政は思いやりどころか裁判所に離婚調停書が山積みになる前にスピ−ド離婚合法化の先手を打ったと見なすべきである。
スペインの離婚率は現在アンダルシア地方も全国レベルでも何と五割(コルムナ31)。スペインでは少なくとも若い世代の間ではもはや夫婦や家庭と言う概念が破壊されつつある。例えば日本人留学生の話しでは、ホ−ムステイ先の家庭には別居中や離婚した配偶者の片方だけと言う場合が結構多い。そこに愛人が堂々とやって来て一緒に食事をして泊まって帰ると言うのもザラらしい。そこに居合わせている前夫の子供にとってこの異様な人間模様がもはや当り前だとすれば、将来一体どんな歪んだ大人になるのだろうか!?
離婚するつもりで結婚する人はいない。それが何故半数もが破局に至るのか?
人間とは多かれ少なかれ我の強い存在だが、結局お互いの正しい主張を譲り合うことを知らないから、ぶつけ合う他ないのである。正しい主張自体の是非ではなく、それを楯にあくまでも我を張り通すことが問題なのであり、遅かれ早かれ他人の正義と激しくぶつかる運命にある。これが子供の喧嘩から国と国との戦争に至るまでの根本原因である。
人が変わらなければ社会は変わらない。−−−−−或る昔の偉い人
結局離婚の根底にあるのは自分が一番可愛い、私の方が正しいと疑いもしない個人主義の性根(同32&33)ではないでしょうか。人からこの性根の毒気が抜かれない限り離婚のみならず、日本でもスペインでも世界中どこでも様々な社会悪は増加する一方でしょう。社会悪と言うと悪いのは社会で、人間はその被害者で悪くないと言う風に聞こえないこともありませんが、社会悪とはズバリ人間の悪に他なりません。社会のせいにするのは卑怯です。パタリロの『太陽のバカヤロ−!!』などもっての他です!?
⇔昔こんなのがあった。
人が変わるとは性根が自分中心ではなく他を思いやる心に変わること。この意味で人が変わらなければ総ては自我と言うアバタを隠す厚化粧に過ぎません、花嫁衣裳も行政改革も。人が変わらないから夫婦も行政も上手く行かないどころか社会は離婚、少年犯罪、変態巡査&エロ教師、不景気がはびこるのです。
小泉さんが単に政治的な事柄だけをいじくった行政改革を目指しているなら日本人は、そして、日本の社会は変わることはないのです。人が変わらずして行政改革も政治改革も経済改革もありません。人自体が変わらなければ決して社会が変わることはないのです。来月のスペインの総選挙も同じことです。
そして、人が変わっているとすれば、残念ながらそれは悪い方にです。日本でもスペインでもそれは毎日の極悪ニュ−スが証明して余りあります。お互いが人として変わらなければ円満夫婦どころかスピ−ド離婚で公式記録はバツイチです。行政がそれを鮮やかに速やかに敗戦処理したところで大した意味はありません。
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97 カ−ニバル、仮面の下の素顔 17−02−2004(火) |
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スペイン中でカ−ニバルの時期である。筆者が子供の頃カ−ニバルなることばを初めて聞いたのはブラジルのリオのカ−ニバルかプロレスのチャンピオンカ−ニバルだった様な気がする。また、イタリアではベニス、そして、スペインではアンダルシア地方大西洋岸の港町カディスのカ−ニバルが一番有名である。
少なくとも日本人にとっては“お祭り”のニュアンスであるが、スペインのカ−ニバルを見ていると明らかに他の祭りとは違う特異な本質が見え隠れしている。
『謝肉祭』
これがカ−ニバル(Sp:carnaval)の日本語訳である。スペイン語で考えれば明らかにcarne(肉)の派生語であるから確かにこの訳は当っているが・・・。肉に感謝するとは一体何の祭りじゃこりゃ?
まず、カ−ニバルに付物なのが仮装行列。もっと詳しく言うと仮面を付けた仮装行列がほとんどなのに気付く。つまり、仮面を付けて祭りの期間だけ別人格になり切ることを楽しもうと言うのがカ−ニバルなのであるが・・・、これだけでは何故“肉”なのかと言う説明にはなっていない。論より証拠を出そう。
十年位前に聞いた話しであるが、マラガ(ピカソの出身地:昨年末からピカソの家博物館オ−プン)のカ−ニバルでのこと。仮面を付けた或る男女が祭りの勢いでやりたい放題やった挙句、仮面を取ったら父娘だったと言う日本の変態教師やエロ警官顔負けの実話を聞いたことがある。これはもう人間懲戒免職ものである。
つまり、普段素面では出来ない肉の欲求を仮面を付けてぶちまけ様と言うのが謝肉祭の正体であり本質なのである。子供の仮装行列ならまだ可愛いが、まるで不道徳の青空品評会の如く、裸同然の女性やオカマ女王など、よく親も学校の先生も政治家も子供に見せるもんだと呆れる仮装行列がほとんどである。
カディスのカ−ニバルなど一年かけて準備すると言う。つまり一年間働いて息抜きに祭りを楽しむのではなく、祭りのために一年間働くのである!?
これは逆転の発想なのか!? オカマ礼賛だからやはり逆転の発想なのだろう!?
実際カディスはスペインで一番オカマの多い町と言われている。筆者もガイド時代一度日本人団体を連れて観光したことがあるのだが、現地スペイン人ガイドに拠るとカディスには“オカマ宝くじ”なるものがあるそうである。冗談かと思ったら、前の方から宝くじ売りのオバさんがやって来た。よく見るとオジさんだった。宝くじの売上でカディスオカマ協会の年金が付くのだそうである。なるほど老後に備えている訳だが・・・、筆者には訳が分からない!?
訳が分からないが、これは実話であり、末期ガン漫才そのものである。
『人間の正体見たりカ−ニバル』『不道徳も過半数占めれば市民権:字余り』・・・筆者作短歌二つ
あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら何によって塩気をつけるのでしょう。もう何の役にも立たず外に捨てられて人々に踏み付けられるだけです。−−−−−或る昔の偉い人
塩はご存知の様に防腐剤に使います。そして、我々がもし塩気を保てば社会に対して防腐剤であり得ますが、塩気もへったくれもなければ皆まとめて腐り切って最期は肉欲カ−ニバルです。
日本も小中学生から売春する末期ガン漫才社会になりました。懲戒免職教師や警官もですが、子供が腐った社会に未来はありません。しっかり塩で引き締めなければ日本は滅びます。いや、もう滅びかけているのではないでしょうか?
天罰に北朝鮮から核ミサイルが飛んで来ないことを祈ります。
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96 お返しに鉛の弾をぶち込まれ 10−02−2004(火) |
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先週地元では名の知れた大金持ちの実業家が深夜帰宅の際家の近くで顔面を撃ち抜かれて暗殺された。新聞記事に拠れば被害者は過去にも仕事や金絡みの色々な刑事事件を起こし、血も涙もない強欲金貸し婆あの如く人を人とも思わない人物だったそうである。誰かに落とし前をつけられたのだろうとのこと。
新聞記事だけ読めば、長生きはして金はしこたま残したが、せいぜい家族くらいにしか悲しんでもらえず、むしろ“ざま−見やがれ”と言う人間の方が多い人物像が浮かんで来る。
長生きと大金・・・。長く、そして、多く・・・。だからこそ今一度『スペイン週間コルムナ』の原点に立ち帰ってみよう。それは人生は多くの人の様に『質』より『量』ではなく『量』より『質』であるべきことである。
つまり、我々の価値観は物や金の『量』か、その物や金の『量』の多い少ないは別にして、それを扱う我々の人としての『質』のどちらかと言うことである。
人は欲しがる、そして、羨む。それはもう人間の本能と言って良い。例えば隣の人のコップには水が一杯なのに、何で私のコップには半分しかないんだと勝手にその『量』が少ないと悲観し、残り半分を満たせば幸せになれると勝手に確信してそのためにエネルギ−を費やする。これが多くの人の人生であり価値観である。
ところが、多くの場合貧しさの原因はコップ半分の水しかないからではなく、既にある半分の水で充分なことを知らずにもっと欲しがる心の、つまり、人としての『質』の貧しさにあるのです。
富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによってこれをやめよ。−−−−−或る昔の偉い人
もちろん、勉強や仕事は勤勉に、商売には熱心であるべきですが、その目的が一旗上げよう、あれも欲しいこれも買いたい・・・では富を得ようと苦労していることになります。要はその動機です。
例えば二人のパン屋さんがいるとします。一人は『私が作ったこのパンを地域の皆さんに食べてもらって健康になって欲しい』と願い、もう一人は『また仕事か、面倒臭い。とっとと買ってけ。』と思いながらパンを作っているとします。そして、出来映えも味も料金も店での応対も全く同じだとします。お客さんには動機の区別はつきません。店頭に並んだパンは全く同じなのですから。そして、パンだけ食べている分には作った人の人柄までは分からないし、また食べるのに一々そんなことを考える人もいません。
しかし、長い目で見れば必ず商品の出来や売上額自体ではなく、商品の本質である人柄の違いが何らかの形で現れて来る、人生とはそう言うものだとこの実業家が反面教師で教えてくれているのではないでしょうか?
この現実を前にすれば人はその儲けた財産や所有物の『量』ではなく、その人柄『質』にふさわしい最後を迎えると言っても極論でも何でもないはずです。いやむしろ摂理です。摂理を悟らず摂理に立ち向かえば摂理(場合によっては鉛の弾)に自然淘汰されます。
逆転の発想で行きましょう。人生金以外の価値観を持てば金の『量』に煩わされる人生から解放されます。簡単です。ただそれだけのことなのです。またその様に人の『質』重視の価値観を持てば、金は不思議と必要以上に付いて来るものです。
筆者はスペインギタ−直送もこの価値観に基いて運営しています。暇な方、上の『スペインギタ−主旨』をお読み下さい。
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95 果たしてどっちが奇人変人か 03−02−2004(火) |
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先日面白いことを言うある社会人に遭った。『普通は将来仕事に就くために勉強するものですが、私は勉強するために働いています。勉強は一生続けたいんです。仕事はそのための手段です。』
何故面白いと思ったかと言えば、筆者自身も実は昔からこう言う考えだからであり、思わず息投合してしまった次第である。そして、何よりこれが見事な逆転の発想だからである。
今週は多分に自己満足的なコルムナになるかも知れないが・・・。まず、大学でスペイン語を専攻した筆者は『もっとスペイン語を勉強したいのに何で四年で卒業せんとあかんのや』と疑問を抱き、学費が年間三万六千円だったこともあり、大学は人の二倍八年行こうと高三の受験の時から心に決めていた。おまけに月々特別奨学金を三万八千円もらい、在学中の七年生から既に返済していた。そして、本当に八年で卒業した。これを有言実行初志貫徹と言う!?
当然周囲からは奇人変人扱いの冷たい刺す様な視線。うぅ・・・痛い。
また、筆者は最初から就職する気など毛頭なく、ただ高二の世界史の教科書で見たアルハンブラ宮殿の町グラナダに行くことだけを考えていた。まさかそれから十四年後にそこで十年間ガイドをやろうとは夢にも思わなかったが・・・。従って会社訪問や就職活動など頭からやる気なし。『卒業したら就職せなあかん規則でもあんのか!!』と勝手に捨て台詞を吐いてスペインに行くことだけを考えていた。
もっとも、こちらに来てからも最初は(今でも?)苦労した。何せ金がない時は(今も大してある訳ではないが)労働許可証なしで外人旅行者相手に闘牛とフラメンコのポスタ−を売るテキ屋家業。雨が降ったら仕事は休み・・・。一夏路上でギタ−を弾いて金を稼いだ(いや、通行人から恵んでもらった:つまり乞食の真似)こともあった。時代が違ったとは言え、今思うと良くこれで一度も警察の職務質問を受けなかったものだ・・・etc。
と、我半生を顧れば、これは他でもない逆転の発想そのものなのである。
なまけていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする。−−−−−或る昔の偉い人
季節柄就職も決まって卒業を真近に控えた大学生諸君の春休み卒業旅行のシ−ズンになりました。
やり甲斐のある希望の職業に就いたのなら就職おめでとうですが、ただ何となく大学生活を終え、ただ何となく就職したのなら『ただ何となく無味乾燥人生』のスタ−トラインに立っただけに過ぎないことに一体何人の学生が気付いていることでしょう。一見多少の嫌なことも我慢すれば生活安定路線レ−スのはずが、いつまで経ってもゴ−ルが見えないのでかったるいこと落葉後の冬の山の如し。二度と春は来なかったりして・・・。
目的がなければゴ−ルが見えない堂々巡りの悪循環になるのは当り前。憂さ晴らしはビアガ−デンにコンパにマ−ジャンにパチンコに・・・。気が付けば今月も貯金はゼロ。あ〜あ、何か面白いことね〜かな・・・。
じゃ、何をどうすりゃいいの?
そんなことは自分で決めること。それにはまず目的意識を持つことです。そうすれば何をすりゃいいのかは見つかるでしょう。目的意識が無いことは人格が無いにも匹敵します。そう言う人の人生の天井が落ち雨漏りがするのは時間の問題です。大体目的のない人こそ奇人変人なのです。
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94 変わる変わる街は変わる 27−01−2004(火) |
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グラナダの街も筆者が最初にやって来た昭和五十四年頃を思い出すと随分変わっている。道や広場など市街の基本的な造りにほとんど変化はないが、商店の八割は全く変わってしまっている。オ−ナ−が引退して店を手放したり、商売が立ち行かなくなったり・・・。その意味では街は生き物であり、二十五年も経てば様変わりするのは当り前である。
そんな事を考えながら先日街を歩いていると明らかに見覚えのない新店舗が何軒か目に付いた。総て不動産屋である。全く見覚えがなかったので、恐らく今年からオ−プンしたのだろう。
いつの時代もどこの国でも立ち行かない商売は立ち消え、売れる物を売る店が幅を利かす。当たり前のことだが、これが良くも悪くも資本主義社会の鉄則であり、自然淘汰の摂理である。
それにしても、雨後のたけのこの如くこつ然と次から次へと現れるバブルの不動産屋(先週のコルムナ)。正に時代を反映して余りある。携帯電話屋については言うまでもない。昔ながらの個人商店が姿を消し、そこにいかにも無知な一般大衆を手玉に取って金を毟り取ってやろうと言う魂胆見え見えのこの種の店舗が立ち並んでいることにある種の寂しさと葛藤を覚えるのはもはや時代遅れなのだろうか?
利口な者は災いを見てこれを避け、わきまえのない者は進んで罰を受ける。−−−−−或る昔の偉い人
新築の家も携帯もそれ自体は良い物ですが、わきまえがなければ躓きの石と言う災いに転じて罰を受けないとも限りません。飛んで火に入り自ら進んで罰を受ける人に利口な人はいないのです。
グルメやファミリ−レストランも結構ですが、気が付けば実はご飯と味噌汁と漬物とアジの塩焼きで十分なのではないでしょうか?
筆者は何も闇雲に消費経済反対質素倹約推奨を唱えている訳ではありません。筆者は海苔も佃煮もイカの塩辛もかつをのたたきも海老フリャ−も納豆も麻婆豆腐もトンカツも酢豚も肉じゃがも春巻きも餃子も食べたいのです。もちろん、ご飯がコシヒカリならますます結構です。
ただ、利口な人は今持っている物で十分なことを知っている人であり、わきまえのない人はそれが十分であることを知らず更に欲しがって罰を受けるのです。
これは残念ながら日本のバブルが見事に証明したのではなかったでしょうか? 要は人の我が身可愛さゆえの強欲です。新築の家や携帯が悪いのではありません。
逆転の発想で利口になってみましょう。でないと自らの欲に自然淘汰されてしまいます。
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93 無い袖もみんなで振れば怖くない・・・ことはない!? 20−01−2004(火) |
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先日例年の様に年頭にスペイン五十県の経済統計が発表された。グラナダ県は毎年ワ−スト5に入るのだが、今年もお決まりの定(低)位置に収まった。下から数えて四番目、つまり、スペインで四番目に貧しい県である。因みにその下はセビ−ジャ県、カディス県、最下位のハエン県と総てアンダルシア地方である。
ところが、インフレ率はスペイン五十県の中でグラナダ県が堂々第五位とのことである。その心は・・・。
最近日本語情報センタ−に訪れた日本人旅行者の話しに拠れば、旅行先のスペイン各地の建設ラッシュに驚くそうである。グラナダ市も例外ではない。つい一週間前聞いた話しだが、すぐ郊外の通勤圏の町の分譲住宅が約3200万円。これでは日本の田舎以上に高い。しかも、まだ建築が全く始まってもいないのに既に完売だそうである。しかも、スペインで四番目に貧しい県でである。おかげで住居費は下がるどころか上がる一方。スペインで四番目に貧しい県の住居費は全国平均の25%増しと言う矛盾が起きている。
今年の『スペイン週間コルムナ』のテ−マは逆転の発想と書いたが(コルムナ91)、これは悪い意味での逆転の発想である。金利が安い今こそ(確かにユ−ロ導入後かなり下がりはしたが・・・)ロ−ンの組み時だ、借りなきゃ損だと本気でムキになっている!?
つまり、金がない連中ほど身勝手な逆転の発想で後先を考えずに他人の金で物を買い捲る(確かに絵に描いた様な身勝手だ)から一見景気がいい様に見受けられ、売る方もいい気になって代金を吊り上げてインフレが進む。資本家の思う壺とは誰も考えないらしい。
どうもスペイン人に限らずラテン民族にはこう言う超楽天的傾向がある。ヨ−ロッパの諺に拠れば『ドイツ人は走る前に考える。イギリス人は走りながら考える。スペイン人は走ってから考える』そうであるが、正に借金してから考えるとは末恐ろしい・・・と思うのは心配性の日本人の勝手なおせっかいで、当の本人達はそうは感じないらしいから、確かにその意味では陽気で明るいスペイン人の看板は伊達ではない。
しかし、陽気で明るく結婚してから考えるから離婚率が五割(コルムナ31&32)ではないだろうか?
子供が出来たから結婚する日本人も順番は貞操観念の逆転の発想ではないだろうか?
誰に対しても何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。−−−−−或る昔の偉い人
これは借りとは金の貸し借りだと言う低次元な概念を超越した崇高な借りの定義です。我々はもし隣人に対して、そして、動物や自然界に対してさえも施すべき愛や誠実を施さないなら、それは彼等に対する道義的な借りを負うことになります。思えば様々な社会問題や国際問題はこの人としての借りを作り、その借りを借りとも思わず更に踏みにじることに拠って生じた不良債権(借り)とも言えます。
このコルムナを読んでスペインはバブル前夜だと思うのは筆者だけではないでしょう。借金を重ねればバブルがはじけ、愛と誠実の借りを踏み倒せば人間自体が基盤沈下します。隣人愛の精神だけが零落した人間にとって唯一の再浮上の道です。浮くか沈むか。人として沈まなければ借金地獄に沈むこともないでしょう
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92 舌戦を制すのは 13−01−2004(火) |
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スペインは国を挙げて新年バ−ゲンセ−ル真っ最中(コルムナ40&91)。買い物袋を両手に満載した女性が街に溢れている。これが嫁姑じゃさぞかし堪らないだろうなと思う今日この頃である。また、これが毎日トップニュ−スに成り得るのであるから、もはや国民的行事と言って良い。
さて、国民的行事と言えば、三月の総選挙のニュ−スもまた連日マスコミを賑わせている。もちろん、まだ公式な選挙告示はなされていないが、各党早くも舌戦に余念がない。
現在のスペインの政治地図は与党が中道右の大衆党(PP:自民党みたいなもの)で、野党第一党が社会党(PSOE)である。バルセロ−ナオリンピック前後はPSOEが第一党であったが、庶民の味方の看板の割りには汚職に次ぐ汚職で国民のひんしゅくを買い、数年前PPに政権を明渡して現在に至っている。
先日の社説によると今回のPPの公約の一つは国民に総てEメ−ルアドレスを与えることであり(!?)、PSOEは(かつて自らが与党の時上げまくった)所得税と消費税の減税である。もちろん(
)内は言及しない。
良くもまあしゃあしゃあと公約するものだと思うが、スペインの選挙は毎回こうであるから筆者は“あ、またか”としか思わない。筆者の耳にする巷の意見によれば結果は今回も現状維持と言ったところか。
人に好意を持ってもらいたければ、政治家に限らず誰でも無意識の内に自分を高めて他人を落としめるのが世の常かも知れないが、ここは逆転の発想で『有権者の皆さん。出来るかどうか分かりませんが、我が党は公約実現のために全力を尽くします』と正直に言う方が誠実である。誠実でなければ嘘吐きである。
自分の口ではなく、他の者に貴方を誉めさせよ。自分の唇ではなく、よその人によって。−−−−−或る昔の偉い人
人は子供から老人に至るまで皆人から誉めてもらいたいです。人の注意を引こうと自画自賛して他人を中傷したがるのです。これはもう人間の本能でしょう。敵は他人ではなく、実は人間の『敵は本能寺にあり』ではないでしょうか。そして、人間の負の本能はいとも容易く何の制御もなく口から流れ出すのです。
筆者の母校の校歌の一節に『石槌の無言の教えか剛健を杖とし弛まず歩めよと〜♪』とあったのを思い出します(石槌:四国最高峰石槌山)。大物は黙して語らず、しかも諭す。もし貴方が賞賛に値する人間なら遅かれ早かれ誰かが賞賛してくれます。それを早まって自我自賛に陥ると人間の器の大きさを問われます。
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91 今年こそ起死回生の逆転の発想 06−01−2004(火) |
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日本の日本人の皆さん(ちょっとおかしいか!?)、新年おめでとうございます。読者にとって今年の抱負は何でしょうか?
スペイン人の抱負は・・・。実はスペインは今日までクリスマスなのです(12/24〜1/6)。長い!!
つまり、スペインの一年はクリスマスに始まりクリスマスに終わる。いや、キリスト様をダシにしたクリスマス商戦に始まりクリスマス商戦に終わると言った方が当っている。初め金なら終わりも金。もはや欧米のクリスマスに宗教的意味はなく、単なる商業イベントに成り下がっている。日本の初詣も同じでしょう。
そして、戦争には敗者が付き物。戦利品をせしめて今月は勝ったつもりが、さっそく来月のカ−ド請求書で敗戦処理。更に商店は敗者にもっと敗戦処理の重荷を負わせるべく明日から早速在庫処理の新年バ−ゲンセ−ルが始まる。こうして一月の坂はますますきつい上り坂になるのである(コルムナ40参照)。
さて、筆者の正月はいきなり訃報で始まった。先週土曜日(三日)中学時代の同級生が一昨年何人も亡くなっていたことを同窓会の会報で知らされた。心臓マヒにガン・・・。つくずくものの哀れを感じた次第である。
遅かれ早かれ人間最後は皆死ぬと言う現実を改めて認識させられた。彼等は四十五歳で逝ってしまった。残った同級生は筆者も含めてせいぜい二倍くらいかな・・・とふと思ってみたりもするが・・・。
確かに若くして逝くより二倍生きた方が良い。しかし、年頭に当り今一度『スペイン週間コルムナ』の原点に戻ってみよう。それは『量』より『質』である。延びた大盛り肉うどんか、わさびがピリッと効いた歯応えのあるざるそばか(少々おかしな例えだが)?
自分とせいぜい自分の家族だけ愛するのか、同様に隣人も愛するのか? 極端な話し、人生はこのどちらかに帰着すると言っても良いのではないかと筆者は思う。
虎は死して皮を残す。読者は何を残しますか? それともそんなことは考えないでただ何となく生きているだけでしょうか? 面白おかしければいいのでしょうか?
だったら虎の皮の方がましではないでしょうか?
貧しくても誠実に歩む者は富んでいても曲がった道を歩む者に優る。−−−−−或る昔の偉い人
筆者はここ数年世の常識とは逆のことをすればほとんどの場合上手く行くことを体験して来ました。例えばギタ−もそうです。もっと大きな音が欲しければもっと力を込めて弾くのではなく、もっと力を抜いて弦を撫でるだけで大きな音が出ます。人生、この様に敢えて逆を尽けば上手く行くことが多いのです。
昨年年頭に『不良債権返済の年(同39)』と書きましたが、そのためにも今年はスペインのニュ−スや事件を題材に『逆転の発想』を基本理念にコルムナを書いて行く予定です。
この五年間で日本語情報センタ−三大主旨(Topペ−ジ右上)の『旅行情報部門』と『文化交流部門(主にスペインギタ−)』の足固めは出来たつもりですが、今年からは残る『社会福祉部門』に今まで以上に力を注いで行く予定です。スペインを通じて隣人愛を実践して行きたいと願っています。口だけで実践しなければ偽善者です。日本からも賛同者を募ります。興味にある方、個人的にご連絡下さい。
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90 極秘裏の新幹線試乗 30−12−2003(火) |
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新聞によると先週土曜日、国鉄グラナダ駅にアンダルシア地方政府の高官達が集まり、極秘裏のうちにAVE(スペイン高速鉄道:独仏製)の試乗が行われた。もっとも田舎の駅に新幹線がやって来た訳であるから目に付かないはずがない。極秘裏とはスペイン語らしいいかにも大袈裟な表現である。2007年にはアルハンブラ宮殿の町グラナダはこの新幹線でマドリ−、マラガ、セビ−ジャ、コルドバと結ばれる予定である。
スペインにも否応なしに時代の波が押し寄せている。何もないオリ−ブ畑の荒野を新幹線が時速300kmで突き抜ける様はある意味究極のアンバランスである。筆者が最初にスペインに来た昭和五十四年頃のロ−カル列車の平均速度が時速50km。特急タルゴでも80km位だったことを思えば夢の様な話しである。
EUの一員としてスペインは嫌が応でもEUの時代の波に揉まれる運命にあるかの様である。先のイラク戦争でアメリカに同調したのもアスナ−ル首相が国としてのステ−タスを上げるためだった様に思えてならない。
そして、新幹線がやって来ればグラナダ市のステ−タスも上がる。ステ−タスが上がるとはことばを変えれば押し寄せる時代の波に乗ると言うことである。ただし、波に乗れなければ飲み込まれ、乗ったつもりでも驕り高ぶれば落ちて溺れ死ぬ。残念ながら日本でもスペインでも時代の波を玩んでいるつもりが、いつの間にか玩ばれて時代の波の藻くずに落ぶれる人が多いのではないだろうか・・・と筆者は思う。それはある時は受験戦争であり、ある時は商店や企業の生存競争であるかも知れない。
しかし、それらは究極のところ自己中心と言う土壌に生えた自己中心と言う様々な実である。人の性根が自己中心である以上どんなハイテク時代になっても人は精神的に零落することについて国境はない。
あなたの隣人をあなた自身の様に愛せよ。−−−−−或る昔の偉い人
自分だけ可愛いくて問題ないのは手紙の決り文句の『ご自愛下さい』くらいです。今日多くの社会問題の根本原因は自己中心の精神の一語に尽きます。人は隣人愛を忘却して自己中心に走れば走るほどハイテク社会になる反面、人はますます愚かさのレ−ルの上を新幹線の如く突っ走り、そのスピ−ドは上がる一方です。自己中心のアクセルで加速するか、隣人愛のブレ−キをかけるか・・・。来年もスペインのニュ−スや事件を題材に一緒に考えましょう。考えなければ日本は押し寄せる時代の波に翻弄されて滅びます。
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89 クリスマスはボクのリカちゃん人形 23−12−2003(火) |
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クリスマス商戦真っ只中のニュ−スを一つ。スペインもご多分に漏れずクリスマスは子供におもちゃを贈る季節であるが、おもちゃ業界の一年間の売上のほとんどがこの時期に集中すると言う。何せ同級生や近所の手前子供も親もちんけな物ではプライドが許さない!?
買う方も気合が漲っている(業者の思う壺!?)。
日本語情報センタ−のすぐ横に旧市街の大きな広場があり、毎年この時期にはクリスマスバザ−の屋台で埋め尽くされる。ここでもう三十年以上おもちゃを売っていると言う屋台の主人のインタビュ−がつい先日の地元新聞に載った。これが笑って済むことなのかどうか・・・。
今年のおもちゃの売れ筋は男の子が女の子の人形(日本的に言えばリカちゃん人形)で、女の子がビデオゲ−ムなのだそうである。何じゃこりゃ!?
筆者はこれは末期ガン漫才だと思うが、読者はどうでしょうか? この調子ではスペインでオカマや女オカマ同士の結婚が合法化されるのも遠い将来のことではない様だ。
人間の腐敗も子供からしてここまでに至るのなら人間の存在自体が末期ガンである。男の子にリカちゃん人形を買ってやる親も親だが、それにも増してリカちゃん人形と遊ぶ男の子・・・。ああ気持ち悪い!?
自分の意見を押し付けず、他人の好みを尊重するのが人の道ではあるが、それは自然の摂理の範疇内の話しである。北を南、南を北、男を女、女を男、悪を善と呼ぶのは言論の自由でも人権の尊重でも何でもない。絶対的価値観に真っ向から毒衝く最上級の罪悪である。だから、クリスマスの期間だけどれだけ美辞麗句の厚化粧でアバタを隠しても、人間は子供からしてますますアバズレになる一方なのです。
ああ、悪を善、善を悪と言っている者達。彼らは闇を光、光を闇とし、苦味を甘味、甘味を苦味としている。−−−−−或る昔の偉い人
さて、日本のクリスマスは明後日二十五日で終わりですが、スペインは何と一月六日まで。年末年始大晦日新年もクリスマスの一環です。クリスマス狂想曲はまだ始まったばかり。クリスマスドリ−ムジャンボ宝くじの抽選(先週のコルムナ)も昨日終わった・・・と思ったら何のその。クリスマスドリ−ムジャンボ宝くじ第二弾が新年そうそう控えています。人間の欲望は正月早々クリスマス年末まで飽くことなく前進していくのです。どこに向かって?
リカちゃん人形だったりして!? 人間若いほど、子供ほどガン細胞の転移は早いのです。
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88 クリスマスの行き倒れ 16−12−2003(火) |
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先週金曜日の午後、クリスマス商戦たけなわのグラナダ市のある遊歩道商店街で突然若者約三十人が倒れた・・・と思ったら芝居だったと言う珍事件があった。
結局、消費経済社会に対する警鐘を唱えるために注意を引こうと買物客でごった返す市の一番の繁華街でこう言う突飛なパフォ−マンスで訴えた訳である。
これ以上のことは新聞記事では分からないし、筆者ももちろん当事者を個人的に知っている訳でもないので余り突っ込んだ意見は言えないが、正直なところ、奇抜だが久々に面白い記事だと思った次第である。
スペイン人は陽気で明るく、日本人みたいにセカセカしないで人生を楽しんでいる・・・みたいな印象を日本人は一般的に持っている様であるが、スペイン人の価値観人生観も金と物であり、そのためには嘘を衝き、人を利用し、金が儲かれば喜び、なければ嘆き、あ〜でもない、こ〜でもないとゴタ句を並べてとにかくゴネる。
何のことはない。結局日本人と同じである!?
他人を利用する人間は神をも利用する。これがキリスト様をダシにして自らの物欲金銭欲を満たすいわゆる欧米のクリスマスである。よくもクリスマスになったら急に信者になれるものだ!?
日本ではキャバレ−のおネエ様達までサンタクロ−スの格好をして客に酒を呑ませて金を巻き上げる。そして、クリスマスが終わり次第日本の正月モ−ドに早変わり。今こそ掻き入れ時とばかりに歳末商戦が始まり、正月三ヶ日だけ神社に行って初詣。こうなるともう訳が分からない。
筆者の目には表面的な文化や風俗習慣の違い以外、本質的には全く何も違わないと映る。それは日本とスペインだけの比較ではなく、結局人間が金銭物欲至上主義である以上世界中どこの国でも同じこと、つまり、行き着くところは消費経済社会であり、宗教行事は人間の金銭欲物をカモフラ−ジュするための恰好の厚化粧なのである。キャバレ−のアバズレ女ほど厚化粧が上手いのと理屈は同じ。そして、厚化粧の最後の仕上げは翌日から値引きになるクリスマスケ−キと賽銭を投げ入れながら打つ柏手!?
これで完璧!?
スペインでもクリスマスになるとどこかの競艇のおじさんみたいに『世界は一家。人類は皆兄弟。』などと急にヌケヌケと言い出すから怖い。はっきり言うが、何をやらかそうが告白すれば総て赦されて皆天国に行くなどと嘘を教えるカトリック教会こそスペイン社会の悪の元凶である。結局人間何人でも身勝手で自分の欲だけ追求するからこう言うことになる。そして、世界中どこでも現代社会は正にこう言うことになっている。
明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。−−−−−或る昔の偉い人
これは或る昔の偉い人がブレ−キの壊れたダンプカ−の如く金と物と快楽を追い求める人々のことを形容したことばです。なるほど本気でこれこそ人生だと思っているとすれば、その行いもそうなる訳です。
日本もクリスマス商戦真っ最中でしょう。読者はこの時期だけでも馬小屋に生まれて飼葉桶に寝かされたイエス・キリストの謙遜を考えるクリスマスか、それともキリスト様をダシにしたクリスマス商戦に巻き添えになって重軽傷を負っているのか、この時期だけでも考えてみませんか?
さて、来週月曜日(22日)はいよいよスペイン政府主催クリスマスドリ−ムジャンボ宝くじの抽選だよ〜っと!? 一等は何と200百万ユ−ロ(約二億七千万円)!?
ただし、宝くじを買うだけで一枚20ユ−ロ(二千七百円)!? クリスマスなんだからケチ臭いこと言わずにハイリスクハイリタ−ン!!
ううぅ・・・ブレ−キの壊れたダンプカ−か!?
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87 グラナダは世界遺産の町 09−12−2003(火) |
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先週末、地元グラナダ市からNHKの生中継があった。観た方も多いと思う。
何せ世界に名立たるアルハンブラ宮殿だけではなく、真向かいのアルバイシンの丘もユネスコの世界遺産であり、これだけ観光資源に恵まれた町も珍しい。もちろん、市は諸手を挙げて大歓迎なのだが、これを期にたくさん日本人旅行者が来るだろうと言う経済効果に対する大歓迎であり、はしゃいでいるのは市と旅行業界だけである。一般市民は無関心であり、第一日本は中国の一部だと思っている人が大半なのである。
今回の番組は言わば種蒔きであり、もちろん収穫がなければどんな種蒔きも虚しく終わる。その収穫とは旅行業界にすれば日本人の落とす金が総てであるが、ここは一つ日本人旅行者の側から考えてみよう。
まず筆者自身十年間現地で観光ガイドをした経験から言うが、日本人旅行者のほとんどは次の週末は遊園地に行こうと同じノリで次の連休はスペインに行こうと思って気軽に来る、それだけの話しである。それに比べて個人旅行者はまだましと言えなくはないが、明確な旅行のテ−マを持って来る人は稀である。
つまり、スケ−ルの違いはあれ遊園地も海外旅行も単なるレジャ−なのである。レジャ−であり、遊びであり、息抜きでしかない。特に昨今の不景気を反映した格安ツア−時代になればなるほど遊園地の観覧車の如く『はい、お次の方どうぞ薄利多売ツア−』の傾向は強まるであろう。そして、実はこれがツア−を売る側の明確なテ−マなのである。連中にとっては世界遺産の大義名分も猫を誘き寄せる魚に過ぎない。世界遺産を水戸黄門の印籠の如くエサの魚に使う方も、簡単に誘き寄せられる猫もお互い低次元な需要と供給である。
だからと言って世界遺産について十分予習して意気込んで来いなどとお堅いことは言いません。息抜きなら息抜きで結構ですが、せめて旅情を味わう心の余裕位欲しいものです。でなければ一体何の収穫があるでしょうか?
収穫とは点が継続して線となり、何らかの実を結ぶことに他なりません。
継続は力なり。−−−−−或る昔の偉い人
人生何事も、もし継続しなければ、もし人に感動を与える爽やかな後味と余韻が残らなければ、例えどんなに文化的な美辞麗句で飾ってあってもそれは収穫のない虚しい種蒔きだったと言うことです。金が儲かってレジャ−で楽しきゃいい、それが人生じゃないかと心から思っている浅はかな人なら話しは別ですが・・・。
さて、今回のNHKの放送が視聴者各自の中で一体どの様に継続してどんな実を結ぶのでしょうか?
最後に筆者個人の意見を言えば、世界遺産のアルハンブラ宮殿をじっくり堪能したければ団体ツア−だけは避けることです。駆け足観光で引き摺り回された挙句、一番高いお土産屋さんをタライ回しにされます。旅情もへったくれもありません。筆者はこれを十年間やりました。是非とも個人旅行でおいで下さい。
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86 家庭内暴力被害者の日 02−12−2003(火) |
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先週火曜日はスペインの家庭内暴力被害者の日であった。わざわざこう言う日を設けて社会にこの問題を広く訴え様と言う試みである。もっとも今更広く訴える必要のないほど日常茶飯事の社会問題ではあるが・・・。
もう七、八年前の話しになる。筆者は特別親しかった訳ではないが、グラナダ市郊外のある町に旦那からかなり暴力を振るわれていた三十代のスペイン人女性がいた。刑事事件にまでなった挙句、地元の『家庭内暴力被害女性救済会』から住居と一時金の支給を受けた・・・が、一時金をもらったその夜、子供はそっちのけでさっそく男友達と一晩中ディスコで飲んで騒いでいた。もちろん一時金でである。スペインの女は怖い。
甲子園の地元住民は遠い方の県のチ−ムを応援するそうである。これなどは無邪気な判官贔屓であるが、世の中やはり何事も一面だけ見て判断して盲目的に肩入れする判官贔屓は宜しくない。例えば姑が嫁をイビるのが世の通例であるが、逆の場合も結構あるのではないだろうか・・・。いずれにせよ、様々な角度から両者の言い分を良く聞いて、それが嘘か真か良く吟味してからでないと正しい判官とは言えないが・・・。
それを何とか法律に則って裁こうと言うのが裁判所であるが、一見正しい判決の挙句は上の通りである
結局のところ『私の意見が正しい』と引くことを知らず押し通すから口より先に手が出、相手も同様に心から『私の方が正しい』と思っているから始末が悪い。そして、多くの場合どちらの意見もそれなりに正しいのである。しかし、問題はどちらの正しい意見がより正しいか法に照らし合わせて無理矢理調停することではなく、お互いの正しい意見を楯にお互いの自我をぶつけ合うことにある。人は多くの場合枝葉にばかり拘り事の本質を見失う。事の本質とは子供の喧嘩から国と国との戦争まで『人間の自我』が根本原因だと言うことである。
人間の自我を度外視して自我の結果の悪い枝葉だけを裁くのが司法制度とすれば、刑法も司法もどこまで行っても上の例の如く付け焼きのその場凌ぎに終わるのも当然である。それが証拠に世の中悪くなる一方である。それはいくら携帯から総てを操作出来るハイテク時代になっても、人間様の自我がますます野放しになって増長しているから、警察や刑法や司法がもはや追い付かないのが現代社会であると言える。
誰でも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。−−−−−或る昔の偉い人
自我を全面に押し出して自分のこと(一見正当なことも含めて)しか考えない人は多かれ少なかれ自分を高くする者です。だから低くされて行いが家庭内暴力に限らず低次元になるのです。
自我の精神の解決を無視した自我のぶつかり合いの調停は無益です。自らを低くする謙遜な譲り合う精神のない限り人間は決して高尚なことは出来ません。加害者はもちろん、時には被害者さえも。
スペインの離婚率は五割(コルムナ31&32)、日本は二割五分と聞いています。と言うことは日本人の自我の強さはスペイン人の半分と言うこと!?
五十歩二十五歩です。目指せ五割じゃ困るんですが・・・。ちなみにこの女性の旦那は判決の数ヶ月後バイクで転倒してあっという間に逝ってしまいました。数年前のことです。
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85 スペイン版【ピ−タ−と狼】 25−11−2003(火) |
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一昨日グラナダ市のマヌエル・デ・ファ−ジャ音楽堂でグラナダ市立交響楽団による【ピ−タ−と狼】の上演があった。元々どこの国のお話しかは知らないが、今更説明の必要もないほど有名なお話しである。
確かに誰でも知っているお話しなのだが、今回何故この一見他愛もない御伽話しの如き【ピ−タ−と狼】がここまで世界的に語られているのかふと考えてみる気になった。何せバッハが誰か知らない人が多いスペイン人でさえ誰でも知っているのだから、これはかなりの影響力のはずである。
筆者の想うに【ピ−タ−と狼】は人間の本性を誰にでも分かる様に童謡タッチで端的に表しているゆえに世界中で今日まで語り継がれているのではないだろうか。つまり、大人だけでなく『子供からして嘘つき』であり、嘘つきも度を越せば『嘘をついている自覚さえなく』なって、遂には『嘘をついて欺くことを喜び』さえするのが人間の負の本性であり、その嘘つき人間の最後は程度の差はあれ『破滅』であることに関して民族や老若男女の差はないと言う摂理を表している。そして、文字通り現代社会は子供からして破滅予備軍である。
『子供の様に無邪気』と言う表現があるが、それは乳飲み子やせいぜい幼児のことを指したのであり、それ以上の年頃になれば嘘に目覚めるのは我々自身の体験や周囲のガキども見れば分かることである。
穏やかな舌は命の木。偽りの舌は魂の破滅。−−−−−或る昔の偉い人
我々人間は日本人であれ、スペイン人であれ、何人であれ、誰しも多かれ少なかれピ−タ−なのです。新聞やニュ−スを賑わすのはピ−タ−親分だけかも知れませんが、ピ−タ−小僧もピ−タ−なら最後は破滅です。
決してピ−タ−は他人ではありません。他人だと思っていると、ある日突然『まさか、うちの子に限って・・・』と言う羽目に陥ります。そもそも私やうちの子だけは特別だと本気で思っていること自体が嘘なのです。
世の中がこうなのも誰も【ピ−タ−と狼】の教訓を学ばなかったからではないでしょうか。なるほど偽りの舌で魂が破滅すれば身の破滅も当然です。人生穏やかな舌で穏やかに命の木を育みましょう。
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84 留学、何と高貴なことば・・・だったことか!? 18−11−2003(火) |
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先週二人の日本人女性からスペイン語留学の相談を受けた。『日本語情報センタ−』と看板を出している以上、この種の相談は決して珍しいことではない。今週はこの『留学』について考えてみよう。
一昔前留学に限らず海外旅行と言えばそう簡単に誰の手にでも届くものではなかった。何せ現在では死語と言ってもいい『洋行』なることばが行々しく使われ、一生に一度のものだったのである。
筆者が最初にスペインに来た昭和五十四年頃は一年間のオ−プンチケットが大学生協で二十八万円位だったと記憶している(結局飛行機は使わずシベリア鉄道経由でスペインまで辿り着きました)が、それでも安いと言うのが当時の感覚だったのですから航空券も随分安くなったものです。
そう言えば中学一年の時の担任の先生が、いつか『ちょっとアメリカへ行って来ます』と言う時代になるかも知れないと言っていたのを思い出すが、正に現代は次の連休はちょっと海外旅行に行って来ようと言う時代になった。そして、留学も同じであると言うのがこの種の留学生と接する機会の多い筆者の印象でもある。
その印象とは何もスペイン語留学に限ったことではなく、他の国への留学やワ−キングホリデ−や青年海外協力隊の人と話しても全く同じである。もっとも本当に語学を現地で勉強したいと頑張っている留学生や、心から重荷を感じて発展途上国のためにと励んでいる協力隊員の人はそうではないのだが・・・。
早い話し、現実逃避の人が大半である。仕事を辞めて三ヶ月スペイン語を勉強しに語学学校に来る人(特に若い女性)の何と多いことか。大体スペイン語の予備知識がほとんどゼロで三ヶ月で一体何を学ぼうと言うのか。聞けば『まずは経験にと思って・・・』とか。これなら来ない方がマシである。どうせ日本に帰った翌日から現実が待っているのに・・・。つまり、また仕事を見つけて働かなければならないと言う現実である。また飽きて次の短期留学を想い付くまで・・・。それとも二回続けて留学も何だから、ワ−キングホリデ−か青年海外協力隊にしようかな〜。あ、そうだ!!
フラメンコ留学にしよっ〜と!?
無論総ての人がそうではありませんが、これが現代の日本人留学生の一般的な傾向です。
塔を築こうとする時、まず座って完成に十分な金があるかどうかその費用を計算しないものがいるでしょうか。基礎を築いただけで完成出来なければ、見ていた人は皆嘲笑って『この人は建て始めはしたものの完成出来なかった。』と言うでしょう。−−−−−或る昔の偉い人
もちろん、自分に確固とした目的意識があれば世界のどこに留学して何を勉強し様が各自の自由です。大いに頑張れば良いだけのことです。もちろん帰国後の社会的生活も年頭においてのことです。
『ちょっと留学して来ます』感覚では後に何も残りません。自分の人生なのですからちょっとではなく良〜く考えてから行動して下さい。その上でなら留学もワ−キングホリデ−も青年海外協力隊も良し、今回は見送るも良し。良〜く考えないなら後に何も残らない『ちょっと』の『現実逃避』に終わるだけです。日本に帰れば現実が待っています。世の中『ライト商品』だらけです。留学もライト感覚の時代だと言わざるを得ません。それは取りも直さず人間自体が高貴どころかライトになっているからに他ならないからではないでしょうか。
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83 最悪のガンは人間の愚かさ 11−11−2003(火) |
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先日五十周年を迎えたグラナダ市の大学病院が1996年度ノ−ベル医学賞受賞のあるオ−ストラリア人医師を招いて記念式典を行った。これは地元新聞に載ったこの医師のインタビュ−の記事の見出しである。ついでに副見出し二つも直訳すると、『エイズに対する最も有効な処置は予防である。しかし、政治はこれに余り関心を示さない。』『正しい食生活、禁煙、適度な運動、この三つさえ守ればほとんどの病気は未然に防げる。』
まず、この記事の書き出しがいきなり面白い。記者団と記者会見場の六階(日本では七偕)へ行くのにゼロ階(日本では一階)で落ち合った際、いきなり有無を言わさず『Walking』と言って全員階段で上ったそうである。なるほど、予防は最善の治療であることを身をもって有言実行した訳である。
インタビュ−を要約すると『タイに売春ツア−(どうやらバカな日本人だけではないらしい)に行ったり、一本の注射器で薬を回す様なバカなことをやっていればエイズも蔓延する。』『肺ガンになりたくなければタバコなんか吸うな。』
早い話しがこう言う内容である。
そして、人間はこれが出来ない。何故か?
単に愚かだからである。以前は愚かなことをやりながら、まだ愚かなことをやっている、本当は辞めた方がいいのにと言う自覚くらいはあったのかも知れないが、最近は日本でもスペインでも気違いに刃物、愚か者に愚かさの如く、本人に愚かなことをやっている自覚がないどころか、愚かさに心から心酔して、愚かさを心から楽しんでいるかの如きニュ−スや事件が多い。
知恵のある者と共に歩む者は知恵を得る。愚か者の友となる者は害を受ける。−−−−−或る昔の偉い人
友がテレビや週刊誌やマ−ジャンやエロ本だから害を受けるのです。だから日本は変態巡査やスケベ教師が毎週取り沙汰される憐れむべき社会になってしまったのです。先日の西安の寸劇事件も日本でくだらないバラエティ−番組を見過ぎていたから、あれで本当に日中友好になると思ったのでしょう。情けない限りです。
愚かさを遠ざけましょう。でないとガンになりますよ。ただし、何が知恵で何が愚かさなのか子供の頃から教えてやらないと子供には分かりません。これが予防です。ところが、最近は大人も揃って愚かなのですからお手上げです。この医師の様に知恵のことばをズバッと有言実行する真実の人はもういないのでしょうか?
人間の愚かさと言う末期ガンの最大の予防は知恵です。知恵ある者と共に歩めば知恵を得ます。
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82 釘は金ピカに限る 04−11−2003(火) |
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カタル−ニャ(州都バルセロ−ナ)地方選挙が告示され、現在選挙戦の真最中である。つい先日マドリ−地方選挙も行われたばかりなのだが、よくもしゃあしゃあとと呆れるほど政治家達は選挙になると急に美辞麗句の公約を持ち出して来る。中には猫に魚をチラつかせて誘き寄せるかの様なミエミエのものも多い。
確かに公約の一つ一つを聞いていると、実現すれば社会のためになり、その気になれば決して実現不可能ではないと思われる公約もあるのだが、問題はその魂胆である。
『人民の、人民による、人民のための』政治とはリンカ−ンの有名な民主主義の定義であるが、本当に主役は人民であると政治家が思っているかどうかは極めて疑わしい。世のため人のためと謳っても、実は自分が主役と言う場合が政治の分野に限らず世の中多いのではないだろうか。また、投票する人民の側も所詮は自分の利益のためと思って投票してはいないだろうか。投票する側もされる側もこの様に自己中心でいい加減なのだから、いい加減な社会になるのは当然である。そして、いい加減なことが持てはやされ、いい加減なスケベ教師や変態警官、いい加減どころか人殺しまでやる子供や若者−−−。末期ガン社会全盛である。
なるほど、もう三十年以上前に流行った鶴田浩二の『人生劇場』の『右を向いても左を見ても〜バカと阿呆の絡み合い〜♪』と言う歌詞は二十一世紀への大予言だったのかも知れない。恐ろしいほど的中している。だから先日の王監督侮辱事件の様なことを大の大人が起こすに至る。先週の中国西安の事件も同類項である。
話しは変わるが、ほんの数日前ある日本の雑誌で『私は日本を良くしようと思ってこの仕事をしている』と言うある人の記事を読む機会があった。筆者はこれを見て幾分救われた気になった。政治家でもないこの人が、その職業を単に職業と見なさず、その仕事を通して日本のために尽くすと言う責任感と広い視野に立っている。これが本当の愛国心であり、サッカ−やバレ−の試合で急に『ニッポン』などと言うのはミ−ハ−に過ぎない。
大多数の人が仕事とは単に物の売り買いであり、それに一喜一憂するのが人生だと心から浅はかに思っている反面、この種の人間がまだ存在すること自体、現代における特別天然記念物かも知れない。しっかり保護しないと絶滅の危機に瀕する。貴方や貴方の家族も絶滅しないためには−−−。
我も黄金(こがね)の釘一つ打つ。−−−−−或る昔の偉い人
何も真心の政治家になって世直しをしろ等と大袈裟なことを言う訳ではありません。しかし、私達は自分のためではなく、世のため人のために何か一つ小さな、しかし、有効にお役に立てないでしょうか?
それにはまず勉強でも仕事でも(もちろんこれら自体は人として一生懸命やるべきことですが)自分とせいぜい家族のためだけにやっているうちは大したことをやっている様で大したことはやっていないと言う現実を認識することです。いや大したことではないどころか大した欲望の墓(コルムナ79&80)を築き上げているだけかも知れません。
貴方の価値観は小さな黄金の釘か、それとも美辞麗句で厚化粧した貴方自身の欲望の墓のどちらでしょう。まさか低俗で下品なバラエティ−番組が黄金の釘であるはずがないでしょう。
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81 テレビ大好きスペインの子供 28−10−2003(火) |
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133000人もの12歳未満のスペインの子供達が常習的に夜中(23〜01時)までテレビを見ていると言うショッキングな統計が発表された。これをスペインのマスコミはスキャンダルと報道し、スペイン人市民も今のところスキャンダルと受け取っているので、その点まだ救いはあると言えなくもないが−−−。
つまり月曜イレブン(懐かしい!?)など足元にも及ばないほどの低俗なバラエティ−番組が各局垂れ流しであり、それを多くのスペインのガキどもがテレビにかぶりついて見ている訳である。この時間なら当然バカな親もゲラゲラ笑いながら一緒に見ていることになる。この親にしてこの子あり。同類項の瓢箪から駒は出ない。そして、この親にしてこの子ありなら、この子にしてこの国ありである。いや、この子にしてこの国の将来なしと言った方が当っている。子供や若者こそ一国の将来を担うはずなのだが−−−。
子供の頭脳は乾いたスポンジと同じで真水もドブ水もどんどん吸収する。なるほど共産主義国や独裁国家では子供から洗脳教育を施す訳である。三つ子の魂百まで。何事も幼少期のしつけや教育が一生の価値観を決めてしまうと断言しても良い。その点では高校や大学より幼稚園、小学校、中学校の先生の方が責任重大である。それを公務員で安定しているからと言ってサラリ−マン気分でやってもらっては困る。親も教育は学校任せでは自分の子供に対する愛情の軽薄なこと風の如しである。家庭こそ第一の教育の場であるべきである−−−が、スペインの離婚率は五割、日本は二割五分と聞いている。どこの国でも人としての土台が揺らいでいるので家庭も教育も、そして、子供の頭脳も社会も崩壊する。テレビはもちろんその手先である。
愚か者の前を離れ去れ。知識のことばはそこにはない。−−−−−或る昔の偉い人
ましてや自分の可愛い子供の先生がつけっ放しのテレビとは愚かなること山の如しです。年中結婚したり離婚したりしているモラルも貞操観念もない芸能人が貴方の子供の先生で貴方は何とも思わないなら貴方は極め付けのバカに過ぎません。いい学歴や好収入が一体何の役に立つでしょう?
それとも自分も子供と一緒にドブ水に酔っているからもう感覚が麻痺しているのでしょうか?
知識のことばがそこにはないと思ったら、テレビ番組に限らず子供の手を取って、すぐに愚かなことの前から離れ去ることです。何も損はしません。
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