◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新
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果たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。 日本語情報センタ−は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ−ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。 |
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80 野菜果物で建てる欲望の墓 21−10−2003(火) |
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スペイン全国で社会問題に発展するほど野菜果物が異常な値上がりを見せている。原因は天候不順などで生産量が足りないからではなく、大手ス−パ−が小売値を吊り上げ過ぎとのことである。
まずは商売敵であるはずの他社ス−パ−と卸値に関しては結託し、農家に低価格を強いる。つまり、農家にはこの農作物については上限これだけと言うタダ同然の低い値を付け、徒党を組んで絶対にその闇協定以上の卸値は払わず、物によっては原価の二十倍もの小売値を付け暴利を貪っているとのことである。
こうなると日本の社会問題にもなっている闇金と理屈は大して変わらない。弱者を徹底的に虐め抜き、生血を吸い取り、金を搾取する。自分さえ儲かれば他人はどうなってもいい。いや他人は搾取の対象の虫けらに過ぎない。商売である以上原価を安く押さえるのは当然だ。そのためには法律違反スレスレの闇協定も辞さない。そして、出来るだけ高い小売値を付ける。こうすればタダ同然で金が儲かるではないか。高くても金のある奴は買えばいい。金のない奴は野菜果物は食わなきゃいいだけの話しだろ。それが何か悪いのか!!
早い話しがこう言う有無を言わせない高飛車な態度なのである。こうなると、ただドスを抜かないだけの話しで、性根は闇金のヤクザとは言わないまでも、人を人と思わない悪徳高利貸しの強欲婆あと全く同じである。総ての価値観が『金』だから『人』を人とも思わなくなるのである。金や物の『量』か、それを扱う人の『質』か。『量』か『質』か。そして、『量』より『質』。これは毎週の『スペイン週間コルムナ』の基本理念でもある。
筆者も学生時代名古屋の青果卸売市場で長年アルバイトをしていたのだが、青森のりんごを積んで来た大型トラックの運ちゃんが『農家はタダ同然の出荷額なのに一体誰が儲けているのか!!』と憤慨していたのを思い出す。そう言えば仕入に来ていたダイエ−のス−パ−のバイヤ−の態度もデカかった。
ところで、これは『或る昔の偉い人』のことばとして引用してもいい位なのだが、以前あるビジネスマンの言った次のことばが筆者は好きである。『ビジネスは金ではなく人である。』
ビジネスや商売は金儲けのためにあると思っている人間は建物の基礎から著しく歪んでいるのだから、結局人間として醜く歪んだ金字塔しか建てられない運命にある。これが結局先週の『欲望の墓』なのである。
金銭を愛することが総ての悪の根源である。−−−−−或る昔の偉い人
資本主義社会に生まれた以上総ての人は金に携わらなければなりません。そして、何も金自体が悪なのではありません。金は人を狂わせると言いますが、金銭は中立であり人間生活には必要不可欠な良いものです。ただ、金銭を愛することが総ての悪の根源です。つまり、金自体ではなく意地汚い人間が狂っているのです。例えば日本でもスペインでも物価上昇が社会問題になれば、それは必ずしも政治が悪いのではなく、価格を吊り上げて儲けてやろうと言う人の金銭欲と言う醜い性根が根本原因だと言うことです。
『まず人ありき』か『まず金ありき』か。読者の優先順位はどちらでしょう。
ちなみに筆者もスペインギタ−を通じて金銭に携わっています。もちろん最後はギタ−と代金の交換なのですが、そこに至る人としての過程を重んじています。暇な方は右上の『スペインギタ−主旨』をお読み下さい。
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79 欲望の墓 14−10−2003(火) |
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『グラナダ県全体で九万戸もの空き住居がある。しかも、家賃は全国平均の25%増し。与党の政治が悪過ぎる!!』と言う、ある野党の女性議員の報告が地元新聞に掲載された。
地元グラナダ県はこと経済的貧しさに関して言えばスペイン五十県の中でも下から五本の指に入る。二年前のある全国ネットの銀行の統計によればスペインで最も貧しい県にも認定されている。にも関わらず全国平均の25%以上の家賃相場−−−。一見不可解だが、これが現実である。その心は−−−。
『欲望の墓』とは何と余韻に富んだことばであろうか。世の真相はこの一語に尽きている。人は欲の化身として存在しているではないか。彼等の終わりはみな『欲望の墓』である。−−−−−或る昔の偉い人
確かに金融機関や建設業界は動く金がデカイので政治家と癒着し易いのは世界中どこでも一緒でしょう。だからと言って目立ち易い彼等だけが悪人なのでしょうか?
『欲の化身』なのは大物だけで、後は皆犠牲者なのでしょうか? 小物でも『欲の化身』なら一般庶民に至るまで皆同じではないでしょうか? 何が同じなのでしょう?
欲しがる金や物の『量』ではなく、欲しがって止まないその賤しい人間性、『質』のことです。欲しがる『量』に大物小物の違いはあっても、欲しがる人としての『質』が同じなら、皆『欲の化身』であり『欲望の墓』行きです。
もちろんこの欲望とは金銭欲のみならず総ての欲望を指します。また、売る方だけが欲の塊なのではありません。買う方もそうです。残念ながら筆者が携わっているギタ−業界もそうです。作る側も売る側もギタ−への純粋な愛情などかけらもなく、金儲けとしか思っていない『欲の化身』そのものみたいな連中が多過ぎます。
一銭でも高く住宅を売ろう、一ユ−ロでも多く家賃を取ろう、なるべく付加価値を付けてギタ−を高く売って儲け様、それの何が悪い!!
本気でこう思っているのですから住宅相場やギタ−価格が上がるのは当り前です。確かに建材や人件費も値上がりしてはいるのでしょう。しかし、根本原因はそれにまつわる人の強欲です。
そう言う人の人生は『砂の上のお城コンテスト』に過ぎません。足元の砂を見ない人は御殿の如く驚嘆し羨むことでしょう。文字通り金字塔だと思うでしょう。しかし、それは『欲望の墓』と言う実像の虚像に過ぎないのです。
読者はそこまで金銭物欲に凝り固まった醜い人間ではないかも知れません。しかし、何にせよ自分の欲に固執する人生を送るなら小さな『欲望の墓』を築いているかも知れません。各自今一度自らを吟味してみましょう。
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78 ガス欠は強盗の元 07−10−2003(火) |
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先週土曜日グラナダ市郊外の道路で何とガス欠で立ち往生した車の女性が三人組の強盗に遭うと言う前代未聞の事件が起こった。その原因の謎は次のヨ−ロッパの諺(かどうかは知らない)が雄弁に物語っている。
『ドイツ人は走る前に考える。イギリス人は走りながら考える。スペイン人は走ってから考える。』
一見漫才のネタにさえなりそうだが、スペイン人は『走ってから考える』とはもちろん『走り終わってから考える』の意味である。つまり、衝動買いタイプが多く(何でもカ−ドで買って来月払い&ロ−ン倒れの自己破産や夜逃げ多し!!)、何ヶ月も前からクリスマス宝くじに総てを賭ける(コルムナ68)国民性もここから来ている。
いや、今回の事件は自分の車の燃料計さえ見ないで運転していたのだから、強盗はさておき、スペイン人独特の超楽天的国民性(いい加減さ)が事の真相である。そう言えば筆者の観光ガイド時代の同僚も観光バスが日本人団体を乗せたままガス欠で高速道路のど真ん中で立ち往生の憂き目に遭いスペインを満喫した。
もっとひどいのもあった。もう12、3年前の話しになるが、ガス欠のセスナ機がグラナダ市郊外のオリ−ブ畑に緊急着陸した。しかも、目的地の手前でガス欠ならまだ話しは分かるが、ちょうど中間地点位でのことであった。つまり、これまた燃料計を見ずに離陸した訳である。車ならまだしもセスナとは開いた口が塞がらない。自分の命の危険を犯してまで燃料計を見ないとは先天性楽天家ボケもここまでやれば筋金入りである!?
塔を築こうとする時、まず座って完成に十分な金があるかどうかその費用を計算しないものがいるでしょうか。基礎を築いただけで完成出来なければ、見ていた人は皆嘲笑って『この人は建て始めはしたものの完成出来なかった。』と言うでしょう。−−−−−或る昔の偉い人
これら三国の国力、経済力、国際的地位はこの諺の順になっています。もちろんこれは偶然ではありません。『まず座って費用を計算する』忍耐のない人は人生何をやってもその場凌ぎの付け焼きに終わります。そして、憐れむべき未完成だけでは終わらず、この女性の様に思わぬ災いにさえ巻き込まれます。日本語で言う好事摩多し。好事摩が多いか少ないかは偶然ではなく『まず座って費用を計算する』忍耐によるのです。
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77 骨折り損のもぐら叩き 30−09−2003(火) |
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話しは先週の車なしデ−に戻るが、新聞によると地元グラナダ市内では主要道路を歩行者天国にしたのはいいが、迂回した車で市内その他の個所が通常より更に大渋滞に陥ったとのことである。
これは何と象徴的なことではないかと思いませんか? 何の象徴でしょう?
様々な社会悪に対する人間的な方策のことである。道路交通法も刑法も校則もある意味結局もぐら叩きなのである。戦争に勝ったはずのアメリカがイラクのゲリラ戦法を根絶出来ず出口の見えない袋小路の迷路にズボッとはまり込んでしまったのとも似ている。手こずれば手こずるほど対策を強化するが、それは相手の反抗心を煽るだけなのである。
同様に今日の蚊取り線香は一昔前より随分強力なのだそうである。蚊にも免疫が出来てそう簡単には死んでくれないので蚊取り線香の毒性は増す一方−−−。おまけに蚊も根絶どころか益々元気になって人間様にかぶり付く。所詮はもぐら叩きのイタチごっこなのである。
当局から頭ごなしに車に乗るなと言われても、結局市民に公共心のないことが悪の根源なのである。子供から老人に至るまで市民一人一人に譲り合う心と社会全体の益を思う精神があれば、社会悪は完全に消えないにしても、規則を頭ごなしに押し付けられたので腹いせにやり返す様な次元の低いことは起こらないであろうが−−−、世の中次元の低いことだらけである。しかも次元の低さを極めようコンテストの様相さえ呈している。子供から大人まで低俗なバラエティ−番組を見てゲラゲラ笑って脳みそが腐れば日本に未来がある訳がないでしょう(筆者も“ゲバゲバ90分”は見てましたが)?
スペインでもテレビをつければ裸の女ばかり−−−。
愚か者は悪から離れることを忌み嫌う。−−−−−或る昔の偉い人
市内が交通規制されたから迂回するのが悪いのでも何でもありません。自家用車より公共機関を利用して私も渋滞緩和に一役買おうと思い浮かびもしない自己中心の性根が様々な社会悪の根源なのです。親がそうなら子供もそうなるでしょう。総ては点ではなく線なのです。ここで言う愚か者とは自己中心者、そして、自己中心者は悪から離れることを単に嫌うのではなく忌み嫌う、つまり悪に固執してそれを喜びさえするのです。
読者自身、或は家族、職場、人間関係に何か問題がありますか? 何か対策を講じていますか?
思った程効果がないなら、それは頭ごなしのもぐら叩きのイタチごっこになってはいませんか?
車なしデ−の交通規制の様に、抑圧したはずの問題が他の個所から吹き出していませんか?
悪い実対策ではなく悪い実の成る原因の『悪い根対策』に頭を切り替えないと、悪い実はいくら叩き落しても悪い根が手付かずで残っている以上後から後からどんどん成り続けます。それが荒廃した現代社会や学校教育の現状を表してはいないでしょうか。
当面有権者の手前悪い実を切り落とせばいい、切り落とすのも面倒だから悪い実に真心の厚化粧をしよう−−−、これが政治に限らず人間的な様々な方策です。仮にそれらの動機は良かれと思ってなされたものでも、根に言及しないなら知恵があるとは言えません。知恵がないから愚かなのです。そして、愚か者が過半数を占めればその愚かさが正義となって合法化さえされるのが民主主義です。その場凌ぎの交通規制や迂回ではなく、人は究極のところ知恵か愚かさのどちらかを選択しなければなりません。読者はどうしますか?
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76 車よなくなれ 23−09−2003(火) |
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一昨日日曜日はグラナダ市の車なしデ−、昨日月曜日はEU圏全体の車なしデ−であった。公共機関や自転車のプロモ−ションによる車の渋滞や大気汚染対策であり、また、交通ストップされた市内道路では並行してバザ−や青空市場、様々な文化教室なども催され、晴天にも恵まれいずれも大盛況であった。つまり、市民の皆さん、車の騒音から解放されて文化的な時間をお楽しみ下さいと言う反自動車キャンペ−ンである。
話しは飛ぶが、先週末若い女性を狙った連続殺人事件の犯人がやっと逮捕され、現在スペイン全国が事の成り行きに注目している毎日である。一昨日共犯者も逮捕され、真相究明はまだ始まったばかりである。
さて、いつかのコルムナにも書いたが、政治とは主に金銭物質的に市民に貢献すること(文部省は別かも知れないが)であり、それが証拠に政治家の政治や公約は景気回復や公共事業などについてのみである。
今回の車なしデ−も結局はそれである。市民に車のない社会を例え二日でも体験してもらい、交通機関を利用してくれる様になれば、渋滞は緩和され、街の空気も綺麗になり、市民生活の向上に直結する−−−。
しかし、排気ガスなど総て外なるものは内なるものの表れである。人々に公共心がないことが街や空気の汚い原因であり、車が多いこと自体ではない。これを度外視してアバタに厚化粧したところで何も変わらない。
これらの悪はみな内側から出て人を汚すのです。−−−−−或る昔の偉い人
だから、街も大気までも汚染されるのです。今日様々な社会問題の原因は内側から出てくる人の悪です。そして、現代はこの人の悪に拍車がかかっている恐ろしい時代です。どんなにいい政治が行われ様が、学校で風紀部の規則を厳しくし様が、残念ながらこれからも人々はますます愚かになり凶悪犯罪も増える一方でしょう。
仮に車の数が減って渋滞と大気汚染が解決しても子供から窃盗や殺人犯では一体何の役に立つでしょう。そして、この悪の根は凶悪犯だけではなく我々一人一人の内にもあるのです。まずこれを素直に認めなければ何も始まりません。どんな教育も訓示も社会事業も上っ面の美辞麗句に終わってしまいます。
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75 以外や盛況スペイン経済 16−09−2003(火)) |
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先週首都マドリ−は大変な人手でごった返し、宿を捜すのも不可能な程であった。先週一杯行われた有名なファッションショ−と土曜日のレアル・マドリ−対レアル・バジャドリ−のサッカ−の試合のためである。
何せ最高級ホテルから安宿に至るまで滅茶苦茶な混み具合で、当センタ−でも二組の日本人旅行者からマドリ−で週末の宿を捜して欲しいと依頼されたが、一組目は電話26本目でやっと見つかり、二組目は同じ位電話をかけまくったが、遂に決まらなかった程である。
見かけは余り働かないスペイン人ではあるが、こうした現実を突き付けられると、なるほどこの国の経済はこうして成り立っているのかと認識させられる。ただし、ただ単に金の『量』だけに関して言えばの話しである。
ファッションショ−とサッカ−のおかげで恩恵を被るのはホテルや宿のみではない。飛行機、汽車、バスの公共機関、タクシ−、レストラン、民芸品店−−−そして、ダフ屋やスリのハイエナに至るまで甘い汁を吸う。
いや、ハイエナは実は皆だったりして、と言うと言い過ぎなのは分かるが−−−。ホテルマンは礼儀正しく応対し、様々な乗り物は切符を購入した乗客を滞りなく目的地まで送り届ける任務を忠実に果たしている。もちろんそれ自体は代金を受け取る以上当然なすべきことであるが、実際まずまず合格点が出せる。
関連産業も市と国の財政も皆潤うのだから、これは資本主義社会の理想的な形ではないか、とスペインの政治家達は思っていることだろう。また、特に恩恵を被った市民は現政権に次回も投票するであろう。そして、ファッションショ−に限らず、この手の大きなイベントを誘致すれば市の財政は潤い、地元のスポ−ツチ−ムに人気があれば、これまた経済効果てき面なのは日本でも同じことである。しかし、商品の価値はその品質にあり、それ以前にそれを扱う人の品質(人間性)にある。その品質とは、今や半ばストリップ劇場と化したファッションショ−に両腕に入墨をしたアイドル見たさに地方からも日本からもサッカ−場に殺到するファン−−−。関連産業は総てこれらの品質の商品によって恩恵を受けているのである。
この世と調子を合わせてはいけません。−−−−−或る昔の偉い人
もちろん洋服のデザインやサッカ−自体が悪いのでも何でもありませんが、何かが間違ってるどころか物事が本質的に狂っていると筆者は思います。全裸同然でステ−ジに立って金と名声を得るファッションモデル、ダフ屋に相場以上の大枚をはたいてもサッカ−を見なければ気が済まない日本の若者−−−。あたかも社会全体が集団催眠で操られ、資本主義と言う巨大なネズミ溝で皆利益を得ているから上っ面は上手く行っている様に見えると言えば考え過ぎでしょうか。上っ面ではなく中身は『質』と日本語では言います。日本語情報センタ−の運営主旨も正に『量より質』です。暇な方、上の『人としての日本語情報センタ−』を読んで見て下さい。
一頭走り始めると残りの動物も訳が分からず暴走するスタンピ−トの如く、考えもせずにこの世の狂想曲の調べに乗って調子を合わせていると貴方も最後は群共々崖から落ちて道連れになりますよ。
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74 ロシアからスペインへ出稼ぎ荒稼ぎ 09−09−2003(火) |
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ちょうど一週間前、先週の火曜日、シドニ−オリンピック女子体操金メダリストの22歳のうら若いロシア人女性が賭博詐欺の現行犯で逮捕された。何故このコルムナで取り上げるかと言うと、事件の舞台が火祭りで有名なスペインのバレンシア市郊外のカジノだったからである。
地元新聞の三面記事にカラ−でデカデカと載った彼女の写真は一見アイドルのそれであった。これ以上はないと言うほど短いミニスカ−トの下にはとてつもなく細くて長い脚。男性のみならず同性の女性から見ても溜息が漏れそうな抜群のプロポ−ションに金髪で細面の美人−−−の両手に手錠!?
その横にはスペインの警官!?
スペインの光と影はアンバランスの美であるが、このアンバランスは一体何と例えれば良いのか−−−。
美しいがたしなみのない女は金の輪が豚の鼻にある様だ。−−−−−或る昔の偉い人
なるほど、ちょっとキツい表現ですが、言い当て妙かも知れません。そう言われたくなければ御用になる様なことをしなければいいだけの話しですが、若くして一度栄光を掴んで舞い上がった人間には却って人生の罠も多いのでしょう。そして、その悪の誘惑の罠に自らかかって一度甘い毒汁の味を覚えてしまったら、麻薬の如く一生そうし続けなければならない−−−。人間の愚かさに民族:老若男女:社会階級の差はない様です。
そう言えば、筆者が子供の頃からアイドルなる俳優や歌手はたくさんいましたが、そのほとんどの消息は現在聞かれません。ま、二十年三十年も経てば当り前かも知れませんが−−−。
花は花自体の美しさよりも、枯れてからどんな実を結ぶかでその価値が決まります。少なくともスペインのひまわりはそうです。金が欲しいから賭博詐欺、売れなくなったら脱いで写真集−−−とてもたしなみのある女性の行為とは思えません。低俗な週刊誌に踊らされていると貴方も人生火祭りの御用になってしまいますよ。
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73 個人商店の危機 02−09−2003(火) |
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先日の地元新聞に拠れば、この五年間でグラナダ市内一般商店の売上は大手百貨店に押されて五割減まで落ち込み、今後店閉いを余儀なくされる個人商店などが徐々に増えて来るであろうとのことである。 百貨店と言うよりハイパ−(特大ス−パ−)と言った方が表現は適切かも知れない。とにかく土地のない日本では考えられない程の面積の売場に何でも置いてあり、仕入れから一貫して大規模経営しているため安く売ることが出来る。これでは個人商店は太刀打ち出来ない。そこで小さいス−パ−などは手を組んでチェ−ン化してロ−コスト化を図るか、もしくは廃業するかのどちらかである。つまり、日本の銀行だけではなく、世界中のいかなる業界も融合吸収合併の傾向にあり、そうしなければ生き残れなくなって来ているのである。 これは結局のところ資本主義社会が行き着く所まで行き着いている兆候ではないだろうか。総ては経済成長のためであり、そのために弱者がどうなろうがお構いなし。銀行もその弱者にあの手この手で貸し付け利息を貪る。そして、持てる者と持たざる者の差が益々開き中産階級がいなくなる。日本も今こうなってはいないだろうか。スペインは元々貧富の差の激しい国だが、近年この傾向がますます強まっている。 何も一生懸命働いて社会的経済的に成功するのが悪いのではない。楽をして儲け様としてバブッて夜逃げした連中よりはましである。しかし、もし貴方自身が利口なつもりでも、そして、実際利口であっても、金銭自体に価値観を置いているなら貴方は利口でもなく大した人間でもない。 金銭を愛することがすべての悪の根源である。−−−−−或る昔の偉い人 金銭は社会生活上必要不可欠であり、誠実に働いて得るべきです。ただし、それと金銭を愛することは全く別次元の問題です。会社や商店の業績を上げるために一生懸命働かなければならないのは当然ですが、それとそれ自体が人生の目的になってしまうことは両刃の剣の如く似て非なる物なのです。 残念ながら人間が自己中心で身勝手である以上、ますます個人商店は人間の金銭欲のドブの中で自然淘汰されて巨大なネズミ溝が出来上がって行くでしょう。そして、最後はそのピラミッドの頂点をクッと握った奴が世界を支配する−−−、筆者にはそんな予感がします。これに組み込まれないためには誠実に働いて金銭は得ても金銭を愛せず、金銭以外のことに価値観を持ち、他人と社会の益を顧ることです。そうしなければ日本は滅びます。いや、もう滅びかけているのではありませんか。日本の浮沈は政治家ではなく貴方次第なのです。 まずは貴方の人生と言う個人商店を金銭を愛さずにしっかり経営してみて下さい。傾いていませんか? |
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72 山火事はドブ水が原因 26−08−2003(火) |
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日本で高校野球と言う爽やかな一陣の風が吹いている間ヨ−ロッパでは山火事と言う熱風が吹き荒れた。フランスとポルトガルが特にひどかったが、スペインでもカタル−ニャ地方(県庁バルセロ−ナ)でかなりの山が灰燼に帰した。問題はそのほとんどが夏の乾燥期を狙った悪質な放火であると言うことである。 一昔前の放火と言えば、スペインでは林業関係の営利目的の動機のものが多かったが、近年はただ破壊して嘲笑いたいと言う純キチガイ的動機のものがほとんどだと言うことである。 体制に逆らいたい、頭に来たからぶち切れる、人を刺す、火を付ける−−−。そして、それを面白がりさえする。人間の身勝手さも肥大し過ぎればここまでに至る。最近のインタ−ネットのビ−ルスも同じである。皆巻き込んでやる、世界中を混乱に陥れてやる、ザマ−見やがれ、ああ面白い−−−。 テレビゲ−ムや漫画からして暴力と破壊を奨励し、子供や若者をいつ爆発するか分からない時限爆弾に改造する。日本で報道されたどうか知らないが、何年か前中南米のどこかの国で『ドラゴンボ−ルZ』を見ていた子供が衝動的に窓から飛び降りて自殺したそうである。これら総ては点ではなく線である。今回の放火も、少年犯罪の強盗も殺人も窃盗も総てはその延長線上にある。独立した点ではない。 世界中のテレビゲ−ムや漫画(残念ながら日本製がほとんど)や映画(アメリカ製が多い)は暴力的破壊的である。大人さえこれらに影響されてぶち切れるとすれば、三つ子の魂百まで−−−、子供の方がもっと怖い。 子供の頭脳は乾いたスポンジと同じで真水もドブ水も何でも良く吸い込む。子供が発ガン性のドブ水をガブ飲みしているのに注意しないどころか、それに気付きもしないのでは一体何のための親や先生なのか。 誰でも自分の利益を求めないで他人の利益を心がけなさい。−−−−−或る昔の偉い人 自己中心ではなく他人を思いやる心を植え付けられるのは幼少期だけです。例え勉強は出来なくても、思いやりのある子の方が日本の将来を担えると筆者は思います。そうすれば総てとはいかないまでも多くの社会悪は未然に防げるはずです。そして、もしそうしなければ日々新聞史上を賑わせている極悪ニュ−スは手の付けられない山火事の如くますます日本社会を子供から燃え尽くして行くことでしょう、残念ながら−−−。 |
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71 甲子園とスペインのサッカ−(3) 19−08−2003(火) |
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近年スペイン各地に華僑の経営する日本料理屋が増えている。余りに中華料理店が氾濫し過ぎた故の華僑の思い付いた新しいビジネスであり、グラナダ市内だけでも数軒ある。傑作なのが寿司。魚の切り身、干ぴょう、胡瓜−−−、そして、最後は海苔で巻いてあるので見た目は寿司なのだが、米はベトベト、何より肝心の酢加減が漫才そのもの!?
日本人から見れば寿司でも何でもない。敢えて言えば世界一まずい寿司である。
酢の利いていない寿司は寿司ではない。同様に人間性の欠如した人間は生物分類学上『ヒト』であると言うだけで『人』ではない(言い過ぎか?)。酢が利いてない寿司はまずい。同様に人間性の欠如した人間の行いもまずい。いや、まずいどころか悪魔的でさえあるから子供からしてこの前の様な事件を起こすに至る。残念ながらスペインでも子供の窃盗や殺人など日常茶飯事である。いくら茶飯事と言われてもまずくて食えない。 酢加減が音痴でも商売になるのは客が寿司の味の分からないスペイン人だから、お互いまがい物同士でまがい物ビジネスとして成り立つのである。同様に世の中人間性の欠如したまがい物(者)が氾濫している。 人生何をやろうが人間が人間である以上そこに人間性の味と香がしなければ、それは人間の行いではない。それは何も日本全国が注目する甲子園の高校野球の様な桧舞台である必要はない。新聞配達の少年でも給食のおばさんでも先生でも窓際族でも誰でも何でも良い。その手の成すところが勉強であれ、誰も評価してくれない様な安月給のアルバイトであれ、それ自体何であろう(もちろん悪いことはいけない)が大した問題ではない。その行いがその人の人間性をどこまで反映しているかによってその価値が決まるべきである。つまり、成績、業績、報酬、地位、名声の『量』ではなく、その人の人間性と言う人としての『質』の問題である。 知恵の正しいことはその行いが証明する。−−−−−或る昔の偉い人 今日プロスポ−ツはスポ−ツエンタ−テイメントショ−に成り下がってはいないでしょうか? もちろん『技量』もそれにまつわる金銭の『量』もプロの方が遥かに優っています。しかし、どう見てもまつわり過ぎです。年棒何億の花形選手、サッカ−場に寄生虫の如くたむろするダフ屋、サッカ−くじ、スペインの好カ−ドのチケットを何万円で売る日本の旅行代理店−−−。まるで新興宗教の総本山の参拝客を当て込んだ屋台の如くです。そして、宗派が違うからと言って喧嘩をする信者達、機動隊出動−−−。人生劇場の香りなどしません。 思えば日本人が人間性を度外視して金だけを追い求めて見事にコケたのがバブル崩壊です。人間性が崩壊したからその欲望もバブルとなって崩壊したのです。見かけの『量』がどんなに派手に膨らんだバブルでも、人間性と言う中身の『質』が空っぽなら必ず崩壊します。これが人生の摂理であることを筆者は疑いません。 館長の母校今治西高は二回戦で敗退しましたので、この題名のコルムナも今週で最後になります。その実力の『量』は二回戦止まりでしたが、今年は義足の曽我三塁手を初め、その『質』の高い人生劇場で日本人の心に吹く爽やかな一陣の風であったことを卒業生として嬉しく思います。『量』より『質』とは言い換えれば『記録』より『記憶』とも言えるでしょう。高校野球は教育である(コルムナ69)なら、プロスポ−ツも技量だけではなく、見る者の記憶に残る感動と言う『質』のあるプレ−を見せることによってその延長にあって欲しいものです。 |
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70 甲子園とスペインのサッカ−(2) 12−08−2003(火) |
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その昔セリ−グのある球団でプレ−していた元大リ−ガ−が甲子園の高校野球を見学して『野球は宗教じゃないのに』と言ったそうである。言わんとするところは分かる。日本の高校スポ−ツの中でこれ程野球だけが注目を浴びて、新聞紙面を賑わし、国営テレビNHKで全国中継され、まるで国民行事の如く盛り上がり、負けた側の応援団の女性徒達は泣く−−−。確かに外人から見れば少々オ−バ−アクションかも知れない。
しかし、日本人はやはり『根性』とか『青春ドラマ』には弱いのである。思うに日本人のスポ−ツの見方にはこの独特の思い入れが感じられる。これはもはや日本人の国民性であり、やはり『巨人の星』なのである。 筆者は『巨人の星』が各地で再放送されているうちは、まだ日本は希望があると思っているが、スペインで放送されている『セ−ラ−ム−ン』や『クレヨンしんちゃん』は一体何なんだ!? あんなの見ていれば子供達の頭がいかれても不思議はない。やはり、時代と共に人間の質が落ちて来れば漫画まで低俗になるのも当然か。 上記の元大リ−ガ−の発言は、もっとライト感覚でいいじゃないかと言う意味だと思うが、日本人はやはり人生劇場なのである。そして、今回の筆者の母校の後輩、義足の曽我三塁手も正に人生劇場である。日本人の判官贔屓を差し引いてもこれは人生劇場である。そして、試合自体はもちろん、地方大会で消えて行ったチ−ム、痛恨の一球、レギュラ−になれなかった部員、女子マネ−ジャ−etc、皆人生劇場なのである。 これらはもはや野球そのものではなく野球を通じた人生劇場、つまり、『人』そのものである。先週引用した両監督の談話も野球自体ではなく『人』についてであることに注意していただきたい。だから、実力では遥かに上だが、人として訴えることのないプロ野球の消化試合より高校野球の方が人として感銘を受けるのである。 プロスポ−ツも昔はそう言う人間的側面が多々あった様に思うが、残念ながら金が絡んで来るとスポ−ツ産業に落ちぶれスポ−ツとしての本質を見失ってしまうのが最近の傾向である。先日日本で刺青者のパジャマが〜万円で落札されたとか。筆者はこれを聞いて真っ先にオウムの信者を思い出した。うり二つである。 忠実な人は多くの祝福を得る。−−−−−或る昔の偉い人 勉強だろうが、野球だろうが、どんな仕事をしようが、忠実であること。自分にも他人にもどんな些細なことにでも忠実であること。そうすれば多くの祝福を得、人としての感動を分かち合うことが出来ます。今回曽我三塁手は計らずも全国の注目とスポットライトを浴びることになってしまいました。過剰報道で嫌な思いもしているかも知れませんが、毎日ロクでもない極悪非道ニュ−スだらけの荒廃した日本社会において、多くの人に夢と感動(祝福)を与える結果になったのですから、それで立派に使命を果たしたと言えるでしょう。 次は15日(金)の第一試合です。応援して下さい。 (この項今治西高が勝ち続ける限り続く!?) |
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69 甲子園とスペインのサッカ−(1) 05−08−2003(火) |
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スペインとは何の関係もないが、私館長の母校今治西高校野球部が二十二年振りに夏の甲子園に出場することになった。筆者自身も在校中ブラスバンド部員として夏の甲子園で五試合応援したことがあるだけに嬉しさ懐かしさもひとしおである。しかも、監督は同級生。自分の果たせなかった夢を教え子達に託して四半世紀後に甲子園の土を踏む−−−。正に昭和平成を股にかけた歴史大河ドラマである。
義足の曽我三塁手に感銘を受けた日本人も多いのではないか。過剰報道は宜しくないが、読者の皆さんも八月はスペインに来て『パエ−ジャ美味しい、キャ、キャ』とか言っている場合ではありません。この時期スペインには来なくていいですから、もはや日本の文化の一部であるとも言える高校野球甲子園大会から何かを学んで暑さを乗り切ろうではありませんか。嗚呼、甲子園名物『カチ割り』が懐かしい!! ←何のことか分かる〜? さて、その昔猛打で高校球界に名を馳せた池田高校の故蔦監督が決勝で初めてPL学園に敗れた時の『連戦連勝でここまで勝ち上がって来たこの子達にとって、一度は負けた方が長い人生のためには良かったのかも知れない』と言う談話は高校野球史に残る名文句だと思っているが、今回新聞紙上に書かれた今治西宇佐美監督の信念『高校野球は教育である』も初心に帰るべく忘れ物を突き付けられた様な金言である。 学生が学生である以上学生スポ−ツは教育の一環でなければならない。当事者の学生諸君はもちろん、見る者にも感動を与える−−−。つまり、勝敗以上にスポ−ツをやる側も見る側も人として何かを学び成長する、これが学生スポ−ツの真髄ではないだろうか。いや、スポ−ツに限らず人生何をやろうが、そこに人としてのメッセ−ジがなければ単なる金儲けや醜い自己宣伝に終わり、結局最後の最後には何も『実』が残らない。これは『スペイン週間コルムナ』から読者への一貫したメッセ−ジでもある。 折りも折り、スペインサッカ−の強豪レアル・マドリ−が極東ツア−にやって来た。皆さんの目にはどう映ったかは知らないが、あれは北京東京荒稼ぎオ−プン戦ツア−以外の何物でもない。頭をキンキラ金に染めた日本の小学生からして魂と金を吸い取られている。何十億稼ぐか知らないが、刺青者が子供達のヒ−ロ−になるなど世も末の証拠である。こう言ったことも最近の一連の少年犯罪の遠因であることを筆者は疑わない。 サッカ−はサッカ−なりに見る者に感動を与えてくれなければ、もはやスポ−ツではなくサッカ−ショ−に成り下がってしまっただけのこと。去年のサッカ−ワ−ルドカップの時もそうだが、スタ−がマイクを持って唄えば歌謡ショ−で、スタ−選手がボ−ルを蹴ればサッカ−ショ−、ノリは全く同じだと筆者の目には映る。アイドルの追っかけと全く同じではないか。キャ−キャ−ミ−ハ−丸出しで騒いで人としての感動もへったくれもない。人としての感動がないと言うことは『花』の見映えに気を取られ、結局何も『実』が残らず本人は貧しくなると言うことに他ならない。魂も金も吸い取られるのだから貧しくなるのも当り前。読者の魂とお金は大丈夫ですか? 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない。−−−−−或る昔の偉い人 彼等は年棒何億円、高校球児は報酬ゼロです。金の『量』ならお話しになりませんが、人としての『質(感動)』これが肝心です。この八月今一度人生は『量か質か(3/4コルムナ)』考えてみましょう。(この項続く) |
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68 季節はずれの『在って無きもの』 29−07−2003(火) |
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季節はずれと言えば、例えば季節はずれの雪、陽気、にわか雨、開花などが日本語では思い浮かぶ。 季節はずれとは季節感がピンボケでノ−天気であると言っても良い。元来スペインは高原の国であり、夏は極めて暑く、冬は滅法寒いのが普通であるが、この極端な気候を反映して、地元グラナダを始めスペイン全土に渡りサボテンと白樺が一緒に生えている所が多い。これでは国民性まで熱し易く冷め易いのも当然で、以前ご紹介したスペインの離婚率が五割(昨年11月11日のコルムナ参照)と言うのもサボテンと白樺が雄弁に物語っている。確かに連日猛暑の今日この頃、アルハンブラ宮殿を訪れれば庭にサボテンは頷けても白樺は季節はずれである。そして、極め付けは真夏の7月の中旬にスペインの街中に早くもクリスマスドリ−ムジャンボ宝くじの大きな広告!? これぞスペイン人のノ−天気ぶりと拝金主義を象徴した様な季節はずれぶりである。 スペインの宝くじの宣伝に必ずと言っていいほど使われるのが『ilusion:イルシオン』なる単語である。英語では『illusion:イリュ−ジョン』でLが一個多いだけ。意味は幻覚、幻想。掴み所のない感じのことばであるが、スペイン語を勉強している人はお分かりの様に、このことばは現代スペイン語ではむしろ『希望』と言う意味で使われることが多い。例えば子供が生まれて親が『私はilusionを感じる(直訳)』と言った具合に使われる。 確かにこの意味で使われるなら問題はないが、筆者が以前どこかのラジオ番組で聴いたところに拠ると、この『ilusion』と言うことばは確かギリシャ語かどこかの言語で元々の意味は『在って無きもの』とのことである。 総ての人は草、その栄光はみな野の花の様だ。−−−−−或る昔の偉い人 筆者の見るところ日本人もスペイン人もどこの国の人も『人生は砂の上のお城コンテスト』である場合がほとんどです。立派な見かけが『在る』のですが、砂が土台だから結局は『無きもの』なのです。それはあたかも気分屋のスペイン人達が宝くじを買うと、もう当った気になって抽選日にハズレるまで上機嫌なのと同じです。 砂が土台の人生とは何でしょう? 難しい命題ですが、野の草花の如く在って無き弱い人間が強がって、しかも自己中心に虚勢を張って生きると言うことではないでしょうか? 真面目に働く(それ自体は人間として当然なすべきことですが)習性の日本人も、金がなくなったら真っ先に宝くじを買う思考回路のスペイン人も、例え誠実に勉強して働いて得た地位や財産も、宝くじに当っても、土台が砂なら最後は皆『在って無きもの』なのです。 強がってはいても実は弱々しい、当てにならない、自分自身がひたすら可愛い甚だ身勝手な貴方自身を貴方の心の王座から除かない限り『在って無きもの』人生からの解放などあり得ないのではないでしょうか。 ちなみにこのクリスマスドリ−ムジャンボ宝くじは買うだけで一枚2700円。一等10億円。でかいお城だ、砂の上!? |
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67 末期ガン患者に歯医者 22−07−2003(火) |
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今週は先週少し書き足らなかった分を補足してみましょう。さて−−−。 読者が家族の誰か、或は友人の口臭が異常に臭いことに気付いたとしましょう。心配して『歯医者さんに行ったら』と助言したとします。そして、歯医者さんは『一日ちゃんと三回歯磨きしましょうね』ともっともらしいお答え。なるほどこれで歯磨きの後は症状は少しは軽減したかの様ですが、相変わらず嫌な臭い−−−。『歯磨きを代えてみろ』『口臭を消すガムをいつも噛んどけ』『周囲の迷惑にならん様にマスクしろ』とか、皆本人のために良かれと思って最善のアドバイスをしてくれたとします。ところが、本人は胃癌だったのです−−−。 癌の多い現代社会ではこんなことは良くある話しでしょうが、本人も周囲も『悪の根源』に自覚症状がないのですから、真心からトンチンカンな助言をしているうちに益々病状が悪化して手遅れになるのも当然です。これが筆者がたまに使う『末期ガン漫才社会(コルムナ54など)』と言うことばの意味でもあります。 最近の事件は残念ながら子供からして猛毒の悪の根源を持っていることを証明して余りあります。その悪の根源を度外視して(と言うか、誰も気付いていない!?)、やれ児童心理学だ、やれ少年法の年齢引き下げだと政治家やPTAが真心から対策を策じたところで、胃癌になったら歯医者に行けと真心から勧めるのと同じトンチンカンな的外れなのです。これでは日本もスペインも日々末期ガン漫才社会が進んで当り前です。そして、ご存知の様に癌は若い人ほどその細胞の若さの故に進行が早い。これが世界中で多くの若者が手遅れ末期ガンで極悪非道になっている原因なのです。末期ガンが進行している以上残念ながら今回の様な極悪ニュ−スは人々が『何だ、またか』と慣れっこになる位今後世界中で日常茶飯事に起こるでしょう。何故なら−−−。 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。−−−−−或る昔の偉い人 人の罪悪(陰険さ)は風紀部の規則や刑法を厳しくすれば矯正されるほどヤワではないのです。 商品名は忘れましたが、昔或るトイレの消臭剤の宣伝で『クサイ臭いは元から絶たなきゃダメ!!』と言う、かなり一世を風靡したテレビコマ−シャルがありました。正にこれです。クサイ臭いに真心のフタ(同64)など旧日本軍の大東亜共栄圏と同じです。では、元から絶つにはどうすればいいのでしょう? 陰険なのは新聞やニュ−スを賑わせている悪い奴等ではなく、まず我々一人一人も十分悪いと素直に認めることです。 読者の皆さん、貴方の口臭は大丈夫ですか? もしかして胃癌ではありませんか? |
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66 奴隷生活とは 15−07−2003(火) |
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ご存知の様に先週の日本は例の極悪ニュ−スに揺れた。いや、既に極悪ニュ−スには慣れっこになったご時世だから『あ、またか』で揺れないで終わりそうなものだが、当事者がここまで幼いとやはり『日本は一体どうなっとるんじゃ、子供からして−−−』と天を仰ぎたくもなる。天を仰ぐ前にまず地を見渡せば−−−。 スペインの地、ここグラナダ市ではつい三日前こんなショッキングなことをある日本人女性の語学留学生から聞いた。もちろん全員ではないが、語学留学を隠れ箕にかなりのうら若い日本人女性留学生が遊びまくっているとのことである。情けない話しだが、日本の恥を世界に発信尻軽イエロ−キャブのことである。こんなことをするならイエロ−キャブと呼ばれて返すことばもない。その言い分は『だってえ、今しか遊ぶ時ないじゃん』だそうである!? やがて日本に帰って口を拭って何事もなかったかの様に結婚するのかと思うと天を仰ぎたくもなる。 しかし、我々は地に生きている限り天を仰ぐ前に地に目をやり、現実は現実として受け取るべきである。この二つはそれ自体相関関係はなく、一つは刑事事件であり、他方は法律に触れさえもしないが、双方共に人間の愚かさと言う土壌に根ざした歪んだ欲望の木に成った腐った実である。確かに人間とは皆悪に傾き悪い実を結ぶものだが、それでも最近の事件を見ていると日本もスペインも子供からして限度を超えた腐り切った実が多い。この際北朝鮮に一発核ミサイルを食らわしてもらった方が目が醒めて良かったりして、とさえ思う。 或は罪の奴隷となって死に至り、或は従順の奴隷となって義に至るのです。−−−−−或る昔の偉い人 受け取るべき現実は二つ。自分の罪悪に身を任せて面白おかしく腐って、他人も巻き添えにして腐らせて死ぬか、それとも血の通った人として摂理に従い(先週のコルムナ)義の実を結んで生きるかです。もっと簡単に言えば、貴方はスペインの忠犬ハチ公(同60)に身を低くして学ぶ気があるかどうかと言うことです。いずれにせよ奴隷になるとは穏やかではありませんが、従順(忠実)の奴隷となれば犬も人も賞賛を受けるに至ります。 |
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65 スペインおかまレズ協会 08−07−2003(火) |
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先週末、またもやスペインおかまレズ協会のデモがあった。どうやら年中行事らしい(昨年7月1日のコルムナ参照)。いつもの様に民主主義を楯に身勝手な要求を合法化しろとわめき散らしていた。 少なくとも『スペイン週間コルムナ』の立場は『摂理に逆らうことは皆罪悪』である(今年2月3日のコルムナ参照)。摂理に逆らうとは横車を押すことであり、横車を押し続ける人も、諸手を挙げてそれを擁護する人も健全な人生など送れる訳がない。それゆえ摂理に逆らう風潮が充満する現代社会が日本もスペインも世界中どこでも子供から著しく腐敗するのも当然であり、その結果は連日の溢れるばかりの極悪ニュ−スなのである。 摂理と言うことばが堅苦しいなら、『法則』と置きかえれば分かり易い。摂理も法則も時代や国や民族を問わず東西南北の如く普遍かつ不変であり、認めざるを得ない絶対的価値観と定義することが出来る。 例えば物が上から下に落ちて来るのは『重力の法則』であり摂理である。重力の法則が何か知らない未開人でも無意識のうちに重力の法則に従って生きているし、うちのラッシ−(猫)が一ヶ月前オフィスの四階の窓から落ちたが、上ではなく下に落ちた(受身を取って無事だった)。また、そんなもんあるか、と天に向ってより高く唾を吐くほど自らの顔に勢い良くベチョっと落ちて来るのである。何故か? それは摂理、法則だからである。 とげのついた棒を蹴るのは貴方にとって痛いことだ。−−−−−或る昔の偉い人 人生思った様に行かない人、痛い思いをしている人−−−。他人や社会のせいにする前に貴方の生活の中で例え小さなことでも何か摂理に逆らっていることはないでしょうか? 或は摂理や法則に逆らって無理矢理とげのついた棒を蹴って虚勢を張ったのではありませんか(もちろん総ての場合とは限りませんが)。 考えてみれば毎週のコルムナは摂理に逆らって身に当然の災いを招いた愚かな人間レポ−トとも言えます。摂理には逆らうのではなく身を任せた方が楽なのです。 |
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64 偽造物押収せず 01−07−2003(火) |
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一昨日の新聞に偽造商品の氾濫が取り上げられていた。例えばTシャツ、CD、ハンドバックなどなど−−−。 日本では考えられない光景だが、グラナダでは黒人や中国人の難民達が路上で堂々と風呂敷を広げて違法コピ−のCDを3ユ−ロ(約450円)で売っている。ちゃんと税金を払って店を構えているレコ−ド屋は堪ったものではないが、政治家は難民に対する人道的立場(!?)から何もせず、難民達も捕まっても強制送還されない様にパスポ−トを持っていない。つまり、どこにも強制送還され様がない。良く考えるものだが−−−。 筆者はこの記事を読んで真っ先に『本物とは何か、偽物とは何か』と思い付いた。人間社会には様々な活動があるが、それは究極のところ『本物』と『偽物』の二つに分けられる。中立は存在しない。5%偽物の本物はもはや本物ではなく偽物なのである。そして、『スペイン週間コルムナ』のテ−マ『人よ、何が良いことなのか(或る昔の偉い人:コルムナ53)』とは『人よ、何が本物なのか』とも置き変えることが出来る。 そう言えば昔どこかで『本物を知るには偽物を知るのが一番』と書いてあるのを読んだ記憶がある。つまり、何が良いことなのか、何が本物なのかを知るには『何が偽物なのか』見分ける識別力が必要になって来る。 偽物は本物を我慢出来ない。−−−−−或る昔の偉い人 違法CDはマフィアの資金源です。臭い物に人道的フタでは、いかにフタが人道的でも結局は臭いのです。上辺より中身、そして、何事もその本質が本物か偽物か見分けなければ『人よ、何が良いことなのか』どころか偽物を掴まされて最後は臭い想いを嫌と言うほど味わう羽目に陥ります。そう言う人は『良かれと思ってしたことなのに何故〜』と呟くかも知れませんが、体裁の良いフタだけ見て真心から判断したのではありませんか? 正しい判断を伴わない真心なら簡単に騙されます。墓石や仏壇や線香の宣伝に限って真心を煽るのと同じです。 本物とは、まず私達の中には本物はないと素直に認めること。そして、自分の欲だけ満たすことに専心している人は広い意味で皆偽物人生を歩んでいると素直に認めることです。元来本物を持たない人間が自己中心に振舞うから他の同類項とぶつかるのです。同じぶつかるなら本物として偽物とぶつかりたいものです。 |
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63 元難民の呟き 24−06−2003(火) |
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先週半年振りに街でばったりある知り合いに出くわした。四方山話しをしているうちにすぐ横で交通整理をしていた市民警官を見て『この連中は言われたことをやっているだけだから罪はない』などと言い出し、更に『世界中で本当に悪い奴等は三万人。こいつらさえいなくなれば世界は平和になる。この前のイラクの戦争もそうでしょう−−−』などと話しは続いた。ほんの僅かの極悪人達が好き勝手に世界を玩んでいるのであり、我々一般庶民は犠牲者だと言う。三万人とは勝手に推測した数字で根拠はないらしい。 確かに人間社会はある意味ピラミッドの如くであり、悪い奴が頂点を握ればそれ以下は言われたことをやらざるを得ない。従って下っ端の連中に八つ当たりしたところでお門違いである。例えばアメリカ兵もイラク兵も言われたことをやっているだけで、本当は誰もミサイルの打ち合いなどしたいとは思ってはいないはずである。 ただし、『スペイン週間コルムナ』はどこかの独裁者でもなく、他人でもなく、社会でもなく、政治家でもなく、程度の違いはあれあくまで我々人間一人一人が悪いと言う現実的立場に立っている。だから『人が変わらなければ社会は変わらない』とこの何週間かコラムして来た訳であるが−−−。 ちなみにこの知人は日本人でもスペイン人でもなく、内戦と革命で祖国を追われ、流れ流れてスペインに辿り着いたある国の元難民である。それゆえ今回筆者は一言も反論せずひたすら聞き役に回った。確かに悪いのはごく一握りの悪人で後は皆犠牲者であるとは偏り過ぎだが、実際これらの不義と蹂躙をその身に体験した人のことばは何故か反論を許さない迫力と説得力があった。我々日本人は恵まれ過ぎている。日本に生まれたこと自体大きな特権である。特権とは本当は資格がないのに無代価でもらったものと言う意味である。 もしどうしても誇る必要があるなら私は自分の弱さを誇りましょう。−−−−−或る昔の偉い人 良く考察すれば、我々の誇りはやがてはメッキが剥がれて朽ちて行く様なものばかりではないでしょうか? 毎週引用している『或る昔の偉い人』に原則があるとすれば、それは逆転の発想だと言えます。逆転の発想で自分の弱さを誇ってみましょう。そうすれば私達は本当は誇るものは何もない大した人間ではないことに気付きます。これが我々の現実なのです。現実を無視しては何も始まりません。ましてや実体のない虚しい誇りを全面に押し出しては何も始まらないどころか、どんな特権階級の人でも難民生活にはまり込みます。 |
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62 三十年後に御用!!! 17−06−2003(火) |
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海外にいるとどうしても日本語の活字とは縁遠くなるが、つい先週今年一月発行のある日本の週間誌を見る機会があった。その記事の一つによると、ある昔のスタ−が窃盗未遂で現行犯逮捕されたとのことである。 折りしもスペインはひまわりの季節たけなわ。ちょうど一年前のコルムナにも書いたが、ひまわり栽培の目的は花ではなく、花が枯れた後の実の収穫である。筆者の時代にも人気歌手や俳優、花形スポ−ツ選手はたくさんいたが、人の一生と言う長いスタンスから見れば問題はその当時の花(華)ではなく、三十年四十年後の今の実なのである。そう言われてみれば彼等の大半の消息は聞かれない。他人事ながら一体どんな第二の人生を送っているのだろう。 この元スタ−の場合確かにその業界では一流だったとは言い難く、スポットライトを浴びた時期もあったが、常に二番手だった印象は否めない。筆者も特別ファンだったという訳でもないが、同世代で母子家庭で苦労した体験談など共感を覚えることもあった。もう30年位前の話しだが−−−。それが、いくら相当金に困っていたとは言え、かつて大会場を満員にし、お茶の間を賑わせた男が窃盗で御用とはああ無情である。 嘘は花は咲かせるが実は成らせない。−−−−−或る昔の偉い人 三十年前人に感動を与えた美しい花も、最後は窃盗の実を結んだのでは一体何のご利益があるでしょう。こうなるとかつての美しい花の本質さえも疑われても仕方ありません。 人生実(収穫)が成らない方、多かれ少なかれ嘘を交えた種蒔きをしていませんか? 誠実の種を蒔けば、人目は引かなくとも必ずつつましい一輪の花を咲かせ、誠実の実を結ぶことが出来ます。外見に捕われたり、他人の花を見てあせったり羨んだりしては躓きます。誠実とは嘘をつかないこと。嘘を交えた愛、夫婦、家庭、人間関係、師弟関係、人情、友情、ビジネス−−−に真実はありません。真実ではないから真の実が成らないのです。簡単な理屈、いや摂理です。嘘の種を蒔けば嘘の実を、誠実の種を蒔けば誠実の実を収穫せざるを得ません。『人は蒔いた種を刈り取る』のです。これは簡単かつ絶対的な摂理です。金や地位があろうがアイドルだろうがスタ−だろうが誰も摂理には逆らえません。摂理には素直に従った方が身(実)のためなのです。 暇な方はもう一度昨年6月10&17日の『スペインのひまわりの花と実(1)(2)−上のバックナンバ−をクリック』をお読み下さい。一年経っても色褪せていないと自負しています。 |
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61 EU圏金利引下げ 10−06−2003(火) |
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先週末ヨ−ロッパ銀行が金利を引き下げ2,07%となった。スペインを始めEU諸国は本格的な低金利時代に突入する。ニュ−ス解説によればこれによってスペイン人は住宅ロ−ンなど安易な消費に走り、金融機関に対する著しい借金生活現象が起こるだろうとの経済専門家達は予測しているとのことである。 さて、消費経済社会はいつの時代も消費者に金を使わせようとし、金融機関は金を貸し付けて利子をむしり取ろうとする。いや露骨に言えばこれこそがその正体であり、他には何もないと言っても良い。 筆者は自慢ではないが何事も消費は最小限に押さえ、総ては即金でロ−ンでは何も買わないことにしている。将来家を買う気になれば別かも知れないが、例え大きな買物でも家以外なら即金でと思っている。即金がなければ買わないだけの話しである。いや、家さえも出来るなら即金でと言いたいところだが、そんな金があるなら即金でもっとギタ−を買いたい!? 何故なら−−−。 借りる者は貸す者の奴隷となる。−−−−−或る昔の偉い人 学生時代に筆者は二度二千円か三千円を人に借りたことがありますが、たったこれだけの額でさえ借りがあると思うと落ち着かなかったことを思い出します。例えどんなに金利が安かろうがロ−ンを組めば貴方は金融機関の奴隷です(本当に必要な物を計画性と責任感を持って月賦で買うなら話しは別ですが)。例えば何でもカ−ドで買って来月払いで何とも感じない人、若い女性がニコッと笑っているサラ金の宣伝にすぐ飛びつく人、低利なら借りなきゃ損だと思っている人(ラテン系には多い)−−−。誰も貴方のことなど心配してはいないのです。貴方を奴隷にして金を吸い取りたいだけなのです。これに自ら進んで乗る人は奴隷に身を落とします。 どうすればこの消費経済社会の毒牙にかからずに済むのでしょう。簡単です。コルムナ56で見た様に最初の一歩を踏み出さなければ良いだけの話です。人生この最初の一歩を踏み出さなければ良かった、最初に毅然とした態度で臨まなかったから何年間もズルズル引き摺ってしまったと言う事が多いのではないでしょうか。 何も好き好んで消費経済社会に奴隷として踊らされることはないでしょう。 |
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