◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新

たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。

 日本語情報センタ−は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ−ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。

 人としての日本語情報センタ− スペイン週間コルムナ総評 スペインギタ−主旨

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40 スペインの一月は上り坂  13−01−2003(月)

   クリスマスが終わると(1月6日)スペインでは通称『1月の坂』が始まる。長い長いクリスマス商戦で人々は金を使い果たし、消費者も金がなく、商店も売上がなく、経済的に厳しい上り坂の月と言う意味である。

 そこで何とか金を使わせ様と、間髪を入れずクリスマス一過の翌7日から新年値引きセ−ルが始まる。これまたクリスマスに負けず劣らず新聞の一面を飾るほどスペインでは社会的一大行事なのである。もっとも、クリスマスは宗教の仮面を被った商売、新年値引きセ−ルももろ商売。呼名は違えど両方共実質は商売である。

 7日グラナダ市内は終日交通渋滞で大混乱に陥るほど買物客でごった返した。翌8日の新聞にはバルセロ−ナのあるデパ−トの中継をしていたレポ−タ−が開店と同時に雪崩込んだスペインのおばさん達に踏み倒された写真が載っていた。その上を(!?)おばさん達は買わなきゃ損だと文字通りスタンピ−ト(昨年5月6日のコルムナ参照)の如く猪突猛進して行く。新聞の質の良くない写真からもその激しい意気込みが伝わって来る。どの顔にも私が狙っている数に限りのあるあの服を他の女に取られて堪るかと書いてあった。

 私がこれを見てまず感じたことは、こんなのが嫁姑じゃ堪らないと言うことである。凄まじきは女の物欲なり。

 また、思わず思い出したのは、もう25年も前のTV番組(確か土曜か日曜の12時か13時:司会はウクレレ漫談の牧伸二:生放送)のこと。まず会場のおばさん達から100円徴収して、その後舞台上に設置された売場におばさん達が我先にと殺到するのである。なるべく派手にやってくれと言う番組プロデュ−サ−の事前の指示もあったのだろうが、これがとにかくあさましいの一語に尽きた(と同時に番組のウリでもあったのだろう)

 どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。何故ならいくら豊かな人でもその人の命は財産にあるのではないからです。−−−−−或る昔の偉い人

 安いのは結構ですが、家は必要ない物で溢れてはいないでしょうか。お酒も自制心を欠くほど呑むならその人はお酒に呑まれている様に(私は昔から養命酒だけ)、買物も自制心を欠く様では病気です。読者は健康でしょうか、病気でしょうか。誰でも買物は楽しいものですが、それに人生のかなりの割合のエネルギ−を費やしていること自体が人生のエネルギ−の無駄使いです。洋服やハンドバッグが命である訳がないでしょう。 

 
 

 

39 不良債権返済の年  06−01−2003(月)

   新年おめでとうございます。今年は正月三ヶ日に引き続きすぐ週末。スペインも今日(六日)までクリスマス。両国共休みと祭りと遊びに明け暮れ果てた年末年始であった。バカ騒ぎ一過の今週からが正念場である。

 日本の昨年の10大ニュ−スは何か知らないが、私が個人的に一番印象に残っているのはクレ−ンを使ったATMの丸ごと盗難である。スペインの泥棒は自動販売機を丸ごと盗んでくず鉄屋に売る(買う方も買う方だ)が、ATMを丸ごと持って行かれるとはさすがは腐っても経済大国日本である。一昔前なら漫才のネタになり得そうなことがマジで起こるご時世になってしまったとは、今年の日本は更に試練の年かも知れない。

 一方スペインはと言えば、例の重油汚染はまだ始まったばかり、年明けからいきなり公共料金は上がり、何より国の未来を背負うべき子供達は早ければ12歳からアル中薬中で、タバコなど軽いウォ−ミングアップに過ぎない(先日の新聞記事)。これまた一昔前なら笑い話しに過ぎなかったであろう。中学生の癖に無免許でスポ−ツカ−を乗り回していた花形満の比ではない。あれはフィクションだが、こちらはノンフィクションなのだ。

 そう言えば日本の新年は落語や漫才(染乃助&染太郎:大丸ラケットなんて人はまだいるのだろうか?)の時期であるが、漫才は漫才であり、その漫才をマジでやる連中が続出する社会は末期ガン漫才なのである。

 例えば吉本のギャグに昔こんなのがあった。『百万円あったらあれもこれも買えるのになあ−−−。(食堂の女店員):お姐さん、勘定お願いします。():え−と、ラ−メンに餃子に親子丼−−−、全部で百万円です−。(女店員)』これを多くの拝金主義者や銀行がマジでやって日本丸に風穴を空けたのが不良債権なのである。

 今これを書きながら思い付いたのだが、人生の様々なマイナス部分は不良債権と比喩出来る。そして、今日多くの日本人やスペイン人は不良債権人生を送っているのではないだろうか。

『不良債権人生』これは我ながら言い当て妙だ!?年末年始にバカ騒ぎしたなら尚更負債は返せない。

 私達は真理に逆らっては何も出来ず、真理のためなら何でも出来るのです。−−−−−或る昔の偉い人

 不良債権を持っていない人など誰一人いません。これを増やしたくなければ真理に逆らわないことです。逆に真理を行えば、例え徐々にでも不良債権人生が精算出来るのです。

 
 

 

38 スペインのクリスマス(2) 30−12−2002(月)

   

 明日は大晦日であるが、先週お伝えした様にスペインは大晦日も元旦もクリスマスの一環であり、とっくの昔にクリスマスから和風年末年始着物お雑煮初詣モ−ドに切り替わっている日本人には不可解なことであるが、今日現在もスペインの街角はまだクリスマスの飾付で一杯なのである(1月6日まで)。

 ところで、近年スペイン中に華僑の経営する日本料理店が増えて来た。グラナダにもある。これは余りに中華料理店が増えて飽和状態にあるため、華僑が考え出した新しいビジネスなのである。スペインに限らずヨ−ロッパ、アメリカで華僑や韓国人による日本料理店が結構あると聞いている。

 さて、彼等の作る寿司がこれまた傑作である。確かに魚の切り身、胡瓜、干ぴょうなど入れて海苔で巻いてはあるが、肝心の酢加減が漫才そのものなのである。我々日本人からすれば寿司でも何でもない。中華風米の酢漬海苔巻と言ったところか−−−。それでも見た目は寿司であるが、いくら食材が揃っていて寿司に見えても肝心の酢加減が駄目なら寿司の味はしない。寿司の味の分からない華僑のシェフが寿司の味を知らないスペイン人の客を相手にするからお互いまがい物同士で商売になるのである。

 同様にキリスト教を知らない日本人にはキリスト教に見えても、スペイン人の、そして、多くの欧米人や欧米国家の行いはキリスト教に見えてキリスト教の味がしない。それは酢加減が音痴の寿司の如く、キリスト様抜きのまがい物のキリスト教だからである。これをまがい物と思いもしないのは味の分からない消費者だからである。

 クリスマスもキリスト様抜きでは酢加減の滅茶苦茶な偽寿司キリスト教に過ぎない。植民地支配、奴隷売買、宗教戦争、武器輸出、原爆−−−、まさかこれらの悪行がまともなキリスト教徒の所業だと思う人もあるまい。

 彼等は羊のなりをしてやって来るが、内は貪欲な狼です。−−−−−或る昔の偉い人

 世のクリスマスは主役不在の誕生パ−ティ−です。いや、早い話しクリスマス商戦の金儲けです。金やプレゼントやケ−キが主役でキリスト様はダシなのです。実は私達も内は貪欲で意地汚い者ではないでしょうか。

 バチ当り人間になりたくなければ、せめてキリスト様は馬小屋に生まれて汚い飼葉桶に寝かされたことを気に留め、せめて質素倹約清貧の精神だけでも学ぼうではありませんか、せめてクリスマスの時くらい−−−。

 
 

 

37 スペインのクリスマス(1) 23−12−2002(月)

   明日はクリスマスイブ、明後日はクリスマス本番であることは万国共通であるが、スペインを初めカトリックの国のクリスマスは12月24日から1月6日(東方三賢士の日)まで続く。つまり、新年もクリスマスの一環であり、とっくに始まっているクリスマス商戦から勘定すると最終日までとにかく長い。

 ところで、日本ではクリスマスを【Xmas】と書くが、これはギリシャ語のキリストの頭文字がXであるからと言うことを知る人は稀である。つまり、数学の未知数宜しく誰の誕生日か分からないが、とにかくバカ騒ぎして、プレゼントを交換して、ケ−キを食べて、面白おかしく過ごして、金が儲かればそれでいいのである。

 そして、何の事はない、急に信者になるのはスペイン人も全く一緒である。早い話し、キリスト様を利用して自らの物欲金銭欲を満たすだけなのがスペインのクリスマスである。日本人がキリスト様の誕生日をお祝いしている訳でも何でもないことは明白であるが、同様にスペイン人も、いや、世界中のクリスマスもキリスト様を利用したバカ騒ぎに過ぎない。もちろん全員がそうではないが、ほとんどの人がそうであることは疑いの余地がない。主役のキリスト様抜きのクリスマスの次元の低さはクリ−プを入れないコ−ヒ−の比ではない。

 現に、どこかで以前読んだのだが、聖書にあるキリスト誕生の頃のユダヤのベツレヘムの気候の描写と現在のそれを比較すれば、とても12月末ではあり得ないそうである。つまり、キリスト誕生が1224日とは真っ赤な嘘なのである。確かロ−マ時代の太陽神か何かのお祭りの日がコンスタンティヌス大帝のキリスト教国教令以来そっくりそのままキリスト聖誕祭に置きかえられたのがクリスマスの起源だとか読んだことがある。

 誰も皆自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいない。−−−−−或る昔の偉い人

 これは文頭に『口ではキリスト教だと言いながら』と付け加えて読むべきでしょう。神様、キリスト様さえ利用する人間が他人を利用しないはずがないのです。自分の欲望を神の名において正当化することほど卑怯なことはありません。もちろん、天皇は神であると言って侵略戦争をしたかつての日本も全く同じです。 

 
 

 

36 重油流出その後 16−12−2002(月)

   先々週のタンカ−座礁重油汚染は鎮静化するどころかますます広まり、クリスマス目前のスペインに暗い影を落としている。汚染はカンタブリア海を経てフランス国境にまで押し寄せるかの勢いである。

 スペイン政府も初期段階における対応の遅さを認めた。スペイン人はまず謝ることを知らない民族であるが、その見本の様な政治家が自らの過ちを認めたことはそれだけ国家的非常事態であることを物語っている。

 事故から1ヶ月過ぎた現在、対応は既にEUレベルであり、皮肉にも未だに有るか無いか実態の良く分からないヨ−ロッパ共同体を現実に感じさせられる。おまけに漁場を失った事故現場のガリシア地方の漁船に天敵のモロッコから漁場を提供される始末。モロッコに借りを作ると後が大変であるが、これも致し方あるまい。

 さて、先日この事故について一風変わったラジオの論評があった。今回の事故に限らずこの種の災禍は総て人間の欲の結果だと言うのである。別に重油を運搬することが悪いのでも何でもないが、世の中に起こる災害、悲劇、事故などよくよく原因を突き詰めて行けば人間の強欲、嫉みの成せる業であることが大半である。

 悲しいかな人生は何をしようがそこには金銭評価がなされる。仮に営利目的ではない活動にしても金銭は必要となって来る。そこで無理を強いてヒビが入ってドス黒い重油が流れ出し世間様に多大な迷惑をかける。

 ここで勘違いしてはいけないのはドス黒いのは金銭ではなくその人の我が身可愛さ故の自我だということである。その自我故に森林を伐採し、焼き尽くし、大気汚染や海洋汚染、オゾン層の破壊−−−。イラクや北朝鮮などの国際問題も結局は同類項である。そして、自我の特長の一つは本人に丸っきり自覚症状がないことである。今日もスペイン中からやって来たボランティア達が海岸にこびり付いた重油を真っ黒になって清掃しているのに、事故を起こしたタンカ−の船長や荷主、船舶会社のコメントは未だに何一つ出て来ない。

 人から出るもの、これが人を汚すのです。−−−−−或る昔の偉い人

 日本の近海では重油汚染はないかも知れませんが、ドス黒い事件には事欠かない様です。確かにスペインは旅行者には危険な国になって来ましたが、日本も外国人に見せるとこれは日本の恥だと言わんばかりのドス黒いニュ−スが連日新聞を賑わせているではありませんか。誰も人のことは言えません。

 ドス黒いのはスペイン名物イカのスミ煮だけで充分です。うちの黒猫も名前は『シロ』と言います。

 
 

 

35 スペインの女性のシワ対策  09−12−2002(月)

   顔のシワ伸ばしクリ−ム(少なくともスペインで市販されているもの)は謳い文句ほどの効果のない高い買物であると言う調査結果が発表された。しかも副作用も結構あると言う。

 スペイン女性は日本人好みの美人が多いが、『あ、可愛い』と思ったら145歳からせいぜい20代前半である。後は落ちる一方。20代後半からシワが寄り、肌の色艶もなくなって来る。30代でお腹が出始め、40代ではもうかつての栄光の面影もすっかり色褪せる。逆に言えば日本人はスペイン人からはかなり若く見られている。例えば30代の日本女性が18才に間違われるなどスペインでは良くある話しなのである。

まだまだいくらでも書けるが、これくらいにしておこう。

早い話しがこの種の商品は女心をくすぐる金儲けに過ぎない、と言うニュアンスの記事であった。もちろん、中にはそれらしい成分を含んだ良心的なものもあるが、いずれにせよ大した効果はないらしい。何故だろう。

 例えばニキビが出来たらニキビに薬を塗ればいい、さて、どの薬がいいか、と言う発想は当り前な様で的外れである。最近睡眠不足で油物を取り過ぎていたかも知れないし、万が一内臓疾患が原因ならそれから改めないとその結果として吹き出したニキビにいくら上等な薬を塗っても根本的解決にはならない。これは人生総ての問題に共通している。人は問題が起こればそこを何とかしよう、修正しようとその問題個所にしか目が行かないが、根本問題にメスを入れなければ総ては一時凌ぎの自己満足である。

 しかし、ニキビはともかくシワは人間であれば遅かれ早かれ防ぎ様のない宿命である。宿命に逆らっても仕方がないとすれば、せめてシワの原因を突き止めて根本的な予防対策を試みてみよう。

 心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。−−−−−或る昔の偉い人

 喜びはシワを予防し、争い、嫉み、借金はシワの溝を深めます。シワ伸ばしクリ−ムの問題ではないのです。

 さて、こんな記事が発表されたら化粧品業界には牛肉屋に狂牛病なみのイメ−ジダウンのはずなのですが、悲しいかなシワを伸ばしたい女心はワラをも掴む思いでクリ−ムを塗り続けるのです。ああ無情。 

 
 

 

34 重油流出  02−12−2002(月)

   去る11月19日スペイン北部ガリシア地方(ポルトガルの上)沖合いでタンカ−が難破し、これまでに約1万トンの重油が流出。その後沈没した船体にはまだ6万トンの重油が時限爆弾として残っている。

 スペイン政府に拠ればスペイン史上最大の災禍だそうである。スペイン人もスペイン語も普通表現が大袈裟な事が多い。例えば日本語で『ずぶ濡れになる』を英語で『肌まで濡れる』と言うが、スペイン語では『骨まで濡れる』と言う。総てこの調子なのでまともに取ると正直者がバカを見ることが多いのであるが、今回だけは文字通り受け取って余りある程の被害であるらしい。現にトップニュ−スは事故勃発以来毎日この重油汚染の件であり、実際汚染はまだ始まったばかりで政府も何をどう対処していいかさえ分からない初期段階にある。

 もちろん最低10年はかかると言われる環境浄化回復だけではなく海洋資源も壊滅状態である。特にこのガリシア地方は漁業しか産業がないことを考えれば関連産業を含め死活問題である。取り敢えず地元はもちろん全国からボランティアが真っ黒な海岸や砂浜を清掃している。

 さて、今週のテ−マは実は重油ではなくボランティアである。金銭的見返りを求めずに何故ボランティアに参加するかと言えば、それはその対象の相手と同じ立場に立ち、相手の痛みを自分の痛みとするからである。相手とはある時は文字通り困っている人であり、ある時は動物であり、そして、この場合は自然である。

 ボランティアとは自ら進んでと言う意味である。本当はそうする義務はないのに自ら進んで相手の負債(痛み)を負うこと、つまり、3週間前(11/11)の連帯保証人の精神である。その際は夫婦喧嘩の対極としてこのことばを引用したが、この連帯保証人(連帯責任感)は何も夫婦間のみならず、総ての対人関係において基調となるべきものである。しかし、現実は多くの人は個人主義であることは先週先々週と述べて来た次第である。

 しかし、考えてみれば相手の負債を喜んで自らの負債とするなど誰彼出来ることではない。逆にこの精神のないボランティアは薄っぺらいと言える。

 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。−−−−−或る昔の偉い人

 心から相手の立場になり、なおかつ連帯保証人らしく相手の負債を自ら進んで喜んで払いなさいと言う意味です。江戸時代の五人組なら強制連帯責任であり、サッカ−やバレ−の試合で『ニッポン』とか『スペイン』と叫ぶのは自らは手を汚さない安っぽい愛国心かも知れません。ガリシアの真っ黒な海岸を真っ黒になって掃除するボランティア達の様に実際に相手の気持ちになり、喜んで自らその負債を払ってこそ真に連帯責任感の人と言えるでしょう。これが個人主義と言う死に至る猛毒に対する唯一の特効薬かも知れません。

 
 

 

33 是か非か、ヨ−ロッパの個人主義(2)  25 −11−2002(月)

   個人主義と言うとあたかも崇高な思想か高潔な生き方の如く聞こえるが、早い話し、各自正直に我が身が一番可愛い、私の利益が何より優先と言えば良いだけの話しである。これが個人主義の本質である。

 本質とは金太郎飴とも比喩出来る。私のどこを切っても私の自我が顔を出す。それはある時はあからさまな身勝手や悪事であるが、ある時は高貴な香りにカモフラ−ジュされている。教養学識、道徳、哲学、宗教、民主主義、経済成長、ボランティア活動、留学、マイホ−ム−−−。何が悪いと言われそうだが、主人公が私であること(個人主義)が問題なのであり、遅かれ早かれ必ず他の主人公とぶつかる。そして、私や当家、我社や我国の正義や大義名分の剣を振り回す。これが様々な家庭社会国際問題の根源(本質)なのである。もちろん、イジメや嫁姑のいさかい、遺産相続争いなども同じ人間模様の味の金太郎飴である。極めてまずい。

 先週今週と多分に辛口コラムかも知れないが、題名が題名だけに現実に則って正直に書けばこうならざるを得ないことをご了承願いたい。日本の現実とは連日新聞を賑わせる腐敗の数々である。数日前バルセロ−ナで16歳の少年が金欲しさに小学生を人質に学校に立て篭もった事件が日本の国際ニュ−スにも載ったが、こんな話しはスペインでは頻繁にある。これがスペインの現実である。そして、植民地、奴隷売買、人種差別、宗教戦争、核兵器など皆ヨ−ロッパ個人主義の醜い産物である。極めてまずいと言わざるを得ない。

 もっとも、人に拠りその人生に占める個人主義の割合は様々であり、個人主義の割合の低い人ほど、すなわち他を思いやる精神の持主ほど人格者である。個人主義と謙遜は反比例する。残念ながら前者の傾向の人間が日毎に増殖し、後者は益々少数派である。だから世界中で子供からして狂って来ているのである。

 私はそれでも日本人は世界から見れば極めて正直で謙遜な民族だと思っているが、さすがの経済大国日本も傾きかけているのは何も不良債権のせいではなく、日本人が自我丸出しで金と物と欲望を追求して来た自業自得の結果であり、バブル崩壊も不良債権も少年犯罪もエロ教師も変態巡査も個人主義と言う土壌に生えた日本と言う木になった極めて不健全な実なのである。不健全な実は個人主義の土壌(本質)を健全にしなければ決して健全な実とはならない。しかし、果たしてそんなことが可能なのでしょうか。

 あなたの隣人をあなた自身の様に愛せよ。−−−−−或る昔の偉い人

 別に自己放棄や献身などと高尚なことを言っているのではありません。隣人の理不尽なことにまで譲歩する必要もありません。ただ、あたかも幼稚園の先生が跪いて幼児と同じ目線で優しく語る様に貴方の個人主義を放棄して真に相手の立場に立つことが貴方の貴方の隣人への自発的な連帯責任感ではないでしょうか。

 星飛雄馬と花形満と左門豊作の友情に個人主義は存在しなかったのです。これでお分かりでしょうか。

 
 

 

32 是か非か、ヨ−ロッパの個人主義(1)  18−11−2002(月)

   ヨ−ロッパは基本的に個人主義社会だと言われるが、これは日本人には『学力実力優先主義や付き合い重視の日本社会のしがらみに捕われず、もっと自分を大切にしてもっと人生を楽しもう』とあたかも奴隷解放宣言の如く響くことばではないだろうか。しかし、これは舶来物には弱い日本人の勝手な思い込みかも知れない。

 何故今週は個人主義について思い立ったかと言うと、先週の『連帯保証人』の余韻の延長線上にこの個人主義の問題が見え隠れしているからである。

 個人主義とは確かに上の様な開放的な意味もあろうが、これはむしろ日本で窮屈な人生を強いられている日本人の条件反射的な判官贔屓な浅はかな解釈である。 

 それではヨ−ロッパの個人主義の真の意味は何かと言うと、私のスペインでの長年の経験から言えば、難しく考えることはなく何のことはない。文字通り自分とせいぜい自分の家族が一番可愛いのであり、他人や社会や国のことなどどうでもいい、いやむしろ利用する対象ですらある。これが個人主義の正体である。

 とすれば、個人主義とは先週の仲睦ましい連帯保証人の精神とは全く対極に位置する悪しき精神と言っても良い。お互い個人主義同士の男女が結婚すれば遅かれ早かれ不仲になるのも当り前だと納得出来る。

 個人主義同士の男女たった二人でさえうまく行かないとすれば、個人主義の人間の集まりである学校や会社の同僚先輩後輩、地域社会、そして、国レベルに至るまでいざこざが絶えないのも当然である。

 夫婦喧嘩もこの頃は殺すまで徹底的にやるのがスペインでは流行っているが、そのスケ−ルの大きくなったのが国と国とで殺し合う戦争である。本質的には殺すまでお互いの我をぶつけ合うのだから全く同じである。

 本質的とは結果ではなくそうなる土壌、つまり精神のこと。そして、この場合個人主義の精神、性根である。

 自分を愛する者を愛したところで何の報いがありましょう。罪人達でさえ自分を愛する者を愛しています。−−−−−或る昔の偉い人

 どんな極悪人でも自分の親兄弟子供くらいは愛する。それ故貴方もそうしたからと言って特別な良いことをした訳でも何でもないのだから自分を善人と思って自惚れるなと言う意味です。例え良いことでも個人主義の産物は自慢の種にはならないのです。ただし、良いことなら個人主義の動機からではなく、人間の当然の義務として喜んでなすべきであることは言うまでもありません。 

 
 

 

31 離婚大国スペイン  11−11−2002(月)

   先日発表されたスペインにおける離婚についての統計は次の如く凄ましいものとなった。

 婚姻届けと離婚届けの比率がほぼ互角、つまり、離婚率50%。結婚した半分の夫婦は離婚していることになる。そして、離婚夫婦の52%は結婚後10年以内で36−40歳での離婚が圧倒的に多い。 

 原因は@浮気(18,6%)A倦怠期(14,3%)B性格の不一致(14,3%)C家庭内暴力(14,3%)Dアル中薬中ギャンブル(7,1%)の順となっている。

 浮気が一番の原因とはいかにもスペイン人らしいが、もう一つ面白いのは都市部の離婚率が高いのは分かるとして、内陸より海岸地帯の方が離婚率が遥かに高いことである。大西洋岸地中海岸を問わず同じ統計が出るということは潮風は離婚に関係があるのかも知れない。

 人が一人でいるのは良くない。−−−−−或る昔の偉い人

 夫婦とはお互いが人生の連帯保証人になる様なもの、と私は勝手に解釈している。いくら一人でいるのは良くないと言われても相手に保証人たる信用がなければせいぜい10年で保証人倒れ。後は醜い相続分配の裁判所の調停だけである。犠牲になる子供はたまったものではない。

 皆さんもスペイン旅行の際にはリコンファ−ムをお忘れなく。

 
 

 

30 スペインのお盆  04−11−2002(月))

    去る11月1日はスペインのお盆であった。皆墓参りに行く光景は日本と変わらない。スペインの花屋の一番の稼ぎ時でもあるこの日はスペイン語で通称『死人の日』、正式名称は『聖人の日』と言う。

 死んだら最後は皆天国に行く、つまり、皆聖人(サント)になると言うのがカトリックの教えであり、最後は皆仏になる仏教と何ら変わりはない。とすれば余り有り難味がないが、地獄に行くと言って檀家が減っても困る。

 今週は少々バチ当りモ−ドコラムであるが、あんな奴が死んで仏になる訳がないと言う性根の歪んだ人間が貴方の周囲にいませんか? ほらほら、学校にも職場にも−−−(貴方もそう言われていたりして)。それはスペインも同じです。だとすれば軽々しく皆仏になるとか天国に行くと言う方が遥かにバチ当りです。

 人生何をやろうが最後は極楽天国に行くならやりたい放題やって死んでやろうじゃねえか、と言う格好の口実にさえなりかねない。そして、この種の愚かな人間の言動は次の如く要約出来るそうです。

 明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。−−−−−或る昔の偉い人

 とすればこの安易な宗教思想が非行や犯罪の温床と言えなくもない。もっともどこかの宗教みたいにユダヤ人を殺せば天国に行けると言う偏狭な教えでは堪ったものではないが、逆に世界は一家、人類は皆兄弟と言うのも競艇の宣伝にしては宗教臭い。人間の醜いアバタを隠す絶好の厚化粧は宗教かも知れない。

 ところで、もし天国なるものがあれば他人はともかく貴方はそこに行ける人でしょうか。それともそんなものはないんだから面白おかしく飲み食いしながら、勝った負けた、新車が欲しい、ハンドバック買いたいとわめきながら自分の欲だけ満たして最後は死んでお終いの人でしょうか。各自バチが当らない様気を付けましょう。

 
 

 

29 スペインのイチゴ  28−10−2002(月)

    スペインと言えば闘牛とフラメンコだが、いわゆる外人が想像するこのイメ−ジに一番合っているのが一番南のアンダルシア地方である。八県から成るこのアンダルシア地方自治体は、アルハンブラ宮殿のグラナダ、メスキ−タのコルドバ、ヒラルダの塔のセビ−ジャ、太陽海岸のマラガ、観光としてはこの四県が主流で、それにシェリ−酒のヘレス、モロッコ行きの港町アルへシラスのカディス、サンタ・カタリ−ナ城のパラド−ルのハエンの二県が続く。日本の旅行書に紹介されているのはせいぜいこの六県である。

 全然紹介されていないウエルバ県(県庁ウエルバ市:もう一県はアルメリア県)の話題が先日の新聞に載っていたので紹介しよう。話題と言うよりいつもの社会問題である。

 ウエルバでは紀元前タルテソ文化が栄えた。このタルテソ人はスペイン史上初めて何々人と呼びうる民族で、旧約聖書にもソロモン王の時代のイスラエルと地中海を隔てて既に交易が合ったことが記されている。ウエルバ市の考古学博物館に当時の青銅器など展示してある。

 現在のウエルバはとにかく田舎であり、行けば何故日本の旅行書に載せてもらえないのか良く分かる。その代わり広大なイチゴ畑が延々と続く。イチゴがヨ−ロッパ各地に輸出する程一大産業なのである。

 収穫期には多くの季節労働者がやって来るが、低賃金の外国人違法労働者が大半だそうである。と言えばモロッコ人と相場は決まっていたのだが、新聞に拠ればポ-ランド人も多いと言う。旧共産圏の東ヨ−ロッパ人の西ヨ-ロッパへの出稼ぎと言うより食うに困った挙句のことなのである。スペインではこのポ−ランド人とル−マニア人が多い。お手伝いや農作業、軽犯罪に売春とロクな第二の人生ではない。

 我々は西側に生まれたこと自体がいかに特権であるかもっと認識してもバチは当らない。

 あなたは在留異国人を苦しめてはならない。虐げてはならない。−−−−−或る昔の偉い人

 これは文字通り外国人のみならず、先輩後輩、上司と部下、嫁と姑など様々な場合にも言えるでしょう。要するに醜い人間の歪んだ根性の表れがイジメだと言うことです。ドスを持った闘牛士が丸腰の牛(しかも卑怯にも下っ端が前以って銛で突き刺して弱めてから真打登場)を殺してそれを見て喜ぶなど暴力奨励と一緒です。だからスペインの夫婦喧嘩は旦那が奥さんをメッタ刺しにして殺すまで徹底的にやるのです(情熱のスペイン)!?

 
 

 

28 知らぬが仏−−−か? 21−10−2002(月)

    バリ島、フィリピン、モスクワのテロ、ドイツの人質事件−−−先週もまた極悪ニュ−スには事欠かなかった。そして、そんなのは人事だと思っていると北朝鮮の堂々たる核保有宣言。これは日本には脅威である。

 そう言えば、たまに『宇宙学者は何年か後に流星が地球に激突することが分かっているが、人類がパニックに陥らない様そう言わないだけ』などと言うのを聞く。本当だとすればパチンコやマ−ジャンやアイドル歌手やプロ野球やスペイン人の大好きなサッカ−や宝くじに熱中することなど何の意味も無いことになる。

 さて、日本は明けても暮れても北朝鮮拉致帰国者の話題であるが、3日前にこちらに住んで長い少々ピンボケの日本人にこの話しをしたところ、『北朝鮮がどうかしたんですか』と言うお返事。全然分かってない。『あのね、日本人が20年以上前に北朝鮮に連れて行かれてね』『観光で行ったんじゃないんですね』 !?

 これが冗談や漫才ではなくマジの会話だからこっちも一瞬返答に困ってしまった。良く考えれば人生や社会の諸問題など本当は知らない方が人は幸せなのかも知れない。

 しかし、多くの場合例え問題など知りたくもないと思っても、問題の方からわざわざ人を尋ね求めてしがらみ付いて来るのが無情の世の常である。それは個人から国家まで問題のスケ−ルは違えど同じである。

 問題が起こるのが避けられないとしたら、肝心なことはそれに個人として国家としてどう対処するかである。

 人に思慮があれば怒りを遅くする。その人の光栄はそむきを赦すことである。−−−−−或る昔の偉い人

 怒ったところで問題解決にはなりません。余計にこじれるだけです。そして、自らの思慮のなさの上塗りでこじれにこじれたのが現代社会の姿かも知れません。こじれを取る唯一の方法はテロや原爆でぶっ飛ばすことではなく赦すことだそうです。しかし、いけ好かないあんな人(いますか?)を心から赦すなどある意味東大の入学試験より難しいのではないでしょうか。赦せなければ、まずは怒りを遅くすることから始めてみましょう。 

 
 

 

27 コロンブスアメリカ発見510年目   14−10−2002(月)

    去る10月12日はコロンブスアメリカ発見の日であり、スペイン全国祭日であった。

 ジェノバ出身のイタリア人コロンブスは『地球は丸い。丸ければ西回りでもインドに行ける。香辛料貿易で一山当てよう』と思い立った。これは当時ヨ−ロッパ人は中近東を牛耳っていたオスマントルコの商人を通さなければ東洋貿易が出来なかったことと、その頃囁き始められていた地球球体説が故の発想であった。

 ところが、発想はあっても資金がなかった無名のコロンブスはパトロンになってくれそうなヨ−ロッパの王様や貴族を説得して回ってみたが誰も相手にしてくれなかった。当時はまだ地球は丸くはなかったのである。

 相手にしてくれたのは1492年1月2日アルハンブラ宮殿を落とし、歴史上初めてスペイン国家統一を達成した当時のスペイン国王、カトリック両王の奥さんのイサベル女王だけであった。女王様がどこまで地球が丸いと信じていたかは大いに疑問であるが、おそらく戦勝の上機嫌の勢いで援助を決めたのではないだろうか。

 と言う訳でグラナダは大いにコロンブスゆかりの地である。実際彼がインドが発見された暁にはこれこれこうすると言う内容のサンタフェ協定を女王と取り交わしたのはアルハンブラ宮殿の大使の間である。

 ところが、グラナダイスラム王国との長年の戦争で国庫は空っぽだったイサベル女王は奥の手を使う。スペインのユダヤ人の財産を没収して国外追放にして、ユダヤ人から恐喝して盗んだその金でコロンブスを援助したのである。こう言う都合の悪い事はスペインの世界史の教科書には書かれない。どこの国も同じである。

 アメリカ新大陸発見の裏には結局こう言った裏話がある。どんな歴史的偉業にもブラックヒストリ−は付き物かも知れない。アルハンブラ宮殿も日本のどこの城に行っても必ず人の血が流されているのである。

 実際西洋世界では英雄のコロンブスも、アメリカ原住民の間では悪魔の手先と言わんばかりに評判が悪い。伊藤博文は日本では千円札にも使われるほどの偉人であるが、朝鮮総領事の彼を暗殺した朝鮮人は向こうでは国民的英雄であるのと同じである。

 日の下に新しいものは一つもない。『これを見よ。これは新しい。』と言われるものがあっても、それは、私達より遥か先の時代に既にあったものではないか。−−−−−或る昔の偉い人                                         

 新大陸、新技術、新年、新入生−−−。確かに見た目は新しいかも知れないが、物事の、そして、人の本質は変わらない。『歴史は繰り返す』と言う格言はこの言葉を巧く要約したものと言えるのではないだろうか。

 
 

 

26 スペインの未婚の母  07−10−2002(月)

   2日前の地元新聞でグラナダ市の子ギャルどもの妊娠中絶が異常な数に上っていると言う記事が一面を飾った。女に生まれた以上これだけはなりたくないと言うリストがあるとすれば『未婚の母』はベストテンに食い込むのではないだろうか。 

 以前『人は蒔いた種を刈り取る』と紹介したが、ロクでもない種蒔きである。ロクでもない種蒔きをすればロクでもない実を収穫しなければならない。種蒔きは蒔く前に良く考えなければ、時と場合によってはその収穫の苦い実を一生味わう羽目になる。

 歓楽街に嫁入り前の中高生の娘を野放しにする親も等しく愚かである。親子共々際目付けの愚かさと言う種を蒔いたのだから、親子合作の未婚の母と言う際目付けの苦い失敗作の実を収穫するに至るのである。

 面倒だ、闇に葬ってしまえ。これが堕胎と言う名の殺人である。妊娠中絶擁護者はこの点を分かっていない。何より堕胎は殺人である。恥の上塗りどころか、自らの貞操観念ゼロの恥を人殺しで精算するのである。

 半年位前のラジオ番組で聞いたのだが、堕胎の方法とは分かり易く言えば虫下しと同じで、胎内で毒や器具を使って胎児を殺すと思えば一番分かり易いそうである。とすれば仮に胎児に障害があるなど一見堕胎する正当な理由がありそうな場合でもそうすることは極めて非人道的な行為であると番組参加者の一人が言っていた。殺人に正当な理由などないのである。

 堕胎に賛成して合法化さえしてそれを国民の税金で補助するなど大量殺戮を民主主義と言う一見正当な理由でごり押しすることに他ならない。間引きと言う殺人を胎内でやるだけの話しだからである。

 だったら最初から種蒔きするなと言いたいところだが、情熱のスペインだから我慢出来ないのである!? 

 難しい話しになったが、分かり易く言えば『分かっちゃいるけど止められない』と言う35年前のあの流行歌が人間のバカさ加減を端的に言い表している。訳せばスペインでも流行りそうだ。

むちを控える者はその子を憎む。子を愛する者は勤めてこれを懲らす。−−−−−或る昔の偉い人

 子供のために良かれと思って手綱を緩めると憎むことになるとは皮肉です。人生皮肉なことばかりでうんざりしている方、原因は他人や社会ではなく自分には甘い貴方自身にある場合が多いのではないでしょうか。 

 今週より『スペインギタ−週間コルムナ』を開始します。ギタ−を弾かない方もチラッと垣間見て下さい。 

 
 

 

25 逝く人来る猫  30−09−2002(月)

   つい先日地元グラナダである有名なフラメンコギタリストが病気のため66歳で亡くなった。私自身は余り付き合いはなかったが、1年位前に町のギタ−製作工房で偶然会って話しをしたのが最後になってしまった。

 若い頃はあのカルメン・アマヤと舞台を共にし、ギタ−片手に世界中を駆け巡った言わば天才肌の芸術家であった。親戚にもフラメンコ界の大物が多い。実際彼の息子さんも現在プロギタリストとして活躍中である。

 さて、以前コラムにも書いたが、2ヶ月前に死んでしまった猫のポチの後継ぎとして、ポチが手術を受けた動物愛護協会で黒猫のシロ(2代目)をもらって来た。もうすぐ2ヶ月になる。そして、丁度1ヶ月前偶然街で犬猫を片っ端から拾って28匹と一緒に住んでいると言う家族と知り合い家に招待され、頼むから1匹もらってくれと泣き付かれ、白黒の子猫一匹もらって来た。名前はラッシ−。

 と言う訳で結局日本語情報センタ−にはまた猫2匹が住みついている。2匹共メスだが、猫はメス同士でも人間の様に醜い女同士の争いはしないことに気付いた。毎日爪を出さない取っ組み合いと運動会に明け暮れている。ポチが逝かなければ2匹共うちに来ることはなかったのかと思うと複雑である。

 サイクルが違うだけで最後は寿命を全うして死んで行く分には人間も動物も大差はないと今回感じた。

 そして、新たな若い世代が台頭して来る。人間も動物も世代交代である。

 人はその栄華の中にあっても悟りがなければ滅び失せる獣に等しい。−−−−−或る昔の偉い人

 あくせく働いて終わってみれば犬や猫の方が優雅な一生だったと言う人が結構多いのではないでしょうか。 

 
 

 

24 スペインよ、お前もか     23-09-2002()

    先週の金曜日、知り合いのお婆さんが入浴中滑って転んで足を挫いた。体重100キロ(スペインのおばさんの平均体重をやや上回る)だからこれは効いたはずである。幸い骨折はしなかったが、旦那のお爺さん共々息子夫婦の家でしばらく面倒を見てもらうことになった。普段は老人二人暮らしの家庭である。

 翌日の土曜日、もう八十歳近い姑が脳溢血で倒れリハビリ中だと言う友人に会った。入院中は家族が交代で看病に当り、とにかく大変だったそうである。

 曜日は戻るが、木曜日には離婚が決まっていると言う別居中の若い奥さんと話しをする機会があった。子供がいなくてまだ良かったとのことであるが、今現在収入がなく仕事を捜しているそうである。さて、−−−。

 情熱のスペイン、フラメンコ、闘牛、ガウディ、ひまわり畑、ドン・キホ−テの風車、パエ−ジャ、ワイン、ロエベのハンドバック−−−。外人旅行者専用列車スペイン号の豪華絢爛な客車を降りてみるとそこには素顔のスペイン人の生活が、そして、敢えて言うなら人生の苦悩がある。家庭問題、離婚、ロ−ン倒れ、失業、不安な老後、介護のボランティア−−−。日本の社会問題と何ら変わりはない。いや、人間が人間である以上どこの国に行ってもこれらの問題に関しては似たり寄ったりどころか丸っきり同じである。

 スペインで老後を過ごしたいと言う人の相談をたまに受ける。退職後くらい日本社会の喧騒としがらみから解放されてのんびりしたスペインでのんびり過ごしたいと言う気持ちは分かる。或は会社を辞めて今後の人生を考えるためにスペインに旅行に来たと言う若い人も結構多い。

 しかし、例え地球の反対側まで逃げても自分自身から逃れることは出来ないのが人の宿命である。どこに居ようが何人だろうが遅かれ早かれ人間としての様々な問題に付きまとわれることになっているのである。

 私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士の嫉みに過ぎない。これもまた虚しく風を追う様なものだ。−−−−−或る昔の偉い人       

 もちろん一生懸命勉強して勤勉に働くことは人として当然のことです。しかし、それが自分自身とせいぜい自分の家族のためだけだとしたら、手段は正しくても目的が正しくないと言えます。そして、目的が正しくなければ正しい目的地に行ける訳がありません。周囲との摩擦や他人への嫉みが起こるのも当然です。様々な家庭問題や社会問題はすべてこの『自己中心の精神』と言う土壌の産物と言えます。このどう仕様もない自己からの解放は『隣人を顧る精神』ではないでしょうか。総ての人が隣人を顧れば上記の様々な問題は未然に防げるか、起こっても誠意を持って善処出来る筈です−−−が、これは理想郷が存在しないのと同様起こり得ないお話しなのです。ますます朱に混じわって真っ赤になる現代社会がそれを証明して余りないでしょうか。 

 
 

 

23 グアディクスの花火    16−09−2002(月)

    洞窟式住居で有名なグアディクスはグラナダ市から東へ56Km。先週この町の夏祭りに行った知り合いの日本人の友人から聞いた面白い話しをご紹介しよう。

 何と祭りに付き物の花火が空から降って来て家屋に引火し、消防車も出動する大騒ぎ。私の友人もふりかかる火の粉の中を招待してくれた地元の知り合いと一緒に避難したそうである。

 翌日の新聞に拠れば結構な数の人が火傷などの怪我を負ったそうである。

 私はこの話し聞いて、打ち上げ花火の形容に付き物の一過性や虚しさよりも、むしろ打ち上げ花火の『怖さ』を感じた。報道に拠ればグアディクスは日本のガイドブックに紹介されている割りには過疎の町であり、だからこそ年に一度の祭りは景気付けには持って来いだったはずであるが−−−。おまけに屋上から可燃物を投げていたバカな連中までいたそうである。夏の夜の打ち上げ花火は夏の夜の悪夢にもなりかねない。

 その場凌ぎの打ち上げ花火は、結局自分にも無理を強い、そして、不本意ながら他人をも巻き添えにしてしまうことがある。おまけに派手な分だけ招かれざる客を招いて予期せぬ窮地に追い込まれる危険もある。

 やはり、何事も一過性であれば、それ自体継続性のないことの裏返しでもある。

 自分の畑を耕す者は食料に飽き足り、虚しいものを追い求める者は貧しさに飽きる。−−−或る昔の偉い人  

 祭りだけちゃっかり楽しむのも大いに結構ですが、普段の日に成すべきことを成していないなら打ち上げ花火観賞大会に終わります。祭り以外の日に耕作に従事した人こそ本当に祭りを楽しめるのではないでしょうか。

 綺麗な花火を見るのに理屈は不用かも知れませんが、やはり人生火事になっては困ります。

 
 

 

22 また酒か!     09−09−2002 ()

   若者や子供のアル中増加がスペインの社会問題になっていることは以前にも書いたが、昨日(9/8)の新聞にも同様の記事が掲載されていた。それによれば今年アンダルシア地方政府が夜22時から翌朝08時までのアルコ−ル販売を禁止し、それに罰金を課することを正式に法令化したにも関わらず全く馬耳東風、一向に効き目がないとのことである。大体こんな時間に(と言っても週末の話しだが)ガキどもが街で酔っ払っていること自体が極めて異常であり、それを許す親も親、公務員気分の学校の先生も何もしない。

 こんな付け焼きの法令で何とかなると思っている政治家も政治家である。第一こんな時間にアルコ−ル販売を禁止しても昼間ス−パ−に行って買えば済むことである。(スペインの場合問題は飲屋で飲む金がない連中が商店で買った酒を夜通し街の広場で飲んでバカ騒ぎをすることであり、一大社会問題になっている。)

 もっと規則を厳しくしてもっと罰金を課せば違反者は減るだろう。これではあたかも泥棒を捕まえて手を縛って『皆さん、手を縛りましたからこの人はもう泥棒ではありません』と宣言するのと同じである。逃げられる度に『今度はもっときつく縛りましょう』の繰り返しである。性根は治るどころか歪む一方である。

 彼ら自身律法を説きながら律法の精神を理解していなかった。−−−−−或る昔の偉い人

 憲法も刑法も校則も風紀部の規則も交通法規も皆良かれと思って作られたものばかりである。しかし、その精神、つまり基本精神が理解されなければ元来自己中心な人間(総て)には却ってそれに反抗してそれを喜ぶ材料にさえなるのである。廊下を走らない様にしましょうと言われる程走りたがる連中と同じである。様々な社会問題はこの一見些細にも見えるこの校則違反を喜ぶ自己中心の『精神』の延長である。

 近年旧共産主義国や独裁国家の民主化傾向は大いに結構であるが、民主主義の精神なき民主主義のシステムは空回りするだけである。日本、ヨ−ロッパ、アメリカの社会問題も民主主義の精神なき民主主義のもたらした結果とは言えないだろうか。肝心の基本(精神)がなければ上に何も建て上げれないのは道理である。

 総ての人が他人のことを心がけ、自然をも尊ぶ精神を持っていれば世の多くの法律や規則は必要ないはずである。だが、人間には悲しいかなそれが出来ない。それは人間の精神、性根が自分中心だからである。

 
 

 

21 或る地方新聞の投稿           02−09−2002 ()
   

 今週は先週火曜日(/27)グラナダ市の地方新聞IDEAL紙に掲載された或るグラナダ市民の投稿記事をそのまま訳してご紹介します。

 《犬への愛》 IDEAL紙編集長様。たくさんの動物が捨てられる今日この頃(スペインでは夏のバカンスに行く前に足手まといになるペットを平然と捨てる連中が多いと言う意味)次ぎのことなど書いてみたいと思います。

 丁度一ヶ月から私達の家には非常に大切なある人がいない。そのある人とはお前なのよ、ボル-ド。

 お前が私達の生活に入って来た時、お前はもう3歳だった。いつも犬は怖いと思っていた私は最初お前のことは余り好きじゃなかったの。だけど、7月20日以来お前がいなくて寂しくて仕方がないのよ。特にお前が最初におねだりをしにドアを前足で引っ掻きに来た朝。私達が帰宅した時、お前は本当に嬉しがっていたわね。

 お前の床に伏せる様子。お前の仕草。見知らぬ人が来た時にはしっかり吠えて家を守ろうとしてくれた。そして、近所の皆さんには本当に愛嬌を振り撒いてくれた。ボル−ド、お前がいなくて私は寂しい。

 ボル−ド、お前は一体どこへ行ってしまったの。お前が掘った穴から抜け出して友達に会いに行っても必ず家に帰って来たじゃないの。もうバス停にも付いて来てくれないのね。

 誰かに連れていかれたの?皆で方々捜したのよ。だけどお前はいなかった。

 お前はどこにいても私達の家でそうだった様に新しいお宅でも王様でいてちょうだい。

 ボル−ド、世界で一番利口で、愛想があって、愛らしいコッカ−(犬の種類?)でいてくれて有難う。

 何より私に犬を愛することを教えてくれて有難う。      マヌエラ・ロドリゲス・ルイス

 

 あなたの隣人をあなた自身の様に愛せよ。−−−−−或る昔の偉い人

 動物に対する一片の情さえ持たない人がどうして隣人を愛することが出来るでしょう。