◆スペイン週間コルムナ◆火曜日更新
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果たして人の一生は物の売買だけで一喜一憂するだけのものでしょうか。自分の欲だけ満たして最後は皆等しく死ぬために働くのが人生でしょうか。 日本語情報センタ−は単なる情報屋ではありません。スペインの情報やサ−ビスを通して別次元の人生観を日本の同朋に問いかけます。 |
| 20 宝くじ大当り! 26−08−2002 (月) |
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先週土曜日、スペイン政府が毎週全国で発売している公営週間宝くじの一等賞が地元グラナダ市で当ったと地元新聞の一面で報じられた。しかも、うちのオフィスから歩いて5分の所にある宝くじ売場である。 驚くなかれ、賞金は前後賞も合わせて3百万ユ−ロ、約3億6千万円である。 スペイン人はある意味ノ−天気な連中である。何せ、金がなくなったら真っ先に宝くじを買うことを思いつく民族なのである。この国民性を反映して宝くじ自体が高いし、当ればでかい。ハイリスクハイリタ−ンの典型である。宝くじに限らず公営ギャンブルも種類が多く、配当金も日本人の常識を遥かに上回る。 ところで、私自身学生時代しっかりパチンコをやった経験を基にはっきり言うが、ギャンブルに時間と金を注ぎ込んでいる奴はバカである。しかも、どう仕様もなくバカである。例えギャンブルではなくとも、くだらない事に時間と金を浪費して、それを楽しんでさえいる連中も愚かである。 金は持つべき人が持ち、然るべく使われないなら却って有害でさえある。今までのスペイン週間コラムの多くはそれを絵に描いた様に証明して余りないだろうか。 貧しくても誠実に歩む者は富んでいても曲がった道を歩む者に勝る。−−−−−或る昔の偉い人 貧しさと富、これが金銭物質の量とすれば、誠実と曲がった道、これは人としての質と言えます。人生、やはり量より質でありたいものです。質があれば量は必要な分だけ付いて来ます。逆に量だけで総てを判断する人は質を見失い、人生そのものが狂って来ます。人生は量より質だからです。 さて、まだ8月の終わりだと言うのにスペインでは早くもクリスマス特別ジャンボ宝くじを売り出している。抽選は4ヶ月先なのだが−−−。これはやはり病気である。いや、座布団10枚と言うべきか。 |
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| 19 マラガのフェリア 19−08−2002 (月) |
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高校の世界史の授業で、紀元前のフェニキア人のスペインにおける二大植民都市だと学んだのがカディスと私がその時初めて名前を聞いたマラガだった。ピカソの出身地としても有名である。 そのマラガ市で先週一杯フェリア(祭り)があった。フェリアと言えばセビ―ジャの春祭りと訳されているセビ―ジャ市のフェリアが一番有名であるが、スペインではどんな田舎町に行っても春から夏にかけてこのフェリアが開催される。期間は1週間。実際は前の週の土曜日からであるから正味9日間である。長い。 何をやっているかと言えば、日本の祭りと大差はない。急に信者になって晴着を着て、飲んで騒ぐだけの話しである。違うのはスペイン人の場合、とにかく人が変わった様に祭りにのめり込むことである。 何と、銀行に借金してまで祭りに総てをかけてのめり込む。これは昨日知り合いのマラガのおばさんから聞いたことなのだが、マラガの地元のマスコミでは結構ニュ―スになるほど一般的なことらしい。 そこまでやるかと思うのは我々日本人だけで、スペイン人はこと遊びに関しては金に、いや、借金にさえ糸目はつけない。借金してもバカンスに行き、何でもロ―ンで買う。だから、一見スペイン人の方が日本人よりいい暮らしをしている。銀行に借金しなければ損だとかなりの割合の人がそう思っている。スペインではどこに行っても銀行が街の一等地に位置しているが、これは悪徳金貸しの銀行と、いとも簡単に金を借りるスペイン人の国民性の需要と供給の副作用とも言える。 借りる者は貸す者の奴隷となる。−−−−−或る昔の偉い人 例え千円でも借りがあれば落ち着かない、と感じるのはどうやら日本人だけの様である。スペイン人に限らず、どうもラテン系は後先を考えずにまず行動してしまう人が多い。ましてやそれが祭りのドンチャン騒ぎのための借金なら、なおさら考えないで一思いに借りてしまうのも一興かも知れない。そして、祭りの終わりと共に借金返済と言う興醒めが始まるのである。これを後の祭りと言うが、スペイン語にこれに相当する表現はない。 人生色んな後の祭りがある。各自気を付けましょう。 |
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| 18 ポチの想い出 2 12−08−2002 (月) |
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ポチが逝って10日以上経った。 よく犬や猫の知能は何歳の幼児に相当するとか言われるが、我々人間は実は幼児の頃が何の心配も無く一番良い時期だったのかも知れない。もしあれから全く成長していなければ却って幸せではなかったのか。 例え親は借金返済に四苦八苦していようが、子供は遊びに夢中になっていればいいだけのことである。遊び疲れたら家に帰って据え膳上げ膳でかあちゃんがご飯を食べさせてくれる。 問題は人間の場合、この幼少期を終えて、嫌が応でも大人になって行かねばならないことにある。 何故子供は成長するに従って可愛気が無くなり、反抗期になり、最後は金と物が大好きな強欲な大人になるのか。罪悪と言う原質を持って生まれるからである。それはやがて芽を出し悪い実を結ぶ運命にある。 その罪悪の原質(邪念)が動物にはないと今回改めてポチに教えてもらった。もし貴方も犬か猫を飼っていれば良くお分かりになると思う。そうでない方は彼等の目を見てみると良い。その無邪気さは正に邪念のない幼児(ひねくれ始めた可愛気のないのは除く)の目にも似ている。 彼等は口が利けない。もっと早く言ってくれていればポチも獣医さんに連れて行ってやれたのに。しかし、人間どもは口が利けるから逆にタチが悪い。言わなくてもいいことばかり次ぎから次ぎへと口にしてその内にあるものを外に蒔き散らしている。そして、自分も他人も傷つけているのである。 舌は火であり、不義の世界です。−−−−−或る昔の偉い人 人の内なる邪念は目と口から外に向って発せられる。結局何人も内にあるものしか外には出ないのである。 無邪気なポチはこんなことには無縁だった。 さて、こと無邪気さに関して貴方は果たして猫以上の人格者だろうか。 以上先週と今週のコラムは6年弱連れ添ったポチへのレクイエムでした |
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| 17 ポチの想い出 1 05−08−2002 (月) |
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先週の火曜日7月30日17時50分、6年弱飼っていたポチが病気で逝ってしまった。子猫の頃からの付き合いだったので我が子同然であった。日本語情報センタ−で見た方も多いと思う。来館者と私の間の机にわざわざ乗って寝そべっていた、どう仕様もなく人なつっこい全く人間を疑うことのない無邪気な猫だった。 ポチの死に際しこの無邪気と言うことばの意味をふと考えてみた。と言うか、余りに一般的な日本語の表現であるが故に人生この歳になるまでその意味を深く考えてみたことさえなかったのである。 そして、無邪気とは文字通り邪念が無いことであると初めて気付いた。主に子供や動物に使われるこのことばは邪念に満ちた大人が逆説的な意味で、あるいは少しは自己反省の意味も込めて造ったのかも知れない。 本当に邪念の無い無邪気な動物の方が邪念に満ちた罪深い人間よりも遥かに純真である、と言えば言い過ぎだろうか。読者の皆さんも私も今まで意地の悪い犬、皮肉を言う猫、陰口を叩く猿、いつまでも根に持つ九官鳥など見たことはない。これらの邪念は皆人間(幼児を除く)だけの専売特許なのである。 果たして人間は一体何処まで万物の霊長なのだろうか。月にロケットをぶち込んで、石油から衣類を作り、インタ−ネットを発明した人類は確かに知恵に関しては動物より優っている万物の霊長には違いない。しかし、それもこれも総て自らの邪念で汚染されてしまったのが人類のありのままの姿ではないだろうか。 怒り、憤り、悪意、そしり、あなた方の口から出る恥ずべきことばを捨ててしまいなさい。−−−−−或る昔の偉い人 人を殺したかったから殺す、高校生の押し込み強盗−−−。そこまでひどくないにしても、これを見て皆馬鹿になろうと言わんばかりの低俗なテレビ番組や週刊誌−−−。 無邪気なポチはこんなことには無縁だった。 <この項続く> |
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| 16 スペインの日本週間 29−07−2002 (月) |
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7月25日から8月4日までスペイン北部ナバ−ラ地方(県庁は牛追い祭りで有名なパンプロ−ナ市)でナバ−ラフェスティバルの一環として日本週間が開催されている。生け花、凧上げ、着物、茶の儀式などとスペイン国営ラジオで紹介されていた。 さて、日本人にすれば日本がスペイン人にどう思われているか非常に興味のあるテ−マではあるが、残念ながら認識は情けない程低い。もっとも、日本人もスペインと言えば闘牛とフラメンコしか思い浮かばないのであるから人の事は言えないが−−−。まあ、同レベルである。 実は、もう10年も前になるだろうか、私が観光ガイド時代にも当グラナダ市で日本週間があり、日本からやって来た方々の世話をした経験がある。また、それから3年後にも再度開催されている。 その結果は−−−。結果はと言うのは10年前、7年前に日本週間が開催されたグラナダ市民の日本に対する認識は現在どうかと言う意味である。何も変わってはいない。これが現実である。日本は中国なのである。 一国の文化が他の国に根を下ろす。これは大変な事である。もっとも、主催者側も根を下ろさせようと意気込んでいる訳でもなく、見学する側の市民も物見胡散がほとんどである。仮に日本でどこかの国の何とかフェア−など開催しても結局は打ち上げ花火に終わってしまうのではないだろうか。 そう考えればスペインのカステラが日本の食文化に同化してしまったのは凄いことである。 やはり何かやった後には爽やかな後味と余韻が欲しい。文化事業もサッカ−WCも何でも。 継続は力なり。−−−−−或る昔の偉い人 もし継続しなければ、もし爽やかな後味と余韻がなければ、それは例えどんなに文化的なタイトルで飾ってあっても力ある業ではなかったと言うことである。 |
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| 15 対決・スペイン対モロッコ 22−07−2002 (月) |
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これはサッカ−の話しではない。去る11日、モロッコ沖合い数百メ−トルだが一応スペイン領と言うことになっている無人の小島レイラ島に突如モロッコ軍が上陸。17日スペイン軍はこれを軍事行動で追い払った。 折りしもスペインとイギリスが300年振りにジブラルタル共同統治に基本的に合意したタイミングを見計らった上での行動であることは明らかであり、ある意味これと同レベルの問題であるモロッコのスペイン領セウタ、メリ−ジャ両市返還交渉を見据えての『イギリスと折り合うならモロッコとも折り合え』と言わんばかりの牽制球である。その他魚場、農産物、不法移民問題など両国の様々な駆け引きの思惑が遂に小規模爆発したかの如くである。 そう言えば、私が子供の頃の世界地図には、モロッコの左にスペイン領サハラなる植民地があった。ここは現在モロッコ領となっているが、かつてスペインがモロッコを圧迫した様に、今はモロッコが異民族サハラ族を同様に扱い、国連の調停を巧みにかわしてサハラ独立など認める気がないのは明白である。 そして、スペインもセウタ、メリ−ジャ両市をモロッコに返還する気などさらさらないのもこれまた明白である。 何が原因であなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたの体の中で戦う欲望が原因ではありませんか。−−−−−或る昔の偉い人 個人には個人の欲望がある様に、その個人の集合体である国家には国家の欲望があって当然である。おもちゃをめぐる子供の喧嘩から領土を奪い合う国と国の戦争まで、スケ−ルの違いこそあれその本質は身勝手で強欲な人間の欲望のぶつかり合いなのである。 スペイン人のモロッコツア−のキャンセルが相次いでいると言う。欲望は他の人も巻き添えにするから余計にタチが悪い。この秋本当にまた湾岸戦争第二章が始まれば巻き添えの被害は世界規模になるであろう。 譲り合う心さえあれは良いのであるが、悲しいかな人間にはそれがないのである。 |
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| 14 サッカ−の祭典終わって山河有り(2) 05−07−2002 (月) |
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先日日本のある方から『サッカ−WCも終わり何だか寂しい気がする今日この頃です』と言うメ−ルをいただいた。オリンピックが終わり、プロ野球のシ−ズンが終わり、高校野球が終わると感じるあの虚脱感である。 終わって寂しいのにも二種類ある。宴会のバカ騒ぎの後の空しさと名画名作名勝負を鑑賞した後のいつまでも残る余韻とでも言おうか。もし前者にも余韻があるとすればそれは二日酔いか。 宴会の主役はアルコ−ルであり、サッカ−WCの主役は選手達である。楽しみ方、見方を知らなければ貴方は呑まれてしまいはしないだろうか。そして、酔いから醒めた後には虚脱感だけが残るのではないだろうか。 誰でも思い入れの有るスポ−ツ選手や芸能人がいるものだが、彼等の如くなれない貴方は彼等ではない。貴方の人生の主役は貴方であり、私の人生の主人公は私である。他の人や物が自分の人生の主役でどうしますか。貴方のアイデンティティ−が他人だとしたら貴方は一体誰ですか。 アイドルとは元々偶像と言う意味。新興宗教並みにのめり込むと貴方の人格まで吸い取られてしまいます。 スポ−ツその他を楽しむのも、熱狂するのも大いに結構。しかし、一体誰が試合が終わったのに競技場から、映画を見終わったのに映画館から家に帰らない人がいるでしょうか。 あなた方は自分が何を求めているか分かっていないのです。−−−−−或る昔の偉い人 サッカ−WCが終わって求めていた物を得た人はそれで宜しいでしょう。しかし、求めていた物自体が何だったかさえ分かっていなかった人は結局群集心理で巨大なサッカ−劇場に酔っただけではなかったのでしょうか。ふと気が付けばそこには相変わらず貴方の学校が、家庭が、仕事が、そして、現実があるではありませんか。 サッカ−の祭典で得た感動と教訓を貴方の実生活の山河に持ち返って生かしてこそスポ−ツは初めて意義があるのです。と言うと余りに道徳の教科書みたいでしょうか。それとも宴会と同じで細かい事は抜きにしてその時だけ楽しけりゃいいんでしょうか。貴方はどう思いますか。サッカ−に限らず何を求めているのですか。 |
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| 13 サッカ−の祭典終わって山河有り(1) 08−07−2002 (月) |
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スペインにサッカ−を見に来る日本人旅行者、そして、当センタ−で日程などについての質問も増えて来た。 私が一つ確かにファンの気質が変わったと思うのは、スポ−ツの人間ドラマ的な面が軽視され、単にスポ−ツ エンタ−テイメント的な見方をする人(特に女性)が明らかに主流になって来ていると言うことである。 4年後のドイツにも必ず行きますと言う女性がつい最近やって来たが、これでは芸能人の追っかけと同じノリである。アイドル歌手もサッカ−選手も同じ感覚で捉えていると私の目には映る。ミ−ハ−丸出しである。 『それが何か悪いのか』と言われそうだが、何事も浅いよりは深い方が良い。仮にそれ自体は何も問題がなく悪い事でも何でもなくても、それが浅いこと自体が良くはない、いや、強いて言えば悪い。浅くても良いのは横綱大鵬の連勝を止めた平幕の浅瀬川、深くても悪いのは何かドつぼにはまった時くらいである。 浅ければ軽くも薄くもなる。総てがライト感覚の現代社会。少なくともプロスポ−ツを通じて何か人生の教訓を学ぶという時代はもう終わってしまったのかも知れない。確かに日本チ−ムの活躍に一喜一憂し、それなりの感動はあっただろう。しかし,それは果たしていわゆるスポ−ツの与える深い感動か、或は来週にはもう忘れている今週のベストテン的な一過性の感動もどきだろうか。サッカ−WCが終わってまだ一週間。だが、僅か一週間で余韻が消え失せる様ならそれは後者だと言うことである。何故なら名勝負も名場面も決して色褪せず時間を超えて感動と教訓とその余韻を味わい人生の糧とすることが出来るからである。点ではなく線なのである。早い話し、これでJリ−グが活性化しなければWCは余韻のない打ち上げ花火サッカ−ショ−だったと言うことである。 知恵の正しいことは、その行いが証明する。−−−−−或る昔の偉い人 人も社会もスポ−ツもファンもどんな有名人も、行いが悪ければ知恵がない。これが現実である。 ピンチになったら相手のユニフォ−ムにしがみつく(どこがフェア−プレ−なんだ?)、審判騙しの名人リバルド、狂信的なファン、顔へのペイント、暴動−−−。正しい知恵のある人間の行いとは到底思えない。 話しは変わるが、儲かるとなればサッカ−観戦ツア−でも東南アジア売春ツア−でも迷わず企画するのが節操のない日本のある大手旅行代理店だそうである。これはその筋から聞いた情報なので間違いはない。 祭典にも健全なものから宴会のバカ騒ぎまである。サッカ−も、それを取り巻く環境も前者から後者になってしまったのではないか。二日酔いから醒めたら一刻も早く現実の山河に目をやるべきである。 (この項続く) |
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| 12 横車、みんなで押せば怖くない 01−07−2002 (月) |
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先週金曜日グラナダで、土曜日にはマドリ−とバルセロ−ナでスペインオカマレズ協会のデモがあった。野党第一党の社会党党首自ら政権を取った暁には同性同士の結婚を合法化すると公約。バルセロ−ナ市役所では寛容的な市であることをアピ−ルするために非公式ながら男同士の結婚式パフォ−マンスまで行われた。 一体人類はどこに行き着くのか。おかしな髪型、刺青、ピアス、麻薬、アル中、中高生の売春、それを買うスケべ親父、同性愛、近親相姦、視聴率が取れて金が儲かりさえすればいいそれらを題材にしたテレビドラマetc. 人間社会は巨大な精神病院になってしまったのか。それともこちらが狂っているのか。 過半数が『太陽は西から昇る』と言えば、例え嘘でもそれに尻尾を振って合法化さえするのが政治家の正義である。もちろん総てではないが、この程度のモラルの持主なら賄賂などもらって当り前と思っていることだろう。現にかつて第一党だったスペイン社会党はそのおびただしい汚職の数々で現在は野党である。 人よ、何が良いことなのか。−−−−−或る昔の偉い人 貴方は例え少数派になっても『太陽は東から昇る』と言う絶対的価値観に根ざす良識有る人でしょうか。それとも貴方は大多数が『太陽は西から昇る』と言えば迷わずそれに押し流される優柔不断な人でしょうか。 『何が良いことなのか』を見出すには『何が嘘偽りか』見分けることが必要です。 日本語の『馬鹿』は馬を鹿と言い張ることから来ているそうです。馬を馬と認めた上で私はこの馬が好き嫌いと言うのなら広い心を持って大いに他人の意見も尊重するべきです。逆に、この馬が一番なんだと他人に自分の好みを押しつけることはむしろ偏狭な心です。しかし、民主主義なんだから馬を鹿だと言ってもいいじゃないかと言うのは民主主義の鉢巻を絞めて横車を押すことです。そして、過半数が馬を鹿と言い張り横車を押し、それが正義にさえなってしまったのが日本やスペイン、そして、世界中の現代社会の変わり果てた姿なのです。 しかし、例え人間がどんなに横車を押そうとも、太陽は相も変わらず東から昇り、馬は馬、鹿は鹿であり、男は男、女ではないのです。横車を押し続けて健康でいられる人も家庭も学校も社会も国家もないのです。 今後もスペインの出来事を通じて『何が良いことなのか』いっしょに考えて行きましょう。 |
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| 11 スペインのゼネストとEU首脳会議 24−06−2002 (月) |
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去る21日、政府の労働者への助成金大幅カット政策に組合がゼネストで対抗。スペイン中が停止した。 そもそもラテン諸国の税法は国民が国を騙すのを前提にしていると聞いた事がある。早い話しが自分から仕事を辞めて失業保険や手当てをもらわなければ損をしたと思う思考回路の人間が大半なのである。これを寄生虫呼ばわりして一掃しようとした政府に頭に来た組合側がゼネストで憂さ晴らしをしたと言う訳である。 そして、その翌日からアンダルシア州都セビ−ジャ市でEU首脳会議が開かれた。この種の会議があると必ず現れるのがグロ−バル化反対の連中である。グロ−バル化反対、つまり金持ちの国による貧乏な国搾取反対と言うのは結構なことだが、問題は殆どの参加者はいかにも世をすねたヒッピ−で、日本的に分かり易く言えば不良学生が体制に反抗するために弱者救済のスロ−ガンを掲げて機動隊に投石するのと同じである。 一見美辞麗句の大義名分もアバタを隠す厚化粧に使われることもあるので注意を要する。厚化粧だけ見て『いい女』と思うのは女を見る目がないのである。ヒトラ−もフセインももっともらしいことは言ったのである。
人間が変わらなければ社会は変わらない。−−−−−或る昔の偉い人 社会を良くしよう、良くなって欲しいと願うのは万国民共通である。だからこそ社会を改革しようとするのが政治であり、校内を良くしようと言うのが風紀部の規則である。しかし、それは多くの場合一時凌ぎの厚化粧であり、また、泥棒の手を縛って『手を縛りましたからこの人はもう盗みません』と宣言するのと大差はない。 さて、私は共産主義は嫌いだが、総ての物を総ての人が真心から分かち合うと言う共産主義的精神は好きである。いや、むしろこれこそ人類の理想ではないのかとさえ思う。しかし、レ−ニンや毛沢東の決定的な誤りは嘘つきで身勝手、何より自分自身が一番可愛い人間に共産共有が出来ると思ったことにある。 要は分かち合う『精神』の問題である。分かち合う精神なくして分かち合えと言うのは所詮厚化粧の偽善であり、分かち合う精神さえあれば、例え分かち合うものがなくても僅かなもので満足出来るはずである。 |
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| 10 スペインのひまわりの花と実(2) 17−06−2002 (月) |
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人は花だけに目を奪われがちです。しかし、貴方の目に映っているあのこと、羨ましいと思っているあの人、カッコイイと憧れているそのこと、やってみたいこのこと−−−、これらは果たして花か実か良く吟味すべきです。 花だけ追求すれば、実を追求しないのですから実が残らない、つまり『収穫がない』のは当然です。人生に虚しさを感じる人は、追及して来た花が散って実が残らなかったから失望しているとも言えるでしょう。 他人の喧嘩と対岸の火事とスペインのひまわりの花は大きい程宜しいと言うのは所詮野次馬根性です。しかし、当事者(農夫)にとってはいくら花が咲き乱れ様が種の収穫がなければ総ての苦労は水の泡なのです。 他人事なら花だけ面白がる野次馬根性でも害はないかも知れません。しかし、当事者、つまり自分の人生で花だけ追いかけて虚しさを収穫すれば、総てとは言わないまでも多くの苦労は水の泡です。 もちろん、日本で忙しい生活を送っている人が息抜きにひまわりお花見ツア−でスペインに来て気分転換するのが悪いのでも何でもありません。しかし、旅行業界だろうが何だろうが人が実よりも花に目移りする傾向にある以上、世の中実(真に価値あるもの)よりも見栄えのする花の方が多くなるのは金と物第一の資本主義社会、そして、間違った意見でも過半数を占めれば正論となる民主主義社会の鉄則とも言えます。 例えばツア−を売るためには旅行代理店にとってもお客にとっても正論は花、しかし、農夫にとっての正論は実です。貴方の人生の『正論』は花でしょうか、実でしょうか。私達人間が人生と言う畑を耕す農夫だとすれば尚更この点について明白な価値観を持つことが大切です。 嘘は花は咲かせるが実は成らせない。−−−−−或る昔の偉い人 先々週の繰り返しになりますが、現実、真実、誠実でないこと、つまり、実がないことが広い意味で嘘なのです。もちろん綺麗に咲いた花は大いに結構なのですが、散った後実を結ぶ様な咲き方かどうかが問題です。 もう一度4月29日のコラムをご覧下さい。一日何十万の収入、高級マンション−−−嘘で咲かせた人も羨むド派手な花が散った後の収穫の実は一日千円に事欠く哀れな老後。他人事ではありません。 日本語情報センタ−はスペインの花の情報はもちろん、それを元に小さくても確実な収穫の実を結んでいただくための確かなきっかけを差し上げたいと思います。続けてスペイン週間コラムをお読み下さい。
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| 9 スペインのひまわりの花と実(1) 10−06−2002 (月) |
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スペインの夏の風物詩と言えばひまわり畑である。日本人なら躊躇なくこれを全部引き抜いてゴルフ場にしてしまいそうな広大な丘陵地にひまわりが栽培される。『ひまわり娘・伊藤咲子』など足元にも及ばない。 私が初めてひまわり畑を見たのは観光ガイド1年目のこと。初仕事は冬だったのだが、観光バスの運転手によると全く何もない畑にひまわりが咲くのだと言う。なるほど春先になって発芽した小さな芽は小学生の頃家の庭にあったひまわりのそれに似ている様な気もした。そして、遂に6月初旬開花。あたり一面のゴルフ場にひまわりが咲いている光景は想像を絶する。 ところが、2週間後通って見るとどこか元気のない様子。今日は具合でも悪いのかなと思ったのだが、翌週来て見ると明らかに散りかけていた。そして、完全に枯れた頃首を刈られて種を収穫されるのである。 鉢植えの花などの固定概念で、どんな花も一度開けば1、2ヶ月は咲いていると私は思い込んでいたのだが、結局ひまわりは春先に種を蒔かれ秋には収穫される半年の命。その美しい盛りは僅か2週間なのである。 人間ならせいぜいその150倍位かなと毎年この時期思う様になって2、3年。小さな芽を吹き、成長して最盛期を迎え、後は落ちる一方。ぶつぶつ文句を垂れながら容姿体力衰え枯れ果てて死んで行く。ひまわりの命はそのまま人の一生の縮図かも知れません。 すべての人は草、その栄光はみな野の花の様だ。−−−−−或る昔の偉い人 ひまわり畑の目的は花ではなく、実は花が枯れてから熟成する種(油を採る)の『収穫』にあるのです。 虎は死して皮を残す。ひまわりは花は散るが油を残す。貴方は何を残すのでしょうか。 (この項続く) |
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| 8 開幕:サッカ−ワ−ルドカップ 3−06−2002 (月) |
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いよいよサッカ−ワ−ルドカップの開幕である。 私が小学校の何年生だったかメキシコ五輪で銅メダルだったので日本のサッカ−は少なくともその頃は強かったはずである。おそらくその影響で『赤き血のイレブン』なるテレビ漫画も出来たのだろう。いわゆるスポ−ツ根性ドラマ全盛期で、『巨人の星』『アタックナンバ−1』『サインはV』『明日のジョ−』『アニマル1』『タイガ−マスク』『金メダルへのタ−ン』『コ−トにかける青春』『空手バカ一代』『キックの鬼』など懐かしい限りである。これは裏を返せば当時は東京オリンピックからメキシコ、ミュンヘンと日本のスポ−ツが一番輝いていた時代の反映でもある(ただし、三宅兄弟をモデルにした重量挙げ漫画は遂に出現しなかった)。 そのスポ−ツ日本の古き良き時代も『巨人の星』の最終回の翌週から『天才バカボン』が始まったことによって終わりを告げたと思うのは私だけだろうか。 松本清長の『点と線』がどう言う小説かは知らないが、やはり打ち上げ花火は点である。人生何をするか(点)も大事だが、それがその後どう継続して(線となり)どう言う実を結ぶかと言う方が遥かに大切である。 私を含めて、昔見たスポ−ツ根性ドラマや高校野球、プロスポ−ツの名勝負(点)に感銘を受け、それが後の人生に役立って(線となって今日に至って)いる人も多いのではないかと思う。 古いと言われるかも知れないが、こうでなければスポ−ツは単なるエンタ−テイメントに終わってしまう。大体世界中で多くの人が飢えているのに年棒何億の選手達がボ−ルを蹴ってそれに世界中が熱狂していること自体が『天才バカボン』なのだ。サッカ−やバレ−の試合で『ニッポン』と声援を送るだけが愛国心ではない。『巨人の星』の左門豊作とその兄弟達のことを思い出しつつワ−ルドカップを観戦して欲しい。日本が思う様に得点出来なくてもちゃぶ台だけはひっくり返してはいけません。 日本の各地で『巨人の星』が再放送されている限り日本にはまだ希望があると私は思います。スペインでも『キャプテン翼』が放映されているのです。本家日本が頑張らなくてどうするのです。 或る意味日本にとってサッカ−ワ−ルドカップ開催は大きな打ち上げ花火(点)です。むしろ、サッカ−ワ−ルドカップが終わってから日本のサッカ−がどう継続して(線となって)行くかの方がより重要なのです。 継続は力なり。−−−−−或る昔の偉い人 我々個人としても『今やっているこのことは一過性の点なのか、それとも線として継続し、やがて何かの実を結ぶのか』と絶えず吟味しなければなりません。それが勉強でも、人間関係でも、ビジネスでも、何でも。 日本とスペインの健闘を祈ります。 |
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| 7 銭ゲバ大百科 27−05−2002 (月) |
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日本の或る都市で親から相続したビルを五つも持っている大富豪(と言うか超成金)の息子二人が遺産相続で大喧嘩。お互い弁護士だけでは飽き足りず、ヤクザを雇って正に骨肉の争いを演じた。ところが、何億という資産は裏で結託した双方のヤクザに恐喝され奪われてしまった。 これは先週火曜日に起こったばかりのリアルタイムで聞いた実話である。実は私はこのバカ息子二人の三人目の弟と或るビジネスをしている別の日本人と知り合いで、彼からほぼ現地レポ−トの如く一部始終を聞いたのである。そして、三人目の息子も会社の金数百万円を持ってドロン。私の知り合いも破産同然。途方に暮れていると言う。せいぜい事後処理について思いつくままに助言しておいたが、総ては後の祭である。 絵に描いた様な余りの鮮やかな醜さゆえにテレビドラマのシナリオにさえなりそうである。しかし、これはフィクションではなく、正に『人間の醜さ愚かさここに極めりノンフィクションドキュメンタリ−』なのである。 この私の知り合いによれば、バカ息子達は親の遺産で贅沢三昧。高級マンションは家賃40万円。ラスベガスで一千万円すっても平然としていたそうである。 もし先週までのコラムのおさらいをするとしたら、今週のこのコラムこそ正に総集編と呼ぶにふさわしい。 今一度前回までの『或る昔の偉い人 』のことばを読み返して今週のコラムと対比していただければ、その一つ一つが面白いほど図星なのがお分かりいただけると思う。 金持ちに成りたがる人は、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで有害な多くの欲とに陥る。 或る昔の偉い人 これを私なりに訳せば『飛んで火に入る金の亡者』と言ったところでしょうか。 貴方のノンフィクションドキュメンタリ−(人生)はどんなシナリオでしょうか。フィクション(架空つまり嘘)がごろごろある様では人生の正念場で手痛い目に会うのは必然です。 嘘とは何でしょう。現実、真実、誠実でないこと。つまり実がないこと。実があると見えても中身がないこと、つまり空虚なこと。虚しいこと。虚しいことを実と取り違えて横車を押すのが嘘の定義とも言えるでしょう。 彼等は虚しいものを追い求めたので、彼等自身もまた虚しいものとなった。−−−−−或る昔の偉い人 スペイン・アンダルシア地方の素朴な風景を見れば人生観も変わるかも知れません |
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| 6 スペインの母の日 20−05−2002 (月) |
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去る5月12日は母の日であったが、何故かスペインでは1週間前の5月5日であった。スペインにも日本に 負けず劣らずひねくれ屋さんが多いせいだろうと思いながらラジオを聞いていると、丁度母の日についての 番組をやっていた。それによると、(他の国はともかく)スペインでは元々12月の何日かが母の日であったそ うなのだが、クリスマスと日にちが近過ぎて母の日の経済的効果が薄いため、5月の初めに移そうと経済界 がスペインカトリック教会に働きかけたためだそうである。 母の日に限らず、様々な祭りや宗教行事は人々が絶えず消費するために一年の内に適当に間隔を空けて 設けてある、とスペイン人の分かっている人さえそう言っているほどである。 実際5月5日は日曜日にも関わらず多くの商店は営業していた。また、このコラムを書くに当って母の日の 日本語のHPを検索してみたが、どれもこれも結局はお母さんに何々を買ってあげましょうと真心オブラ−トで はちきれそうな母の日ビジネス根性を包んでいるだけの話しである。 大体資本主義社会はこの手のことが多い。中元歳暮やバレンタインデ−などその極め付けである。 卑しい利得を求めるのではなく、心からそうしなさい。−−−−−或る昔の偉い人 要は商品や代金そのものではなく、売り手買い手の誠意と言えるでしょう。誰でも笑顔で応対してもらえば 嬉しいものですが、買ってもらいたいがための作り笑いは自分を卑下すること、誠意ではありません。 母親への誠意や愛情は贈り物のない母の日以外の毎日こそ正念場と言ったら大袈裟でしょうか。 |
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| 5 アルコ−ルの彼方に 13−05−2002 (月) |
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先週の金曜日、スペイン国営テレビでスペインのアル中の若者についての番組が放映された。 14、5才から飲み始め、18才で廃人同様。酔った勢いで交通事故は起こす、未婚の母になる−−−。しかも、そのパ−センテ−ジは地獄の黙示録かと思うほど異常に高い。これが決して誇張した言い方でないことは、スペインのどこの都市でもいいから金曜と土曜の夜に街を散歩してみると分かる。公然と麻薬も売っている。 これを第三者の日本人が、さすがは『情熱のスペイン』と笑って済ますのは軽薄の上塗りである。読者の中にも宴会のまとめ役や一気飲みの女王と呼ばれている人がいるかも知れないが、酒を飲んで利口になる人間は一人もいないことを肝に命ずるべきである。ましてや一国の将来である子供や若者がアルコ−ル漬けの国が腐って滅びて行くのは自然の成り行きである。それにも拘らず何もしない親も警察も学校も政治家もバカである。 確かにこの種のことについては自由奔放なラテンの方が上を行っているかも知れないが、国際ニュ−スなど見る限り他の国々も似たり寄ったりである。 さて、何もアルコ−ル撲滅運動がこのコラムの目的ではない。私は酒は昔から養命酒しか飲まないが、食事のたしなみにワインを飲むことなどが悪いと言うのではない。逆に、酒を飲まないからと言ってその人が品行方正な良い人とは限らない。例えば、イスラム世界では酒は西側の悪魔の水だとか言って禁酒のくせに、麻薬はお咎めなしである。正に絵に描いた様な偽善である。 日本人は道徳や風紀のことになるとすぐに酒やタバコをヤリ玉に挙げたがるが、ある種の物だけ目の仇にするのは自分の好みを無意識のうちに他人に押し付けることにもなりかねないので注意を要する。 要はあれがいけないこれもいけないと言う細かいリストを作ることではなく、本当に自分が可愛ければ、見かけはともかくこれは自分にとって最終的に益となるか、害となるかを見分けられる毒見眼を養うことです。『自由と放縦』の区別がはっきり出来ることと言い換えても宜しいでしょう。束縛するニセの自由もあるのです。 オブラ−トに包まれた毒を舐めたらあかんぜよ。−−−−−館長 人生、舐めてからでは手遅れな毒もあります。気を付けましょう。 |
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| 4 速いぞスペインの新幹線 6−05−2002 (月) |
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1992年4月から10月まで万博の開催されたアンダルシア地方のセビ−ジャ市と首都マドリ−を結ぶスペイン国鉄ご自慢のスペイン高速鉄道、通称AVE(アベ)が先日開通10周年を迎えた。 ただし、日本の旅行ガイドブックを書いた人は知らない様なのでこの際言っておくが、AVEはフランスのTGVである。高速鉄道を造る技術などないスペイン国鉄は、日本の三菱新幹線、西ドイツ高速鉄道、フランスのTGVの3つのオファ−の内、おそらくスペインの政治家に一番賄賂を払ったであろうTGVを採用したのである。 定刻より5分以上遅延すると運賃全額払い戻しと言うスペイン人の国民性を逆撫でする様な几帳面さ。まるで旅客機並みの車内。スチュワ−デス(?)のお姐さんも美人しか採用されない様だ。 とは言えAVEが疾風の如く突き抜けるスペインの大地は何世紀も前からそうであった様に、相いも変わらずオリ−ブ畑が延々と続き、急に思い出した様に白い町や村が現れる。スペインは何でも両極端な国だが、これぞ正に静と動、スペインのアンバランス美の典型である。 さて、例えどんなに時代は進歩発展しようとも、人間が人間である以上、時代、国、老若男女を問わず変わってはいけないものがあるはずである。その人間の人間たるべき基盤がヒビ割れグラつき、あたかも体の要の腰が歪めば膝や歯まで悪くなる様に、自らのバカさ加減で自分も他人も打ちひしぎ、全身病んでどう仕様もなくなったのが現代人、及び現代社会なのかも知れない。ましてや、自律神経失調症で自分が重症なのも分からない。 あなたがたはなおもどこを打たれようと言うのか。−−−−−或る昔の偉い人 その昔大ヒットした水前寺清子の『真実一路のマ−チ』ならまだしも、AVEの如く『我が欲望こそ真実一路のマ−チ』でぶっ飛ばすのは、訳も分からず前の動物に付いて猛進し、最後はまとめて崖から落ちるスタンピ−トの如くです。 ただ、一つ勘違いをしてはいけないのは欲望とは誰が見てもゲスな欲望は勿論、自分可愛さに追求するそれ自体は何の問題もない誰が見ても正当な欲望まで包括すると言うことです。 一度AVEに乗ってみましょう。バスの車窓からは良く見える広大なひまわり畑(夏)も、AVEでは速過ぎて満足に観賞出来ないことに気付くでしょう。 |
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| 3 とんでもない老後 29−04−2002 (月) |
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先週の木曜日、以前グラナダに2年程居た知り合いの日本人のおばさんから手紙を受け取った。 今年65歳。元東京青山のバ−のママさん。景気のいい時は一晩何十万の売上で、住まいは高級マンション、洋服や靴をあれ買えこれ買え---。バブルでぶっ飛ばして夜逃げ同然にスペインにやって来た。多少スペイン語にたしなみがあったからであるが、一日千円に事欠く貧困生活。日本の家族には見向きもされず、これ以上はないと言う最低の老後を送っていた。そして、3ヶ月前に難破船の如く辿り着いた東京でも、詳細は省くが、辛うじてホ−ムレスを免れる哀れな生活を強いられているとの便りであった。金はおろか住民票さえないとのこと。 彼女の仕事は何も日本の法律に触れた訳ではない。しかし、結局は口八丁手八丁で男を手玉に取って酒を飲ませて金を巻き上げ、自分の欲しい物を買う事だけが人生の唯一の関心事だったのである。 さて、貴方の仕事は水商売ではないかも知れない。しかし、本質において彼女と同じ種を蒔けば多かれ少なかれ彼女と同種類の実を刈り取る事になりはしないだろうか。何故なら−−− 人は蒔いた種を刈り取る。−−−−−或る昔の偉い人 このおばさんの例は決して特別なケ−スとは言えないはずです。 |
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| 2 闘牛のお話し 22−04−2002 (月) |
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一昨日20日(土)グラナダで闘牛が開催された。通常の興行ではなく年に一回開催されるダウン症の子供たちを招いてのもので、その収益金も彼らに寄付される。 さて、スペインと言えば闘牛、フラメンコだが、外人が日本は芸者、富士山と言うのと大差はない。 新婚旅行の一生忘れられない最悪の思い出には持って来いである。 それでもどうしても闘牛を見たければ、罪ない牛をなぶり殺して、それを見て心から熱狂して口から泡を飛ばして泣き叫んで喜んでいるスペインの女性を見た方が良い。これが嫁、姑じゃ大変だと言うのが良く分かる。 お互い痛いのを承知でやっている人間同士の格闘技ではないのだ。ましてや弱い者いじめショ−に慈善事業の一環として子供たちを招いて、新聞も心温まる人間ドラマに仕立て上げる。 一日だけ急にいい人になった気分になるどこかのテレビの[愛は地球を救う]と同じである。 何が[人類は一家、人類は皆兄弟]なのか、都合の良い時だけ。 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。-----或る昔の偉い人 実は人間誰しも100%陰険でない人などいないのです。私も貴方も。 |
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| 1 不動産屋アントニオ 15−04−2002 (月) |
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さて、このコラムを始めようかなと思い始めていたところ、街で不動産屋のセ−ルスマンの知人と久しぶりにバッタリ会った。実は彼のボス、アントニオと私は以前同じ通りで商売をしていたお隣さん同士。2年位会ってなかったのでさっそく消息を尋ねると、つい2週間程前に車の運転中脳溢血で死去したとのこと。享年48歳。奥さんと子供を残してである。 この様なことは世の中珍しくないとは言え、やはり青天の霹靂である。今となっては彼が不動産でいくら稼いだか等どうでも良いことではないか。 勿論人間である以上仕事は一生懸命しなければならないが、その目的が金と物自体だと人生どこかカッタルイと言うのは日本人にもスペイン人にも万国民共通の真理ではないだろうか。 金銭を愛することがあらゆる悪の根である。‐‐‐‐‐或る昔の偉い人 金銭自体は悪の根なのではなく中立です。金銭を愛することが悪の根だと言っていることに注意しましょう。 |
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